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2026年9月24日 (木)

津田左右吉の「災難」

21日付日経新聞コラム記事「昭和史スケッチブック」から、以下にメモする。

東京帝大のその教室には、70人ほどがつめかけていた。1939年12月4日。同年の秋から始まった、津田左右吉による特別講義の最終回である。思想史家として名高いこの早稲田大教授の、異例の東大出講だった。

「これで私の講義を終わります」。事件が起きたのは、津田がこう結んで頭を下げたときである。「質問!」「質問があります」。教室のあちこちから手が挙がり、指された相手は演説口調で津田をなじり始めた。古事記や日本書紀に記された事象が、史実ではなく後世に編まれた物語であると唱えてきた津田への、右派勢力からの計画的な攻撃だった。

津田は以前から記紀批判を展開していた。神話と史実との峻別はアカデミズムの常識だったが、東大への出講を機に反発が強まったのである。神武天皇が紀元前660年に即位してから2600年という節目の国家イベントが翌年に迫っていた。

年が明けるや津田は早大教授を辞任させられる。2月には「古事記及び日本書紀の研究」など4冊が発禁処分となり、さらに3月8日、版元の岩波書店店主、岩波茂雄とともに出版法違反で起訴された。一審判決は津田が禁錮3月、岩波が同2月、いずれも執行猶予2年。44年11月、控訴審の途中で時効により免訴。やがて「神国日本」は敗戦を迎えた。

戦後80年余。時代はすっかり変わったが、ときに、物語と史実の混交が顔を出す。「2600年以上に及ぶ皇室の伝統」といった言葉を、いまも聞くのである。

・・・1935年の美濃部達吉への攻撃(天皇機関説問題)に続き、右翼は津田左右吉を標的とした。昭和10年代の日本を覆う暗雲が感じられる。100年近く経った今も、「2600年以上に及ぶ皇室の伝統」を高らかに謳う政治家がいる。何だかなあである。

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