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2026年8月11日 (火)

「開戦前夜」と「東京裁判」

戦後80年の昨年、NHKは『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹の著作)を基にしたスペシャル番組を放送。そして一年後、その番組のドラマ部分の拡大版である映画「開戦前夜」が現在公開中。昭和16年に官僚や軍人など若きエリートたちを集めて作られた「総力戦研究所」が、日米もし戦わば「日本必敗」との結論を出す過程を描き出している。

日米関係が極度に悪化する中で、総力戦研究所の面々はデータを持ち寄り分析と議論を行い、国力で圧倒的な差があるアメリカとの戦争が長期化すれば、日本は必ず負けるという結論を、当時の近衛首相始め内閣の大臣たちに報告する。にも関わらず、日本は対米戦争の準備を加速して、昭和16年12月8日に開戦に至る。

映画では総力戦研究所の報告の後、近衛首相の後を受けた東条首相の苦悩や、国民の戦争気運の高まりなどの場面も追加的に入れてくるけど、全体の構成としては研究所の報告で大体終わった方が、話のまとまりが良かったかも。

この映画のある登場人物の描き方について、実在の人物の遺族から訴訟が起こされているわけだが、第三者から見ると、どれくらい故人の名誉が毀損されているのか分からないので、何とも言えないのが正直なところ。製作者側は「あくまでもフィクション」だと主張しているし、まあ史実を基にしたフィクションとして、許容される範囲の演出じゃないかなあと感じる。

映画の内容に戻ると、緻密な分析により日本の敗北は予見されていたにも関わらず、その時の「空気」で戦争に突き進んだ、みたいな描き方ではあるのだが、それも果たしてどうなのか。山本五十六の有名な言葉もある(戦争となれば「初め半年か一年の間は随分暴れて御覧に入れる。しかしながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」)ように、長期戦になれば日本の勝ち目は乏しいと考えていた人は少なくなかったのではないか。

日米戦争に突入した要因としては、対日石油輸出禁止などアメリカの姿勢が一段と強硬になったのも大きかったと思う。最終的に、いわゆるハル・ノートが日本を戦争に追い込んだとも言える。映画「東京裁判」には、アメリカが対日戦争を充分意識していたことが窺える場面がある。ブレークニー弁護人(東京裁判で日本側の弁護に大活躍したアメリカ人)が、米国務長官特別顧問のバランタイン証人を質問攻めして、様々な証言を得る。アメリカは、日本はハル・ノートを受け入れないだろうと考えていた。つまりハル・ノートは事実上の最後通牒となった。またルーズベルトは、傍受した日本政府の電報の内容について「これは戦争を意味する」と語った。東京裁判で、アメリカは日米開戦を充分予期していたことが明らかになったのだ。

アメリカは、連合国側で参戦する機会を狙っていた。自国の都合である参戦実現のため、日本に飲めない要求を突き尽きて戦争に追い込んだ、とも言える。後に、ポツダム宣言を予想通り日本が受け入れなかったと見るや、すかさず原爆を落としたアメリカ。恐ろしく狡猾かつ冷酷な国である。

いずれにせよ、「アメリカ何するものぞ」という機運が日本で勢いづいたのは、無理からぬ面もあったように思う。とはいえ、まずはいったん踏み止まるところではあったのだろう。そう言えるのも結局は、後知恵でしかないのだが。

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