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2025年12月31日 (水)

「72時間」年末スペシャル

昨日30日、NHK「ドキュメント72時間」年末スペシャルを観た。視聴者投票により、2025年放送のベスト10を決める番組。自分の印象に残っていた「のぞき坂」の回は、ベスト10に入らず、15位の結果だった。11位から15位までの回は、簡単に内容紹介されていたが、「のぞき坂」で出てきたのは心筋梗塞を2回やった会社経営者の場面。あの若い女の先生は出てこなかったなーと思っていたら、番組最後に松崎ナオが歌うところで、バックの画面に映し出されていたのが見えた。

ランクインしなかったので、番組が終わってから、録画で残しておいた「のぞき坂」の回を観た。あの先生を始め、この人あの人「元気でやってるのかなー」という感じになった。ゲスト出演の箕輪はるかが、番組を見ると「その人に直接会ったような気持ちになる」とか言ってたが、全くその通りだなーと思う。

「のぞき坂 東京の急な坂道で」ブログ内感想記事

 

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2025年12月28日 (日)

吉祥寺に「あんかけスパ」の店

今月、吉祥寺に「親父のあんかけパスタ」がオープンした。名古屋のB級グルメ「あんかけスパゲッティ」を出すお店である。以前、西新橋に「パスタデココ」(カレーライスのCoCo壱番屋の経営)があったけど、いつの間にか無くなっていたので、東京に「あんかけスパ」専門店が新しく出来るのは、かなり意外感がある。自分にもナゴヤ歴が11年あるので、さてどんなものかと興味を持って出かけてみた。

あんかけスパゲッテイは、どろっとした茶色いソースが麺の周りを囲む。味はデミグラスソースでもトマトソースでもない、何と言っていいかよく分からない(苦笑)。麺の上には肉や野菜、フライなどがトッピングされる。メニューは、ハム・ウインナー・ベーコンの「ミラネーズ」(1500円)、野菜炒めの「カントリー」、その二つを合わせた「ミラカン」(1400円)、フライとウインナーと目玉焼きの「バイキング」などがある。自分が頼んだトッピングは「フラワー」(ほうれん草、ベーコン、目玉焼き)。ちなみに、この組み合わせは名古屋では「オリーブ」、ほうれん草とベーコンだけだと「ポパイ」と呼んでる。

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「あんかけスパ」(パスタとは呼べない 苦笑)は名古屋のものではあるけれど、名古屋でも「あんかけスパ」を出す店があちこちにあるわけではない。「ヨコイ」「からめ亭」「チャオ」「ユウゼン」「あんかけ太郎」「あんかけ屋」などの専門店があるけど、多くは3~5店舗程度の小規模チェーン。お店によってソースの味も結構違うのだが、いずれにしても味に少し癖があるというか、うまいと思う人とうまくないと思う人とはっきり分かれるように思う。なので、ナゴヤ地域外には広がらない、あくまで名古屋ローカルの特殊な食べ物という感じ。自分は名古屋に住んでいた時には、今日は何でもいいやと思う時に普通に食べてた。どっちかというと、寒い気候の時に食べていたかな。

このお店をやってるのは芸能人。出身は名古屋ということで、それ自体はなるほどと思うのだが、いろいろ見てみると、ちょっといわくつきの?人物らしくて、週刊誌系ネットニュースの小ネタにもなってる。なので、東京には珍しい「あんかけスパ」のお店が長続きして欲しいのは山々なのだが、さてどうなりますか。

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2025年12月27日 (土)

「文明の衝突」論はハズれた

12月26日付日経新聞掲載のFT記者コラム記事(誤りだった「文明の衝突」)からメモする。

「文明の衝突」を著した米ハーバード大の政治学者サミュエル・ハンチントン氏が存命だったら、世界を完全に読み違えたとして、あの米政治学者フランシス・フクヤマ氏と同様に厳しい批判を受けていただろう。

現在、重大な対立は文明と文明の間ではなく、文明内部で起きている。今の紛争が起きている場所を見てほしい。ウクライナ戦争は少なくともハンチントン氏の分類に従えば「東方正教会文明」の内部で起きている。中国本土と台湾の対立も同じ文化圏内の争いだ。ハンチントン氏はこの文化圏を中華文明と呼んだ。

彼は、あらゆる政治レベルに当てはまる一つの真実を見落としていた。狂信者たちというのは、最も激しい憎悪を必ずしも敵対する相手に向けるわけではないという点だ。むしろ疑念を抱く者や背教者、分派論者を攻撃対象にする。自分たちの世界と全く関係ない者は簡単に無視できるが、自分たちの世界から逸脱する者は耐えられないのだ。

この原則を国家レベルに当てはめると、2025年の世界が理解しやすくなる。紛争が起きているのは逸脱が生じた場所だ。すなわち東方正教会圏にありながら西側志向のウクライナ、中国的文化を持ちつつ民主主義を採用する台湾だ。

・・・東西冷戦終了後の世界の見通しの双璧とも言える、ハンチントンの「文明の衝突」とフクヤマの「歴史の終わり」。1990年頃にイデオロギー争いが決着した後、異なる文明間の争いになるのか、自由な民主主義が世界を覆うのか。多くの議論を呼んだが、30年が経った現在の答えは、どちらも「否」と言うほかない。ウクライナ戦争がはっきりと示した「冷戦後の終わり」を生きる我々は、文明内部の争いが世界大戦に繋がることを阻止できるのか。そしてまた、グローバル資本主義による格差拡大の中で、自由な民主主義は分断と対立を克服できるのか。その見通しは未だ立たない。

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2025年12月26日 (金)

行き過ぎた緊縮財政?

12月24日付日経新聞「中外時評」(財政で火遊びをするな)は、高市政権に心配な3つの種がある、という。以下にメモする。

1つ目は日本の財政状況に対する根本的な認識である。臨時国会の閉会を受けた17日の記者会見で、高市早苗首相は日本を「行き過ぎた緊縮財政」と断じた。不良債権問題で財政悪化を招いた小渕恵三内閣は、1998年度に10年後の健全化目標として2008年度の基礎的財政収支(PB)の均衡を掲げた。以降、この目標達成の先延ばしが続いている。25年度の黒字化を掲げたのは安倍晋三内閣だが、これも18年、当時は20年度だった黒字化の目標を5年先送りした結果である。このどこが「行き過ぎた緊縮財政」なのか。

首相の最近の発言に基づくと、政府債務の名目GDP(国内総生産)比が低下していることをもって「緊縮」と言いたいのだろう。だが、これはインフレで「分母」が膨らんだ要因が大きい。債務の軽減は緊縮財政ではなく「インフレ税」として国民に物価高を押し付けた結果である。

2つ目の心配はテクノクラート(専門知識を持った官僚)に対する不信である。台湾を巡る国会答弁については「政府見解は不変」(首相)というが、官僚が用意した応答要領を逸脱している。財政でも官僚の専門知識を生かそうという姿勢はほとんど感じられない。財務省の当初案から4兆円以上を積み増した経済対策の取りまとめに際しては「しょぼいどころではない。やり直し」「不合格を出した。各省庁からの要求額が全く満たされていない」といった発言が伝わった。

3つ目は財政状況に対する危機認識の欠如とテクノクラート不信の帰結として、「市場の鳴らす警鐘」にあまりにも無頓着なことだ。日銀による19日の利上げ後も日本国債は売られて長期金利は上昇、円安は加速した。米ブルッキングス研究所シニアフェローのロビン・ブルックス氏は20日付のリポートで「日本円はトルコリラと並んで世界で最も弱い通貨」と評した。これが首相のいう「強い経済」の実相である。

・・・自分も、「行き過ぎた緊縮財政」には「へ?」と思ったので、この記事をメモした。自分の「緊縮財政」イメージは、90年代の橋本龍太郎政権。橋本緊縮財政の招いた大不況を克服するために、小渕政権は財政出動の大盤振る舞いを行った後、プライマリーバランスの均衡目標を掲げたという流れだ。以降、橋本政権を上回る緊縮財政にはお目にかかっていない。高市首相の語る「行き過ぎた緊縮財政」は、ワザと言ってるならまだ許せるけど、ホントにそう考えているのなら、ちと頭がおかしい。「責任ある積極財政」も、単なるレトリックのように思える。ついでに言うと、日銀の「金融緩和の調整」も何だか嘘くさい表現だ。今の政策当局の体裁を取り繕う姿勢に、ぼんやりした不安を抱く。

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2025年12月25日 (木)

パンダを見に行く

12月23日、上野動物園のパンダを見に行った。お昼12時台に観覧(ネット予約)。レイレイは室外でうろうろ歩き回り、シャオシャオは室内で竹食べまくり、なのであった。

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来年1月に、シャオシャオとレイレイは中国に返還される。今年は和歌山にいたパンダも既に中国に去ってしまったから、およそ50年ぶりに、日本にはパンダがいなくなることになった。

最初のカンカン、ランランの記憶もあるワタシだが、実はパンダを直接見たことはなかった。カンカンとランランの来日時、小学生だったら何となく見に行ったかもしれないが、既に中学生になっていたので、タイミング的に外れてしまったような気がする。その後も、あんまり興味が無かったせいもあるし、子供がいないから連れていけと言われることもなく、見る機会はないまま来てしまった。しかし、今回パンダがいなくなり、また来るとしても時間がかかりそうなので、とにかくここで一回見ておこうという気になった次第です。

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2025年12月24日 (水)

とりあえずメリークリスマス

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東京駅前でやってるクリスマスマーケット会場のクリスマスツリーです。

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2025年12月23日 (火)

ディメトロドンは爬虫類に非ず

「大絶滅展」(上野・国立科学博物館)を見に行った。そしたら、平日にも関わらず結構混雑していた。都会は、いつでもどこでも人が湧き出てくるのだな。(苦笑)

展覧会のサブタイトルは「生命史のビッグファイブ」。地球の歴史で5回起きた生物の大量絶滅を指している。絶滅といえば、やはり恐竜絶滅の印象が強い。なので、他に何があったっけと思ってしまうわけだが、古い順に並べると約4億4000万年前のオルドビス紀-シルル紀境界、約3億7000万年前のデボン紀後期、約2億5000万年前のペルム紀-三畳紀境界、約2億年前の三畳紀-ジュラ紀境界、約6600万年前の白亜紀-古第三紀境界の5つ。恐竜絶滅が含まれるのは、もちろん最後の白亜紀だが、規模(絶滅率の大きさ)で見ると4番目というのはちと意外。最大規模はペルム紀末の大絶滅で、生物種の約90%(海域80~86%、地上97%)が絶滅したという。代表的なのは三葉虫。

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展示物をざっと見ていて、あれっと思ったのはディメトロドン(写真は展示されている化石のレプリカ)。ペルム紀の陸上動物だが、爬虫類ではなく、哺乳類も含まれる単弓類に属する、と説明されている。えっ、爬虫類じゃないの? 自分は子供の時に、最初の頃の恐竜みたいな感じで覚えていたんだけど。大体、単弓類って何?

購入した展覧会図録の説明からメモしてみる。ペルム紀の「陸上生態系で支配的だったのは単弓類で、ディメトロドン(肉食性)やコティロリンクス(植物食性)は代表的な大型種である。単弓類は従来から我々哺乳類につながる系統であることが認識されており、その爬虫類を思わせる姿からかつては「哺乳類型爬虫類」と呼ばれていた。しかし爬虫類とは別系統であることがわかったため、現在では哺乳類を含めて単弓類と呼ばれている。」

まあいまひとつ分からんのだが(苦笑)、とにかくディメトロドンは爬虫類ではない、と覚えておきましょう。

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2025年12月22日 (月)

驚異のグラハム・ボネット

グラハム・ボネット・バンド(GBB)の新しいライブ盤『ロスト・イン・ハリウッド・アゲイン』(CD+DVD)が出た。2024年8月29日、アメリカ「ウイスキー・ア・ゴーゴー」におけるライブを収録。

全16曲中ドラム・ソロなど3曲を除き、グラハムが歌う13曲の内、レインボーの楽曲が6曲と半数近くを占める。残りはマイケル・シェンカー・グループ2曲、アルカトラス1曲、ソロ時代2曲、そしてGBB2曲。バンドから追い出された?せいなのか、アルカトラスは1曲だけ。リッチー・ブラックモアに見出されて、ハードロック・シンガーとしてのキャリアの起点となったレインボーの曲を中心とした構成となっている。GBBの2曲以外は、大体1980年頃の作品。

グラハムは明日12月23日、78歳の誕生日を迎えるとのこと。ライブ収録時でも76歳で、「後期高齢者」のハードロック・シンガーというのは驚異的(ちなみに今年、引退を発表したデイヴィッド・カヴァーデイルは74歳)。グラハムが不思議なのは、「ヘヴィメタルは嫌いだ」と言ってたはずなのに、結局ハードロックを歌い続けているところ。まあ本人は「嫌い」なのかもしれないが、人から期待されているのはハードロックのグラハムなので、やり続けているのかなと思う。

一方、グラハムの古巣になってしまったアルカトラスも、先日新譜『PRIOR CONVICTIONS』を出していたが、こちらは全11曲中、新曲は2曲のみ。残りはイングヴェイ・マルムスティーン時代、スティーブ・ヴァイ時代の楽曲を、現メンバーの演奏で再録音したもので、セルフカバーによるベスト盤という感じ。いちおうバンド結成時のメンバーがいるにしても、グラハム抜きだと何だかトリビュートバンドの作品みたいでもある。(苦笑)

グラハムにしてもアルカトラスにしても、40年以上も前の楽曲を中心に活動している感じだが、単純にその頃の曲の出来が良いわけだから、全然それで結構だと思う。グラハムは、人間関係としては色々あったかも知れないが、リッチー、マイケル、イングヴェイに感謝しているだろうな。

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2025年12月14日 (日)

「ヘヴィメタルはゴミじゃ」(渋谷陽一)

昨日13日午後に放送された、NHKFM番組「今日は一日“渋谷陽一”三昧」。午後3時頃から伊藤政則、大貫憲章が出演。何しろ渋谷陽一と合わせて、いわゆるロックの三大評論家と呼ばれた両氏である。出演中の30分間は、自分的には一番関心を持って聴いた時間帯。

1980年代から、伊藤政則は主にヘヴィメタルの評論活動に入っていたのに対し、渋谷陽一は「ヘヴィメタルはゴミじゃ」と一蹴。伊藤氏がその真意を尋ねると、偉大なレッド・ツェッペリンがヘヴィメタルと一緒くたに語られるのを嫌って、「ヘヴィメタルはゴミ」発言で一線を引いたのだという。つまり渋谷陽一の戦略的発言だったというお話。

ツェッペリンは「ハードロックの王者」とも呼ばれたが、ハードロックというジャンルは80年代にヘヴィメタルに変化したという経緯もあり、ツェッペリンはツェッペリンという特別な存在であって、ヘヴィメタルとは全然別物なのだということを強く言わんがため、だったということだ。ツェッペリンはヘヴィメタルではない、と単純明快に言わないのが渋谷陽一らしい?ところかな。

私見では、ヘヴィメタルは、パンクロックを通過した後のハードロックというか、パンクの持つ攻撃性を中心に組み立てられていたように思う。対してハードロックは、ブルース、ジャズ、クラシックといった多様なジャンルを取り込んでいたから、音楽性という意味では、ヘヴィメタルはハードロックよりも後退していた感じがする。

特にブリティッシュ・ハードの音楽性は豊かで、考えようによっては、いわゆるプログレも「複雑極まりないハードロック」と捉えても良いと思う。そんな音楽性豊かなハードロックの頂点に立つ、さらにはハードロックを超えてしまったとも言えるのがレッド・ツェッペリンだとすれば、ヘヴィメタルなんかとつなげるのは大間違いだ、という渋谷陽一の思いも理解できる。

まあとにかく、60年代70年代、ロックが勢いとエネルギーを持って大展開していった時代は、渋谷陽一の死と共に記憶から歴史になった、と言えるかも知れないなあ。

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2025年12月 7日 (日)

バルゴンとギャオスを「一気見」

「角川シネマ有楽町」では現在、企画上映「昭和ガメラ映画祭」をやってる。本日の上映は午前が「大怪獣決闘ガメラ対バルゴン」、午後は「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」、いずれも4Kデジタル修復版の初上映。一日で二本見るのが効率的だと思い、「一気見」した。

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「ガメラ対バルゴン」(昭和41年)は、「大怪獣ガメラ」(昭和40年)に続くシリーズ第2作。当時の子供だった自分がこの映画を見た時は、怪獣よりもサソリがとにかく怖かった。サソリが日本にいなくて本当に良かったと、心の底から思ったものだ。もうトラウマ気味の記憶がある、この映画を自分が観るのは、ほぼ60年ぶり。これだと、殆ど初めて観るようなものだな。

しかしこれってガメラ、脇役なんじゃない? 最初の戦いで、ガメラはバルゴンの冷凍液を浴びて凍ってしまう。その後は、バルゴンに対する人間の作戦が、人工雨で動きを鈍くするとか、特大ダイヤモンドの光で誘導するとか、虹光線を反射して打撃を与えるとか、何だかんだと続いていく。その間にガメラの「解凍」が進み復活。とりあえず人間の作戦で、バルゴンが琵琶湖の近くまで誘い出されていたので、最後にガメラが湖の中に引きずり込むことができたという感じ。

しかしバルゴンは水を浴びると細胞が溶けて血液が流れ出す、要するに水に弱いというのは、「大怪獣」とは思えない設定。そもそも生き物としてどうなんだ感がある。(苦笑)

人間はもっぱらバルゴンに対処するのに精一杯で、ガメラについては「放置」状態。ガメラはガメラで、バルゴンを倒したら、何処かへと飛び去って行く。悪者を倒して去っていく「西部劇のヒーロー」状態。

最後に主役男性が「僕は一人ぼっちなんだ」と言うと、主役女性が「いいえ、一人じゃないわ」と言う。こういう怪獣映画の終わり方は、余り見たこと無いな。(苦笑)

シリーズ第3作「ガメラ対ギャオス」(昭和42年)は、怪獣映画の傑作という誉れも高い。もちろん子供の頃に見たし、もう大分前になるが2009年にも京橋にあるフィルムセンターの企画上映で観た。この作品で、ガメラは「子供の味方」であることをはっきりと打ち出したのだが、まあそれはさておき、とにかく物語の構成がよくできているし、流れもテンポ良く進む。「対バルゴン」は101分、「対ギャオス」は87分で、前者は、人間ドラマや作戦場面が多めの印象。後者にも同様の場面はあるが、物語の主軸はガメラとギャオスの対決3回戦。二大怪獣の戦いの記録ともいえる内容で、結末は分かっていても、どちらが勝つのか観ていてハラハラドキドキしてしまう。

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バルゴンは赤外線で急速に巨大化したとか、ギャオスの体は紫外線で破壊されるとか、赤外線とか紫外線ってそんなに凄いものなのか、よう知らんけど。(苦笑)

ガメラとギャオスが消えた富士山の火口から、超音波光線が空に向けて放たれる。「ギャオスの断末魔だ」。ガメラがバルゴンを琵琶湖水中に引きずり込んだ後、湖上に虹光線が現れる。「バルゴンの断末魔だ」。たぶん子供の頃、これで「断末魔」という言葉を覚えたんじゃないかと思う。(苦笑)

「平成ガメラ」は、自分は最初の「ギャオス」しか観てない。どうもライバル怪獣のデザインがゴチャゴチャしてくると、観る気が出てこない。怪獣映画というより怪物映画という感じになるのが、自分は苦手なのかも。やっぱりガメラは、「昭和」が良いんじゃないでしょうか。

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2025年12月 5日 (金)

「強い経済」は実現できるか

本日付日経新聞コラム記事「エコノミスト360°視点」(「強い経済」実現に必要な覚悟)の執筆者は門間一夫氏。以下にメモする。

政府は企業に「物価高に負けない賃上げ」を求めてきた。しかし、企業は株主のリターンを高める使命を負っている。人件費はできるだけ抑えたいのが本音である。どうしても必要な賃上げはするが、それ以上はしない。これは当然の企業行動であり、それを批判するのは資本主義の否定である。

国内市場の成長期待が弱いままなら、企業は人手不足への対応として、賃上げより業務の縮小・効率化を選ぶ可能性もある。人件費をコストではなく「人への投資」と捉え、攻めの賃上げをすべきだという議論もあるが、投資ならなおのこと成長期待が必要だ。人手不足が実質賃金の上昇につながるか、事業の拡大を制約するだけで終わるのか、両者を分けるのは成長期待である。問題は、どのような経済政策を行えば企業の成長期待が上がるのか、どの国も確実な答えを持っていないということだ。

高市早苗政権は「強い経済」を目指しており、そのために「責任ある積極財政」で臨むという。物価上昇が定着しつつあるいま、積極財政を進めれば、追加的なインフレ圧力が生じて日銀の利上げペースが速まるかもしれない。人手不足も一段と激化するので、金利上昇とあいまって企業の倒産や廃業が増えるおそれもある。

もっとも、そういう新陳代謝こそ「強い経済」の構築には不可欠のプロセスである。そこまで逃げずにやり抜く覚悟と、変化を迫られる人々への手厚い再チャレンジ支援が重要だと考えるべきである。

もうひとつは財源だ。「強い経済」は一朝一夕には実現しない。政権が変わっても継続性のある政策展開が望ましく、長期の財政支出を支える恒久財源が必要だ。国民が共感できる国づくりのビジョンを立て、恵まれた人々には堂々と負担を求めるべきだ。さもなければ、実質賃金が継続的に上がる「強い経済」への道は、財源不足によって絶たれるだろう。

・・・今回の経済対策では、成長戦略として17分野を選定して重点投資するということだから、これで成長期待が生まれる・・・と良いな、とは思う(苦笑)。どうも自分はバブル崩壊時の記憶が残っているので、経済対策(財政出動)というのは、ど不景気の時に公共投資をやるもんだという先入観がある。なので、今やるものなのだろうかと思うし、財政で物価高対策をやるというのもよく分からない。それは、金利引き上げや賃上げで対応するものだろう。とにかく「積極財政」で「強い経済」を作るというのが、どうもピンとこない。それはやっぱり「構造改革」でやるものだろう。

とか思うものの、成長期待を確実に生み出す政策を具体的に作るのは、やっぱり難しいとしか言いようがない。同じようなことは、生産性の向上という課題にも言えるだろう。何をやれば確実に成果が上がるのか、見通しを立てるのは容易ではない。

魔法の杖は無いのだから、最後は、何事も気合と根性で試行錯誤するしかない、のか?(苦笑)

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2025年12月 2日 (火)

参議院議員を減らせばいい

本日付日経新聞「私見卓見」(議員定数削減は二院制の観点で、筆者は岩崎美紀子・筑波大学名誉教授)からメモする。

日本維新の会は「1割を目標に衆院議員定数を削減」することを、自民党との連立政権合意において求めた。なぜ衆院議員だけが対象になるのだろうか。

衆議院の議員定数は2012年に5減、16年に10減され、465となった。一方、参議院の議員定数は18年に6増され248となった。衆参の定数割合は概して2対1であったが、いびつになった。

二院制議会諸国では、第一院は人口比例代表原則と直接選挙に基づく国民代表の議院であり、人口が少ない地方の議員数が少ないのは共通の現象である。このような第一院で定数を削減すれば、地方への議席配分数はさらに減少する。

二院制諸国では、第二院は第一院とは異なる代表原則をとっているが、日本の参議院はそうはなっていない。参議院改革が必要とされながらも、根本的な対応策はとられていない。選挙制度も小選挙区制と中選挙区制の併存に加え、比例代表制非拘束式に拘束式を混在させるなど、一貫性にはほど遠い。

定数削減による地方への影響が少ないのは、全国を1区とする参議院比例選挙である。定数減が続く衆議院と、定数を増やした参議院。国会議員の定数削減を目指すのであれば、二院制の観点からの検討が不可欠である。

・・・言われてみれば、なんで参議院の議員数を減らすという話にならないのだろう。誰か理由を教えてくれぇ。

仮に、現状で参議院議員全員を比例代表選挙で選んだら、完全多党制の世界になって多数派形成はほぼ不可能になるだろうな。(苦笑)

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