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2026年2月18日 (水)

「中道」政党は幻だった

まず本日付の日経新聞「池上彰の大岡山通信・若者たちへ」(衆院選後記)から、以下にメモする。

自民党が大幅に議席を増やした一方で、中道改革連合は大敗北でした。敗北の理由は、これからの分析にもよるのでしょうが、「中道」という言葉を選択した是非も問われることでしょう。というのも、ここでいう「中道」とは、旧公明党にすれば仏教用語ですし、旧立憲民主党にしてみれば、右翼でも左翼でもないという政治用語だったのですが、有権者の誰もが政治用語を知っているわけではありません。

次に同じ本日付の日経新聞投資面コラム「大機小機」(「保守と革新」の終焉と新たな再編)からも、以下にメモする。

保守の対立概念は55年体制においては長く、革新だった。保守の自民党でも、革新の社会党でもないことを表す言葉が、第三極や中道だった。選挙直前に立ち上がった新党の名称が中道改革連合、略称で中道であるのは、その名残を想起させる。 この事象(高市自民党の圧勝)からうかがえるのは保守と革新、保革対決政治の完全な終焉と、保守の多党化である。保守同士の、新たな政界再編の入り口に立ったとみるべきだろう。

・・・左翼と右翼がガチで対抗している時代だったら、「中道」という立ち位置を謳うのも有効だったと思う。しかし左翼が左派になり、右翼が右派になり、段々薄味になってきて、左派はさらにリベラルとも呼ばれるように。しかも今の世の中は全体的に右にシフトしていて、もはや左の存在感は無きに等しいのだから、左と右の間という立ち位置も成立しなくなっているし、そういう現状では「中道」でも、右から見ればリベラル扱いとなっている。そして今回の総選挙の大惨敗。もはや左派またはリベラルはほぼ消滅した、と言っていい。

かつての「革新」という表現は、「保守」に対置されていたように、より「進歩的」なニュアンスを含んでいたように思う。「革新」という表現が消えた背景には、「進歩」に対する懐疑的な気分の強まりもあるだろう。かつての「革新」そして「左派・リベラル」は、基本的に理念先行の政治的立場であるとはいえるだろうが、今ではその理念も空回している印象が強いし、多くの生活者の実感からも離れているように思う。「左派」が消えると共に、「中道」も成り立たなくなり、必然的に保守政党の間で政策の違いを競う多党化につながった。新たな政界再編の入り口なのかもしれないが、やはり自民党に分裂の機運が出てこない限り、なかなか現実に再編が起こる感じはしない。

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2026年2月16日 (月)

「日本型リベラル」の消滅

先の総選挙における中道改革連合の惨敗は、「日本型リベラル」の消滅を意味するのだろう。今週の週刊ポスト(2/27・3/6号)掲載記事「リベラルは死んだのか」から、識者の意見の一部をメモする。

野田佳彦代表らがすべて間違っていたとは思わない。公明党と中道改革連合を結成するにあたって、「安保法制は違憲」「原発再稼働反対」といった従来の主張を取り下げたのは、現実に向き合う姿勢として正しい。〝極右〟やポピュリズムが急伸する欧米では〝リベラルの限界〟がさかんに議論されているが、日本のリベラルにはそれ以前の問題がある。これまで戦後リベラルは、「憲法9条さえあれば平和が守られる」「憲法を1文字でも変えると戦争が起きる」など、荒唐無稽な主張をしてきた。国民の大多数が悲惨な戦争の記憶を持っていた1960年代までは、この主張にも一定程度のリアリティがあったが、70年代にはすでに「うさんくさい」ものに変わっていた。それなのにその後も半世紀以上、日本のリベラルは理念に縛られ、空理空論を唱え続けてきた。(作家の橘玲氏)

占領軍は最初に、日本の軍部が戦争に導いたことを批判し、強い反軍思想を植え付けた。それが今も護憲という形で、日本型リベラルのバックボーンになっている。併行して、権力に立ち向かうという方向性が出てきた。こうした日本独特なリベラルの問題点は、現実を見ずに偽善的な物言いをし、振る舞うこと。良く言えば理想主義だが、傍から見れば信頼できない。常に与党に反論するが、代替案を出さない。立憲民主党は結党時点で護憲を打ち出した政党で、一方の公明党も信念的平和主義政党。まさに古い反戦平和勢力の融合、典型的な日本型リベラル政党だった。(中西輝政・京都大学名誉教授)

立憲民主党の政治家たちは、中道改革連合の結党時点で「リベラル」を捨てたと言って良い。立憲は安保法制反対、集団的自衛権の行使は違憲だという軸で結党したような政党だが、中道結党にあたって「安保法制は合憲だ」と言い換え、結党の理念を否定。公明党は本来、リベラル政党で、安全保障の観点でも平和を志向するリベラルな立場だった。しかし、自民党と26年間一緒にいたため、ブレーキ役をしながらも結果として、自民の政策を是認。安保法制も合憲と判断し、連立解消するまでは自民と同じ安全保障政策をとってきた。そうした自民の政策に引きずり込まれた公明の政策に、今度は立憲が生き残りのために引きずられた。その結果、自民と中道の政策の大きな違いが見えなくなった。(八木秀次・麗澤大学経済学部教授)

・・・立憲民主は公明との「合併」を機に、自らのリベラル色を払拭し、さらに「中道」を前面に押し出すことによって、現実に政権担当可能な新党としてアピールする狙いがあったように思う。結果的に政策が自民党に近づいても、自民から離れた支持者を自分たちに引き寄せることができると見込んでいたかもしれない。しかし、想像を超える「高市推し」の大波に押し流されてしまったようである。

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2026年2月14日 (土)

キューブリック2大作品

名作映画の企画上映「午前十時の映画祭」、今月はスタンリー・キューブリック月間という感じで、「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」の2本を、都内では7館(ただし、TOHOシネマズ新宿は今月24日まで休館)で上映中。この機会に、自分も両作品を40年以上ぶりに映画館で観ることにした。

2001

「2001年宇宙の旅」
難解で鳴るSF作品。とはいえ、例の黒石板?とか宇宙船長の再生?とか地球大の胎児?とか、その他諸々説明不足の内容なので、訳分からんというのは普通の感覚かと。何でも、小説の方を読むと分かるらしいが、怠惰な僕は読んでないから、どうしようもない。でも、人類の進化の話、人工知能の反乱の話、それが宇宙空間を舞台にしている、というその組み合わせが何かいまひとつしっくりこないような気分も残る。ただ、AI時代に突入した現在、「ハル」コンピューターの話はかなり実感が増している印象。そして、人工知能が意思を持つまでに進化した時こそ、人類も新たな段階(「ツァラトゥストラはかく語りき」が意味するであろうニーチェの「超人」)に移行しなければならないのだ。という風に理解してもいいのかも、などと思った。

「時計じかけのオレンジ」
ストーリーは殆ど忘れてた。記憶に残っていたのは最初のシーンと最後のシーン、そして作家の家での暴行場面(苦笑)。昔は「修正」が入ってました。なので今は修正は無いのだ、ということを確かめに行ったという感じもある(苦笑)。字幕については、更新されているのだろうか。昔観た時の最後のセリフは、これで完全に逆戻り、と記憶していた。今回は、完ぺきに治ったね、である。最後の場面の主人公アレックス(マルコム・マクダウェル)の「凶悪復活」の表情もなかなかのものだが、作家役の俳優さんの「顔芸」も強烈。(笑)

いろいろな意味で、両作品とも傑出した出来映えだと思うが、好きかと言われると「うーん」という感じになりますね。

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