「キョウ、ヨウ」があるのが大事
本日付日経新聞読書欄に、阿刀田高氏のエッセイ本『90歳、男のひとり暮らし』の紹介記事がある。以下に一部をメモする。
衣食住の近況紹介から始めたのは「読者の皆さんが関心を持つだろうと思った」から。脚が弱ったこともあり、外食は避けて食事はほぼ自炊。栄養には気を使うが、できあがりにはこだわらない。買い物下手を自認し、行く店も近場を優先する。「何事もまあまあならそれでいい」と考えることが、日々を機嫌良く過ごす秘訣のようだ。
老いてこそユーモアが求められると説く。自らも「キョウヨウの大切さ」を訴えて手本を示す。「教養」かと思いきや「今日、用」があるという「駄じゃれ」だ。確かにやるべきことがあれば頑張ろうとする気持ちが生まれる。「ユーモアはある意味危険な思想だから、年を重ねて分かる部分があるように思います」
・・・今日、用がある、やることがある。のは大事だなと、隠居生活一年目の小生もつくづく感じる。用が無ければ外にも出ないし、電車にも乗らない。移動しないし、環境も変わらない。すると、特にテンションの上がらないまま一日が終わってしまう。大した刺激のないまま、のんべんだらりんと日々を過ごすと、老け込むのも速いのではないかと恐れを感じてしまう。現役の時の、毎日外に出て電車に乗って会社に行き、仕事して帰ってくる。当たり前だったそういう生活パターンが、なるほど大事なのだなと感じる。なので老後も、何かパターンを作って、ある程度テンションを上げながら生活していくのが肝心だなと思う。ということで、「キョウヨウ」が大事というのは同感です。とにかく用を作って、外に出て、電車に乗ってどこかに行く。見て聞いて頭を使って活動する。とりあえず小生は、今は大学の公開講座に週に2、3回通うという形で、用のある日を作っているのだが、テンションを上げるとか、日常にメリハリをつけるためにも、スケジュールを作るのは必要なことだなと、改めて感じている次第。
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