2025年10月25日 (土)

「キョウ、ヨウ」があるのが大事

本日付日経新聞読書欄に、阿刀田高氏のエッセイ本『90歳、男のひとり暮らし』の紹介記事がある。以下に一部をメモする。

衣食住の近況紹介から始めたのは「読者の皆さんが関心を持つだろうと思った」から。脚が弱ったこともあり、外食は避けて食事はほぼ自炊。栄養には気を使うが、できあがりにはこだわらない。買い物下手を自認し、行く店も近場を優先する。「何事もまあまあならそれでいい」と考えることが、日々を機嫌良く過ごす秘訣のようだ。

老いてこそユーモアが求められると説く。自らも「キョウヨウの大切さ」を訴えて手本を示す。「教養」かと思いきや「今日、用」があるという「駄じゃれ」だ。確かにやるべきことがあれば頑張ろうとする気持ちが生まれる。「ユーモアはある意味危険な思想だから、年を重ねて分かる部分があるように思います」

・・・今日、用がある、やることがある。のは大事だなと、隠居生活一年目の小生もつくづく感じる。用が無ければ外にも出ないし、電車にも乗らない。移動しないし、環境も変わらない。すると、特にテンションの上がらないまま一日が終わってしまう。大した刺激のないまま、のんべんだらりんと日々を過ごすと、老け込むのも速いのではないかと恐れを感じてしまう。現役の時の、毎日外に出て電車に乗って会社に行き、仕事して帰ってくる。当たり前だったそういう生活パターンが、なるほど大事なのだなと感じる。なので老後も、何かパターンを作って、ある程度テンションを上げながら生活していくのが肝心だなと思う。ということで、「キョウヨウ」が大事というのは同感です。とにかく用を作って、外に出て、電車に乗ってどこかに行く。見て聞いて頭を使って活動する。とりあえず小生は、今は大学の公開講座に週に2、3回通うという形で、用のある日を作っているのだが、テンションを上げるとか、日常にメリハリをつけるためにも、スケジュールを作るのは必要なことだなと、改めて感じている次第。

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2025年9月 5日 (金)

「負ける戦争」はダメ、ゼッタイ

昔のマンガ、確か「ヨウスケの奇妙な世界」シリーズ(作者は高橋葉介)の中に「勝つ戦争は良いが、負ける戦争はイヤだ」みたいな言葉があったな、という覚えがあり、先日、どのマンガだったかマジメに捜し出した。正確には「勝つ戦争は賛成だが負ける戦争は反対だ!!」(『宵闇通りのブン』の「パパを待つ」、1980年「マンガ少年」掲載)というセリフ。記憶を確かめることができて、ひと安心すると共に、やっぱり名言だなと思う。これが、戦争に対する大衆のホンネじゃないだろうか。

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この夏は戦後80年ということで、戦争体験者の減少という背景から、戦争を「語り継ぐ」困難さが増していることが課題として、特に強調されていたように思う。確かに「語り継ぐ」ことは大事だろう。しかし、諸々の体験談が結論的に行き着く先が「戦争は絶対にしてはいけない」という思いであるならば、そりゃそうだろうという感じになるのも正直なところだ。肝心なことは、我々は敗戦国の人間であるという事実だろう。結局戦争に負けた国の人々から見れば、戦争は悲惨そのもの、根源的な悪として扱われるのも、当然の筋道のように思われる。だからと言って、ひたすら「戦争は絶対にダメだ」と訴えるのも、意地悪い見方をすれば、所詮敗戦国の恨み辛みが込められた言動でしかないような気もする。(戦勝国の人々の戦争観、平和観がどういうものか知らんけど)

この夏、ノンフィクション『昭和16年夏の敗戦』がドラマ化されてNHKで放映されていたが、戦争体験、というより敗戦体験からの教訓として、勝てない戦争、負ける戦争は絶対してはならない、とは確実に言えるだろう。つまり「負ける戦争は反対」するしかない。じゃあ、「勝つ戦争は賛成」なのか、勝てる戦争はやっていいのかと言われれば、基本的にはやってもいいんだろうけど、実際にやるやらないは自由かな。(苦笑)

とはいえ21世紀の今は、よその国に欲しいものがあれば、国の外交やグローバル企業の進出により、自分の国に持ってくるようになっている。だから、侵略戦争はどんな意味付けをしようが時代遅れになっているし、いま戦争と認められるのは、建て前としては自衛のために行う戦争なのだろう。つまり攻めてきたら「守る」あるのみなのだから、最初から勝つ戦争とか負ける戦争とか考える必要は、もはや無いのかも知れない。

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2025年8月 6日 (水)

ヒロシマ被爆80年

今日は「原爆の日」。平和を祈るだけの日ではない。アメリカの戦争犯罪を忘れない日だと思う。リメンバー、ヒロシマ!

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原爆ドーム、「広島県産業奨励館」だった建物の説明板には、「爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、建物の壁の一部は倒壊を免れ、最上部に残った鉄骨により円蓋をもつ建物であったことがわかる程度の残骸」となった、と説明されている。爆心地ほぼ直下であったために、全壊しなかった。と思うと、原爆ドームが残り、原爆の惨禍を伝えるシンボルになったのは、奇跡的なことだなと思える。これからも、人類のいわば「原罪」を伝え続けるモニュメントとして、保存していかなければならない。

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2025年8月 4日 (月)

戦時の少年少女世代への想い

先日、広島の平和記念資料館に行き、さらに東京都写真美術館の企画展「ヒロシマ1945」にも足を運んだ。

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で、「被爆地に立つ少女」の写真のことを知った(上の画像は企画展の展示パネル)。この写真は原爆投下から3日後の1945年8月9日に、毎日新聞社のカメラマンが撮ったもので、長い間どこの誰かは分からなかった。しかし2017年に、遺族からの問い合わせを受けて最新技術で確認した結果、人物の特定に至る。翌2018年毎日新聞は、写真の少女は当時10歳の藤井幸子(ゆきこ)さんであると発表した。幸子さんは被爆後、成人し、結婚して二人の子供をもうけたが、1977年がんにより42歳で死去した。

当時リニューアルを計画していた平和記念資料館は、幸子さんの写真を常設展示することを決めた。2019年のリニューアルオープン後、資料館の本館入口では、幸子さんの大きな写真が見学者を出迎える。ひと通り見学した出口のところにも、成人した20歳頃の写真と並べて改めて展示されている。(下の画像)

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知るのがちょっと遅くなり、この件を語るのはいささか気後れするのだが、この物語に僕の心はざわついた。それは幸子さんが、僕の親世代に当たる人だからだろう。昭和20年8月当時10歳ならば、昭和10年か9年の生まれ。いわゆる昭和ヒトケタ世代は、戦争当時少年少女だった人たちである。子供の頃に戦争を経験して、成人してからは戦後の価値観のひっくり返った時代を生きてきた。何だか想像を絶する経験である。

今年は昭和100年、ひと世代30年で単純に計算して、昭和ヒトケタの子供世代は還暦を過ぎ、70代に突入していく頃合いだ。既に人生の大半は過ぎてしまい、後は追憶に生きるだけのような気もするが、だからこそ改めて親世代に思いを馳せて、20世紀前半の狂気の時代を生きた少年少女たちに敬服する、戦後80年の夏なのであった。

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2025年1月29日 (水)

森永卓郎、死去。

昨日1月28日、経済アナリストの森永卓郎氏が亡くなった。享年67歳。

昨年の年初に、やはり著名な経済評論家である山崎元氏が食道がんで亡くなり、同じ頃、余命宣告を受けてがん闘病中であることを公表していた森永氏がどこまで頑張れるのかという、正直ちょっと意地の悪い興味を持って見ていた。一時はテレビに出ている姿を見ても、結構元気そうに見える時もあったけど、残念ながら奇跡は起こらなかった。

山崎氏と森永氏が大活躍していた頃には、自分も彼らの意見をいろいろ読んでいた覚えがあるので、何だか無常の感覚があるのはどうしようもない。そして何しろ、自分より一つ二つだけ年上の人が世を去ると、自分は今死んでも悔いはないか、やるべきことはやったのか、などと考えてしまう。(まあ自分のレベルでやれることはやったかなと、思っちゃってますけど)

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2024年1月15日 (月)

自分に語れることは。

「琥珀色の戯言」(fujiponさんのブログ)を時々読んでいる。特に「映画感想」が好きで、自分が映画を観てブログに感想を書いた後、fujiponさんも同じ映画を観て感想を書いてないかな、と思って見たりしている。先週末、久しぶりに最近の「映画感想」をいくつか読んで、しみじみ感じ入る文章があった。2023年7月20日付の映画感想(君たちはどう生きるか)の中にある文章だ。

fujiponさんは、「世の中って、いくつになっても、矛盾していて、意地悪で、わからないことばかりなんですよ。真剣に考えれば考えるほど、『自分は、自分が置かれた環境、状況のなかで、どうあがいて、どんな失敗をしながら生きてきたか』だけが、自分に語れること、自分にしか語れないことだという結論に達してしまうのです。」と述べて、「結局、人というのは『自分が生きてきたようにしか生きられない』し、その人だけにしか語れないことって、『自分自身が生きて、体験し、考えてきたこと』しかないのかな」と、思うようになったという。

そのうえで、fujiponさんは「もう少し語ってみよう」と決意を示し、「誰も求めていないとしても、これは、僕にとっての『生きている証』みたいなものだから」と記している。

自分より10歳以上若いfujiponさんの言うことに、至極同感する。本当に、結局のところ自分に語れるのは、訳の分からない世の中で、自分が試行錯誤しながら悪戦苦闘して生きてきた、ということだけだし、それが他人に通じるものなのかどうかも分からないけれど、とにかく語っておきたい、記しておきたい。ということなんだよなあ。

ところで、fujiponさんの「君たちはどう生きるか」の感想を読んで、あの映画を観て、これだけいろいろ書けるのは凄いなとつくづく思った。自分も観たのだが、どうも宮崎アニメは自分にはよく分からないな、で終わってしまったので。(苦笑)

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2023年12月24日 (日)

メリーメリークリスマス

先日、博多に行った時、JR駅前でクリスマスマーケットやってました。でっかいツリー型電飾も輝いてました。メリークリスマス!(12月9日撮影)

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2023年8月 5日 (土)

ちくさ正文館書店の閉店

7月末で、ちくさ正文館が閉店してしまった。人文・芸術書に重点を置いた棚(品揃え)で知られていた書店だ。何というか悲しみとも悔しさともつかない気持ちになる。でもその感情が強いとも言えないのは、やはり「書店」も「人文学」も困難な状況の中にある、そういう時代の流れには逆らえなかったか、という諦めに近い気持ちもあるからだろう。とはいえ個人的には、何かもう名古屋にいる意味もあんまり無くなったかな、くらいには思っている。

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2020年10月14日 (水)

やりたいこと有りや無しや

定年後にやりたいことが見つからない、そういう人は少なくないらしい。でも、やりたいことが見つからないというのも、それほど情けないことではないのかも知れない。世界史好きの経営者として知られる出口治明さんは、「歴史を見渡すと、人間の99%以上はやりたいことがわからずに死んでいく。一生探し続けて、やりたいことが見つからなければ、『自分は多数派だった』と思って死ねばいいだけだ」(今週の「週刊東洋経済」(10/17号)掲載のインタビュー記事)と言う。実に潔い認識だ。

実際には、やりたいことを探し続けて、見つからないというよりも、それなりに認められるほどの才能はないなと諦めるのが、一般的なパターンのような気がする。まあ、定年後のやりたいことであれば、改めてプロを目指すというならともかく、趣味レベルならば充分見つけられるとは思うけど。

もう少しあからさまに言うと、人間の99%以上は、自分の人生に大した意味は無かったな、と思って死んでいくのだろう。それこそアメリカ大統領にでもなれれば、自分の人生に意味はあるのだと思えるんだろうけど・・・まあ大した意味は無い人生が「多数派」なのだと思えば、それはそれで自分もなぜか安心するところもあるのが妙な感じです。

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2019年10月31日 (木)

定年到達

本日、定年退職日。とはいえ明日以降もサラリーマン生活は続く。だから、というわけでもないけど、今日は「アニバーサリー」と称して休暇を取った。まあ、ひと区切りにしたい感じもちょっとはある。

昔は定年退職と聞くと、花束もらって会社よさらば、みたいな感じだったけど、今は定年後も再雇用で会社人生がだらだら続くよな・・・。

できれば、「終わった。何もかも」とつぶやいて力石徹のように斃れたいところだが、やっぱり現実はそういうわけにはいかないし。

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