2024年6月22日 (土)

「豊後の王」大友宗麟

先日のNHK番組「歴史探偵」で、戦国大名大友宗麟が取り上げられていた。当時日本に来ていたキリスト教宣教師は、「豊後の王」として記録を残していた。豊後の国は、九州全土であると考えられていたらしい。

大友宗麟は、来日したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルと対面し、キリスト教の布教を認め、教会を建てる土地まで与えた。ザビエル、感激である。宗麟の名はヨーロッパまで伝わり、後にはザビエルと宗麟の出会いの場面の想像画がいくつか描かれて、現在も残っている。何しろ想像画なので、宗麟の姿はヨーロッパの王様風なのだが。

宣教師は、スポンサーであるポルトガルの国に対して布教の成果を誇るため、大友宗麟を「豊後の王」であると喧伝したようだ。当時の若きポルトガル王セバスティアン1世も宗麟に大いに興味を持ち、キリシタンへの改宗を強く促す手紙を宗麟宛てに送った。

当時はポルトガルとスペインが勝手に世界を2分割して、それぞれの支配地と見なそうとしていた時代。ポルトガル国王にも、日本の支配や日本との貿易をやりやすくしたいとの思惑があったようだ。

宗麟は宗麟で、改宗を匂わせながら、南蛮貿易を盛んにして大砲や鉛(鉄砲の玉を作る)を入手することに腐心していた。

最終的に1578年、宗麟はキリシタンとなる(洗礼名はザビエル由来のフランシスコ)が、家臣団の動揺を招き、島津氏との戦いに大敗。宗麟は現実には九州の「王」にはなれなかった。(写真はJR大分駅前の大友宗麟像。2024年3月撮影)

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「歴史探偵」では、今回「戦国ご当地大名シリーズ」第一弾として大友宗麟を取り上げたが、今後三好長慶や長宗我部元親などが予定されているという。「ご当地」に含まれる意味は「限定」というか、知っている人は知っているくらいの感じだろうか。確かに信長、秀吉、家康の「天下人」は大メジャーだし、武田信玄や上杉謙信、伊達政宗、毛利元就も知名度は全国区だろう。でも、「天下人」以外は、戦国大名というのは基本的に「ご当地」のものだと思う。つまり、地方が地方として相対的に独立したのが戦国時代であり、その地方がその地方である礎を築いたのが戦国大名であるということだ。そういう意味で、それぞれの地方における戦国大名の重要性は計り知れない。

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2023年2月26日 (日)

二・二六事件

NHK・BS1スペシャル「全貌 二・二六事件」を観た。ちょうど3年前に放送した番組の再放送とのこと。

昭和11年(1936年)2月26日に起きた二・二六事件。陸軍「皇道派」の青年将校たちが天皇を中心とする軍事政権の樹立を目指し、政府要人数名を暗殺して国会議事堂などを占拠したクーデター事件である。当時、海軍軍令部が事件の推移を綿密に記録した極秘文書が見つかり、それを基に番組は事件の4日間を辿る。そして最後に、事件の一週間前に海軍は、陸軍皇道派の決起計画の概要を把握していたことが示される。

事件発生当時、決起部隊の動機や思想に、陸軍の一部が理解を示し、他の部隊がさらに合流する可能性もあったという。それだけでなく海軍にも同調する者がいたようだ。しかし天皇は早くから海軍に鎮圧を期待していた。海軍の陸上戦闘部隊である陸戦隊が出動する。さらに芝浦沖の海上から、国会議事堂に艦砲射撃を加える計画もあったという。

2月28日、天皇は反乱鎮圧の意思を示す奉勅命令を出す。陸海軍の鎮圧部隊と決起部隊は一触即発、東京が戦場となる内戦寸前の状態に。翌29日(うるう年なのですね)午前中に決起部隊の投降が始まり、午後1時に反乱は平定された。

「昭和維新」を目指した青年将校たちは軍法会議の裁判で処刑されたものの、その後の日本は、天皇を頂点とする軍国主義に突き進んでいった。それは結局は青年将校たちが望んでいた国家の姿だったと言ってもいい。

二・二六事件から9年半後の昭和20年(1945年)8月、日本が降伏して戦争は終わった。時の首相は鈴木貫太郎。二・二六事件の際に重傷を負ったが一命は取り留めた鈴木侍従長その人が、天皇と共に終戦工作を何とかやり遂げたというのも、歴史の不思議な巡り合わせだと思える。

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2023年2月 5日 (日)

NHK「決戦!関ヶ原Ⅱ」

昨夜放映のNHKBS番組「決戦!関ヶ原Ⅱ」。当時の戦国武将の書状500通の調査分析から、関ヶ原の決戦(1600年9月15日)に至るまでの「情報戦」が勝敗を左右したことを描き出す。最近の「新説」に寄せている部分もあり、興味深かった。

西軍の総大将とされる毛利輝元は、通説では石田三成らによって祭り上げられた、ということになっているが、7月15日に三成挙兵の知らせを受け取るや否や広島を出発、海路を使って2日後の7月17日に大阪に到着するなど、やる気満々で「西軍」結成に参画した。輝元には、「西国全体を支配して(祖父の)元就を超えてやるんだという思い」(光成準治先生)があったのではないかという。

番組では、上杉と伊達が連合して、江戸攻撃に乗り出す可能性があったとしているが、これはとりあえず聞いておきますという話かな。(苦笑)

小山評定(7月25日)で、徳川家康は何とか「東軍」を立ち上げたが、評定4日後に届いた西軍の家康弾劾状「内府ちかひの条々」を見て、自分が豊臣政権に対する「謀反人」の扱いとなったことを知り愕然。「どうする家康」状態に。番組が分析した書状数西軍169通、東軍312通(うち家康171通)が示すように、小山評定後の8月の一ヵ月間、家康は手紙作戦に没頭。

番組では福島正則が、キーマンの一人とされていた。小山評定で「石田を討つ」と宣言しちゃったけど、家康が謀反人だとすれば、どうすればいいのかと悩む正則。結局「自分たちは戦って勝つしかない」と決意する。この扱いは結構目新しい感じ。見直されてほしいぞ福島正則。

ところでNHKは、2年前の「決戦!関ヶ原」に続くこの番組でも、関ヶ原西方にある山城「玉城」に、豊臣秀頼や毛利輝元を迎え入れるつもりだったと言ってるけど、これもとりあえず聞いておきますという話。

決戦の前日の9月14日、小早川秀秋が松尾山城に入り、同日に徳川家康も、西軍の籠る大垣城の北に到着した。西軍は同日夜に大垣城から関ヶ原に移動。これも通説的には、関ヶ原で東軍を迎え撃つためとされるが、別の理由が考えられるという。「石田三成たちが大垣から関ヶ原に転進したのは、松尾山にいる小早川を西軍に呼び戻す、あるいは壊滅させる」(光成先生)意図があったようだ。

この見方は、在野の研究者高橋陽介氏の説に近い。小早川と戦うために石田方は関ヶ原に向かったというのが、高橋先生の見方。

さて、南宮山にいる毛利軍。これが東軍の西進を抑えてくれると思っていたから、三成たちは大垣城を出て小早川攻撃のために関ヶ原に向かった。ところが、ここで「最後の情報戦」が行われる。9月14日の夜、毛利家の重臣吉川広家と東軍黒田長政が「不戦の密約」を交わしたのだ。毛利が動かなかったため、東軍は関ヶ原に進出できた。これを見た小早川も東軍として参戦し、西軍は敗れた。

この番組では、東軍の関ヶ原進出が、西軍の予想外の事態として描かれた。このポイントは大きい。通説では、東軍の動きを予想して西軍は動いたわけだから。今後の歴史番組が、白峰旬先生や高橋先生のリードする関ヶ原新説にさらに寄せていくならば、戦いの実態はおそらく、松尾山の麓に移動した直後の西軍の態勢がまだ整わないうちに、東と南の2方向から、東軍と小早川軍が急襲。西軍はグダグダになって短時間で敗北した、というところになるのではないかと思う。

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2022年8月14日 (日)

アメリカ・サブカルチャーの歴史

最近、NHKBS番組『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』アメリカ篇の1950年代から2010年代まで通して観た。70年代から90年代までの部分が本になって出ていた(祥伝社発行)ので、以下に90年代について語られる部分からメモする。

90年代のアメリカを表現する用語のほとんどには「ポスト」という接頭辞が使われていました。ポスト・産業(工業)社会、ポスト・フェミニズムの男女関係、ポスト・モダンの文化・・・すべてのことがポスト、ポスト、ポストだったわけです。ただし、それが何かの「あと」であることは分かっても、それが何であるのかを人々が分かっていたわけではありませんでした。(ブルース・シュルマン、歴史家)

90年代というのはまったく新しいものが生まれた最後の時代だったように思います。音楽も映画も文学も、すべてのカルチャーにおいて、世代を通して影響を与えうる大きなスケールと芸術性が同居するような作品は、どんどん少なくなってきているのが現実です。もはや、マイケル・ジャクソンは現れそうにない。90年代とは、みんなが同じものを見ていたと回顧できる最後の時代なのかもしれません。(カート・アンダーセン、作家)

・・・番組シリーズを通覧して了解したのは60年代末以降、カウンターカルチャーとして発展したサブカルチャー(番組では主に映画と音楽)は、やがてその熱気や勢いやエネルギーを失い、「産業化」「商品化」していくプロセスを辿ったということだ。おそらく、カウンターカルチャーとしてのサブカルチャーが終わりを迎え、多くの人々に影響を与えるようなパワーのある作品も出てこなくなったのが90年代、ということになるのではないか。

シュルマン教授は、1970年代のアメリカは多くの歴史学者から「空白」の時代と評価されているが、実はアメリカと世界が今日に至る種がまかれた、非常に重要な時期であると考えている。またサブカルチャーの観点から見れば、68年から84年までが「70年代」である、とも語っている。自分と同じ1959年生まれの教授の話は、どれもこれも腑に落ちる。

番組で紹介された70年代の映画、ゴッドファーザー、ジョーズ、未知との遭遇、ロッキー、ディアハンター、サタデーナイトフィーバー、クレイマークレイマー、タクシードライバー、地獄の黙示録、スターウォーズ等々は、いずれも時代を代表する作品と言えるし、娯楽作品といえども骨太な印象がある。今にして思えば、映画がとにかくパワフルだった時代に、自分は多感な(笑)ティーンエイジャーとして生きていたということだ。密かに感謝しよう。

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2021年10月16日 (土)

「ルパン三世」アニメ開始50周年

昨夜、「ルパン三世」アニメ化50周年企画として、シリーズ第1作などテレビアニメ4本が放映されていた。

自分所有のDVDによると、第1作「ルパンは燃えているか」の放映日は1971年10月24日。そうですか50年前ですか。もはや大昔と言えるが、それだけの時間が経った実感があんまりない。(苦笑)

自分は当時12歳。「ルパン」には何の予備知識もなく、「ギャグマンガかな」と思いつつ見たら、全然違ってた。しかも峰不二子!何か小学6年生男子の下半身がムズムズした覚えがある。(苦笑)
確か放送時間は日曜夜7時半。当時は、家族でテレビを見る時間だった。いやもう困惑なのである。(苦笑)

ルパン50周年か・・・当時の視聴者の生き残りとしては、60周年はまあなんとか迎えたいが、70周年は少し怪しいかもな、などと思ったりする。(苦笑)

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2021年7月31日 (土)

ウルトラマン俳優の「役者魂」

ウルトラマン不滅の10大決戦』(集英社新書)は、マンガ家のやくみつるとライターの佐々木徹が、ウルトラマンを演じていたスーツアクター古谷敏を迎えて、ウルトラマンと怪獣の名勝負、というか格闘そのものにフォーカスしつつ語り合うという企画。格闘として見どころが多いという観点から、やくの選出した「10大決戦」は、レッドキングもバルタン星人も登場しないという、ちょっと異色のランキング。しかしこの評価を補強するかのように、古谷さんからも、ダダやケロニアという「人型怪獣」との格闘は、自分も動きやすかったし自分の出す技も見映えがしたとの感想が。特にケロニア役者さんは、受け身が素晴らしく上手だったという話も(笑)。そして深い感銘を受けるのは、対話の中から見えてくる、ウルトラマンという「役」に向き合う古谷さんの真摯な姿勢。以下に古谷さんの発言からメモする。

僕なりに顔が出なくても、ウルトラマンのスーツの中で役者魂らしきものをたぎらせていたのは本当です。全39回の戦いにおいて、怪獣が現れた、ウルトラマンが派手に登場し、パンチやキックを見舞い、最後はスペシウム光線を決め、一件落着、空に飛び立つ――と形式的に考え取り組んだことは一度もありませんでした。

戦いひとつひとつに、なぜ怪獣は現れたのか、この怪獣は単に人類を苦しめるためだけに地上に現れたのか、他に目的があるのか、だとしたら、攻撃を受け止める自分(ウルトラマン)はどのように戦えばいいのか。

他にも、強い怪獣に対し、自分はなにを信じ、なにを願いながら戦うべきなのか。また、スペシウム光線で怪獣を倒すことが本当の終焉、地球の救いとなるのだろうか――たった3分弱の戦いでしかありませんでしたけど、その3分弱に、僕は演じる者のプライドや心意気といったものを奮い立たせ、本編の脚本を踏まえた上で、もうひとつの自分だけのストーリーを作り上げてから、怪獣との戦いに臨んでいたんです。

・・・小生は、やく氏と同じ1959年生まれ。ウルトラマン放映時の自分は小学一年生、たぶん初代ウルトラマンの記憶を持つ最も若いというか幼かった世代だと思う。もう50年以上も前になるわけだが、成田亨デザインの怪獣たちにコーフンしていた記憶は鮮明である。本当にあの頃の子供番組は、大人たちが多大な情熱とアイデアを注いで作り上げてくれていたのだと、あらためて思う。感謝、感謝、感謝のほかありません。ニッポンの子供で本当に良かった。

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2021年6月 9日 (水)

サスケ、お前を斬る!

現在NHKEテレの番組『趣味どきっ!』では、昨秋放送の「本の道しるべ」シリーズ全8回を再放送中。出演している文化人は知らない人ばかり(タレントの渡辺満里奈だけ知ってる 苦笑)なのだが、本と本屋さんをテーマにした番組ということで、先日とりあえず第2回(歌人の穂村弘が出演)を流し見していた・・・ら、穂村さんが突如TVアニメ「サスケ」冒頭ナレーションの部分を朗読したのに意表を突かれた。TVアニメの中にも「詩」がある、その事例として読み上げられたのは以下のナレーション。

光あるところに影がある。まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった。命をかけて歴史を作った影の男たち。だが人よ、名を問うなかれ。闇に生まれ、闇に消える。それが忍者の定めなのだ。――サスケ、お前を斬る!

何で?と思って穂村さんは何年生まれか見ると1962年。若く見えるけど自分の3つ下、概ね同年代。自分もなぜか「サスケ」が好きで、白土三平の原作コミックスは全15巻持ってたし、TVアニメ(昭和43年~44年放送、もう50年も前なのか)も毎週欠かさず見ていた。今も記憶に残る、哀愁感漂うBGMをバックに流れる名調子の語り。それを全く予期せぬ形で耳にしたものだから、滅茶滅茶意外感があった。正直自分は、短歌というジャンルには全く関心がないので、穂村さんのことも全く知らなかったけど、これで一方的に親近感がわいてしまった。

実は最近、たまたま思い立って、サスケの原作とTVアニメ両方の全巻を見直したところだった。昔、原作を読んだ時は、物語の後半3分の1は、子供心にも随分と暗い印象を受けたものだった。理由や都合は分からないが、TVアニメも原作の途中で終了し、物語の最後まではアニメ化されていない。原作は後半になると、サスケが敵と戦うよりも、人間同士の争いに巻き込まれるようになり、主人公としての印象もボヤける感がある。ので、少年忍者サスケの成長物語としては、TVアニメは程よいところで「完結」したと思う。

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2021年6月 7日 (月)

バルンガ!

最近、月曜日の深夜にNHKBSプレミアムで「ウルトラQ」(4K版)が放送されている。今夜は「バルンガ」だ。

バルンガ、知っている人は知っている「風船怪獣」。地球上のエネルギーを吸い上げて巨大化していく。人間を攻撃するでもなく街を破壊するでもなく、ただただ巨大化していくのだ。バルンガの「発見者」である奈良丸博士は、劇中で「バルンガは怪物ではない。文明の天敵というべきだ」と語る。

ラストシーン、知っている人は知っている。バルンガは太陽に向かっていく。「バルンガは太陽と一体になるのだよ。太陽がバルンガを食うか。バルンガが太陽を食うか」(奈良丸博士)

ラストの石坂浩二のナレーション、知っている人は知っている。「明日の朝、晴れていたらまず空を見上げてください。そこに輝いているのは太陽ではなくバルンガなのかもしれません」・・・ああ、何てぞくぞくする終わり方。

ウルトラQで好きな話は、バルンガ、ゴーガ、トドラの話。ゴーガとトドラの放送はもう少し先になるので、忘れないようにしよう。(もちろん怪獣造形的には、ぺギラやガラモンが普通に好きですけどね)

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2021年2月23日 (火)

明智光秀謀反の謎

今日の午後は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」総集編を流し見していた。

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか。ドラマでは、織田信長と二人三脚で「大きな国」を作るため奮闘してきた光秀が、信長が横暴極まりない支配者になりつつあることに失望して、最終的に信長を無きものにすることを決意して本能寺の変を起こす――という描かれ方だった。
このストーリーは、ドラマの時代考証を担当する小和田哲男先生の「非道阻止説」に近いが、それほど説得的とはいえない。本当に信長が暴走気味の「非道」な振る舞いをしていたのならば、変の後、みなこぞって光秀に味方しただろう。

また、帰蝶の語る、斎藤道三と明智光秀が織田信長を作った、ならば作った者が始末をする、というセリフからは、イエズス会黒幕説の組み立て方に類似した印象も受ける。これは、当初信長を支援していたイエズス会が、コントロールできなくなった信長を光秀を使って滅ぼしたというトンデモ説ではあるが。
まあ何の説を取るにせよ、ドラマで光秀の謀反の理由を説得的に描くのは、そもそも難しいとは思う。ドラマを分かりやすくするためには謀反の動機を多かれ少なかれ単純化しなければならない。でもそうすると、謀反という一大事を決意する理由としては、いまひとつ弱いなあと感じてしまう。
まあそれもこれも、光秀本人の語った謀反の理由が残ってないから、どうしようもないけど。変の直後に人にあてた手紙の中では、「娘婿を取り立てるためにやった」とか「信長父子の非道は天下のためにならない」とか書いてるわけだが、それも人を味方に付けるために言ってるのだから、とても本音とは思えない。
結局根拠となる史料が乏しい中では、野望説も怨恨説も推測や憶測に近くなるし、様々な黒幕説も検証が一巡。最近は新史料発見から四国攻めとの関連が改めて注目されているが、それも決定的とはいえない状況。

思い出せば昔のこと、漫画日本の歴史(カゴ直利の画)で光秀の最期を見て、子供心に暗い驚きを覚えた。やがて、本能寺の変の原因が分からないと死んでも死にきれないと思うようになった。しかし年月が経ってみると、やっぱり分からない、分からないまま死ぬなあという感じになってきた。最近では、織田権力内部の動きに関連付けた説明にリアリティを感じてはいるけど、まあ状況証拠の積み重ねと合理的な推測により、謀反の動機を朧気ながら掴むというところで満足しなきゃならんかな、という感じである。

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2021年2月13日 (土)

明智十兵衛光秀の最期?

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」最終回(再放送)を見た。7日の日曜日の放送は夜5時45分からのBSを見て、8時からの地上波も途中から見たので、さらに今日の再放送も見たから、これでラストシーンは3回見たことになる。
おそらく、明智光秀が主人公のドラマのラストとしては、これでいいのだなと納得する終わり方だった。
見る前の予想としては、主人公なんだし、史実通りの悲惨な最期を描くことはしないだろう、おそらく語りだけで光秀の死を告げる、いわゆる「ナレ死」で結ぶだろうなと思っていた。
実際、ドラマの最後近くで「光秀は敗れた」とナレーションが入り、やっぱりそうきたか(でも「死んだ」じゃないけど)と思っていたら、直後に「3年後」のエピソードが続いたのは予想外の展開。
そして最後の最後に、光秀らしき人物が馬に乗り大地を駆けていくシーンで「完」。
果たしてこの「光秀」は幻なのか、それとも・・・。
既にネット上では、光秀生存説、さらに天海僧正となり徳川を助ける未来を暗示、等々いろいろ言われてはいる。
まあ自分は単純に、光秀の魂は死してなお地上にとどまり、平和な世の到来を見届けようとしている、くらいに思ってますけどね。

でも最後の駒ちゃんの涙はよかった。何だかしらんが泣けた。架空人物の活躍についてはネット上でもあれこれ言われてはいたが、駒ちゃんはこのラストのためにいたと言ってもいいくらいだ。天下の謀反人が死んだ後に悲しむ人が誰もいないのでは、ドラマの終わりとしても余りにも寂しい。

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