満州国について雑感
佐藤優の新刊『戦略の罠』(フォレスト出版)は、戦前・戦中の日本の思想を現代的な文脈の中で読み直そうという試みの書。「満州国」をテーマとする第3章からメモする。
満州国成立の直接的契機となったのは、1931年の満州事変である。この軍事行動を主導したのは、関東軍高級参謀の板垣征四郎と、作戦主任参謀の石原莞爾であった。関東軍内部には、満州を日本防衛の生命線ととらえる強い戦略思想が存在していたのだ。当時の日本にとって最大の仮想敵国はソ連である。満州はそのソ連と接する巨大な緩衝地帯、すなわちバッファゾーンであった。しかも、満州には石炭、鉄鉱石、大豆などの豊富な資源が存在した。つまり、満州は単なる占領地ではなかったのである。日本の安全保障、経済、軍事、産業を支える戦略拠点として認識されていたのだ。
石原は「世界最終戦争論」を唱え、将来的に日本とアメリカが世界覇権を巡って衝突すると考えていた。そして、その最終戦争を戦い抜くためには、日本は大陸資源圏を確保しなければならないと考えた。この視点から見ると、満州国とは単なる植民地ではない。日本という国家を長期戦に耐え得る戦略国家へ改造するための「前進基地」であったのだ。満州国は「国家改造プロジェクト」に近い性格を持っていたのである。
当時、多くの官僚や軍人、知識人たちは、満州国を単なる占領地ではなく、「新しい国家建設」の実験場として見ていた。その中心人物の一人が、のちに首相となる岸信介である。岸は商工官僚として満州国の産業政策に深く関わり、国家主導による重工業化と統制経済を推進した。彼にとって満州国は、単なる植民地ではなく、「国家主導型先進国家」の実験空間でもあった。
・・・佐藤氏によれば、満州国の「王道楽土」「五族協和」という国家理念も、西洋列強に対抗するための、西洋近代へのアンチテーゼとして意味付けられる。しかし現実の統治システムは理念と乖離して、最後はソ連侵攻で満州国は崩壊した。石原莞爾の構想通りに、来るべき日米決戦に備えて、中国を攻めるとか余計なことをしないで、ひとまず満州国経営に集中していれば良かった、のかな。
まあそんな戯言はともかく、満州国における岸信介ら革新官僚の統制経済の実験が、日本国内における総力戦体制(1940年体制)を用意し、戦後も官民一体の「日本株式会社」システムとして機能し高度成長を実現した、というストーリーも語られるわけだから、満州国というのはいろいろな意味で気になるわけです。
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