ブラック・ジャック展
現在、名古屋の中日ホール(中日ビル6F)で、「ブラック・ジャック展」開催中(8月26日まで、写真は中日ビル地下一階に設けられたフォト・スポット)。東京では昨年秋にやったようだ。昨年2023年は、ブラック・ジャックの連載開始から50周年だった。50年、驚くばかりだ。自分は当時中学生として、この世にいたわけだから、その時から50年も経ったのかと、ただただ驚くしかない。
この機会にと思い立って、ブラック・ジャック全作品(全17巻版)を購入して、読んでいるところ。思い出せば、自分がブラック・ジャックの話で初めて読んだのは、「その子を殺すな!」。超能力者とブラック・ジャックが対決する話だ。これは何しろ「無頭児」の印象が強烈で、何だこのマンガは?という感じだった。ジャンルとして、コミックスのカバーには最初「恐怖コミックス」と印刷されていた覚えがある。それが後に「ヒューマンコミックス」に変わったわけだが、改めて読み返してみると、最初の頃は不気味な話も少なくない。マスコット的な存在であるピノコも、そもそもフランケンシュタイン的な人造人間であるわけだし。不気味だあ。
登場するキャラクターの中で、自分が好きなのはドクター・キリコ。そんなにたくさん出てくるわけではないが、安楽死の専門家として、明らかにブラック・ジャックとはコインの表裏をなす存在。実際に起きる「安楽死」事件(最近では、京都のALS患者殺人)でも、しばしば実行者は「キリコ」を引き合いに出しているくらい、隠れた影響力を感じさせるキャラクターだ。
今回、展覧会を見て、読み切りマンガを毎週連載するというのは、途方もないことだと思ったし、とにかくこんなにも多くの様々なストーリーを生み出す、描き出す能力は驚異的というほかないし、改めてこれ程少年マンガのツボを心得たマンガ家はいないと思った。なので、手塚治虫は天才であると認めるのは吝かではないのだが、しかし好きかと言われるとそうでもないな~という感じ。自分はやっぱり手塚治虫の根本には、深いペシミズムがあると感じていて、火の鳥の未来篇、そしてバンパイヤという作品から、「人類はやり直さないとダメなのではないか」という深い懐疑を受け取った覚えがある。そのぺシミズムは、昭和ヒトケタ生まれ(自分の親世代である)の手塚の戦争体験から来ていると、思われるのである。
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