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2026年9月27日 (日)

国民の「総意」とは

憲法第1条には、天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、とある。国民の「総意」が意味するものとは何か。9月25日付朝日新聞、憲法学者・西村裕一氏のインタビュー記事からメモする。

憲法学の通説によれば、天皇の地位が国民の「総意」に基づくとする1条の趣旨は、天皇の地位の根拠は神勅ではなく国民の意思にあり、天皇制を維持するか廃止するかも、国民の意思にかかっているという点にあります。

国民の「総意」に問われているのは、女性差別をはじめとする様々な差別を内包させた天皇制というシステムを、これ以上存続させるかどうかのはずです。

日本国憲法は、「戦争の惨禍」を引き起こした旧支配者に対して、新しい主権者となった国民が「押しつけた」文書であるという側面を持っています。憲法の冒頭に天皇と戦争放棄が置かれたのは、そのような憲法の性格を示しているとも言えるでしょう。

憲法第1条が、天皇に象徴として生きることを強いているのも、昭和天皇の戦争責任が免責された代償であると考えれば理解できます。しかし、昭和天皇が非人間的な生を強いられるのはいざ知らず、その孫やそれ以降の世代にまで、そのような犠牲を「押しつける」ことが許されるのかどうか。「日本国民の総意」に問われているのは、この点なのではないでしょうか。

・・・日本国憲法は、主権者である国民が、旧支配者に「押しつけた」憲法である、という理屈は初めて目にした。そういうロジックも成り立つのかもしれないが、ふつうはアメリカが押しつけた憲法として理解されているように思う。

それはともかくとして、象徴天皇制は、昭和天皇が戦争責任を免責された代償、という見方にはちょっと考えさせられた。嫌な言い方をすれば、戦争責任を問われない代わりに、昭和天皇は不自由な生という罰を与えられたのではないか。象徴という役割の裏側に、戦争責任の免罪符が張り付いている感じ。しかしそう考えると、昭和天皇の死と共に、象徴天皇制も実質的に終わったことになる。

昭和天皇の次の天皇は、自らが信じる「象徴」の役割を、皇后と共に実行した。戦没者慰霊の旅を続け、大きな災害が起きれば、現地に赴き被災者に寄り添い励ました。そして自ら作り上げた象徴の内実、その勤めを果たせなくなったと自覚した時に退位した。さて今後も、戦没者慰霊や被災者に寄り添い続けることが、象徴天皇の勤めなのか? 象徴以外に天皇の役割はあるのか? 無いとしたら?

今も天皇家は存続している。しかし皇室のことは、国民にとってほぼ他人事である。象徴天皇制は形骸化して無いに近い。しかしこちらは他人事であってはならない。憲法に、天皇の地位は「国民の総意」に基づくと書いてあるのだから。天皇制を止めるなら止めると、はっきり決めないといけない。それが主権者である、ということなのだから。

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2026年9月26日 (土)

憲法1条改正(上野千鶴子)

社会学者の上野千鶴子は、人々の天皇制に対する関心が薄れ、やがて「制度としてフェードアウトしていけばいい」と思ってきたという。しかし、今回の皇室典範改正に係る政治の動きは酷いと見て、最近の雑誌論文で「憲法改正は第1条から」という提言を行った。以下に、9月25日付朝日新聞掲載のインタビュー記事からメモする。

象徴天皇制に幕を引こうという提案です。なので、第1条を中心にした憲法改正が必要になります。実現したら、日本は立憲君主制の国ではなく共和制の国になります。もし文化と伝統が大事なら、「文化財天皇制」に変えればいいのではないでしょうか。皇室には無形文化財として、家元制度に似た形で民間にお残りいただけばよいでしょう。

天皇制は、国民の間に出自によって身分格差を設ける仕組みであり、憲法が定める平等の原則に反しています。権威主義の源泉であり、「家制度」そのものです。加えて、象徴天皇制は皇族や天皇の人権を無視した非人間的な制度でもあります。職業選択の自由も移動の自由もない。

(フェミニズムにとって天皇制は)男尊女卑の家父長制の権化です。まさに性差別的な制度です。男系男子で継承される天皇を支持する人たちは、性差別を維持したいのでしょう。

・・・上野先生は当然、共和制への移行は簡単ではないと分かってはいるが、それでもやはり正論を言うことが大事だと語る。フェミニズムの観点の是非はともかく、現実に社会を動かす可能性は小さいとしても正論は言っておかねばならぬ、という姿勢は共感します。

結局、象徴天皇制は天皇制を形骸化した。というか、もともと象徴天皇制の内実は無かったとも言える。「象徴」の内実については、現上皇が真摯に取り組んできたことだが、それを継承する必要はあるのか疑問。近代天皇制は良くも悪くも、その役割を終えたように思う。もう天皇制ははっきり止めにして、天皇家は京都にお帰り頂く、ということでよろしいのではないか。

そもそも憲法1条は日本統治のための天皇制存続、9条は武装解除、いずれも当時のアメリカの都合が反映された条文だ。なので憲法を改正するなら、1条と9条セットでやるべきだと思う。なのにいつも9条ばかり騒がれる。

第二次世界大戦の終了直後、イタリアは国民投票で王制を廃止して共和制にした。彼我の戦後の状況は相当異なるにしても、それだけ見ると、自分たちで政体を決めたイタリアを羨ましく思う。

今やるべきは、皇室典範に関する技術的な議論よりも、天皇制存続の是非を問う国民投票だと思う。まずやらないだろうけど。

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2026年9月25日 (金)

「男系男子」は金科玉条?

「文藝春秋」10月号は、継体天皇を研究する日本史学者二人(水谷千秋、河内春人)の対談記事を掲載。以下にメモする。

水谷:継体天皇への注目は皇室典範改正の影響です。しかし、現行の皇室典範が皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子たる皇族」に限定しているのを、古来の伝統によるものと勘違いしている政治家が多いですね。

河内:男系男子の明文化は、明治22年制定の旧皇室典範が最初です。古代から続く伝統ではありませんよね。

水谷:女帝は推古天皇以後、8人10代も実在します。ただ、女系の皇位継承がなかったのは事実です。しかし女系の血統が軽視されていたとは言えない。大名家でも商家でも、娘婿や養子を迎えて、「家」をつないできました。天皇家だけ、父から息子への男系血統で規定するのは無理があります。

河内:血がつながっていなくても、跡継ぎがいれば家は続いた。男系男子にこだわる考え方は、日本における系譜継承の歴史から見ても、かなり特殊ですね。

水谷:自民党の小林鷹之政調会長が「皇位の男系継承は、2600年以上にわたって先人が守り抜いてきた皇室の伝統」と発言しました。背景にあるのは、「神武以来例外なし」という歴史観です。しかし、それは神話であって、歴史学の議論ですらありません。

河内:伝説として神武天皇を初代とすることと、2600年以上の男系世襲を歴史的事実とするのは別の話です。

・・・男系はともかく、男子に拘るべき理由は見当たらない。かつての大元帥陛下=男、というマッチョイズムの現れとしか思えない。男系にしても、どうしても維持するなら側室制度の復活しかないけど、もちろん不可。何だかんだで「男系男子」は無理筋なのに、「男系男子は皇室の伝統」と高らかに謳う超高学歴の政治家を見ると、この人大丈夫か?という感じしかない。

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2026年9月24日 (木)

津田左右吉の「災難」

21日付日経新聞コラム記事「昭和史スケッチブック」から、以下にメモする。

東京帝大のその教室には、70人ほどがつめかけていた。1939年12月4日。同年の秋から始まった、津田左右吉による特別講義の最終回である。思想史家として名高いこの早稲田大教授の、異例の東大出講だった。

「これで私の講義を終わります」。事件が起きたのは、津田がこう結んで頭を下げたときである。「質問!」「質問があります」。教室のあちこちから手が挙がり、指された相手は演説口調で津田をなじり始めた。古事記や日本書紀に記された事象が、史実ではなく後世に編まれた物語であると唱えてきた津田への、右派勢力からの計画的な攻撃だった。

津田は以前から記紀批判を展開していた。神話と史実との峻別はアカデミズムの常識だったが、東大への出講を機に反発が強まったのである。神武天皇が紀元前660年に即位してから2600年という節目の国家イベントが翌年に迫っていた。

年が明けるや津田は早大教授を辞任させられる。2月には「古事記及び日本書紀の研究」など4冊が発禁処分となり、さらに3月8日、版元の岩波書店店主、岩波茂雄とともに出版法違反で起訴された。一審判決は津田が禁錮3月、岩波が同2月、いずれも執行猶予2年。44年11月、控訴審の途中で時効により免訴。やがて「神国日本」は敗戦を迎えた。

戦後80年余。時代はすっかり変わったが、ときに、物語と史実の混交が顔を出す。「2600年以上に及ぶ皇室の伝統」といった言葉を、いまも聞くのである。

・・・1935年の美濃部達吉への攻撃(天皇機関説問題)に続き、右翼は津田左右吉を標的とした。昭和10年代の日本を覆う暗雲が感じられる。100年近く経った今も、「2600年以上に及ぶ皇室の伝統」を高らかに謳う政治家がいる。何だかなあである。

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2026年9月21日 (月)

寛永行幸400年

江戸時代の寛永3年(1626年)9月、大御所徳川秀忠と将軍家光は、後水尾天皇を二条城に招き盛大にもてなした。天下に「公武融和」を示す一大行事、「寛永行幸」である。現在、京都では「寛永行幸400年祭」として、博物館の特別展、講演会や講座などを開催中。先週末、自分も京都まで出向いて、泉屋博古館(せんおくはくこかん)の特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」、京都文化博物館の特別展「寛永 太平がはぐくむ美」を見学した。

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泉屋博古館では、「二条城行幸図屏風」が展示されている。京都御所に天皇を迎えに行く将軍家光の行列と、御所から二条城に向かう天皇の行列を描いた屏風(京都市指定文化財)だ。今回の「400年祭」では、とりあえずこの屏風を見ておけばいいんじゃないの、という感じがする。展示では、東福門院すなわち徳川秀忠の娘で天皇の后となった和子(まさこ)にも焦点が当てられている。

徳川家康の死から10年、改易処分など大名統制を強めてきた秀忠は、天皇との関係強化も進めて寛永行幸の実現に至った。「公武融和」の実態は、天皇を取り込んで徳川権力の完成を見た、ということなのだろう。行幸の翌年、幕府は朝廷の公家諸法度違反を咎め(紫衣事件)、これを不満とした後水尾天皇はその2年後に譲位。以後、院政を敷き文化活動に勤しむことになる。

京都文化博物館の展示では、近衛信尹(のぶただ)という人物を知る。信尹の父は、織田信長とお友達の近衛前久(さきひさ)。信伊は、父譲りの「武闘派」公家かつ文化人だったようだ。幾つになっても知らないことは多いです。

また、二条城には立派な天守があった(伏見城の天守を移築したとも)とのこと。下の写真は寛永期二条城天守の模型です。

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2026年9月17日 (木)

竜脚類の巨体と長い首の謎

恐竜の中でも飛び抜けて大きい竜脚類は、なぜ巨大化し首が長いのか。『面白くて眠れなくなる恐竜』(平山廉・著、PHP文庫)からメモする。

現在の陸上動物でもっとも大きいのはゾウですが、捕食者であるライオンやトラは大人のゾウを襲うことはありません。大きな肉食獣がゾウを襲っても、分厚い皮膚を突き破って致命傷を与えることはできないのです。

竜脚類はゾウよりもはるかに大きいので、皮膚の厚さも10センチメートル以上に達したと思われます。アロサウルスやティラノサウルスなど最大級の肉食恐竜でも、歯の長さは10センチメートルもありません。つまり、大人の竜脚類は肉食恐竜の攻撃を阻止するに足る分厚い皮膚を持っていたと考えられます。竜脚類は分厚い皮膚を発達させるために巨大化していったと結論できるのです。

首が長いことの合理的な理由は見当たりません。それどころか、首が長いのはむしろハンディキャップです。首が9メートルほどもあると、一回呼吸するのに数十秒もかかります。一分間に数回しか呼吸ができないので、当然、激しい運動はできません。また、食べたものが胃に届くまでにも、相当な時間がかかります。

では、いったい何のために? ヒントになるのは、子供のうちはそれほど首が長くないらしいということです。子供にはなく、大人になるにつれて発達する特徴というのは、要するに繁殖のための性的なアピールと考えられます。首が長いほど異性にモテたのではないかと想定できます。

竜脚類は、長い首と、それを支える巨大な体というハンディキャップキャラクターを発達させました。一見すると非常に不合理な動物に見えますが、恐竜の時代の最初から最後までずっとほぼ同じ形で存在していました。その意味では、恐竜の中でももっとも成功したグループと言えます。

・・・平山先生は、人間もまた、ハンディキャップキャラクターを発達させている動物だと考えている。人間の特徴である二足歩行や大きな脳に、生物学的なメリットはあまり無いという。生存に不合理な特徴を有する動物である人間の繫栄。こちらも謎だ。

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2026年9月16日 (水)

恐竜博物館特別展「竜脚類」

現在、福井県立恐竜博物館では特別展「竜脚類」を開催中(11月3日まで)。先日、北陸新幹線を使って福井まで行き、見学してきた。

常設展示室から少し離れたところにある特別展示室に、「竜脚類」の化石標本等が集結。展示のテーマは大きく4つ、竜脚類の巨大化と進化、ジュラ紀アジア最大級の竜脚類シンジャンティタン、日本の竜脚類、竜脚類の最新研究。下の写真はマメンチサウルスの全身骨格。中国四川省から産出した化石。亜成体なので少し小さめ。でも、ざっと全長10メートルはある。

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下の写真は、トゥリアサウルスの部分骨格(体の前半部)。トゥリアサウルスは、2006年にスペインの研究者たちによって命名された竜脚類。全長は推定30メートル、ヨーロッパ最大の恐竜としても知られている。(特別展カタログの説明からメモ、以下同様)

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下の写真は、エウヘロプスの全身骨格。エウヘロプスは、1929年に中国山東省の前期白亜紀の地層から発見された竜脚類。全身骨格の奥にある展示は、アジア最大級の竜脚類シンジャンティタンの産状骨格(化石が地表面に現れた状態。中国の新疆ウイグル自治区で2012年発掘)。

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下の写真は、タンバティタニスの全身骨格。兵庫県丹波市の篠山河床に露出する地層から2006年発見、2014年に新種として命名。日本産の竜脚類化石で学名が付いたのはタンバティタニスと、福井県勝山市産のフクイティタン(2010年命名)。

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白亜紀当時、日本はアジア大陸の東沿岸部に位置していた。現在、日本では岩手、福井、兵庫、三重など12の県から、竜脚類の化石が発見されている。その多くは歯の化石だが、脊椎骨や前後肢の骨化石の発掘例もある。

自分が子供の頃は、恐竜化石というとアメリカ産という感じだったが、今や中国も一大産地だし、日本でもあちこちで恐竜化石の発掘・研究が行われているのも、興味深いというか感慨深いというか。

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2026年9月 8日 (火)

「真珠の耳飾りの少女」展

美術ファンの間で話題のフェルメール「真珠の耳飾りの少女」展。今回は大阪のみ、中之島美術館で開催期間は1カ月余り。基本的に「真珠の耳飾りの少女」は門外不出。今回はマウリッツハイス美術館の改修、一時休館に伴う特別な貸出ということで、貴重な機会であるのは間違いなく、とにかくイベント参加という感じで、東京から遠征しました。

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「真珠の耳飾りの少女」、とにかく正面からの写真はお一人様一枚のみに制限されております。「来た、見た、撮った」という感じです。

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既にいろいろな評判がネット上に出ていますが、確かにテーマパークのアトラクションというか、アイドルの撮影会というか。美術鑑賞という感じではないです、仕方ないと思いますが。まあ本当に好きな人は、オランダまで観に行くだろうし、行ってるんでしょう。自分はミーハー的に行っただけなので、とにかく本物を見た、というだけで十分です。

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2026年9月 4日 (金)

映画「ちいかわ」を観た

親子連れで満員の夏休みの映画館で見終わった子どもが泣いていた。「どうして?」「どうなったの?」(8/30付日経新聞コラム「春秋」)

・・・何かと話題の「映画ちいかわ 人魚の島のひみつ」。夏休みも終わり、子どもたちの姿は目立たなくなった映画館に足を運んで、小生も拝見した。

基本的には、「ちいかわ」の仲間みんなで力を合わせて怪物セイレーンを撃退するお話。怪物と言っても見た目は十分ゆるいのだが、ちいかわと仲間たちが襲われる場面は結構ハラハラドキドキする。しかし何しろ当方の予備知識は殆どゼロだから、可愛いキャラクターたちの仕事が「討伐」ってどゆこと?「草むしり検定」とか何それ?みたいな感じもあったけど。(苦笑)

主要キャラクター以外のその他大勢は、みんな二頭身ノッペラボーで声は出すけど言葉はしゃべらないし、ちょっと「手抜き」っぽい。(苦笑)

で、観た人がいろいろ考えさせられるという事態は、人魚を食べると永遠に生きられる、という設定から発しているわけだけど、これはちょっと設定のやりすぎの感がある。せめて人魚の鱗が万能薬になる、くらいにしておけば、殺して食べる(煮付けにするのは笑ってしまうけど)とか怖い話にはならないだろうなあ。何しろ人魚殺しの犯人である島民二人も、ノッペラボーなので感情移入しづらいし(苦笑)。とはいえ、逆に島民をはっきりキャラ化したら、そちらの存在感が大きくなって、基本的に怪物退治というお話のバランスが崩れるだろうし。

それにしてもエンドロールが終わった後、本当に最後のエンドシーン、海面に再び現れるセイレーンの後姿を観て、ああなるほど、これでいろいろ世の中に波紋が広がっているのかと納得した。日経コラムにある子どもたちは、最後に島民の取った行動の理由(どうして)や、結局セイレーンは次に何をするのか(どうなったのか)が、分からなくて不安になり涙を流したのだと推測する。心優しく感じやすい子どもたちに幸いあれ。

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2026年9月 1日 (火)

昭和の会社と役所は「軍組織」

昨夜放映されたNHK「陸軍VS海軍」(映像の世紀バタフライエフェクト)では、日本の旧陸軍と旧海軍が、互いに張り合うように、それぞれの組織の目的と利益を追求する有り様を伝えていた。

「陸軍は暴力犯。海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って、国あるを忘れていた」(ある元海軍大佐の言葉)。自らの組織優先の軍の在り方は、戦後になって日本の会社や役所に受け継がれた。番組ナレーションはこう語る。

組織に身を捧げ競争を勝ち抜く。戦後の企業社会に流れ込んだ組織優先の論理は、人々を経済成長という新たな戦場へと駆り立てていった。国家の運営を担う省庁にも縦割りの構造と縄張り意識が根付き、組織の論理が形を変えて受け継がれた。

作家の山本七平は戦場での体験をもとに、日本の組織における責任の曖昧さを問い続けた。山本は戦後社会に、敗戦で消えたはずの日本軍の影を感じ取っていた。

番組は、山本の著作から以下の言葉を伝えて終わる。
「確かに戦争は終わった。だが私はいつも奇妙な❝戦時中の顔❞がこちらを覗いていることに気づかないわけにいかなかった。」
「すべてが「タテ」だけで動き横の協同はできない。(組織への)責任の追及は消失し無責任体制となる。日本軍を貫いていたあの力がいまだに我々を拘束している。」
「組織の名誉が絶対化すれば常に同じことのくりかえしとなるであろう。」

・・・タテ社会あるいはムラ社会、無責任体制、いろいろ言い方はあるだろうけど、昭和の軍や会社は、組織なんて立派なものでもなく、単なる気合と根性集団だったような気もする。

思い出すのは、昭和期にやってた「地獄の特訓」なる管理職育成研修イベント。たぶんだけど、自衛隊の訓練っぽいことをがんがんやるような感じ。こういう研修の広告が、堂々と日経新聞に出てたような記憶がある。

昭和の前期(戦前)は軍国主義の時代、昭和の後期(戦後)は体育会主義の時代だったといえると思う。戦後になって多少マイルドにはなったが、昭和の社会集団では基本的に軍隊式が横行していた感じ。社会に出るとか会社に入るとか、なんか怖かった覚えがある。

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