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2025年8月24日 (日)

戦争の教訓を語り継げているか

『「戦後」の終焉』(朝日新書)は、保阪正康と白井聡の対談本。以下は、戦争の教訓を語り継ぐことについての保阪発言からのメモ。

戦後の政治家の多くは、侵略戦争で他の国に迷惑をかけたと言っていればいいだろうとばかりに、オウム返しで論じてきました。その影響で社会の中にある種の空洞化が起きてしまったと思います。日本の侵略行為を否定する政治家も含め、貧しい歴史観でしか戦争を語れない政治家がいかに罪深いか。

日本人の戦後は、年を追うにしたがって戦争についての空虚な言葉の羅列になってきたと思います。代表的なのは戦争反対、平和憲法を守れという言葉を口にすることが、あたかも戦争の歴史から得た教訓であるかのような安易な振る舞いです。つまり、戦争に関する歴史を一つずつ検証したうえで、きちんとその教訓を語り継ぐということがないがしろにされてきたわけです。

大衆の戦争観は、戦争について自分の生活の中の目だけで見て、その中には結局、感情しか残っていません。だから戦争反対、平和憲法を守れという言葉をひたすら繰り返しているわけです。確かに戦争で肉親を失った人々の悲しみというのは語り継がれているでしょう。しかし、そういう感情を超えた歴史観は持ち得ていないと思います。

・・・確かに戦争経験者の話は貴重なものだ。しかし庶民が、戦争は悲惨だから、戦争だけは絶対やってはいけないと語るのを見れば、それはそうだろうと思うしかない。感情から生まれた当然の「結論」を受け取るだけならば、戦争を語り継ぐことの意義は見失われるだろう。そしてまた、一部の政治家が戦争反対、平和が大事と叫ぶのを見ても、そりゃ当たり前だろうとしか思えない。つまり空虚なスローガンと化していて、何も言ってないのと同じなのである。

肝心なのは、なぜ戦争は起きるのか、どうすれば平和が維持できるのかを考えながら行動すること。それには、まず戦争の歴史を学び、そこから教訓を引き出しつつ、歴史観を養うしかないように思う。

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