2025年5月18日 (日)

「振り飛車」を応援しよう

本日付日経新聞記事「AIにあらがう将棋棋士」から、以下にメモする。

将棋トップ棋士の間で、人工知能(AI)が不利と評価する戦法「振り飛車」が見直されている。AI全盛の世で、人間の創造力を探る好例といえそうだ。

居飛車と振り飛車の棋士の割合は約3対1。もともと振り飛車党は少数派だが、近年は上位ほどその割合が減る傾向にあった。飛車を動かす場所は主に3通りあり、いずれも将棋AIはマイナスの評価を下す。次々とタイトルを獲得していった藤井聡太七冠が居飛車しか指さないことも大きい。

だがこの1、2年で風向きが変わった。振り飛車復活の流れを作ったのは佐藤天彦九段だ。23年秋、振り飛車に転向。当初は苦戦したが、24年度はA級でトップを走った。

振り飛車再評価の背景には、AI研究合戦による居飛車同士の戦いの行き詰まり感がある。AIが示す有利な戦い方を暗記し、再現できるかが勝敗に直結する。佐藤九段は「AI研究は若さ、時間との親和性が高い」とも指摘。体力と時間を要する研究勝負は若手に有利な面がある。他方、振り飛車を指すようになったトップ棋士は30代半ばが目立つ。「30代には人間同士の中で得てきた戦い方の知恵のようなものがある」と佐藤九段。

タイトル戦では、23年度に振り飛車党の菅井竜也八段が藤井七冠に2度挑戦。藤井七冠は「振り飛車党でも佐藤九段と菅井八段では棋風が全く違う。対局者の個性が出やすい」と話す。

「最善」や「真理」の追究は将棋の醍醐味だが、試合の中で生まれるひらめきこそが楽しさにつながる。それはどんな分野にも通じる喜びだろう。AI研究の先端を行く将棋界での静かな変革は、人間とAIの関係を見つめ直す示唆に富む。

・・・大昔のプロ将棋は、相矢倉と振り飛車が二大戦法で、角換わりや相掛かり中心の現在とは、まさに今昔の感。それでもプロ棋士はともかく、アマでは振り飛車は今も人気戦法だ。相居飛車の戦いは定跡研究が高度に進み、一手一手の意味が難解なものになっているのに対して、振り飛車居飛車の対抗型は、攻めと守りの狙いが比較的分かりやすい。その辺が、アマに好まれるのだと思う。

振り飛車戦法は、実質的に美濃囲い戦法だろう(穴熊もありますが)。とにかく飛車をどかして、飛車のいた位置に王様を移して、銀を一手動かせば堅陣が出来上がる。飛車を動かす一手がAIには評価されないとしても、これはこれで合理的な戦法だと思う。指す人の個性が出やすいということは、つまり見ていて面白いということでもあるし、振り飛車党の棋士がタイトル戦にもっと登場することを望みます。

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2025年2月27日 (木)

将棋タイトル戦、多すぎ

将棋タイトル戦「叡王戦」の「消滅危機」について、以下にネット記事(アサ芸プラス)からメモする。

「リベンジ」と「八冠復帰」はならなかった。将棋の第10期叡王戦本戦トーナメント準決勝で、藤井聡太七冠が糸谷哲朗八段に100手で敗れ、失ったタイトルの奪還は来年以降に持ち越されることに。

相手棋士の研究が進み、最近の過密スケジュールが影響しているのか、かつての勢いに翳りが見えてきた藤井。そして再び「八冠」の称号をまとう可能性について「八冠は二度とない」という声が散見されるように。いったい、なぜなのか。 これには叡王戦の成り立ちを今一度、振り返る必要がある。

叡王戦は2016年にドワンゴ主催により、一般棋戦として第1期が開始され、2017年度の第3期からタイトル戦に昇格。主催が新聞社・通信社以外のタイトル戦は史上初で、契約金の額による序列は竜王戦・名人戦に次ぐ第3位となった。

ところが2020年に豊島将之九段が藤井を破ると、その直後にドワンゴが撤退を発表。第6期から不二家と日本将棋連盟の共同主催となった。

近年は藤井人気により叡王戦がクローズアップされるが、決勝に藤井の名前がなければ、話題性が失われるのは間違いなかろう。新規参入した不二家がいつまで将棋連盟と歩みをともにするか。あるいは他のオフィシャルスポンサーが一気に離れる可能性も否定できない。

「わりとマジで叡王戦が消滅しそう」という将棋ファンの杞憂が現実になれば、藤井は最初で最後の「八冠棋士」になるかもしれないのだ。

・・・自分のようなオールド将棋ファンからすると、将棋のタイトル戦は多すぎる。単純に考えると、一タイトルの番勝負に最長2ヵ月程度の期間が要るから、最大6タイトルで充分だと思う。オールドファンから見ると、叡王戦、何それって感じだから、特に続けなくてもいいよなあと思うし、「八冠」が一時の幻に終わっても、それはそれでいいかなあと思う。

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2023年7月 3日 (月)

杉本八段に学ぶ若手との向き合い方

いま「師匠」と言えばこの人。将棋棋士藤井聡太七冠の師匠、杉本昌隆八段。本日付日経新聞のインタビュー記事からメモする。

藤井七冠が小4、10歳で弟子入りした時、この子は手を加えすぎない方がいいだろうと思った。粗削りだが、序盤からじっくり考えるタイプで、対局ではよく持ち時間がなくなり逆転負けしていた。だからといって、早く指す癖をつけても、この子にとってはよいとは思えなかった。

藤井七冠はよく「AI(人工知能)時代の申し子」のように言われるが、小さい頃から自分の力で考え抜いてきたことが今の強さの礎になっている。

弟子が入門する際には、「将棋に関しては師匠も弟子もない。言いたいことがあれば、遠慮せず自由に言ってほしい」と伝えている。私は師匠としては関係重視型で、リーダーシップを持って弟子を引っ張っていくタイプではなかったので、物足りなく思う弟子もいたかもしれない。

(若い弟子とは)年々感覚は合わなくなる。自分の考えが正しいとは限らないし、自分の感覚が古くなっていることを前提に指導するようにしている。

とはいえ、弟子と向き合うには、自分も新しいことを吸収し続けなければいけない。40代、50代でも新しいことを知れば、変わることは可能だ。今はそれができる時代だ。

弟子を持つことは自分自身の強化にもなる。考え方が若くなり、新しいことを吸収しなければという気にさせられるからだ。新しいことに挑戦するのはつらいこともあるが、いくつになっても好奇心は持ち続けたい。好奇心があれば、弟子をはじめ若い人たちと良い関係を築くのに役立つ。自分自身のスキルを高めることにもつながる。

身近に若い世代がいるのはすばらしい環境だ。弟子たちに感謝している。

・・・若い世代との向き合い方について、杉本八段に学ぶところは大きい。藤井君のような天才ならば、師匠が誰であろうと育っちゃうとは思うのだが、それでも師匠が杉本八段だったからこそ、ここまで才能が大きく花開いたのかも、と思わせるお話だ。

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2023年6月 2日 (金)

藤井聡太、20歳の将棋名人誕生!

将棋の藤井聡太棋士が最年少の20歳で名人となったことを受けて、21歳名人の記録保持者である谷川浩司17世名人は、次のように述べた。「40年前の言葉をもう一度使わせていただくと、中原誠16世名人からお預かりした最年少名人の記録を、無事、藤井新名人にお渡しできた、という心境です」。

40年前の1983年、谷川が名人を奪取した相手は加藤一二三(現「ひふみん」笑)。その前年、加藤は中原誠を破って悲願の名人位に就いていたが、結果的には一年でその座を明け渡した。谷川は名人位が初タイトルで、まさに「光速」というか、名人一直線の道のりだった。中原の24歳名人の記録を更新した21歳の谷川名人は、「一年間、名人位を預からせてもらいます」と語った。この辺りが、今回のコメントに反映されているのかと。

谷川は翌年、名人位の防衛に成功。この時は「弱い名人から並みの名人になれました」というセリフを残している。そして次の年は、中原が名人戦の舞台に3年ぶり登場。谷川が敗北して中原の名人復位が実現した、という流れ。なので、もし中原が加藤に敗れていなかったら、つまり谷川の相手が中原だったら、21歳名人は生まれていただろうか、などとちょっと思ったりする。

でもとにかく40年間も破られなかった記録なので、それはそれで凄い。当時の名人位の重みは格別だった。今は竜王と名人は同格らしい(賞金の額という身も蓋もない話)ので、名人戦の方はとりあえず「伝統のある」とか形容されているが、オールドファンから見ればやっぱり将棋は名人だよな、竜王は十段(前身の棋戦)なんだから、とか思ったりする。

とにかく最年少名人、そして七冠を達成して、次は八冠というのは、もはや無敵の藤井君の既定路線としか思えない。まさに異次元の天才。全くもって「異次元」という言葉は、藤井君のためにある。

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2023年3月21日 (火)

瀬戸市に行く

今日は祝日、春分の日。藤井聡太六冠王誕生から二日後、天才棋士の地元である愛知県瀬戸市に出かけた。藤井君のタイトル戦の時に、いつもニュースに出てくる地元商店街を、一度は見学してみたいと思っていた。本日当地では、JR東海さわやかウォーキングも開催。愛知環状鉄道の瀬戸市駅でコースマップを貰って、商店街を目指して3キロ程歩いた。

写真は上から、地元信用金庫内にある藤井聡太応援コーナー。「銀座通り商店街」の垂れ幕と、シャッターの将棋盤面図。そして名鉄尾張瀬戸駅近くの「喫茶スマイル」。六冠王記念メニューの「六カップ盛り」というのは何だかよく分からないけど。「瀬戸焼そば」もちょっと気になったが、昼ごはんには早い時間だったので見送り。そのまま尾張瀬戸駅から、名古屋に引き揚げた。

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2023年3月19日 (日)

藤井聡太、20歳の将棋六冠王

渡辺明棋王に藤井聡太竜王が挑戦していた将棋棋王戦5番勝負第4局は、藤井竜王が勝利、3勝1敗でタイトルを奪取した。これで藤井竜王は、王位、叡王、王将、棋聖そして棋王の6つのタイトルを保持することになり、羽生善治九段が24歳で達成していた六冠王の座に、20歳で付くことになった。ただただ驚愕するしかないのだが、一方で当然の結果のようにも思えてしまう。

本日はNHK杯テレビ将棋トーナメントの決勝戦、藤井竜王対佐々木八段(収録時七段)戦も放映されたが、こちらも藤井が勝利して優勝達成という結果で、まさに藤井デー。

藤井竜王は来月4月、名人戦で渡辺名人に挑戦することが決まっている。現在、藤井竜王の強さは文字通り「無敵」と言うほかない。このまま名人も獲得して、七冠王になるのも既定路線としか思えない。えらいこっちゃー。でもやっぱり、当然そうなるという印象しかない。

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2022年3月12日 (土)

日本発プラモ縮尺の世界標準化

プラモデルの戦車1/35スケール、戦艦1/700スケールは、日本発の世界標準である。本日付日経新聞土曜版記事からメモする。

世界最初のプラモデルが英国のブランド、フロッグから発売されたのは1936年のこと。複葉戦闘機3機種がモデル化され、スケール(縮尺)は72分の1だった。72分の1に加え、一回り大きい48分の1はプラモデルの主流だ。これらスケールの源流はヤード・ポンド法。12進法と縁が深く、英米で広まった。

一方、初の国産プラモデルは58年にマルサン商店が発売した潜水艦、ノーチラス号など4点というのが定説だ。60年代初頭には田宮模型(現タミヤ)、長谷川製作所(現ハセガワ)、エルエスなど国内メーカーが市場に参入した。60年代初めの各社製品の多くは75分の1、50分の1などメートル法準拠で設計しやすい5の倍数の国内スケールで、国際的に無力だった。

ところがあるとき、後に世界標準となる縮尺が誕生した。田宮模型が61年末に発売した戦車シリーズで採用した35分の1である。タミヤ広報担当によれば、第1作の「ドイツ パンサータンク」発売時は35分の1を明確に意識していたわけではなく「車体に単2乾電池2本を収められるサイズがたまたま35分の1になった」のだという。

田宮模型は35分の1でモーターで動く戦車に加え、動かない装甲車や大小火砲、兵士のフィギュアを「ミリタリーミニチュア」として大々的にシリーズ化。70年代にかけ米欧に輸出攻勢をかけた。海外の博物館での実車取材に基づいた正確な設計や、国内外の他メーカーを寄せ付けない金型技術による精密再現に同社は力を込め、日米各社が32分の1や30分の1で出していた戦車模型を駆逐し、70年代初めには35分の1が国内外ともデファクトスタンダードとして確立した。

もう一つ、日本が生んだ国際的スケールに艦船模型の700分の1がある。71年に静岡県内に本社を置く田宮模型、長谷川製作所、青島文化教材社、フジミ模型が共同で始めた艦船モデル「ウォーターラインシリーズ」が源流だ。海外の戦闘艦も積極的にモデル化したところ、英のマッチボックスやアジアを中心とする多数の企業が追従した。

・・・70年代前半、中学生だった自分は「ミリタリーミニチュア」も「ウォーターライン」もよく作った。「ミリタリーミニチュア」は、精密な戦車模型をキレイに作るだけでなく、写真資料等を見ながら「汚し」塗装他の工夫を施して、いかにリアルに仕上げるかに苦心し、さらに兵士フィギュアも配置した戦場ジオラマを作るという楽しみを提供した。「ウォーターライン」は、静岡4社共同で連合艦隊を再現するという企画で、船底部分を省略した洋上模型というスタイルも当時は目新しかった覚えがある。700分の1というスケールは艦船模型としては小振りな感じもするが、連合艦隊の戦艦、空母、重巡など主力艦をコレクションする楽しみに重点を置いたスケールの設定だったと思われる。

70年代は確かにプラモデルに勢いがあった時代だと思う(石油ショックの影響はモロに受けたが)。その時代にたまたま居合わせた自分も、一端の「プラモ少年」となったわけだが、今の時代、現役の「プラモ少年」の姿は目立たない。日経記事冒頭にも「今では中高年の趣味となったプラモデル」とあり、元「プラモ少年」である「プラモ中高年」が、地道に作り続けている感じだろうか。自分はと言えば、元「プラモ少年」のままである。プラモ作りを復活したいとも思ってない。それでも「プラモ少年」だった記憶は、貴重なものだと感じられる。なぜなら、それは戦争を学ぶ機会だったからだ。当時の少年である我々にとって戦争は、プラモ、映画、マンガで学ぶものだったのだ。

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2021年9月14日 (火)

将棋タイトル戦に関する(昔)話

将棋の藤井君が三冠達成!
13日、豊島将之叡王に藤井聡太二冠が挑戦した叡王戦最終第5局は、藤井二冠が勝ち、19歳1ヵ月の最年少三冠が誕生した。

ところで小生は古い将棋ファンである。しかもしばらく関心を失っていた。しかし、これまでの天才とはそれこそ次元の違う感じがする藤井君の登場で、将棋への関心がじわじわと復活してきたところである。しかし今の将棋の戦法を見ると、主流は角換わりとか相掛かりとか、昔の矢倉や振り飛車とは様変わりであるのもちょっと戸惑いを感じたりする(汗)。そんな出戻り将棋界ウオッチャーにとって、新しい棋戦である叡王は格下のタイトルという印象で、三冠といっても名人や竜王が含まれていないのは、ちょっと物足りない印象もあった。

ところが改めて将棋のタイトル戦の序列(賞金によるランキング)を見直してみると、叡王は去年までは竜王、名人の次の3番目にあったとか。今年はスポンサーが変わって、序列は下がった(要するに賞金が減った)とのことだ。最新の序列は竜王、名人、王位、王座、棋王、叡王、王将、棋聖である。竜王は賞金額を公表していて4,400万円、以下は推定で名人3,000万円、王位1,000万円、王座800万円、棋王600万円、王将と棋聖は各300万円で、叡王の金額は棋王と王将(600万円と300万円)の間、らしい。(賞金額は、サイト「普及指導員きゃべ夫の将棋畑」による)

古い将棋ファンである自分は、タイトル戦の序列と言われて思い浮かぶのは、名人、王将、十段、王位、棋聖の5大タイトル、という感じになる。竜王戦は、主催の読売新聞が十段戦から発展させて賞金額一番のタイトル戦に仕立てたものだが、賞金額だけでタイトルの格を決めていいのだろうか、やっぱり将棋の最高位は名人でしょう、と思っちゃう・・・のは、古い将棋ファンの証ですかね。名人戦も昔、主催が朝日新聞から毎日新聞に移ったり、いろいろゴタゴタしてた時期がありました。結局今は朝日と毎日の共同主催になっている。まあ新聞社の経営も楽じゃないだろうし、よく今もスポンサーやってるなという感じもする。

それから今の序列で、あれっとか思うのは、王将位と棋聖位が下位にあること。いずれも伝統ある棋戦なのに。棋聖戦は、昔は夏と冬の2回やってた。「棋聖戦に名局多し」が、作家の山口瞳の持論だった。(一年1回の7番勝負と比較して)一年に2回、5番勝負というのは緊張感がある、と。また棋聖戦というと、新鋭棋士の登竜門というイメージがある。古くは中原誠や、屋敷伸之(藤井君に記録を破られるまでの連勝記録保持者)、そして藤井君の初タイトルも棋聖位。

さて、藤井君は竜王戦挑戦も決まっており、10月から豊島竜王と7番勝負を戦う。これで藤井VS豊島のタイトル戦は、王位戦(藤井4-1で終了)、叡王戦(藤井3-2で終了)、そして竜王戦と立て続けに3回実現。2021年の将棋界は、藤井VS豊島の頂上決戦の年として記憶されるだろう。

しかし今の藤井君の強さを見ていると、今年の竜王奪取、来年のA級順位戦昇格、再来年の名人挑戦そして獲得も、既に決まっているように見えてくるから恐ろしい・・・もう無敵としか思えないぞ。

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2021年2月12日 (金)

将棋・朝日杯2021年藤井二冠優勝

本日付朝日新聞記事から以下に引用。

第14回朝日杯将棋オープン戦(朝日新聞社主催)の準決勝と決勝が11日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで行われ、藤井聡太二冠(18)=王位・棋聖=が2年ぶり3度目の優勝を果たした。
朝日杯は持ち時間が各40分で、使い切ると1手1分未満で指す早指し戦。藤井二冠は午前の準決勝で渡辺明名人(36)=棋王・王将と合わせ三冠=と対戦し、終盤に敗勢から粘り強く指し続け、逆転勝ち。午後の決勝では三浦弘行九段(46)との激戦を制した。
準決勝・決勝は例年、ファンが観戦する公開対局として行われるが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大のため無観客となった。

・・・ということなのだが、協賛社に勤めている小生はなんとなんと、招待枠に参加希望して無観客の会場に出入りすることができたのだ。いやあ、定年後もこの会社にいて良かったなあと心の底から思った。(笑)

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当日は午前10時から、ホールのステージ上で準決勝2局が同時に対局開始。渡辺名人対藤井二冠と、三浦九段対西田拓也四段だが、やはり渡辺・藤井戦(写真は対局開始直後の様子)が事実上の決勝戦かなあと思っていた。戦型は渡辺・藤井が相掛かり、三浦・西田が居飛車穴熊対三間飛車。12時前、まず三浦が125手で勝利。渡辺・藤井戦は両者持ち時間を使い切った後、1分将棋が1時間以上も続く緊迫の展開。ほぼ無人のホールに、記録係の秒読みの声だけが流れる中、12時半頃、138手で藤井勝利の決着。

藤井対三浦の決勝は午後2時開始、後手番三浦の注文から横歩取りの激戦に。午後4時過ぎ、101手で藤井勝ち。朝日杯3度目の優勝を決めた。

会場内の大盤解説室ではアベマTVが中継する中、木村一基九段、杉本昌隆八段の解説や、大盤の前で各対局者を交えた感想戦なども直接見ることができたし、何だか夢みたいとしか言いようがない。とにかく将棋漬けの一日でした。

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2019年11月16日 (土)

囲碁棋士の小川誠子さん死亡

今朝、新聞の死亡欄で小川誠子さんの名前が目に入り驚いた。僕は将棋は分かるが囲碁は分からない。それでも女流棋士の草分けといえば、将棋は蛸島彰子さん、囲碁は小川誠子さんと承知はしていたわけで、女流棋士の活躍という点では、囲碁は将棋よりも先行していた印象がある。

先年、蛸島さんが棋士を引退された時は、オールド将棋ファンの僕も感慨めいた気持ちを抱いたのだが、まさか小川さんが引退を通り越していきなり亡くなるとは思いもよらないことで、囲碁が分からない自分の心の中にも寂しさが静かに広がっていった。

小川さんに限らず、自分が若年の時に各分野の第一線で活躍していた方々が亡くなるのを見るのは、やはり哀しいとしか言いようがない。

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