2024年11月30日 (土)

愛岐トンネル2024秋の公開

きのうの金曜日、愛岐トンネル群・秋の特別公開に出かけた。自分が行くのは10年ぶり。その時は東京在住、日経新聞の文化面掲載の記事を見て、春の特別公開を見るため遠征した。今は名古屋にいるし、リタイア者なので思い立ったら平日でもすぐ行ける。ということで、そんなに人はいないだろうと思っていたら、全くそんなことはなく、JR定光寺駅で中高年中心に降りる人多数。世の中を甘く見ておりました。(汗)

定光寺駅を下車して川沿いに5分程歩いたところにある入口階段を上ると、3号トンネルが目の前に現れる。ここがスタート地点。3号(76ⅿ)、4号(75ⅿ)、5号(99ⅿ)の三つのトンネルを経て、最後に最長の6号トンネル(333m)まで、全長1.7kmの散策ルートである。

3号トンネルの春日井口(南側。北側は多治見口)

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4号トンネルの多治見口。今年の紅葉の進み具合は遅いようである。

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5号トンネルの春日井口

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6号トンネルの多治見口。ここが散策ルートの終点。ここから先は岐阜県になる。

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2024年11月16日 (土)

通潤橋(追加写真)

通潤橋の追加取材。橋の上に上りました。2024年11月14日撮影。

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2024年11月11日 (月)

通潤橋&恐竜博物館

先日、熊本県御船町の恐竜博物館に行った時、当然のように通潤橋にも行った。通潤橋までバスで行く時は、熊本市街の桜町バスターミナルから出る「通潤山荘」行きのバスに乗るのだが、その途中、丁度半分くらいのところに恐竜博物館前のバス停がある。ということで、通潤橋と恐竜博物館を巡る「路線バスの旅」、所要時間は恐竜博物館まで50分、通潤橋までは1時間40分。運賃は通潤橋まで乗ると1450円。

通潤橋の放水は午後1時から約15分。恐竜博物館見学の所要時間はとりあえず1時間として、恐竜博物館を行き(午前)に見るか、帰り(午後)に見るか、バスの時間を見ながら考えることになるが、まあ先にバスの終点近くの通潤橋まで行って、帰りに途中下車して恐竜博物館を見る順番がいいのかなと思う。

通潤橋では小学生の集団に遭遇した。平日に国宝見学に来るのは、小学生とリタイア者か。(苦笑)

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御船町恐竜博物館入り口。ティラノサウルスの片方の手が欠けているのが気になる。(苦笑)

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2024年9月10日 (火)

通潤橋に行く

先週末に熊本県の通潤橋を訪れた。熊本市街の桜町バスターミナル1番乗り場から、「通潤山荘」行きに乗る。乗車時間約1時間40分の路線バスの旅。「通潤橋前」で下車。乗車賃1450円。バス停から通潤橋はすぐ見える。

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通潤橋は台地と台地の間にかけられた、農業用水を送るための水道橋。1854年の完成。残り13年とはいえ、まだ江戸時代に作られた石造りのアーチ橋。足元の部分は、熊本城の曲線的な石垣の形を取り入れたという。通水管内の土砂やごみを吐き出すために、橋の中央から放水を行うのが観光的な呼び物でもある。放水は4月から5月初め、7月中旬から11月末まで、基本的に1日1回、13時から15分行う。9月7、8日は地元のお祭りがあり、1日3回実施した。

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丁度一年前の2023年9月に、通潤橋は国宝に指定された。土木構造物が国宝に指定されるのは全国初。

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2024年4月21日 (日)

石垣原古戦場

1600年(慶長五年)9月13日に黒田・細川軍と大友軍が戦った「石垣原の戦い」。「九州の関ヶ原」とも言われる(関ヶ原本戦は9月15日)。

石垣原って、別府にあるのか。別府って古戦場なんだ、知らなかった。(苦笑)

ということで先日、別府を訪れた。目的は温泉ではなく、古戦場。(苦笑)

今は市街地となっている古戦場の、広い範囲に散らばっている陣跡等を見て回る・・・程の強い気持ちは無い(苦笑)ので、とりあえず黒田・細川軍の陣地である実相寺山を訪ねておくことにした。別府駅(西口)からバスに10分程乗り、「光の園前」下車。そのまま前進して15分程歩くと、ゴルフ場入り口の看板があるので、そこを入って山頂へ。下の写真は、山頂からの古戦場の眺め。向かいの左手の山の麓辺りに、大友軍の陣地があったという。

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戦いはまず、黒田・細川軍が大友軍の陣地前まで攻め込んだが、大友軍が反撃して逆に実相寺山の陣地まで押し返した。黒田・細川軍は追加の兵力を投入する大激戦の結果、黒田・細川軍が大友軍を破り、戦いは決着した。

ところで実相寺山の山頂には大きな仏舎利塔がある。広島、熊本でも、山の上に同じような塔があるのを新幹線の中から見たことがあるので、「あれは何」という感じだったが、ある宗教団体のものらしい。まあ良いとも悪いとも、何とも言えないんですがね。

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2024年4月20日 (土)

杵築の城下町

3月の春分の日前後に初めて大分県に行き、岡城、中津城、「昭和の町」を見て回ったが、もう少し見ておきたい所が出てきたので、先日大分を再訪。

杵築は「坂の城下町」として知られている所。というか自分は知らなかったわけだが(苦笑)。武家屋敷や寺町、商人の町などのエリアがある。

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杵築城のエリアから、北台武家屋敷に通じる勘定場の坂。

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酢屋の坂。向かい側にある塩屋の坂から見た眺め。

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「きつき城下町資料館」付近から、杵築城(模擬天守)方面を見る。

1600年(慶長五年)当時の木付(現・杵築)は細川忠興の領地であり、細川家の重臣松井康之と有吉立行が城を守っていた。「関ヶ原」の争乱が始まると、旧領の回復を目指す大友義統が西軍側として9月10日、東軍側である細川氏の木付城を攻めたが直ぐに撤退。細川は黒田からの援軍と共に9月13日、「石垣原の戦い」で大友軍を破った。

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2023年9月 3日 (日)

朝倉氏遺跡博物館に行く

「立派な博物館が出来たんだなあ」と、一乗谷朝倉氏遺跡博物館の建物の写真を見た時に思った。開館は2022年10月。一年前か。知らなかった。関ヶ原の古戦場博物館も立派だし、最近は各地に歴史関係の施設がいろいろ出来るなあ。

で、昨日行ってきました遺跡博物館。福井からJR九頭竜線に乗って一乗谷駅へ。博物館は駅のすぐ近く。一乗谷には昔来たことがある。自分が前に名古屋に住んでいた時(2003年秋から2007年春)のことなので、まあ20年近く前か。

建物がデカいので、当然内部のスペースも広い。2Fの基本展示室では、出土品を並べて一乗谷城下町の暮らしを詳しく紹介。写真上は城下町のジオラマ。隣のスペースでは朝倉館が原寸再現されている(写真下)。特別展示室では「朝倉義景の一生」展(本日9月3日で終了)をやっていた。

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城下町の遺構までは少し距離がある。博物館から無料バスが出ていたので利用した。5、6分で「復元町並」に到着。昔来た時は多分、駅からとぼとぼ歩いたのだと思う。30分くらいかかる距離かな。まだ若かったということか。写真は上が復元町並、下が朝倉館跡。

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遺跡や出土物から、当時の人々の暮らしが分かる。「ポンペイ」チックな話だ。向こうの2000年前に比べると時間は短めだが、それでも400年前の生活を知ることができるのだから、単純に凄いと思う。

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2023年2月18日 (土)

西南戦争資料館へ行く

先日、熊本市田原坂西南戦争資料館に行ってみた。西南戦争が始まったのは明治10年(1877)の2月、熊本城攻防戦から、3月は田原坂の戦いと、激戦が続いた。昨秋から、戦争の行われた季節に訪ねてみようと考えていて、実行した次第。

九州は、東京からだと飛行機使うけど、名古屋からだと新幹線に乗ってれば着く、という感じ。朝8時前に名古屋駅を出発。新幹線車中では、雑誌「歴史群像」2018年12月号掲載「作戦分析・田原坂の戦い」を読んで予習。「田原坂の戦い」とは、田原坂含む植木台地に陣取った薩軍に対して、政府軍は田原坂の西にある二俣台地から砲撃。最後は、田原坂の南にある横平山という重要拠点を抑えた政府軍の攻撃により、薩軍が撤退する、という戦いのおおよそのイメージをつかむ。お昼12時過ぎには熊本駅に着き、そこから折り返す格好で、今度は鹿児島本線を北上して田原坂駅(無人駅)で降りる。写真は田原坂駅の説明板。

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資料館のホームぺージには、資料館までの徒歩ルート、田原坂駅と隣の木葉(このは)駅からの二つを示した「てくてくマップ」が載っていて、田原坂駅からは2.2kmで30~40分、木葉駅からは3.8kmで50分とあったので、少しでも短い方を選択(ただし実際に田原坂を歩くのは、木葉駅ルートです。何か変だな~)。とにかくマップを頼りに歩くこと40分余りで、資料館に辿り着いた。館内に入ると、くまモンが目に付いて、ついつい写してしまう。

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小一時間ほど館内を見学した後、帰りは田原坂を通って木葉駅に至るルートを歩くことにした。坂道をゆっくり下って資料館から30分程で「一の坂」の入り口に到着。

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そこから程なく国道に出て歩き始めたが、やはり交通量が多い。大型トラックも結構走っている。歩くのはちょっと恐いなと思っていたら、バス停に出くわした。停留所名は産交バスの「境木」。15分程待てば来るタイミングだったので、バス待ちを選択。平日に休みを取って来ていたので、日中のバスの本数が多少多めだったのが幸いした。乗車時間3分程で、木葉駅前に到着して任務終了。下の写真は木葉駅の説明板。当日は熊本で一泊して、翌日名古屋に戻った。

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もし、西南戦争資料館にタクシーを使わないで行こうという人がいるなら、木葉駅からのルートが分かりやすいし、田原坂そのものを通るだけによろしいかと思う。とはいえ国道を歩くのは最小限にしたいものだなと、産交バスの時刻表を調べた結果、「木葉駅前」平日8時30分頃または9時過ぎ、土休日8時30分頃または9時30分頃のバスに乗り、「境木」で降りる。資料館まで往復の徒歩と見学の時間の合計2時間半~3時間と見て、「境木」11時台または12時台のバスに乗って「木葉駅前」まで戻る、という「午前中勝負」が一番無駄のない感じです。

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2022年10月 9日 (日)

新幹線「かもめ」に乗る

9月23日に開業した西九州新幹線。これで博多から長崎まで(途中半分以上はリレー特急ですが)、新幹線を使って行ける格好になった。

九州に行くなら、東京からだと飛行機使っちゃうわけだが、名古屋からなら新幹線で行こうという気分に(自分は)なる。なので名古屋にいる今、とにかく乗るだけ乗っておこうと思って、昨日10月8日土曜日行ってきました。

前日7日の夜に博多に入って、翌8日朝に出発。博多駅でリレー特急に乗るため在来線改札(新幹線改札ではない。考えてみりゃ当然だけど)から入る。在来線の武雄温泉駅で、同じホーム向かい側にいる新幹線「かもめ」に乗り換える運用。自分は自由席(6両編成の4、5、6号車。後半部分になる)利用なので、リレー特急も後ろの自由席車両に乗る。武雄温泉到着の直前、乗客の多くは下車支度開始。自由席に乗り換えとなると、やはり行動は早めになりますね。実際、乗り換え完了、出発時には自由席車両は満員に。座れずに立つ客も目に付いた。

博多から長崎まで1時間30分、うち新幹線に乗ってる時間は30分程度。景色も、大村湾の辺りで海が見えるくらいで、トンネルが多め。それでも、やっぱり新幹線に乗って遠くまで行けるというのはいいね、と感じる。

10時半に長崎到着。駅の東口は工事中。あの特徴的な大屋根が無くなっちゃってるが、完成予定図にはちゃんと付いてるので、完工の暁には復活するのだろう。

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例年は今頃やってるであろう「長崎くんち」は、今年も中止とのこと。お祭りを一人で見に行く気もないけれど、それでも少々寂しい感じはする。

今回は新幹線に乗るのが第一の目的なので、当地にいたのは4時間程度。とりあえず駅から近い歴史文化博物館に行き見学(すいてる)、駅に戻って駅ナカ施設内の洋食店「ニッキー・アースティン」でトルコライスを食べて、帰途についた。行きはバタバタしていたので、帰りに「かもめ」を撮影。

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さて、リレー特急の区間はいつ新幹線になるのか。佐賀県はメリット少ないとして前向きではないらしいけど・・・国が実質的に全部金出すしかないかな。

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2021年11月13日 (土)

「関ヶ原」西軍陣地巡り

本日はJR東海さわやかウォーキング参加のため関ケ原へ。ほぼ定番の開催地だが、コース設定は様々ある。今回は主に西軍武将の陣地跡を巡るコースで、関ケ原駅をスタートして、まずJR線南側を西に向かう。東軍武将の藤堂高虎、福島正則の陣跡を通り、さらに不破関を過ぎて、JR線の北側に入ってからは西軍陣地を歩く。大谷吉継、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘、そして最後は石田三成。そこから駅の方向に進み、岐阜関ケ原古戦場記念館がゴールだ。

大谷吉継陣跡

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宇喜多秀家陣跡

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小西行長陣跡

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島津義弘陣跡

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石田三成陣跡

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笹尾山全景。石田三成が高所(上の旗)、その前に(下の旗)島左近。

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・・・とまあ、いちおうは巡ってみたわけですが、関ヶ原合戦については最近の研究から、通説的ストーリーは8割方フィクション、みたいな感じになっているので、これらの陣地跡も、史実の裏付けがあるとは言い難くなっていることは、頭に入れておいたほうがいいでしょう。

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