岸田秀先生、お亡くなりに
先日、岸田秀氏の訃報が伝えられた。『ものぐさ精神分析』で知られる心理学者。享年92歳。
自分は50年前、高校生の時に、同級生のナカタニ君から岸田秀の「唯幻論」について教えられた。その後彼は岸田秀の教えを受けるため、和光大学に入った。彼に誘われて自分も一度だけ、岸田先生の講義を聞きに鶴川にある和光大学まで行ったことがある。
唯物論の向こうを張って「すべては幻想である」と説く唯幻論。しかし、おそらくはこの「幻想」という言葉に少々語弊もあり、初めて聞くと「何のこっちゃ」と言われそうな気もする。でも、人間は「本能が壊れた動物」であり、赤ん坊の時に「全能の幻想」に捉われている、との前提から、人間心理の「神経症的」様相を説明し、人間の作り出す社会的秩序についても疑似現実である、つまり人間の心理も社会秩序も「幻想」であるとする論旨は、割りと明快だと思われる。
自分には、岸田理論に対する吉本隆明の「評価」、その印象が今も強く残っている。岸田との対談(『現代思想』1981年9月号掲載)の中で、吉本は以下のように発言している。
「いちばんの特徴は、一種の破壊的な言説というか、つまり全部つまんねえという、(笑)それがアッピールするところで、そういうのが非常にいいんじゃないでしょうか。全部どうでもいいやというのが、文章にものすごくよく出ていて、面白いと思いました。それがものすごく受けるところじゃないでしょうか。」
人間の作り出す社会的秩序は疑似現実でしかない、つまり大した根拠はないのだから全部どうでもいい、ということになるだろう。その結果的な「相対主義」的スタンスは、『ものぐさ精神分析』発行の少し後に流行するポストモダン思想を先取りしていた部分もあったように思う。(ちょっと意外感のある人物では、歌手の来生たかおも、なぜか岸田唯幻論をめっちゃ信奉していたなあ。)
最近、ホモ・サピエンスには「フィクションを共有する」能力がある(ユヴァル・ノア・ハラリ)という話を聞いた時も、まあ岸田唯幻論で言ってた「共同幻想」と大体同じことなんだろうな、と感じた。人間が否応なく持つことになる「幻想」は、当然「言語」や「脳」とも関係する話だろうから、唯幻論の有効性は現在も失われてはいないと感じる。
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