「玉音放送」の日
東銀座の東劇で、本日一日のみ限定上映の映画「東京裁判」を観た。
自分がこの映画を劇場で観るのは3回目。最初は公開時の昭和58年(1983年)。次がリマスター版上映時の2019年。この時点で36年ぶりだ。まあDVDも持っているので、36年の間、全く作品を観ていないわけではなかったけど。
リマスター版を観た時に思ったのは、1983年はまだ冷戦が続いていたけど、2019年においてはとっくに終わっていたということだ。これは結構大きいなと、その時遅まきながら気が付いた。昭和58年当時は、映画を観て、確かに今は東京裁判とつながっている、あの戦争直後の時代と地続きだと思えたのに、2019年には、東京裁判は過去の歴史だと感じてしまった。この違いは大きい。
リマスター版では、昭和天皇の玉音放送の場面に、天皇の語る内容が字幕として追加されている。昭和20年8月15日の当日に放送を聞いた人々の大部分は、話の内容をよく聴き取れず、しかし天皇の語る調子、声の抑揚から、戦争に負けた、戦争が終わったということは何となく了解したらしい。確かに、字で見ても難しいし、聞くだけならなおさら分からない感じ。とりあえず「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」は分かるかな。(苦笑)
「終戦」ではなくて「敗戦」だ、というのは考え方としては正しいのだろう。戦争が終わった日は、公式には降伏調印した9月2日だというのも、正しいのだろう。しかし、既に戦争は負けると思っていたであろう日本国民の大部分にとって、玉音放送は、戦争の終わりの儀式としては誠に印象深いものだったと思われる。「終戦の日」ではなく、「玉音放送の日」と呼んでもいいかもしれないな。
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