2024年11月29日 (金)

老舗政党、「オワコン」の危機

日経新聞電子版の本日付発信記事「老舗政党は衆院選なぜ苦戦」から、以下にメモする。

結党して半世紀以上を超す「老舗政党」が10月の衆院選で苦戦した。政党の基礎体力といえる比例代表の得票をみると、支援者や党員の結束の強さで知られる公明、共産両党の減少傾向が止まらない。2012年の政権復帰後は一強状態だった自民党も比例票を大きく減らした。

結党60年を迎えた公明党は8議席減の24議席にとどまった。比例得票数は596万票となり、1996年以降の現行制度で最低を記録した。支持者の高齢化の影響が指摘される。

102年の歴史を持つ共産党は10議席から8議席に減らした。比例票は336万票で、14年衆院選と比べ半分近くまで落ち込んだ。議席数はれいわ新選組を下回った。同党も党員や支持者の高齢化に悩む。衆院選で自民党派閥の政治資金問題が大きな争点となった。党の機関紙「しんぶん赤旗」は問題を広く知られる前から報じていた。田村氏は「赤旗が共産党の機関紙だと知らない若い人が少なくない」と語る。「裏金問題をスクープしたことはさらに知られていない」とも話した。攻め手をつくったが自民党批判の受け皿になれず、悔やむ気持ちを隠せない。

25年で結党70年を迎える自民党は比較第1党で政権の座を守ったものの、少数与党になり厳しい政権運営を迫られる。比例票は1458万票となり、現行の選挙制度に切り替わった1996年以降で最少となった。

自民党に限らず老舗政党はなぜ票が出せなくなったのか。日本人の組織に対する帰属意識の低下も要因の一つとして考えられる。

2025年は昭和100年。平成生まれの筆者にとり自民、公明、共産各党は歴史をつくってきた一方で昭和の香りがする。日本社会のあちこちで組織に縛られず生きる人が増える。老舗の変わらぬ良さを生かしつつオープンな組織のあり方を模索しないと時代に取り残される。

・・・日経の若い記者が老舗政党に「昭和の香り」がする、というのも分かる気がする。特に公明党と共産党については、宗教学者・島田裕巳先生の見方が納得できる。つまり、創価学会=公明党と共産党は、高度経済成長期に地方から都市に出てきた若者をターゲットに拡大を図った組織であり、両者の歴史的役割は終わった、ということだ。要するに公明党と共産党は「オワコン」である。「昭和の香り」3党の中でも、政権与党経験の長い自民党はまだまだしぶとさを発揮するだろうが、与党としての公明党そして野党としての共産党、両党の存在意義は事実上消滅している。

そして昭和的選挙戦術と言えば「組織票」。その影が、今年の選挙では大層薄くなった。先の総選挙で、公明党が現有議席を確保できなかったのは驚きだったし、およそ40%の低投票率だった名古屋市長選でも、既存政党相乗り支援の候補が敗れた。一方で、都知事選や兵庫県知事選では、SNSの影響力の強さがあれこれ取り沙汰されることにもなった。とはいえ、自分が時代の変わり目を強く感じたのは、やはり「組織票の終わり」といえる事象である。

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2024年11月 1日 (金)

少数与党は辛いよ

本日付日経新聞のコラム「大機小機」(少数与党は中道保守を結集せよ)からメモする。

衆院選で自民党と公明党は「政治とカネ」の逆風をはね返せず、議席の過半数を失った。野党が結束すればいつでも内閣不信任案が可決される土俵際である。石破茂首相がなすべきは中道保守を結集し、2007年から毎年、6人の首相が代わった「悪夢」を繰り返さないことだ。

少数与党のリスクは、政策協力や連立の協議がうまくいかず、首相が退陣に追い込まれても混乱が続き、政治が何も決められなくなる事態が長期化することだ。来年夏には参院選があり、政治闘争は激しさを増す。石破首相はその前に、中道保守勢力を結集する必要がある。

少数与党だからこそ、目先のメリットと共に中長期の日本の将来像を協議すべきではないか。「社会保障と税」や「労働市場の流動化と雇用法制」「人口減少とインフラの維持」「安全保障と国際連携」など、テーマは山ほどある。国の将来への責任に党派性は不要だ。

必要なのは、負担と受益の見直しによる持続可能な社会への見取り図である。負担増も含めて国民に提示しないことは、政治不信の一因でもある。野党も含めて問われるのは、中間層を守る意志だ。それなしには、欧米のように世論の分断も進むばかりだ。

・・・かつて安倍首相は、「悪夢の民主党政権」という言い回しを得意気に使っていた。しかし民主党政権(鳩山、菅、野田)の3年間だけでなく、その直前の自民党政権(第1次安倍、福田、麻生)の3年間も含めて、日本政治の「悪夢」の時代と見るところだろう。「悪夢」の始まりだった安倍首相が2012年に復活して、長期政権で「悪夢」の時代を終わらせたのは、立派だったとは思うが。

少数与党内閣というと、1994年の羽田内閣を思い出す。細川首相の辞任、そして社会党が連立を離脱した結果、少数与党の内閣を作った羽田首相は2ヵ月で退陣。その後の自社連立による自民党の政権復帰を許した。

衆院と参院の多数派が異なる、いわゆる「ねじれ」も、政治の不安定につながる。かつて福田首相は、自民党と民主党の大連立を模索した。現在も一部で、石破自民と野田立憲の大連立の可能性という見方が出ている。

現状、政治の不安定感は覆い隠しようもない。コラム氏の書くとおり、毎年首相が交代する「悪夢」を繰り返してはならない。少数与党は、ある意味開き直って、あらゆる手段の可能性を追求して、政策実現を図るべきだろう。

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2024年8月21日 (水)

岸田首相の大胆不敵

本日付日経新聞オピニオン面、フィナンシャルタイムズのコラム(岸田首相、「大胆さ」の遺産)からメモする。

岸田氏の時代は、その任期の短さと不人気ぶりから、あっという間に人々の記憶から消え去ってしまうかもしれない。しかし、同氏は1980年代のバブル期以来、間違いなく日本にとって最も大きな変化をもたらした3年間を導いた。

岸田氏と緊密に仕事をした人々は、同氏は主義主張に縛られない人物として驚くほど大胆不敵だったと評している。ある政府高官は、多くの首相ができなかったにもかかわらず、岸田氏は財務省を説得しての減税を実現させたと指摘している。

おそらく、岸田氏の大胆さが顕著に表れたのは、外交と防衛の分野だった。防衛予算の国内総生産(GDP)に占める割合を倍増させたことは、その規模だけでなく、国民の反発がなかったという点でも、注目すべき政治的偉業だった。世界における日本の立場は歴史的な変化を遂げた。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)との関係強化をより積極的に進め、以前はぎくしゃくしていた韓国との関係改善にも貢献した。

退任する岸田氏に対する辛辣な批判は多く、彼を「フォレスト・ガンプ」(編集注、ウィンストン・グルーム作の小説の主人公の名前。米国の激動の時代を駆け抜けた誠実な男として描かれた)のような人物として表現したがるかもしれない。つまり、歴史上の偉大な瞬間に、才能や策略ではなく偶然によって主導権を握ったような単純で控えめな参加者ということだ。

しかし、それでは岸田氏の功績を大いに過小評価することになる。後継者が日本の現在の勢いを維持できなければ、その代償は大きなものとなるだろう。

・・・岸田氏が外相を務めた安倍政権では、むしろ安倍首相が外交で前面に出ていた印象があり、むしろ首相になってから岸田氏は広島サミットなど外交的成果を挙げたと言えるのも面白いところだ。

ネット民から「増税メガネ」と揶揄されたりした岸田首相だが、むしろ減税を(無理矢理?)実行し、防衛政策や少子化対策でも財源を明確にしなかったなど、結構ポピュリズム的政治家にも見える。証券業界に身を置く者から見ると、やはり個人向けの投資「減税」政策とも言える新NISAの導入は、非常に大きな業績に思えるのだなあ。岸田さんが任命した植田・日銀総裁も、前任者の「異次元緩和」の修正(後始末?)に踏み出したし、岸田時代は後から振り返ると、かなり大きな転換点だったと評価されるかもしれない。

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2024年8月19日 (月)

ウクライナの「バルジ大作戦」

最近、ウクライナがロシアのクルスク州に攻め込んでいる。というニュースを聞くと、往年の戦車ファン、プラモ好きは、どうしてもクルスク戦車戦を思い出してしまう。1943年7月に起きたクルスクの戦いは、独ソ戦のハイライトの一つだ。旧ソ連映画「ヨーロッパの解放」で「再現」された、ティーガ―戦車とT34戦車の対決を覚えている人も多いと思う。

現在のウクライナのハルキウ(ハリコフ)とロシアのクルスクは、1943年春から夏にかけて、独ソ両軍が取ったり取られたりの攻防を繰り広げた激戦地だった。その80年後に同じ大地で、旧ソ連の国同士だったウクライナとロシアが戦っている。現実とは思えないような現実だ。

今回のクルスク攻撃は、いわばウクライナの「バルジ大作戦」みたいな感じがする。「バルジ大作戦」は、ドイツ軍最後の反撃と言われる1944年末のアルデンヌ攻勢を描いた映画で、やはり戦車が大量に登場する。この戦いでは、ドイツ軍が米英軍の不意を突いて大打撃を与えて、有利な講和条件を引き出そうとする。実際、今のウクライナも国境線からロシア側にはみ出す形の突出部(バルジ)を作り、停戦交渉の材料にすることを目論んでいるようだ。そんな感じでクルスクとアルデンヌを重ねて、外野にいる自分は面白がって見ている。

このまま戦線の拡大が続くと、ロシアが国内受けに「特別軍事作戦」とか「対テロ作戦」とか、いつまで言い続けられるのか怪しくなってくる。しかし、これをひとたび国家同士の「戦争」であると認めてしまうと、ロシア国内の動揺も目に見えて大きくなるだろう。

ウクライナもクルスク州侵入が成功したとはいえ、勝利の道筋が見えているわけでもないだろう。当面は兵力を効率的に使って、敵に打撃を与え続けるしかないように見える。

今のところ、戦争の終わりがいつ見えるのか見当もつかない。リーダーのどちらかが暗殺でもされない限り、終わるきっかけすらつかめないような気がする。

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2024年8月18日 (日)

市民派市長VS議会

市民の支持だけを頼りに、市民派市長は議会と闘う。泉房穂元明石市長の『さらば!忖度社会』(宝島社)から、以下にメモする。

私が市民派の市長として改革しようとした時に、市役所の職員とともに私の手を抑え、足を引っ張っていたのは議会の方々でした。彼らの最大の関心事は、サイレントマジョリティの一般市民の生活ではなく、特定の集団への利益誘導や党派の拡大。各議員が特定の集団の利益代表として、〝選択と集中〟どころか、〝継続と拡大〟を主張し続けるわけですから、当然肥大化していくしかない。その意味では、官僚政治と完全に同じ方向に向かっている。前例主義を押し通しつつ財源をできるだけ多く確保しようと動くのが官僚の習性ですから、財務省は税金を増やし、厚労省は保険制度を増設しては保険料の上乗せを繰り返して肥大化し、国民負担を増やしてきたわけです。

議会、とくに地方議会は、それ自体がまさに既得権益化していますから、改革に対する最大の抵抗勢力となっている。一部の集団への利益誘導と自己保身に走り、市民全体にとっての合理的な判断を下そうとしません。ですから、私が明石市長に就任した時も、まさに明石市議会が改革に対する激しい抵抗勢力になっていったわけです。これが、多くの市民派首長が、各地で直面している現実です。

多くの市民派の首長が、役所の職員と仲良くしようとして副市長に相談し、あらゆる改革が先送りにされるのと同様に、議会と手打ちをした結果、改革が骨抜きにされがちなのは、なんとも残念なことです。

市民が味方についていることを信じて、議会には迎合せずに政策転換をしていくべきです。政策さえきちんとしていれば、議会と手打ちしなくても、役所と仲良くしなくても、改革は進めていける。私は自分の明石市長としての12年間でそれを示すことができたと思っています。

・・・国会ならば、議員は「国民の代表」とされているが、それはタテマエで、結局は諸々の集団の利害のために働く人の寄せ集め、というのが現実なのだろう。それでもかつてのように経済成長が自明の時代ならば、成長の果実を分配するために議会は充分機能していたと思われるが、成長の果実が限られてくると、分配を減らすべきところは減らすなど、優先順位を決めなければいけないのに、既得権益を主張されて、なかなか決まらない状態、すなわち議会の機能不全状態に陥りやすいのだろう。とにかく議会も役所も、自分たちの集団の利益を守ろうと動くわけだから、市民派市長には胆力がいるなあ!とつくづく思う。今はSNSはじめネットというツールもあるのだから、サイレントマジョリティの市民も、市長を応援する声を行政に届けないといかんな。

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2024年8月17日 (土)

ルソーの視点で議会を考える

泉房穂元明石市長は、政治学者ルソーを敬愛しているという。新刊『さらば!忖度社会』(宝島社)から、以下にメモする。

私の敬愛する政治学者ルソーは、はるか昔から議会の欺瞞性を鋭く見抜いていました。議会の議員たちは、「社会一般の普遍的正しさ」つまり「一般意志」の代弁者ではない、というのがルソーの考えです。彼らは、自分を選挙で選んでくれた業界や地域を代表しているに過ぎない、と。つまり、国民全体の代表者ではなくて、個別利益の集合体、個別の欲望である「特殊意志」の集合体としての「全体意志」が議会であって、これは社会全体の人々の「一般意志」とはまったく別のものであるとルソーは看破していました。

実際、労働組合、宗教団体、地域、企業の集合体など、それぞれのノイジーマイノリティから送り込まれた議員たちで構成された議会において、多数決によって物事を決めようとしたところで、自分を支持してくれた集団の利益を守る方向に進んでいくに決まっています。

そんな「特殊意志」の集合体に過ぎない「全体意志」に、社会全体のための合理的な判断など期待できるはずもないのです。

一方で、ルソーが理想としたのは議会制民主主義、つまり間接民主主義ではなく、直接民主主義でした。市民が直接首長を選び、首長が権限を行使することで、市民全体にとって共通の利益となること、つまり一般意志が政治に反映されやすくなると考えた。あるいは、大きな方針を決定するには住民投票・国民投票を行う。そうやって直接的に市民が決めていくことで、個別の既得権益に左右されない合理的な一般意志が確立されるのだというルソーの考えに、私は大きく影響を受けています。

何が言いたいかというと、議会制民主主義と直接民主主義、どちらが正しいのか、ということではなく、両方にそれぞれのよさと限界があるのだということ。かつ、議会の果たすべき役割は時代とともに変化しているということです。

・・・民主主義の現状を認識するために、意外と「ルソー」というのは使えるんだなと思った。(苦笑)

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2024年6月28日 (金)

「債権国」日本に必要な通貨外交

1997年6月23日、当時の橋本龍太郎首相の訪米時の発言が、米国株の大幅下落を招いたことを引き合いに出して、日本は最大の米国債保有国なのだから通貨外交に自覚的であるべきだ、と説くのは経済評論家の豊島逸夫氏。「日経ビジネス」電子版6月27日発信記事から、以下にメモする。

橋本氏の「問題発言」は、米コロンビア大学での講演のあとの質疑応答で飛び出した。やりとりを振り返ろう。講演後、「日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続けることは損失をこうむることにならないか」と尋ねた質問者に対し、橋本氏はこう答えた。

「実は、何回か、米財務省証券を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある。」
「(米国債保有は)たしかに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響を大きなものにならないか。」
「財務省証券で外貨を準備している国がいくつもある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。これが意外に認められていない。我々が財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないよう、米国からも為替の安定を保つための協力をしていただきたい。」

現在でも日本は世界一の米国債保有国で、2位が中国だ。米財務省のデータによれば、2024年3月時点で米国債の保有残高は日本が1兆1878億ドル。中国が7674億ドル。日本の残高の大きさが突出している。

筆者は、日本が最大の米国債保有国であることを、対米通貨外交において、明確に主張すべきだと考える。米国側は日本を為替操作していないか緊密に注視する「監視リスト」に入れることもあるのだから、日本側も忖度せず、論じるべきだ。

・・・自分の記憶でも、この30年くらいの間に、日本の要人発言が米国株相場に影響を与えたのは、この橋本発言の時しかなかったように思う。豊島氏は「橋本氏の見方は正論」であると言う。おそらく正論だからこそ、米国株も反応したのだろう。

為替介入だけが通貨政策ではあるまい。もっと踏み込んだ通貨外交が求められている。忖度して米国債を自由に売れないのであれば、日本は金融経済面でもアメリカの「属国」なのだと思わざるをえない。

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2024年4月14日 (日)

Z世代と核兵器

戦争や核兵器に対して、若い世代は深刻な感覚を持っていないみたいだし、それは世界的傾向のようでもある。「ニューズウィーク日本版」4/16号の映画『オッペンハイマー』特集記事の一部を、以下に引用する。

アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアム世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。

彼ら若い世代の70%近くが核兵器は非合法化しなければならないと考えているが、一方で、『オッペンハイマー』のクリストファー・ノーラン監督の息子の言葉にうなずく人も多いだろう。Z世代である息子は父親の新作のテーマを聞いて、「核兵器や戦争について本気で心配する人はもういない」と言った。

ノーランはこう答えた――「たぶん心配したほうがいい」。今は若い世代にも心配している人が増えただろう。『オッペンハイマー』の観客の3分の1以上は32歳以下だ。

・・・自分の子供の頃は、第3次世界大戦はアメリカとソ連が核ミサイルを撃ち合って決着をつける、という話がフツーに流布していたし、映画やマンガやプラモデルで戦争を学んだという記憶がある。確かに冷戦が終わりソ連が終了して、「最終戦争」が起きる可能性は殆ど無くなったし、それに伴い、戦争や核兵器についてあれこれ考える必要性が低下したとは思う。けれども昨今、ロシアやイスラエルの行動を見ても、今度はポスト冷戦の時代が終わったと思わざるを得ない状況だ。言い換えれば、またもや戦争や核兵器について本気で心配しないといけない時代に入った、ということかもしれない。

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2024年4月 3日 (水)

中国人民解放軍は台湾を「解放」する

本日付日経新聞「中外時評」(中国は米国の衰退を待たず)から、以下にメモする。

名は体を表す。「中国人民解放軍」も例外ではない。言わずもがな、中国の軍隊である。ただし「中国軍」と呼ぶのはふさわしくない。中華人民共和国という国家でなく、中国共産党という政党に属する軍隊だからだ。戦う相手は「党の敵」であり、必ずしも外国勢力とは限らない。もともと、共産党が国民党を倒すためにつくった軍隊だ。国内を含め敵の支配下にある人びとを解放する。それを任務とするから「人民解放軍」である。

なぜ国防軍ではだめなのか。研究者に尋ねたことがある。次の答えが返ってきた。「台湾を解放するまで、名前を変えるわけにはいかない」

解放軍の最も重要な任務は台湾の統一だ。それを悲願とする習近平(シー・ジンピン)国家主席は、解放軍に絶対的な忠誠を求めている。習氏にすれば、解放軍の国軍化はありえない。台湾を取り戻すために、武力を使う選択肢は常に党の手中に置いておく必要がある。

防衛省の防衛研究所で解放軍の動向を分析する杉浦康之主任研究官が注目するのは、ロシアのウクライナ侵攻が解放軍の戦略に与えた影響だ。遠隔で操作する最先端の兵器を使って攻めるだけでは勝てない。大規模な部隊を台湾に送り込み、市街戦も覚悟しなければならない。

一方、ウクライナ戦争をへて中国が核戦力の重要性を再認識した点は見逃せない。習氏が台湾有事の際、プーチン氏にならって核の脅しを考えてもおかしくない。杉浦氏は「米中の核戦力が拮抗すれば台湾有事の危険性は増す」と警鐘を鳴らす。

少し前まで、中国の国内総生産(GDP)は2030年ころに米国を抜くとみられていた。習氏を含む中国人の多くは米国が放っておいても衰退し、台湾を守る力は弱まると考えていたはずだ。実際は、米国に追いつく前に中国の成長力に陰りが出てきた。人口の減少が始まり、深刻な不動産不況を起点とする経済の苦境は出口がみえない。

米国が弱くなるのを待っていては、台湾を統一する時機を逸してしまう。習氏がそう判断したとき、台湾有事は現実味を増す。

・・・中国人民解放軍は、中国共産党の、習近平氏の「私兵」である。習氏が一度心に決めれば、いつでもどこへでも動かせる軍隊であると思うと、やはり脅威であるというほかない。

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2023年4月 1日 (土)

今の中ロは1930年代の日独

昨日3月31日付日経新聞オピニオン面のコラム記事「1930~40年代繰り返すな」(ギデオン・ラックマン氏)から、以下にメモ。

米ハーバード大学の政治学者グレアム・アリソン教授は、習近平氏のモスクワ訪問によって中ロの間には「世界で最も重要な宣言なき同盟」、つまり、ユーラシア大陸を横断する中ロの枢軸関係が存在することが明白になったと指摘する。

このロシアと中国の同盟に対抗するのが、米国と密接な同盟関係を結んでいる複数の民主主義国家だ。同陣営は、大西洋をまたにかけた軍事同盟の北大西洋条約機構(NATO)と、日本を筆頭とするインド太平洋地域のアジア諸国と米国の同盟関係によって、強固な関係を築いている。

対立する2つの陣営が世界に出現したことで、新たな冷戦が始まったとの議論が沸き起こっている。新冷戦も米ソの冷戦と明らかに似たところがある。つまり、中ロが米国を中心とする民主主義諸国を敵視する一方、今回もいずれの陣営とも同盟関係を結んでいない多くの途上国(最近は「グローバルサウス」と呼ばれている)が、どちらにもつかないで両陣営の動きをそばでみている点はそっくりだ。

しかし、歴史を振り返れば米ソ冷戦時代以上に今の状況に似た時代がある。それは世界各地で緊張が高まった1930~40年代だ。当時も今と同じく、欧州とアジアの2つの権威主義国家が、英米が不当に世界を支配しているとみなし、強い不満を抱いていた。30年代にそうした不満を抱いていたのは、ドイツと日本だ。

欧州で戦争が始まり、東アジアで緊張が高まるなか、これら2つの動きが互いに結びつきを強めつつある現状は、まさに1930年代を思い起こさせる。

・・・今の権威主義国家は、ソフトな全体主義国家。1930年代の全体主義国家は結局、世界大戦に負けて民主主義国になった。そして冷戦時代の資本主義、社会主義、第三世界の構図から、今は西側陣営、中国とロシア、そしてグローバルサウスの3つに色分けされる世界に移った。経済はグローバル化して、その恩恵を中国とロシアも受けてきたはずなのだが、その両国が軍事行動の横暴により、グローバル経済にひびを入れたのは皮肉な事態とも言える。しかし世界大戦が不可能であるならば、相互依存状況の強まった世界経済の中で、あの手この手で経済的不利益を被らせることにより、権威主義国家をさらにソフトにするしかないのだろう。

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