2024年11月17日 (日)

政治家の「経済オンチ」は罪深い

日本の政党の掲げる経済政策は妥当性が疑われるものばかり。日経新聞電子版15日発信のコラム記事(自民・国民民主・れいわ「経済オンチ」は一体だれか?)からメモする。

石破首相(自民党総裁)は衆院選で「最優先すべきはデフレからの完全脱却だ」と主張した。一方でそのために掲げたのは「物価高を克服するための経済対策」だった。
デフレなのか物価高なのか。消費者物価指数の上昇率は、インフレ目標である2%を2年半にわたって上回り続けている。生活者の物価感をデフレかインフレかの二択で示せば、今はインフレだろう。ところがデフレという単語は曖昧に解釈できる。「デフレ=経済停滞」と広義にとらえれば、ガソリン補助金のような物価高対策に大義名分が生まれ、有権者にアピールする財政出動に道が開ける。

国民民主の玉木代表は「賃金デフレ」という言葉を使う。それが指すのは「1996年をピークに下がり続けている実質賃金」だという。
実質賃金は、実際に生活者が受け取る賃金(名目賃金)から物価上昇分を差し引いて計算する。2023年の実質賃金は前年から2.5%も下落した。ただ、実質賃金が下がった最大の理由は手取りが減ったからではなく、消費者物価(持ち家の帰属家賃を除く総合)が3.8%も上がったからだ。現状は円安を起点に賃金上昇を上回るインフレ圧力がかかっている。本来なら引き締め的な円安対策を講じるのが王道だ。玉木氏はそれを「賃金デフレ」と言い換えることで、所得税の非課税枠拡大といった大幅減税案で有権者の歓心を買うことに成功した。

衆院選で議席を増やしたれいわの山本代表は「30年不況」という厳しい言葉を繰り返す。
経済論議の中で「不況」とは通常、景気循環上の悪化局面を指す。実際の日本経済は、1993年から2020年までの5回の景気循環の中で拡張期は245カ月、後退期は74カ月と成長期の方が大幅に長い。長期トレンドとして「低成長」の状態にあるが、マイナス成長を続けているわけではない。不況期であれば、失業者の増加を防ぐ即効性のある財政出動と金融緩和が必要になる。山本氏がいう「消費税減税」も検討対象の一つになるかもしれない。

経済状態が不況でなく低成長であれば処方箋は変わる。成長企業に働き手を移す労働市場改革や国際競争力の高いハイテク産業の育成など、複雑な構造改革こそ求められる。野党のように「減税」の一言で政策を語ることはできなくなる。二大政党制と異なり少数野党が乱立する日本の政治は、バラマキ的な公約合戦につながりやすい。政権を担う意志がなければ、財源も副作用も気にする必要はない。

30年の長期停滞でわかったのは、日本経済に一発逆転劇をもたらす「魔法の杖」は見当たらないことだ。レトリックではなく、息の長い地道な改革を説く責任政党はどこなのか。有権者一人一人に政治の幻惑を見破る高い読解能力が求められている。

・・・「デフレ」とか「不況」とか、政治家は言葉を何だかテキトーに使っているなあという印象。政権担当能力のない野党は、経済政策も無責任なことばかり言うだけだ。日本経済を変える「魔法の杖」はないし、地道な構造改革しかないのも分かり切った話。しかし当然ながら、構造改革は言うは易く行うのは難し。はたして今の日本に、地道な構造改革をやり切る胆力のある政治家はいるのだろうか。

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2024年11月 8日 (金)

「失われた○年」は続く?

日本経済の低迷は「失われた30年」で終わった、と見るのは誤りだと言うのは、エコノミストの門間一夫氏。本日付日経新聞コラム記事「エコノミスト360°視点」(「失われた40年」にしないために)からメモする。

過去30年を「失われた」と形容するかどうかは定義次第だが、低成長であったことを失われたというのであれば、状況は改善していない。コロナ禍前の2019年から24年前半までの4年半で、国内総生産(GDP)の実質成長率は年率わずか0.1%にすぎない。

一方、株価は10年代初頭の約5倍にまで上がっている。株価の低迷は「失われた20年」の段階でとっくに終わっており、10年以上も明確な上昇トレンドにある。株価は代表的な日本企業の稼ぐ力を表すものであり、それらの企業は近年、株主目線の改革を着実に進めてきた。日本経済は少子高齢化、地方の疲弊、消費の低迷に悩み続けているが、「日本企業」はそれらから影響を受ける事業の効率化を図りつつ、グローバルには拡張戦略をとって利益成長を実現してきた。株価は今後も中長期的に上昇し続けるだろう。

日本経済には2つの道がある。ひとつは、株価だけが上昇し続けて日本経済はこのまま「失われた40年」「失われた50年」になる道である。もうひとつは、株価の上昇とともに実質賃金がしっかり上がるようになり、国民生活も豊かになっていく道である。

大前提として株主重視の流れは止まらないし、資産運用立国を標榜する以上、株価が上がり続ける国でなければならない。論点は、株主重視の企業改革を賃金の上昇や中小企業の繁栄にも波及させるには、何が必要なのかである。

「国内拠点の充実こそ企業価値向上の鍵であり、そのためなら賃金も上げるしサプライヤーにも報いたい」と企業が思えるようなビジネス環境を、国内につくることが国の成長戦略である。新分野への挑戦機会が豊富で、エネルギー供給に不安がなく、世界一の教育があり、海外からも優秀な人が集まる――そういう日本の「創生」を、政府には期待したい。

・・・日経平均採用の225社は株主重視のグローバル企業となり、日経平均株価も過去最高値を更新。その一方で、中小企業は置いてきぼりとなり、日本経済全体も決して好調とは言えない。株価が上昇し続けるのであれば、中小企業の従業員は資産運用に励めば良いのかも知れないが、やはり賃金が上がって消費も増えるというのが基本の姿だろう。この大企業と中小企業の業況の格差というか、大企業業績とマクロ経済の乖離というか、これが解消に向かうような政策を実行しないと、日本経済の「失われた時代」が延々と続くことにもなりかねない。

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2024年10月11日 (金)

消費下手ニッポン

本日付日経新聞投資面コラム「大機小機」(消費あっての資産運用立国)からメモする。

内閣府がまとめた2024年度の経済財政報告によれば、老後に備えてためた金融資産が85歳以上でも、ピークの60代前半から平均1割強しか減っていないそうだ。「倹約は美徳」と言えるだろうが、人生100年の時代。この美徳は、経済に負の影響をもたらすおそれがある。

政府は「資産運用立国」を掲げて、新NISA(少額投資非課税制度)などの政策を打ち出してきた。預貯金偏重の日本人にとって、積極的な資産運用は重要だ。しかし、資産運用だけではお金が回らない。

そもそも日本人は、倹約で幸せになっているのだろうか。最近「DIE WITH ZERO」という本が売れているが、消費して資産を遺さないことが幸福につながると説いている。

資産運用は手段に過ぎず、資産を消費して幸福になることが目的のはずだ。日本は消費を我慢して、個人の幸せをあきらめているようにみえる。

資産運用立国を掲げるのであれば、「消費立国」も目指さないとバランスを欠く。そのためには将来不安を減らすことが重要だが、資産を持つシニアから子育て世代への資産移管を促す大胆な優遇策も必要だろう。何よりも重要なのは、消費を通して人生を豊かにするという、ポジティブな消費教育である。

・・・日本の個人の金融資産は2200兆円。その半分以上は高齢者(60歳以上)が主に現預金で保有するという姿は、余り変わっていないようだ。まあ自分も高齢者なのだが、そもそも金の使い道が余り思い浮かばない。高齢者は倹約しているというより、消費の仕方が分からないような気がする(苦笑)。現役世代は住宅ローンと教育資金で消費どころではないとすれば、やはり高齢者が持てあましているカネを現役世代に誘導しないといかんな。

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2024年10月 2日 (水)

植田日銀の使命

本日付日経新聞投資面コラム「大機小機」(日銀の最大の仕事とは)からメモする。

日銀は9月20日に開いた金融政策決定会合で、政策金利を0.25%に据え置くと決めた。同日の植田和男総裁の記者会見では、今回もまた市場との対話に関して質問が出た。
植田総裁はその質問を受けて、「丁寧に説明する」と答えた。しかし、利上げを今後どのようにするかについては、限りなく不透明な説明に終始した。
問題は、市場と対話すべき事柄とは何か。その最も本質的な点が、忘れられているのではないか。

植田日銀の課題は、実体経済、物価いずれについても成果を上げることなく、多大な負の遺産を残した異次元緩和を、できるだけ速やかに手じまい、正常な経済を回復することである。日銀の実質上の財政ファイナンスがいかに財政規律を緩ませたかは、この国を導こうという有力な政治家たちの最近の発言を聞けば明らかだ。ゼロ金利と過度の円安は、民間企業の消極的な姿勢に拍車をかけた。

経済の現状はどうか。物価は、日米欧いずれも前年比2%台で同じだ。実体経済もそれほど変わらない。にもかかわらず政策金利は、米国4.75~5.0%、欧州3.5%に対して日本は0.25%。これをどのように正当化するのか。この異常さと、そこからの脱却について、社会(市場はその一部)のコンセンサスをつくることこそが、日銀の最大の仕事だ。

・・・今年8月5日月曜日の株価急落(4451円安)は「植田ショック」、9月30日月曜日の急落(1910円安)は「石破ショック」とも呼ばれたが、前者は円キャリー・トレードの巻き戻し、後者は「高市トレード」の巻き戻しとされることから、二つの「ブラック・マンデー」は、グローバル投資家の運用の都合により引き起こされた現象と考えるところだろう。結局、日銀の政策の大きな方向性は、金融の正常化を探るというものであることは明らかだし、市場に全く配慮しないというのも現実的ではないだろうが、日銀には市場の一時的な動きに捉われることなく、金融の正常化に向けた歩みを確実に進めてもらいたい。

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2024年7月 1日 (月)

企業情報開示の非効率地獄

日経新聞本日付記事「開示地獄に企業が悲鳴」からメモする。

環境対応や人的資本など、世界で投資家が求める情報が増えている。日本で企業の負担感が強まるのは、法律や規則ごとに複数の書類を作らなければならないためだ。

例えば有価証券報告書(有報)は金融庁が所管する金融商品取引法の規定で、企業は決算期末から3カ月以内の提出義務がある。株主総会では法務省が所管の会社法に基づき、1年間の経営環境を株主に分かりやすく説明する事業報告書や決算書類が必要になる。法律とは別に、証券取引所の開示ルールもある。決算に関連した情報を投資家に迅速に伝えるため、上場企業は決算期末から45日以内の決算短信の公表が求められる。

売上高や純利益、株主資本といった情報もそれぞれの文書に記載する必要があり、内容の重複が起きる。東京都立大学の北川哲雄特任教授によると、欧州では複数の法令に対し、有報にあたる年次報告書という1つの書類での開示が主流だ。対照的に日本は「情報開示を求める法令やルールごとに、書類を整備する形で対応してきた」(公認会計士の森洋一氏)ことで多くの書類が必要になった。

役所や証券取引所ごとの法規に縛られた非効率な開示スタイルの結果、日本は世界でも有数の「開示大国」になった。経済産業省の調べによると、24年1月時点の日本の上場企業の1社あたりの開示資料の総ページ数(制度開示と任意開示の合計)の平均は398ページにのぼる。米国や英国に比べ2〜4割多い。

企業の負担を抑えながら、投資家に必要な経営データを提供するには、法規ごとにバラバラの開示義務を見直す必要がある。経産省の「企業情報開示のあり方に関する懇談会」は6月の中間報告で、有報や事業報告書、統合報告書などを一体にして法令に対応できる形式を提言した。

企業の情報開示は今後もサステナビリティーの関連項目や英訳書類など、一段の増加が見込まれる。投資家、企業それぞれの便益を高めるには非効率な「縦割り開示」の壁を取り払うことが第一歩になる。

・・・近年は非財務情報の記載事項も多くなり、企業情報の開示内容は増加の一途。開示の準備の効率化に相当努力しないと、企業の担当部署と監査法人がパンクするのは目に見えている。上場企業はとりあえず金商法開示のみにして、会社法開示は免除してもらうのが一番分かりやすいんだけどな。そうすれば、まずは有報作成に集中して、さらに株主総会も開催日を遅らせて有報を使うようにすれば、それで良いように思うんだけどな。わからんな。

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2024年6月30日 (日)

有報開示⇒株主総会の順序は可能か

昨日29日付日経新聞マーケット総合面コラム「大機小機」(株主総会前の有報開示を)からメモする。

3月期決算企業の株主総会がおおむね終了した。多くの会社が総会の後に、有価証券報告書を提出する。だが、欧米では総会の1カ月以上前に、有報に相当する年次報告書を開示する。

日本企業の総会招集通知にある事業報告などは、情報量が少ない。そのため、海外投資家は「総会前に有報を開示してほしい」と要望してきた。

実は総会前の有報開示に法改正は必要ない。総会は基準日から3カ月以内に開催しなくてはならない。基準日を決算日とする会社が多いが、基準日を4月に変えて7月に総会を開催すればよい。そうすれば、総会前に有報の提出が間に合う。そもそも、海外では決算日から総会開催日まで4~5カ月だが、日本は3カ月以内と短い。

現在、上場企業は金融商品取引法に基づく有報、会社法に基づく事業報告・計算書類を作成している。これらには重複が多いばかりでなく、最近は有報の非財務情報の拡充により、現場の負担が増しいている。今後はサステナビリティー(持続可能性)の情報開示が強化される流れにある。

近年、政府は開示負担の軽減や、総会前の情報開示の促進のため、両者を統合する一体的開示の普及を促してきた。だが、これまでそれを利用した企業はない。その理由として①現在のプロセスの変更への懸念②総会を7月に先送りする場合の懸念(取締役人事の確定の遅れ、第1四半期決算の作業時期の重複、投資家の反応など)③法解釈の不透明性ーーなどが指摘されている。

開示書類の見直しは長く指摘されてきた。一元化を進めて企業の負担を軽減し、同時に総会前の有報開示を求める投資家の要請に応えたい。そのために官民がぜひ知恵を絞るべきである。

・・・この件で一番分かりやすいのは、上場企業は会社法決算を省略、金商法決算のみにすることである。会社法と金商法の管轄する役所が違うので実現しないという話を聞くのだが、それが本当だとしたら、何とも馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。

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2024年6月28日 (金)

「債権国」日本に必要な通貨外交

1997年6月23日、当時の橋本龍太郎首相の訪米時の発言が、米国株の大幅下落を招いたことを引き合いに出して、日本は最大の米国債保有国なのだから通貨外交に自覚的であるべきだ、と説くのは経済評論家の豊島逸夫氏。「日経ビジネス」電子版6月27日発信記事から、以下にメモする。

橋本氏の「問題発言」は、米コロンビア大学での講演のあとの質疑応答で飛び出した。やりとりを振り返ろう。講演後、「日本や日本の投資家にとって、米国債を保有し続けることは損失をこうむることにならないか」と尋ねた質問者に対し、橋本氏はこう答えた。

「実は、何回か、米財務省証券を大幅に売りたいという誘惑に駆られたことがある。」
「(米国債保有は)たしかに資金の面では得な選択ではない。むしろ、証券を売却し、金による外貨準備をする選択肢もあった。しかし、仮に日本政府が一度に放出したら米国経済への影響を大きなものにならないか。」
「財務省証券で外貨を準備している国がいくつもある。それらの国々が、相対的にドルが下落しても保有し続けているので、米国経済は支えられている部分があった。これが意外に認められていない。我々が財務省証券を売って金に切り替える誘惑に負けないよう、米国からも為替の安定を保つための協力をしていただきたい。」

現在でも日本は世界一の米国債保有国で、2位が中国だ。米財務省のデータによれば、2024年3月時点で米国債の保有残高は日本が1兆1878億ドル。中国が7674億ドル。日本の残高の大きさが突出している。

筆者は、日本が最大の米国債保有国であることを、対米通貨外交において、明確に主張すべきだと考える。米国側は日本を為替操作していないか緊密に注視する「監視リスト」に入れることもあるのだから、日本側も忖度せず、論じるべきだ。

・・・自分の記憶でも、この30年くらいの間に、日本の要人発言が米国株相場に影響を与えたのは、この橋本発言の時しかなかったように思う。豊島氏は「橋本氏の見方は正論」であると言う。おそらく正論だからこそ、米国株も反応したのだろう。

為替介入だけが通貨政策ではあるまい。もっと踏み込んだ通貨外交が求められている。忖度して米国債を自由に売れないのであれば、日本は金融経済面でもアメリカの「属国」なのだと思わざるをえない。

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2024年4月 8日 (月)

過去30年は企業変革期だった(のか)

シン・日本の経営 悲観バイアスを排す』の著者、経営学者ウリケ・シェーデは、日本企業の過去30年間は「失われた時代」というよりも、抜本的な企業変革の期間に見える、と言う。「日経ビジネス」電子版4月5日付記事(「失われた30年」は企業変革の期間)から以下にメモする。

1950年代から80年代まで、日本は30年かけて製造技術の面で欧米に追いついた。そして今、最先端技術で競争するために、飛躍的イノベーションの新体制に向けてピボット(方向転換)している。そのために必要なのは新しい戦略、イノベーションの手順、企業カルチャーの変革であり、新しいコーポレート・アイデンティティーを創出することだ。

この変革は20年以上前から始まり、その成果が今、目に見える形で表れてきている。日本企業は賢く機敏かつユニークなプレーヤーとして再浮上し、それに応じてグローバル・イメージも変わりつつある。

この変革スピードの遅さは、日本のリーダーの意図的な選択によるものであり、そこには日本社会の好みが反映されている。あえてゆっくりと変わる利点は、社会に与える大きな打撃がより軽減されることにある。他方、この安定に対して日本が払ってきた代償は、低成長が長期化することだ。しかし今、日本は比較的平等な社会で、失業者も少ない、新しいプレーヤーとして台頭している。遅いことは停滞ではない。それは相違点にすぎず、日本の強みになり得るのだ。

日本経済の現状は「20対80の法則」(パレートの法則)に似ている。これは、少数のインプットでアウトプットの大部分が説明されるという法則だ。例えば、日々の営みを見ると、20%の活動が生産性の80%を左右している。通信、航空、ホテルなど多くの業界では、20%の顧客が売り上げの約80%を占める。現在の日本経済も20対80の法則が働いているような状態にあり、少数企業が日本の好業績の大きな割合を占めていると見られる。日本が前進するためには、先頭ランナーをよく知り、学ぶことが役立つだろう。願わくは、経済全体で好調企業と不調企業の割合を40対60くらいに素早く移行させることができるとよい。

・・・株価が最高値を更新すれば、「失われた30年」も企業変革期だったと見えてくる。というか、現在の立ち位置が変われば過去の意味付けも変わってくる、ということはある。とはいえ変革期としても、低成長の30年は長かったと感じる。

それはともかく、日本企業の20%が好業績で、日本経済を引っ張っているというのは、その通りなんだろう。日経平均株価が最高値を更新する、つまり指数採用の225社の業績が好調としても、日本経済が全体としてそんなに景気が良いとも思えないのは、20対80の法則で理解しておけばよいのだろう。

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2024年2月20日 (火)

「モラトリアム」志向は過去のもの

1980年代から最近まで、高校生像はどう変化してきたか。本日付日経新聞教育面コラム記事「高校生像、40年間の変化」(執筆者は尾嶋史章・同志社大学教授)から、メモする。

みえてきたのは進学動機の変化だ。大学進学希望者に限ってみてみると「学生生活を楽しむ」や「自分の進路や生活を考えるための時間」を選択する生徒が減少し、「希望する職業に必要」や「進学する方が就職に有利」を選択する生徒が増えている。女子では「教養を身につける」が減少している。モラトリアム志向や教養志向が強くなっているのだ。高校生たちの思考は職業や就職に傾き、教養を身につけ社会に出る前の猶予期間を過ごすという意識が後退している。

このところ所得は上向きとはいえ私立大学の授業料は上昇を続けている。このような状況下では大学進学も明確な目的を求められがちだ。2000年ごろを境に貸与奨学金枠が拡大し、受給者が急増した。それは進学機会を保障したと同時に、経済面での心理的な圧力を高校生に与えることになった。

かつて発達心理学者のE・H・エリクソンは、アイデンティティーの確立のために試行錯誤を行う青年期をモラトリアム(役割猶予期)と位置づけた。高校から大学などで学ぶ時期はまさにモラトリアムであり、試行錯誤を繰り返して自分の道を定めるための猶予期間という意義も持つ。モラトリアム志向の低下は早期に自己が確立された結果と喜ぶこともできる。だが、家庭の厳しい経済状況や高校卒業前に奨学金の借り入れが決まる環境下では、早期に目標を定めてまじめに勉強すべきである、という義務感の反映のようにもみえる。

目標を早くに決めて目的合理的に進学するだけだと大学教育の意義は半減するのではないだろうか。目的を持つと同時に進学後に多様な経験をして自分を見つめ直す機会だと本人が意識すること、また教師や親がそうした「ゆとり」を持たせてやることも今の時代には重要になってきているように感じる。

・・・昔ありました、「モラトリアム人間」。小此木啓吾先生の言ってたやつです。自分も、モラトリアム傾向があったのは確かで、大学卒業後も社会に出ないで、ぐだぐだしてるうちに行き詰って、25歳で何とか就職しました。

なので、早めに人生の針路を決めて進んでいくのも、人生設計において有利な面があるのかもしれない、とモラトリアム人間だった自分は思うところもある。とはいえ情報過多の時代の中で、自分の目標をなかなか決められない場合もあるだろうし、あるいはひとまず目標に向けて進んでも、途中で軌道修正を迫られる場合もあるだろう。そんな時は、寄り道する「ゆとり」がある方がいいのかな、と思ったりします。

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2024年2月16日 (金)

「歯車」になれる人はすごい

今週の「週刊ダイヤモンド」(2/17号)の特集は「識学大全」。「識学」とは、人間の意識構造に着目したマネジメント論なのだそうな。識学3部作の一冊『とにかく仕組み化』の紹介記事から、以下にメモする。

組織の中で「替えの利かない人」は今の位置にとどまり、「歯車として機能する人」は人の上に立てる。一見、逆のようですが、これが真理です。後者の人は「仕組み化」の考えが備わっています。

「仕組み化」とは、「ルールを決めて、ちゃんと運営する」ということです。

ここで、あなたに確かめてほしいのは「歯車」として生きる覚悟について。おそらく「歯車なんて嫌だ」と反発するのではないでしょうか。ですが、人は大人になる過程で、「世の中は自分中心で動いていない」ことを学び、社会と折り合いをつけて大人になります。「歯車になること」の力に気づき、いったん受け入れた人から成長は始まります。組織の中で求められている役割を理解し、自分自身も仕組みの一部に組み込まれる。そのスキルさえあれば、どこに行っても活躍できる人材になれるのです。

組織の中で替えが利くようにする。その最終形が経営者。「自分がいなくなってもうまくいってほしい」というのが、経営者の最終目的でしょう。その目的のため、考え方の根底に「仕組み化」の思考が必要です。

・・・「歯車」になる覚悟は確かに大事。自分も若い時は、社会の中で歯車になるなんてまっぴらゴメンだ!とか思ってましたが、年取った今は、歯車になるのだって大変だ、ちゃんとした歯車になれる人は大したもんだ、と認識しております。

全体の仕組み化を考えて、その仕組みの中の歯車の機能を完璧に果たす。どんな場所に置かれても、歯車にしっかりなれる人は、万能の人ではないだろうか。

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