2026年4月29日 (水)

長岡の「イタリアン」

昨日、新潟県長岡市に出かけて、ご当地B級グルメ「イタリアン」を食べた。ミートソースをかけた焼きそば、という感じである。

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場所は長岡駅ビル内のフードコートに出店している「フレンド」。イタリアン単品は430円で、写真はイタリアンと餃子の「ペア」、560円なり。イタリアンのお味は予想の範囲内。餃子が意外とうまかった。(缶ビールはコンビニで購入)

この食べ物をNHK「ドキュメント72時間」で見たのは、去年の初めだったか。最初は「何じゃこりゃ」という印象を持ちながらも、いつか食べてみようと思ったのだが、長岡というのは特に用事がない場所(だから何となく時間が過ぎてしまった)で、今回殆どイタリアンを食べるためだけに決心して向かったようなものだ。まあいちおう駅の近くの「山本五十六記念館」には行ったけど。あと、「河合継之助記念館」もあるが、当日(火曜日)は定休日だった。(司馬遼太郎は何で継之助で小説を書いたのだろうね。そんなに凄い人かな)

意外とこういう地域限定B級グルメには興味がある。その最たるものは、とりあえず名古屋の「あんかけスパゲッティ」だろうと、自分的には思う。

ついでながら、缶ビールも「新潟限定ビイル」の、サッポロ「風味爽快ニシテ」。その由来はと言えば、缶に説明文あり。

与板町(現・長岡市)出身の中川清兵衛は、日本人で初めて本場ドイツで醸造技術を学んだ後、明治9年に開業した開拓使麦酒醸造所(サッポロビールの前身)でビールを完成させました。「風味爽快ニシテ」はその味を表現した当時の広告文。

・・・とのことで、「へぇ~」と感じつつ飲んでみれば、「広告文」の通り、すっきり爽快な味でした。

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2025年11月25日 (火)

鶏飯(けいはん)が好き♪

先日の熊本旅行では、熊本駅前のワン・ステーションホテルに宿泊。ここを利用する時の自分の目当ては、朝食ビュッフェのメニューにある鶏飯(けいはん)なのです。

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鶏飯。とりあえず鶏スープのお茶漬け、という感じ。ごはんの上に、鳥胸肉の細切れ、錦糸卵、シイタケ、ネギ、ゴマを載せています。調べてみると奄美地方の食べ物。なので、なぜ熊本駅前のホテルで出しているのかは謎だが、おいしいので有難く頂いてます。

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2025年1月22日 (水)

ふりがなをルビと呼ぶのはなぜ?

先日のNHK「チコちゃんに叱られる!」で、ふりがなを「ルビ」と呼ぶのはなぜなのか、という話をやっていて、興味深かった。大体以下のようなことです。

まず結論的には、ルビは宝石のルビーから来ている呼び名。ではなぜルビーなのかというと、そこはいろいろ歴史がある、という話になっていく。

1450年頃、ドイツで活版印刷技術が発明される。16世紀末には日本にも技術が伝わるのだが、アルファベット26文字の活字を作ればよいヨーロッパと違って、ひらがなや漢字など文字の種類が多い日本では定着しなかった。

明治になると、アメリカ人技術者ウィリアム・ガンブルに学んだ本木昌造が活版印刷の会社を設立。最初の主な印刷物は新聞だった。しかし明治20年時点で、日本人の識字率は48%程度。そこで、新聞の全ての漢字にふりがなを付けた「小新聞」(こしんぶん)が発行された。活字のサイズは「初号」(≒42ポイント)、「1号」(同27.5ポイント)、以下「2号」(同21ポイント)から「8号」(同4ポイント)まで合計9種類あり、新聞のふりがなは「7号」(同5.25ポイント)が使われた。この7号は、アメリカでは「ルビー」と呼ばれるサイズだった。

中世のヨーロッパで生まれた活版印刷は、当初、宗教書を大量に作るため利用された。アメリカでも、活字のサイズに宗教書由来の名前が付けられていた。20ポイントは「パラゴン」(典範)、12ポイントは「パイカ」(典式規則書)、8ポイントは「ブレビア」(聖務日課書)という具合。そして8ポイントより小さくなると、6ポイントはエメラルド、5.5ポイントはルビー、4.5ポイントはダイヤモンドと、宝石の名前が付けられていた。その理由の詳細は不明だが、旧約聖書の中にもルビーなどの宝石が登場することもあり、「小さい」活字に宝石名が付けられたようである。

で、ルビーと7号はほぼ同じ大きさ。ふりがなに使う7号の活字を、アメリカ流にルビーと呼んだのが、いつしか、ふりがなそのものをルビと呼ぶようになった、というお話。

活字に宗教書由来の名前が付けられていた、ということに、活版印刷技術が中世ヨーロッパの発明なのだなぁと、改めて感じた。15世紀に発明された活版印刷は、16世紀の宗教改革の時代、旧教と新教の争いの中で互いの主張を展開する重要なツールとなる。「ルビ」という言葉の背後には、活字の長い歴史があるのだなぁと、つくづく感じる。

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2024年12月30日 (月)

名古屋のエスカレーター「両側立ち」

「中日スポーツ」ウェブサイト12月29日発信記事「エスカレーターは『両側立ち』!! 名古屋スタイルを全国発信」から、以下にメモする。

エスカレーターの片側を空ける乗り方が大都市を中心に定着している現実がある。それを打破しようとしているのが名古屋市だ。2023年10月に、事故防止を目的に立ち止まって乗ることが条例で義務付けられ、市内の駅構内などでも両側に並んで利用する姿が目立つようになってきた。

エスカレーターの利用史をひもとこう。大阪、神戸などは右側に立って左側を空け、首都圏などそれ以外は左側に立って右側を空けるといわれる。そのようになったのはいつごろか。

エスカレーターの歴史に詳しい江戸川大の斗鬼正一名誉教授は「1967年ごろに大阪の阪急電鉄がエスカレーターや動く歩道が設置された梅田駅で右側に立ち、左側を空けるようアナウンスしたのがきっかけ」という。

東京については「89年ごろに自然発生的に右空けの習慣が始まった。駅は階段がほとんどだったが、バリアフリーの観点からエスカレーターの設置が増えたことが大きい」と指摘。右側を歩いて利用する習慣は「日本ではかつて車だけでなく駅構内の歩行者も左側通行だったため」とする。

・・・この東京の「自然発生的」という説明は、自分には違和感がある。大阪では駅でアナウンスがあったとのことだが、東京でもアナウンスがあった。ただしそれは駅ではなく、テレビニュースだった。だから、東京だけでなく全国的にアナウンスがあった、ということになる。

自分の記憶では90年代の前半の前半くらいか、テレビニュースで各局一斉に「片側空けが国際ルール」という話を流して、それ以降、駅の乗降客が片側空けでエスカレーターに乗るようになった。テレビの影響力は大きいな、と思ったことを覚えている。

なので、かれこれ30年前のことだから、確かに物心ついた頃から片側空けだった人も多くなっていると思われる。でもそれ以前、昔(大昔か)はみんな横に並んで乗っていたという記憶も、自分にはある。

この片側空けも、片側に乗るために行列が出来たり、それが駅だけでなくデパートなどの商業施設でも起きているのを見ると、さすがに非効率だなと感じていたので、名古屋市の「強制措置」はポジティブに受け止めている。

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2024年6月29日 (土)

名古屋にウクライナ料理店ができた

会社の近くにウクライナ料理のレストランがあるのを発見して驚いた。店名は「ジート」、5月にオープンしたとのこと。知らなんだ。

名古屋駅前(東側)、「ミッドランドスクエア」ビルの裏手に当たる場所に立つ「ウインクあいち」ビル。その地下一階の一角に、お店はある。

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とにかくランチに行ってみた。ランチは2種類。自分は1000円のランチとアイスコーヒー150円を注文。おなじみボルシチと、見た目は水餃子だが中の「餡」はポテトです。食べ物の写真を撮る趣味は基本無いのだが、カウンターの両隣りに人がいなかったので、カメラを向けました。

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やっぱりこういう御時世なので、時々支援する感じで食べに行こうかという気になります。

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2024年4月 2日 (火)

エスカレーターでは「並ぶんジャー」

先日訪れた福岡では、地下鉄駅構内にエスカレーター利用のマナーを呼びかけるポスターが貼られていた。(下の写真)

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「ならぶんジャー」という「戦隊ヒーロー」がキャラとして登場し、エスカレーターは立ち止まって両側利用で乗ることを呼びかけている。最近各地のエスカレーター、特に駅では「歩かない」「手すりにつかまる」などの表示が目に付く。名古屋市では、条例でルール化もした。

エスカレーターの片側空けが始まったのは、自分の記憶では1990年代の前半の前半くらいか。テレビニュースで、片側空けが国際ルールであると各局から一斉に伝えられたのがきっかけだったように思う。つまり30年くらい続いている「習慣」ということになる。しかし片側に乗るために長い列ができるなど、合理的とは言えない場面も目に付く。長期間に亘る習慣だからか、各種呼びかけにも関わらず、今のところ、両側立ちに大きくシフトしているとは言い難い。けれど、並んで乗る方が合理的なんジャー、ということで自分も心掛けたい。

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2024年1月16日 (火)

「アルバイト」の始まり

日経新聞電子版の昨日15日発信記事「アルバイト、なぜ和製ドイツ語? 戦前の学生の意識映す」からメモする。

「アルバイト」は学生の小遣い稼ぎや、臨時の仕事の意味として生活に溶け込んでいる。もともとはドイツ語の「Arbeit」(常勤の労働・研究成果などの意)が語源だ。日本のアルバイトは「和製ドイツ語」で、ドイツでは日本と同じ意味では使わないという。ではなぜ、日本で語意が変化したのだろう。梅花女子大学名誉教授の米川明彦氏(日本語学)は、旧制高校で1920年代にもとの意味で用いられ始め、30年代には「家庭教師」に転義したとみている。米川氏は「旧制高校では外国語教育が重視、偏重され、中でもドイツ語が人気があった。中学までは英語教育が中心だったため、エリート意識もあったのでは」と指摘する。

戦後、経済状況が悪化し、生活費に加えて学資を稼ぐ必要に迫られた学生たちを中心にアルバイトという言葉が広まった。米川氏は「労働が学業に優先する中で、それまで使われていた『内職』という言葉の語感が実態に合わず、代わりの言葉として定着した」と推察する。最も人気なのは家庭教師だったが、その職を得たのは一部。中には血を売って対価を得る「売血」や、感染症のウイルス投与で経過観察をすることもあった。

その後のアルバイト事情の変遷は日本経済の歩みと軌を一にする。「もはや戦後ではない」が流行語となり、大衆消費社会が到来した50年代後半以降、小遣い稼ぎを目的としてアルバイトをする学生が増加した。71年にはマクドナルドが上陸。ファストフード店やコンビニエンスストアなどアルバイト雇用を前提とした業態が普及すると、店員は家庭教師に代わって代表的な職種となる。

エリート学生の意識から誕生し、終戦後の苦難をきっかけに広まった「アルバイト」。その歴史は日本経済の盛衰がどのように学生生活に影響したかを雄弁に語っている。

・・・日本語はやたらと外来語を取り入れるので、最近ますますカタカナ語が氾濫している印象だが、大部分は英語由来だ。その中で「アルバイト」というドイツ語は昔から一般的に使われていたので、何でかなと思っていた。ドイツ語を学ぶ旧制高校性が家庭教師のアルバイトをする、これが「アルバイト」の始まり。なるほど。

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2023年11月28日 (火)

「させていただく」の違和感

『日本をダサくした「空気」』(徳間書店)で、著者の中川淳一郎は、日本はダサい国である、それは情報発信における東京至上主義や、過剰なコロナ対策に現れている、と強調している。ダサい言葉づかいも蔓延している。中川氏から槍玉に挙げられているのは、「させていただく話法」だ。以下にメモする。

日本語の丁寧過ぎる喋り方というのも、日本をダサくする。何しろ、上下関係を明確に作るほか、「お客様は神様です」思想を強化してしまうのだ。

丁寧に言いさえすれば、裏にある怒りやら失望、さらには儲けたい気持ちは許されると考えるのが日本語の「させていただく話法」である。

日本という国は「丁寧であればあるほどいいだろう」という前提があったうえで、「クレームは回避したい」ということが行動原理になっている。これがダサさの根源にある。

・・・「させていただく」という言い方は、一種の丁寧語として今や当たり前のように使われているが、へりくだり感を出して自分のやってることを正当化するようなイヤらしさがある。

丁寧ということで言うと、日本の得意とする「おもてなし」とやらにも、「丁寧にしておけばよい」という感じがあって、それはむしろ安易な姿勢に見えるし嘘くさい感じがする。

中川氏の本の中に、謎のビジネスマナーの一つとして、「エレベーターホールでドアが閉まるまで互いに頭を下げ続ける」が挙げられていて、強く同意する。エレベーターの内と外でお互いにお辞儀している姿は、ひどくバカバカしい。というか、要するにカッコ悪い。自分は、自分がリードできる場合は、そのフロアの会社の出入口のところで「ではこちらで失礼します」と言って、エレベータホールまでの同行は辞退させていただく(笑)ことにしている。

いろいろと形式的で上っ面な嘘くさい部分のある日本社会は、「ダサい」と言われても仕方がないかもなあ。

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2023年10月21日 (土)

「友だち」は学校時代の産物

まず『友だちリクエストの返事が来ない午後』(小田嶋隆・著、2015年)からメモする。

子どもが大人になるということは、そのまま友だちを失っていく過程であったりする。無論、かつて友だちだった人間が友だちでなくなるわけではない。そういう意味では友だちはいる。ただ、高校時代や大学生だった頃に親しく付き合っていた「親友」と呼べる人間と、現実に会う機会が持てるのかというと、それは別の話になる。
職場の同僚や、行きつけの飲み屋で顔を合わせる知り合いの中に、親しい人間がいないわけではない。が、彼らが「友だち」なのかというと、ちょっと違う。なにより利害関係や上下関係が介在している。
ということはつまり、社会に出た人間は、原則として新しい友だちを作れなくなるということだ。もしかすると、友だちは、学校という施設の副産物だったのかもしれない。

・・・橘玲も、友情は学校でしか生まれない、と言う。近著『人生は攻略できる』(ポプラ新書)からメモする。

日本では、友情は学校で平等体験を共有した仲間とのあいだでしか生まれない、ものすごく希少な人間関係だ。
日本では、たまたま入った学校で、たまたまクラスでいっしょになった子どもとしか友だちになれない。大学や就職で地方から都会に出て行ったり(あるいは都会から地方に行ったり)、留学や仕事で外国に住むようになったりすると、そのたびに友だちの数は減っていく。そうやってだんだん友だちが少なくなって、最後まで残った1人か2人が親友と呼ばれる。
それでもなかには、大人になってもずっと友だちに囲まれているひとたちがいる。地元(卒業した中学や高校のある地域)にずっと暮らしているからで、最近では「ジモティ」と呼ばれる。ジモティは、学校時代の友だち関係をいくつになってもつづけている。
ジモティは、生まれ育った街から出たがらない。故郷を離れてしまえば、友情が失われることを知っているからだ。国や民族、宗教や文化を問わず、世界の大半はジモティによってつくられている。それだけ「故郷」と「友だち」は強力なのだ。

・・・友だちというのは学校時代の同級生との間だけで、時間も空間も限定された中でしか成立しない人間関係ということになる。大人になっても友だちがいるジモティの生活環境は、ちょっと羨ましい感じもあるのだなあ。

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2022年10月31日 (月)

名古屋市営地下鉄「黄電」

名古屋市営交通は1922年市電、1930年市バス、1957年地下鉄と発展して、今年100周年。これを記念して市営地下鉄は、開業当初から2000年まで運行していた「黄電」を東山線に一本、走らせている。

自分は名古屋出身ではないので、特に懐かしいとかそういう感じはないのだが、今自分が住んでいる藤が丘駅近くの団地から、出発待ちをしている黄電を写してみました。この黄電の運行は来年1月までとのこと。

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