「お盆」について考える
今日8月16日の夜、京都大文字焼きが行われる。お盆の、特大の送り火だ。世間的にも、今日でお盆休みは終わり。自分は親の代から東京生まれ、東京育ちなので、お盆の里帰りとか全く馴染みがない。ので、帰省ラッシュのニュースとか、殆ど別世界の話のように眺めるのが常である。そんな自分にとって、お盆はいわば「謎の文化」だが、あらためてお盆とは何か、メモしてみる。(参考:『死んだらどうなるのか?死生観をめぐる6つの哲学』の「第2章 山の上から子孫を見守る 盆という習慣」、伊佐敷隆弘・著、2019年)
盆は、山の上から子孫を見守っている先祖が、子孫に会いに来る日だ。「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という仏教行事で、その根拠である「盂蘭盆経」(うらぼんきょう)という経典は、中国で作られた。儒教の影響からか親孝行を勧める経典だが、「亡くなった人が子孫に会いに来る」とは言ってない。インド仏教から中国仏教、そして日本仏教へと伝わってくる中で、仏教の教え自体も少しずつ変わってきている。
盆の起源は、仏教が日本に伝わるよりも前から行われていた「魂祭り」(たままつり)という習俗であるようだ。「魂祭り」が行われていたのは盆と正月。年に二回やってきた先祖の魂は、亡くなって32年経つ(三十三回忌)と祖霊(それい)の中に融け込む。祖霊というのは代々の先祖の霊が一つに融合したもので、祖霊になった後も、そばの山の上からずっと子孫を見守り続け、祖霊として子孫のもとを訪れるようになる。
・・・昔、日本人の大部分が農民として村で暮らしていた時、村のそばに山があって、その山の上にいる祖先の魂が、お盆に子孫のもとに帰ってきて、また山に戻っていくというイメージ。それが20世紀後半からは、子孫と祖先のいる場所は遠く離れる場合が多くなり、子孫の方が出かけていって祖先の墓参りをする形で、お盆という行事は続いてきた、ということだろうな。
中国仏教と日本土着の習俗が合わさって、「お盆」が出来た。そして近代化・都市化が生んだのが、お盆の帰省という日本人の行動なのだろうが、最近は、お盆に帰省する人は、昔に比べると減っているという。まずは今どきの猛暑化で夏のお墓参りを避けたり、あるいは墓じまいや墓の引っ越しをすれば、墓参りという帰省の目的の一つは消えることになる。とりあえず実家に帰るのも、特に夏でなくてもいいやと思えるだろうから、お盆の帰省が減っているのも分かる気がする。祖先の魂と過ごすというのも、今ではリアリティがあるようには思えない。だから今は目に見える祖先と一緒に過ごすというか、お盆の帰省の目的は、孫がじいじとばあばに会うのがメインイベントになっているのだろうな。
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