2026年7月23日 (木)

「火の鳥」に見る「手塚ペシミズム」

昨日22日付日経新聞のコラム「大機小機」(「火の鳥」が問うAI時代)から、以下にメモする。

漫画の神様・手塚治虫の不朽の名作「火の鳥 未来編」が静かに再評価されている。AI(人工知能)や量子に代表される革新的技術が急速に進歩する中、「火の鳥」が、人間とは何か、幸せとは何かという本質的な問いを投げかけているからであろう。

物語では、国家は高度に進化したコンピューター(AI)によって統治される。人間はあらゆる判断をAIに委ねるようになる。そして、AI同士の判断によって全面戦争に突入し、超水爆によって人類は滅亡する。主人公だけは世界で唯一、永遠の命を授かる。人類滅亡後、数十億年にも及ぶ孤独な時を生き続け、新たな生命と文明の誕生を見届けるという過酷な宿命を背負うのである。

漫画の連載開始は1967年、今から約60年前である。にもかかわらず、その壮大な構想と現代にも通じる普遍的なテーマは、今なお色あせることがない。AIが人類を滅亡に導くという設定も単なる漫画の世界のこととして片付けることはできない。人類滅亡は極端な最悪シナリオだが、私たちが直視すべきは社会が現実に直面しているリスクである。誤情報や誤判断、権利侵害、サイバーセキュリティー、雇用の不安定化、格差の拡大、電力消費の急増、民主主義の後退、さらには軍拡競争など、論点は多岐にわたる。

AIのリスクをいかに管理するのか。何をAIに委ね、何を人間が担い続けるのか。そして、AIといかに共生していくのか。AIガバナンスの確立は、国家、企業、投資家、そして私たち一人ひとりに課せられた時代の責務である。

・・・「火の鳥」は昔、若い頃に読んだ。「未来編」を読み終わった時、頭がぼーっとして熱っぽくなったのを覚えている。何しろスケールが余りに壮大だし、何より永遠に生きるとはこんなにも恐ろしいことなのだと思わされた(宗教は気軽に「永遠」を語るけどね)。そして、この物語の根底にある、いわば「人類やり直しの思想」には心が静かに震える感覚があった。

人類は野生動物からやり直すべきだという思想は、「バンパイヤ」の中でも、登場人物の熱海教授の話として出てくる。「ワンダー3」も、人類の存在意義が認められないと判断されれば、反陽子爆弾で地球を吹っ飛ばすという話だったかと思う。自分は、手塚治虫は天才だと認めるのに吝かではないけれど、その一方でおそらく作家自身の戦争体験から来るであろう、人類の存在に対する絶望的な懐疑、この「手塚ペシミズム」ともいえる感覚からは、素直に手塚作品は好きだと言えない感じもしている。

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2026年6月 8日 (月)

文久三年、姉小路公知の暗殺

泰三子(やすみこ)の幕末マンガ『だんドーン』の単行本が出ると読んでいる。先月出た最新第11巻は、文久三年八月十八日の政変を描き、新選組と徳川慶喜も登場。それ以上に印象的なのが、政変の3ヵ月前に起きた尊王攘夷派の公家、姉小路公知(あねがこうじきんとも)の暗殺事件。マンガの中で「世に言う朔平門外の変」と説明されるが、正直知らなかった(苦笑)。で、どういう事件か。別の本の説明からメモする。

姉小路公知は、朝廷の尊王攘夷活動の中心的存在であった。彼は賊から襲撃を受けながら、敵の刀を奪い、自邸まで戻ったものの、被った傷は深く命を落としてしまう。その後の調べにより、この刀は「人斬り新兵衛」こと薩摩藩士田中新兵衛のものとわかったが、捕縛された田中は、刀は自分のものであるとは認めたものの、暗殺事件への関与は認めないまま自害して果ててしまった。この事件をきっかけに、薩摩藩は御所の警護の役を解任されてしまう。尊王攘夷派が勢力を高めているさなかに何故、姉小路公知は暗殺されたのか。勢いづいた尊王攘夷派が公武合体派の薩摩藩を陥れた陰謀説、姉小路公知が尊王攘夷から開国へと方針を切り替えたため天誅として処罰されたという説、また、真に薩摩藩が尊王攘夷派のこれ以上の台頭を抑えるために暗殺を起こしたという説など、さまざまな理由が取沙汰されたが、肝心の容疑者田中新兵衛が多くを語らず自害してしまったがために真相は不明のままとなってしまった。(『読む年表 幕末暦』じっぴコンパクト新書、2010年)

・・・マンガでは、姉小路公知の思想転換を想定しながら、田中新兵衛の心理と行動も描き出す。幕末は、こういう謎の暗殺事件が頻発するから、いやーな感じがして好きになれない時代だな。『だんドーン』は「幕末コメディ」と銘打ってはいるのだが、全然シリアスなマンガという印象で、それは描いている幕末という時代のせいでもあるように思う。しかしマンガ家さんは恐ろしく勉強してるし、そこからまたストーリー作って画を描くというのは驚異的な才能だ。とにかく、『だんドーン』は勉強になります。最近の大河ドラマよりも、歴史を学べる感じがします。

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2025年6月 1日 (日)

幕末は「意味わかんねー」のだ

薩摩藩中心に幕末の動乱を描くマンガ『だんドーン』(泰三子・作、モーニングKC)、コミックスでは作者からの感想的解説が所々に差し挟まれている。最新刊第7巻では、読者から登場人物の行動の「意味わかんねーよ」との声が上がるであろうことについて、作者が思うところを述べているので、以下にメモする。

わかります。幕末史複雑すぎて、何が起こっているかわからなくなりますよね。

まず、幕末を生きていた当の本人達も、当時の目まぐるしく変わる情勢に「意味わかんねーよ」と言っています。また、現代において幕末史研究の最前線にいらっしゃる先生方も口を揃えて「幕末、意味わかんねーよ」とおっしゃっています。よって、本作を読んで「意味わかんねーよ」になるのは決して私の技量のせいではなく、幕末ものの作品を読んだ正しい感想になります。

「この後なんやかんやあって倒幕する」ってとこだけ押さえていただければ大丈夫ですので、本作を見捨てずに引き続きお読み進めいただきますよう、よろしくお願いいたします。

・・・思うに、幕末は何かヒステリックな時代というか、若い人がたくさん犬死するイヤな時代というか、とにかく勢いの赴くまま動いていくという感じ。革命とはそういうものなのかも知れないが(フランス革命も相当ヒステリック)、当事者たちが「意味わかんねーよ」だったとしたら、後の時代の人は余計に「意味わかんねーよ」になるしかない(苦笑)。とにかく「意味わかんねーよ」で大丈夫、ということなので、ワタクシも引き続き読み進めたいと思います。聞くところでは、西南戦争までは描くらしいので、まだ先は長いですね。

ところでこのマンガ、「幕末コメディ」と銘打ってはいるのだが、内容は相当シリアスで、時に胸苦しくなるような場面も少なくない。やっぱり幕末とは、そういう時代なんだな。

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2025年2月 4日 (火)

「怪盗エロイカ」はロック・スター

青池保子の「エロイカより愛をこめて」は、名作マンガとしての地位を不動のものにしていると思われる。その主人公、「怪盗エロイカ」こと「ドリアン・レッド・グローリア伯爵」のモデルは、ロックバンド、レッド・ツェッペリンのボーカリストであるロバート・プラントであることは、周知の事実。『青池保子『エロイカより愛をこめて』の世界』(平凡社)の中で、音楽評論家の東郷かおる子の語るところをメモする。

当時の少女漫画誌の巻末には、漫画家の近況報告が掲載されていたのですが、そこにロック・ミュージシャンがよく登場し、「少女漫画家たちもロックが好きなのね」とは思っていました。また、萩尾望都さん、大島弓子さん、木原敏江さんといった少女漫画家が、自分の作品にちょこちょこキャラクターとして、クイーンのフレディ・マーキュリーやデヴィッド・ボウイを登場させていたのも面白かった。それでも、青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』には驚きましたね。主人公の伯爵の姿は、レッド・ツェッペリンのボーカリスト、ロバート・プラントそのものでしたから!

ロバート・プラントは、ゴージャスな金髪巻き毛の長身ハンサムで、実に美しい。「70年代を代表するセックス・シンボル」とも称されています。でも、「少女漫画から抜け出たよう」というには、ライオンのように力強くシャウトし、野性的で男っぽい。そんなワイルドなロック・スターを少女漫画の主人公に仕立てたところは、「少女漫画の枠を超えた硬派」で知られる青池保子さんの面目躍如といったところでしょうか。

・・・確かに、少女マンガのキャラとしては、クイーンのメンバーの方がそれらしい感じはするのだが、やはりロバート・プラントはあの金髪巻き毛のゴージャスな感じが「伯爵」に相応しい、ということだろうか。「エロイカ」には、レッド・ツェッペリンのギタリストであるジミー・ペイジも、ケチと噂された性格が極端化されて登場、「ドケチ虫」と呼ばれて笑いを取るキャラになっている。また、ツェッペリン後期の名曲「アキレス最後の戦い」のタイトルを冠したストーリーもある。などなど、自分のような70年代ティーンエイジャーには共感するところ大なのだが、それでも少女マンガ家がクイーンじゃなくて、ゼップなのかあ~という驚きも感じるところだ。

ロックだけではない。戦車や戦闘機などのメカ、「パンツァーリート」(戦車隊の歌)とか、ミリタリー関連のネタも出てくる。そもそも、お話のベースはスパイ・アクション物である。という具合に、男子の関心も引き付ける「エロイカ」は、よく言われるように「少女マンガの枠を超えた」作品であると思う。

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2025年1月20日 (月)

「孤独のグルメ博」

マンガ「孤独のグルメ」の原画などを展示する「孤独のグルメ博」、本日が最終日ということで足を運んだ。場所は渋谷パルコの地下にあるギャラリー。

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「孤独のグルメ」(原作・久住昌之、作画・谷口ジロー)は、1994年から1996年まで「月刊PANJA」で連載。単行本化、さらに文庫化でじわじわと支持拡大。2008年以降は「週刊SPA!」で不定期掲載。2012年にテレビドラマになり、シリーズ化。この1月には映画版も公開された。

マンガは、「ひとりメシ」する時の期待や満足感、当てが外れた時などに生まれる、さざ波のような心情を中心に描かれていて、よく出来た短編小説のような読後感を残す。

原画を見ると、やはり谷口ジローの作画力が驚異的。もはや芸術的とも言える細かいディテールの積み重ねが、物語のリアリティを支えていると実感する。谷口ジローの画は、フランスで人気があると聞くが、やはりその芸術性ゆえだろうか。

ドラマは韓国でも人気とのことだが、実際、会場で韓国語で話す中年男二人を目撃しました。

マンガの井之頭五郎はちょっとハードボイルドな印象もあるので、ドラマで演じる松重豊の少し飄々とした感じとは違うなぁ。まあとにかく自分は、「孤独のグルメ」のマンガとドラマは別物だと思っている。

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2024年8月13日 (火)

ブラック・ジャック展

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現在、名古屋の中日ホール(中日ビル6F)で、「ブラック・ジャック展」開催中(8月26日まで、写真は中日ビル地下一階に設けられたフォト・スポット)。東京では昨年秋にやったようだ。昨年2023年は、ブラック・ジャックの連載開始から50周年だった。50年、驚くばかりだ。自分は当時中学生として、この世にいたわけだから、その時から50年も経ったのかと、ただただ驚くしかない。

この機会にと思い立って、ブラック・ジャック全作品(全17巻版)を購入して、読んでいるところ。思い出せば、自分がブラック・ジャックの話で初めて読んだのは、「その子を殺すな!」。超能力者とブラック・ジャックが対決する話だ。これは何しろ「無頭児」の印象が強烈で、何だこのマンガは?という感じだった。ジャンルとして、コミックスのカバーには最初「恐怖コミックス」と印刷されていた覚えがある。それが後に「ヒューマンコミックス」に変わったわけだが、改めて読み返してみると、最初の頃は不気味な話も少なくない。マスコット的な存在であるピノコも、そもそもフランケンシュタイン的な人造人間であるわけだし。不気味だあ。

登場するキャラクターの中で、自分が好きなのはドクター・キリコ。そんなにたくさん出てくるわけではないが、安楽死の専門家として、明らかにブラック・ジャックとはコインの表裏をなす存在。実際に起きる「安楽死」事件(最近では、京都のALS患者殺人)でも、しばしば実行者は「キリコ」を引き合いに出しているくらい、隠れた影響力を感じさせるキャラクターだ。

今回、展覧会を見て、読み切りマンガを毎週連載するというのは、途方もないことだと思ったし、とにかくこんなにも多くの様々なストーリーを生み出す、描き出す能力は驚異的というほかないし、改めてこれ程少年マンガのツボを心得たマンガ家はいないと思った。なので、手塚治虫は天才であると認めるのは吝かではないのだが、しかし好きかと言われるとそうでもないな~という感じ。自分はやっぱり手塚治虫の根本には、深いペシミズムがあると感じていて、火の鳥の未来篇、そしてバンパイヤという作品から、「人類はやり直さないとダメなのではないか」という深い懐疑を受け取った覚えがある。そのぺシミズムは、昭和ヒトケタ生まれ(自分の親世代である)の手塚の戦争体験から来ていると、思われるのである。

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2023年12月31日 (日)

家族の維持という「任務」

映画「SPY×FAMILY」を観た。テレビアニメ(マンガ原作・遠藤達哉)放映中作品の「劇場版」であり、ストーリーもスピンオフ的な映画用オリジナル。

このマンガの基本設定は、スパイのロイドと殺し屋のヨル、そして人の心が読める超能力者アーニャが自分の正体を隠すため、それぞれ「父」「母」「娘」として、世を忍ぶ仮初めの家族を作り生活するというもの。特にロイドにとってフォージャー家は、自分のミッションを達成するために必要不可欠な、何が何でも維持するべき「家族」。映画の前半はフォージャー家の「家族旅行」という感じで割と穏やかに進んでいくが、後半になると怒涛の急展開。アクションとスペクタクル満載、ロイドさんもヨルさんも超人的な能力を発揮する大活劇になっていて、さすがに映画だわーと感心した。しかし、こんな突拍子もない非日常的な経験をした夫婦なら、お互いただ者ではないと気づきそうなものだが。(笑)

この人気マンガについて評論家の宇野常寛は、「全力で家族を演じ、維持しなければいけない」という物語が支持されているのは、多くの人にとって、「戦後的な核家族の幸福のフォーマット」が、「渇望しているけれど手に入らない憧憬の対象になっているからではないか」(『2020年代の想像力』ハヤカワ新書)と評しているのだが、ちょっと考え過ぎかなという感じもする。

昔だったらこのマンガは、父であるロイドさんだけが自分の正体がバレないように、ジタバタする設定になるのではないか。それが父母娘の3人ともジタバタするのが、今風だなと思えるところだ。なので「核家族の幸福」にフォーカスしてるとは思えなくて、やはり家族全員が特殊な人物でありながら、普通の家族を結構一杯一杯で演じている、というのが共感を呼ぶポイントではないか。つまり今は誰もが、家族の一員を演じているという意識を、多かれ少なかれ持っているのだと思う。それは言い換えれば、個人の中に家族というものに対する距離感が多かれ少なかれあり、そこから家族を機能させるためには演じることが必要だという意識が生まれる、ということなのだろう。あるいは今の多くの人にとって、家族を維持するのは「任務」になっている、ということなのかもしれない。

さて、最終的にロイドさんのミッションが達成されて完了した時、フォージャー家はどうなるのだろうか。目標を達成したから「解散」となるのか、それとも仲良し家族として「継続」していくのか。まあミッション達成まで、まだまだ先は長いと思うけど。

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2023年11月26日 (日)

フリーレンとクラフトの対話

現在アニメ放映中のファンタジー『葬送のフリーレン』。その原作マンガ第3巻「第24話エルフの願望」から、主人公の魔法使いフリーレンと、武道僧(モンク)であるクラフトの対話。二人は、人間より遥かに長命なエルフという種族である。

フリーレン:クラフトはどうして女神様を信じているの?
クラフト:フリーレンは信じていないんだな。
フリーレン:天地創造の女神様は、神話の時代を除いて、この世界の長い歴史の中で実際に姿を現したことは一度もない。
クラフト:若いな。俺も昔はそうだった。だが今は心の底から女神様を信じている。いや、いてくれなきゃ困るんだよ。俺の成してきた偉業も正義も、知っている奴は皆死に絶えた。だから俺は死んだら天国で女神様に褒めて貰うんだ。よく頑張ったクラフト。お前の人生は素晴らしいものだったってな。わかるだろう。フリーレン。自分の生きてきた軌跡が誰にも覚えられちゃいないってのはあまりにも酷だ。俺達は長い人生を歩んでここにいるんだぜ。
フリーレン:クラフト。それはただのわたしたちエルフの願望だ。
クラフト:そうだな。

・・・確かに、自分だけ長生きしていると、自分を知っている人はどんどん死んでいなくなってしまう。だろうから、自分のやってきたことを知っている人がいないというのは、それはそれは寂しいものになるというのも想像できる。他者に自分の存在を認めてもらわずには生きていけない人間は、根本的に社会的存在であるのだろうが、エルフも基本的には人間と同じらしい。

クラフトの切実な思いについて、フリーレンは冷静に、それはただの願望だと告げる。つまり、いるかいないか分からない女神様に褒められることは期待していない。潔いと言うべきか。

ただ考えてみると、これは別に長命のエルフだけの思いではなく、短い生の人間でも同じような感覚はあるはずだ。自分の人生には、自分しか知らない、経験してない、味わっていない苦楽が、うんざりする程あって、それらはどう説明してみても、他人には共感できない、理解できないものであるだろう。自分の人生の行程の細部まで、誰かが認めて褒めてくれることは、現実には殆ど期待できない。仮に親だけが褒めてくれる人だとしても、通常は先に死んでしまうので、褒めてくれる人がいなくなった後も、生き続けていくしかない。それこそただの願望として言うなら、死んでからあの世で親に褒めてもらいたいと望むほかない。

これまで地球上に人類が何百億人生きていたのか知らないが、ほぼ100%に近い人々は忘れ去られているわけで、結局覚えている人はいない、いなくなるという前提で、誰もが自分の人生を生きなければならないのだろうと思う。

ところで、フリーレンの物語に出てくる、創造主が女神様であるというのは、当然キリスト教とは違うし、どっから来た話なのかなあと思う。それから、物語の中に結構ドイツ語が散りばめられているのだが、中世風ファンタジーというのは、やっぱりドイツっぽい雰囲気を纏うものなのかなあとも思ったりする。

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2023年10月29日 (日)

「関ヶ原」と「ドイツ三十年戦争」

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戦国マンガ『センゴク』で知られるマンガ家・宮下英樹の最近作の単行本『大乱関ヶ原』(第2巻)と『神聖ローマ帝国三十年戦争』(第1巻)が出た。

関ヶ原合戦は言うまでもなく、1600年に起きた「天下分け目の戦い」。三十年戦争は、1618年に当時の神聖ローマ帝国(ほぼドイツ)で始まり、ヨーロッパ各国を巻き込みながら1648年まで続いた大戦争。

関ヶ原合戦は最近急速に研究が進んでいる。徳川家康が天下を取った戦いというよりも、1598年に豊臣秀吉が死んだ後、豊臣政権内で2年余り続いた権力闘争の最終決着の戦いと考えられている。

三十年戦争の源は、戦争開始から更に100年前に遡る。1517年ルターの宗教改革に始まる、カトリックとプロテスタントの争いが背景になっている。1555年のアウクスブルクの和議でいったん小康状態となったが、1618年にボヘミアから戦火が広がり、ドイツ国内だけでなく、スウェーデンやフランスなども巻き込む大戦争に発展した。1648年にウェストファリア条約締結で戦争終結、これにより教科書的に言えば、主権国家体制が確立したとされる。

1517年に宗教改革が始まり、それが130年後の主権国家体制確立に帰結するプロセスには、まさに歴史のダイナミズムを感じる。日本でも、応仁の乱(1467年)から130年後の関ヶ原合戦が戦国時代の総決算になったのを見ると、歴史的な混乱から新しい秩序が作られるまでは100年以上かかるのだな、と思う。

「三十年戦争」単行本の帯には「ヨーロッパの戦国」の惹句があり、発行会社は別である「関ヶ原」単行本の帯にも「三十年戦争」が広告されている。関ヶ原はともかく、三十年戦争は馴染みのない人が多いだろうから、「関ヶ原」を買った人が「三十年戦争」にも興味を持ってくれるといいなと思う。いずれにしても、日本とヨーロッパの歴史的な時代の転換点を描く二つの宮下作品に、とても期待している。ただ「関ヶ原」は月刊誌連載、「三十年戦争」は隔月刊誌連載で、特に「三十年戦争」は完結までに何年もかかりそうだなあ・・・。

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2023年10月28日 (土)

西南戦争がマンガになる(予定)

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「交番女子」の警察マンガ『ハコヅメ』の作者・泰三子(やす・みこ)の歴史マンガ『だんドーン』単行本第1巻(講談社)が出た。扱う時代は幕末で主人公は川路利良(かわじ・としよし)。・・・って誰?という感じだが、日本警察の礎を築いた人だという。とりあえず「警察つながり」で、謳い文句は「本格幕末コメディ」の新作らしいのだが、「日経ビジネス電子版」のインタビュー記事を読んでみると、西郷隆盛の人物像を見直すとか、桜田門外の変や西南戦争を新たな視点で描く予定など、むしろ「本格幕末ドラマ」になりそうな感じもある。記事の泰発言から、西南戦争に係る部分をメモする。

私は「西南戦争をマンガで描きたい」気持ちをずっと持っていたんです。西南戦争は西郷(隆盛)と大久保(利通)の戦争、と見せかけて、あれは中村半次郎(桐野利秋)と川路利良の代理戦争だった、という声もあるじゃないですか。この2人を描いていくと、当時の人たちがどうして西南戦争に進んでいったかというのを、自分なりの解釈で分かりやすく描けるかなと。

(「戊辰戦争で幕末終了」感はあるのかもしれないが、)会津戦争(1868)からの西南戦争(1877)を描いてこそ、本当の幕末史じゃないですか。会津戦争で会津が薩摩らの新政府軍にどんな目に遭わされて、その9年後の西南戦争で、会津軍の将たちがどういう活躍をして、どういうふうにいわれてきたか。会津の人たちの魂について触れるには西南戦争まで描かないとだめで・・・。

熊本城を守り抜いた谷干城(たに・たてき、土佐藩出身)がいるじゃないですか。谷干城は会津の戦いの中で山川浩を知って、軍にスカウトするんですよ。その山川が自分を見込んでくれたかつての敵、谷の救援のために、一番乗りで熊本城に入城を果たすという。「めちゃくちゃ胸熱展開なのに、誰かマンガにしていないの」と。新撰組がお好きなら、斎藤一も出てくるのに・・・。彼は川路の下で警察官になって「抜刀隊」という、西南戦争の勝敗を分けた隊に入っているんです。いや本当に楽しみだな、西南戦争を描くのが。

・・・最近自分も、なぜか西南戦争への関心が軽く盛り上がっていて、今年の春に田原坂周辺を歩いてみたし、熊本城天守が戦闘直前に焼失した謎も気になっているので、いま西南戦争を描くというマンガ家さんが出てきたことに大変驚きかつ頼もしく思っているし、西南戦争のマンガを読むのが本当に楽しみです。

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