2024年6月29日 (土)

名古屋にウクライナ料理店ができた

会社の近くにウクライナ料理のレストランがあるのを発見して驚いた。店名は「ジート」、5月にオープンしたとのこと。知らなんだ。

名古屋駅前(東側)、「ミッドランドスクエア」ビルの裏手に当たる場所に立つ「ウインクあいち」ビル。その地下一階の一角に、お店はある。

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とにかくランチに行ってみた。ランチは2種類。自分は1000円のランチとアイスコーヒー150円を注文。おなじみボルシチと、見た目は水餃子だが中の「餡」はポテトです。食べ物の写真を撮る趣味は基本無いのだが、カウンターの両隣りに人がいなかったので、カメラを向けました。

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やっぱりこういう御時世なので、時々支援する感じで食べに行こうかという気になります。

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2024年4月 2日 (火)

エスカレーターでは「並ぶんジャー」

先日訪れた福岡では、地下鉄駅構内にエスカレーター利用のマナーを呼びかけるポスターが貼られていた。(下の写真)

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「ならぶんジャー」という「戦隊ヒーロー」がキャラとして登場し、エスカレーターは立ち止まって両側利用で乗ることを呼びかけている。最近各地のエスカレーター、特に駅では「歩かない」「手すりにつかまる」などの表示が目に付く。名古屋市では、条例でルール化もした。

エスカレーターの片側空けが始まったのは、自分の記憶では1990年代の前半の前半くらいか。テレビニュースで、片側空けが国際ルールであると各局から一斉に伝えられたのがきっかけだったように思う。つまり30年くらい続いている「習慣」ということになる。しかし片側に乗るために長い列ができるなど、合理的とは言えない場面も目に付く。長期間に亘る習慣だからか、各種呼びかけにも関わらず、今のところ、両側立ちに大きくシフトしているとは言い難い。けれど、並んで乗る方が合理的なんジャー、ということで自分も心掛けたい。

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2024年1月16日 (火)

「アルバイト」の始まり

日経新聞電子版の昨日15日発信記事「アルバイト、なぜ和製ドイツ語? 戦前の学生の意識映す」からメモする。

アルバイト」は学生の小遣い稼ぎや、臨時の仕事の意味として生活に溶け込んでいる。もともとはドイツ語の「Arbeit」(常勤の労働・研究成果などの意)が語源だ。日本のアルバイトは「和製ドイツ語」で、ドイツでは日本と同じ意味では使わないという。ではなぜ、日本で語意が変化したのだろう。梅花女子大学名誉教授の米川明彦氏(日本語学)は、旧制高校で1920年代にもとの意味で用いられ始め、30年代には「家庭教師」に転義したとみている。米川氏は「旧制高校では外国語教育が重視、偏重され、中でもドイツ語が人気があった。中学までは英語教育が中心だったため、エリート意識もあったのでは」と指摘する。

戦後、経済状況が悪化し、生活費に加えて学資を稼ぐ必要に迫られた学生たちを中心にアルバイトという言葉が広まった。米川氏は「労働が学業に優先する中で、それまで使われていた『内職』という言葉の語感が実態に合わず、代わりの言葉として定着した」と推察する。最も人気なのは家庭教師だったが、その職を得たのは一部。中には血を売って対価を得る「売血」や、感染症のウイルス投与で経過観察をすることもあった。

その後のアルバイト事情の変遷は日本経済の歩みと軌を一にする。「もはや戦後ではない」が流行語となり、大衆消費社会が到来した50年代後半以降、小遣い稼ぎを目的としてアルバイトをする学生が増加した。71年にはマクドナルドが上陸。ファストフード店やコンビニエンスストアなどアルバイト雇用を前提とした業態が普及すると、店員は家庭教師に代わって代表的な職種となる。

エリート学生の意識から誕生し、終戦後の苦難をきっかけに広まった「アルバイト」。その歴史は日本経済の盛衰がどのように学生生活に影響したかを雄弁に語っている。

・・・日本語はやたらと外来語を取り入れるので、最近ますますカタカナ語が氾濫している印象だが、大部分は英語由来だ。その中で「アルバイト」というドイツ語は昔から一般的に使われていたので、何でかなと思っていた。ドイツ語を学ぶ旧制高校性が家庭教師のアルバイトをする、これが「アルバイト」の始まり。なるほど。

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2023年11月28日 (火)

「させていただく」の違和感

日本をダサくした「空気」』(徳間書店)で、著者の中川淳一郎は、日本はダサい国である、それは情報発信における東京至上主義や、過剰なコロナ対策に現れている、と強調している。ダサい言葉づかいとして槍玉に挙げられているのは、「させていただく話法」だ。以下にメモする。

日本語の丁寧過ぎる喋り方というのも、日本をダサくする。何しろ、上下関係を明確に作るほか、「お客様は神様です」思想を強化してしまうのだ。

丁寧に言いさえすれば、裏にある怒りやら失望、さらには儲けたい気持ちは許されると考えるのが日本語の「させていただく話法」である。

日本という国は「丁寧であればあるほどいいだろう」という前提があったうえで、「クレームは回避したい」ということが行動原理になっている。これがダサさの根源にある。

・・・「させていただく」という言い方は、一種の丁寧語として今や当たり前のように使われているが、へりくだり感を出して自分のやってることを正当化するようなイヤらしさがある。

丁寧ということで言うと、日本の得意とする「おもてなし」とやらにも、「丁寧にしておけばよい」という感じがあって、それはむしろ安易な姿勢に見えるし嘘くさい感じがする。

中川氏の本の中に、謎のビジネスマナーの一つとして、「エレベーターホールでドアが閉まるまで互いに頭を下げ続ける」が挙げられていて、強く同意する。エレベーターの内と外でお互いにお辞儀している姿は、ひどくバカバカしい。というか、要するにカッコ悪い。自分は、自分がリードできる場合は、そのフロアの会社の出入口のところで「ではこちらで失礼します」と言って、エレベータホールまでの同行は辞退させていただく(笑)ことにしている。

いろいろと形式的で上っ面な嘘くさい部分のある日本社会は、「ダサい」と言われても仕方がないかもなあ。

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2023年10月21日 (土)

「友だち」は学校時代の産物

まず『友だちリクエストの返事が来ない午後』(小田嶋隆・著、2015年)からメモする。

子どもが大人になるということは、そのまま友だちを失っていく過程であったりする。無論、かつて友だちだった人間が友だちでなくなるわけではない。そういう意味では友だちはいる。ただ、高校時代や大学生だった頃に親しく付き合っていた「親友」と呼べる人間と、現実に会う機会が持てるのかというと、それは別の話になる。
職場の同僚や、行きつけの飲み屋で顔を合わせる知り合いの中に、親しい人間がいないわけではない。が、彼らが「友だち」なのかというと、ちょっと違う。なにより利害関係や上下関係が介在している。
ということはつまり、社会に出た人間は、原則として新しい友だちを作れなくなるということだ。もしかすると、友だちは、学校という施設の副産物だったのかもしれない。

・・・橘玲も、友情は学校でしか生まれない、と言う。近著『人生は攻略できる』(ポプラ新書)からメモする。

日本では、友情は学校で平等体験を共有した仲間とのあいだでしか生まれない、ものすごく希少な人間関係だ。
日本では、たまたま入った学校で、たまたまクラスでいっしょになった子どもとしか友だちになれない。大学や就職で地方から都会に出て行ったり(あるいは都会から地方に行ったり)、留学や仕事で外国に住むようになったりすると、そのたびに友だちの数は減っていく。そうやってだんだん友だちが少なくなって、最後まで残った1人か2人が親友と呼ばれる。
それでもなかには、大人になってもずっと友だちに囲まれているひとたちがいる。地元(卒業した中学や高校のある地域)にずっと暮らしているからで、最近では「ジモティ」と呼ばれる。ジモティは、学校時代の友だち関係をいくつになってもつづけている。
ジモティは、生まれ育った街から出たがらない。故郷を離れてしまえば、友情が失われることを知っているからだ。国や民族、宗教や文化を問わず、世界の大半はジモティによってつくられている。それだけ「故郷」と「友だち」は強力なのだ。

・・・友だちというのは学校時代の同級生との間だけで、時間も空間も限定された中でしか成立しない人間関係ということになる。大人になっても友だちがいるジモティの生活環境は、ちょっと羨ましい感じもあるのだなあ。

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2022年10月31日 (月)

名古屋市営地下鉄「黄電」

名古屋市営交通は1922年市電、1930年市バス、1957年地下鉄と発展して、今年100周年。これを記念して市営地下鉄は、開業当初から2000年まで運行していた「黄電」を東山線に一本、走らせている。

自分は名古屋出身ではないので、特に懐かしいとかそういう感じはないのだが、今自分が住んでいる藤が丘駅近くの団地から、出発待ちをしている黄電を写してみました。この黄電の運行は来年1月までとのこと。

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2021年10月20日 (水)

秋の土用

ただ今、牛丼「松屋」が「うな丼」を販売中。10月20日と11月1日は土用丑の日、と謳うポスターを店頭に貼り出して、アピールに余念がない。

土用丑の日というと夏のイメージ。しかし土用とは季節の変わり目の期間、すなわち立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間をいう。とのことなので、実は年に4回ある。なので土用の丑の日も、各土用に1~2回、年で4~8回あることになる。松屋は春にも、土用丑の日を広告してうな丼を販売していた。で、夏は当然として、秋にもうな丼を登場させたということは、うなぎをオールシーズンの商品にする積りのように思える。(さすがに冬のうな丼販売は想像しにくいけど)

夏の土用丑の日のうなぎは本来、夏の終わりの体力が落ちてきた時に食べるものなんだろうけど、今は梅雨明けの夏真っ盛りに食べるタイミングになるので、ちょっとズレた感じになっている。土用の意味する本来の季節感、つまり季節の変わり目をより意識しながら、松屋の提案に乗って夏に限らず、うなぎを味わってみるかな。

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2021年10月13日 (水)

関西弁「知らんけど」活用

関西人は、話の最後に「知らんけど」と付け足すことが多いらしい。そしてこれが今、全国的な流行りの言い方にもなっているとか。日経新聞電子版10/12発信記事(関西弁、最後に「知らんけど 笑い絡ませ表現に奥行き)からメモする。

関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか。天神橋筋商店街(大阪市北区)で聞いてみた。「毎日使う」と答えたのは8割以上。60代以上は使わない人が多かったが、若い世代では大半の人が日常的に口にしているようだ。伝聞に基づく話だったり個人的な見解だったり、曖昧さを含む内容の場合に、責任回避や照れ隠しの意味合いで用いるようだ。会話の面白さを優先して持ちネタを披露し、最後に「知らんけど」とオチをつけるパターンも。相手から「知らんのかーい」とツッコミが入ることもあるという。

多分にお笑いの世界にも通じる要素を含むようだが、いわゆるバズワード(はやり言葉)化したのはいつ頃か。大阪大大学院文学研究科の金水敏教授が調べたところ、ツイッターでは2012年に「知らんけど」の用法に言及した投稿が登場。本格的に流行したのは最近3~4年だ。

「江戸(東京)は武士の社会で、責任のある言動が何よりも大事だった」。金水教授はこう指摘する一方、大阪は昔も今も商都で「相手を楽しませる会話は、新たなビジネスの創出につながる。日ごろから笑いを重視するのはそのためではないか」と語る。実際に、関西ではビジネスの場でも笑いが重視されるという。相手がつっこまずにはいられない笑い話をあえて盛り込み、取引先との距離を縮めるのも商談のテクニックなのだ。

「知らん」は語尾で意味が変わる。「知らん」は「本当に知らない」で、「知らんわ」は「私も知らない」という相づち。「知らんねん」は「知らなくて申し訳ない」という意味を含み、「知らんし」や「知らんがな」は「どうでもいい」「興味ない」。言葉の表情の豊かさに関西弁らしさが漂い、SNS上でも話題だ。

・・・いかにも関西弁らしい「知らんけど」活用。覚えておいて損はないぞ。知らんけど。

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2021年9月13日 (月)

「させていただく」敬語

「させていただきます」というのは、聞いた時にどうも居心地の悪い感じがする言い方だと思うのだが、使う人は何とも思わないで使っているのかな。いるんだろうな。そんな「させていただく敬語」の裏にある無意識を、コラムニストの小田嶋隆が大批判。日経ビジネス電子版9/10付コラム記事(「させていただく敬語」に抱く敵意の正体)から以下にメモ。

いったいに21世紀の日本人は、させていただきすぎる。この言い方を用いる人々は、自分が主体的に行動したことを表現しているはずの動詞語尾を「させていただく」「引き受けさせていただく」「お知らせさせていただく」てな調子の使役+謙譲語の疑似敬語に変換することで、危険回避をはかっている。

思うに、「させていただく」敬語は、行為者を曖昧化する(というよりも、これは、自分が主体的に為していることを、誰かの許可ないし命令に従って実施している事柄であるかのように偽装した表現だと思う)ことで、責任を回避する話法だ。これを多用する人間を私は信用しない。

単なる言葉づかいの問題としては、「人前でものを言う時には、とりあえず敬語っぽく響く日本語を使っておくことにしよう」「断定的な語尾は避けておいたほうが無難かな」という程度の気分なのかもしれない。

しかし、この言い方が野放図に蔓延したことで、結果として、万事に安全第一を旨とする腰の引けた責任回避思考が国民のデフォルト設定になってしまった気味は否めない。

・・・こんな風に分析されると、なるほどねって思うわけです。要するに何か「ズルい」感じがするわけね。

司馬遼太郎が書いていたのは、「させて頂きます」という語法は、浄土真宗の教義から出たものだ、という話(『街道をゆく』近江散歩)。真宗では、すべて阿弥陀如来によって生かしていただいている。そういう絶対他力を前提に成立する語法が「させて頂きます」。もっとも今は他力への信仰は消滅して、語法だけになっている、ということだけど。

自分の記憶では、かつての鳩山由紀夫首相が「させていただきます」を多用していたような気がする。やっぱり印象は良くない・・・。(苦笑)

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2021年8月 7日 (土)

日経新聞に「ちくさ正文館」の話

本日付日経新聞「交遊抄」の執筆者は、ブックデザイナーの祖父江慎さん。以下にメモする。

大学受験に失敗して予備校に通っていた頃、昼休みの時間は必ず近くの書店に立ち読みに通っていた。ちくさ正文館書店本店(名古屋市)だ。毎日同じ時間に立ち読みに行く。お店の人(店長の古田一晴さん)がときどき僕の様子を見に来る。注意されることは一度もなかった。
ある日、読み続けている本の隣に新しい本が並んでいた。新刊ではなく、ちょうど立ち読みしてる内容とリンクした気がかりな本だ。読みたい本が増えてしまった。しばらくして気がついた。古田さんからの君への次のお薦めの本はこれです、というメッセージだった。

・・・その後も祖父江さんは古田さんと話すことはないまま、大学合格後は東京に出てきたのだが、浪人時代の古田さんとの出会いに感謝している、という。祖父江さんは1959年生まれなので、おそらく約40年前の、本屋さんを巡るちょっと良い話。

ちくさ正文館が売る本のメインは人文・アートの書籍だ。古田さんは今では業界の名物店長として知られる人物。店舗は以前、千種駅周辺に2店舗あったのだが、最近駅前のターミナル店を閉めて、そこに置いてあった参考書やコミックが本店に入ってきた。ので、人文書メインの書籍フロアは以前の半分になってしまった。昨今の書店経営の厳しさを感じると共に、読者としては何となく困った気分になるのだが、結局時々本を買うくらいしか応援できないので、どうにももどかしい思いがある。

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