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2025年5月31日 (土)

伝える、それは役者になること

人に何かを効果的に伝えるためには、自分は役者になる、と割り切ることも必要だ。テレビ東京「WBS(ワールドビジネスサテライト)」のキャスター・豊島晋作氏の新刊『「伝え方」の本質』(日経BP社)から、以下にメモする。

誤解を恐れずに言うと、メッセージを効果的に伝えるためには、究極的には「演じる」ことが必要です。大勢の人に対して何かを伝える場面では特にそうです。つまり、多くの聞き手を前に、身ぶり手ぶりを使い、はっきりと話し、十分な間を取り、壇上を動き回るなど、「伝えるのが上手な人」を演じなければならないということです。

もちろん、「演じる」と言っても、それは「偽りの振る舞い」をすることではありません。大切なのは、あなたが本当にそう思っているか、伝えたい中身に自信を持っているか、そして誠実であるかどうかです。

そもそも、私たちの社会はある種の「演劇」です。人は常に、そのときの状況や立場で、社会的に期待される振る舞いをしています。社会や組織の中で与えられた役割を演じているのです。であれば、あなたが「伝える人」の役割を果たすために演じることは当然だといえます。

かくいう私も、本当は「根暗」で、前日の失敗を2時間ごとに思い出してはため息をつくようなネガティブなタイプの人間です。しかし、WBSのスタジオでは、スーツをきちんと着て姿勢を正し、あたかも〝物事が万事うまくいっている〟ように振る舞いながら、ニュースキャスターという役割を演じています。

「伝える責任」が大きくなればなるほど、「自分はメッセージを伝えることができる人を演じるのだ」と、心の中で割り切らなくてはなりません。会場は「劇場」であり、プレゼンの場は「舞台」だと考え、自分は「役者になる」と決めるのです。

・・・以下、豊島氏は「伝える」ための具体的な演技として「視線」「手」「歩いて」などで伝える方法を提示している。

内容のいい話でも、単に話すだけで人に十分伝わるかどうかは疑問。効果的に人に伝えるためには、やはりある程度の演出も必要なのは間違いない。

それとは別に、豊島氏が自身を「根暗」とか言ってるのは、ちょっと意外だった。何しろテレビでは嫌味なくらい颯爽としている(笑)人だなあと思っていたので。そこは意識してキャスターを演じているわけだな。

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2025年5月30日 (金)

「ウェストファリア神話」

ヨーロッパの歴史における最大最後の宗教戦争である三十年戦争(1618~1648)を終結させたウェストファリア条約。これにより主権国家体制が確立した、というのが教科書的な説明。しかし最近の研究では、それは「神話」であり、事実はそんな単純なものではない、ようである。『昭和100年』(古市憲寿・著、講談社)からメモする。

社会学や歴史学では、時代を「古代」「中世」「近代」と三つに分けることが多い。この区分が生まれたヨーロッパでは、文明の起源である素晴らしい古代、文明が停滞した暗黒時代としての中世、そして古代を受け継いだ輝かしい時代を近代と考えた。

その「近代」を説明する際に、必ず持ち出される出来事の一つが、1648年のウェストファリア講和条約。終わりのない宗教戦争に終止符を打ち、国家が特定の領土を持ち、その領土内の国民が国家の主権を構成する国民国家という仕組みの起点となったとされる。

(しかし近年の研究動向によれば、)「近代主権国家」「近代国民国家」や「近代国際法」の原点をウェストファリア条約に求めてしまうのは、だいぶ怪しい話であるらしいのだ。実際には、ウェストファリア条約は現状追認的な性格を持ち、かつ継続性があるものでもなかった。近年の研究が主張するように、「近代国家」の成立期は地域ごとに違うのだから、一つの条約に「近代」の始まりを見いだす必要はない。

近年、ヨーロッパ近世史を語る際に「複合国家」という概念がよく用いられる。単一の主権国家ではなく、複数の領域や国々が一つの君主のもとで結ばれた政治形態を指す。いわば「ミニ帝国」とも言えそうだ。要は中世の終わりと共に、一気に中央集権的な近代国家が出現したわけではない、ということなのだろう。

・・・自分も、ウェストファリア条約の話を聞いて、ルターの宗教改革(1517)から130年後に主権国家体制確立という、何かマジックでも見てるような展開に歴史のダイナミズムを感じたりしていたのだが、やっぱり130年じゃ短いというか早いというか、ちょっと無理かな(苦笑)。いきなり多数の国が中央集権的な主権国家になったわけではないし、さらに時間をかけて、国民国家を形成していったというのが現実的なところなのだろうなあ。その国民国家も現在、どうするどうなるみたいな話なので、国民国家の前段階である複合国家が注目されている、という感じがする。

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2025年5月27日 (火)

「所有と経営の分離」

岩波新書の新刊『コーポレートガバナンス入門』(太田洋・著)は、コーポレートガバナンスの理論や歴史について、網羅的に叙述を展開する内容の濃い入門書。その最後の最後に、改めて「コーポレートガバナンスとは結局何なのか」との問いかけが置かれている。確かに、そう言いたくなる感じもあるので、ちょっと苦笑。で、同書の結論的には、それは不断に変化し続けるもの、である。以下に、同書第8章から抜き書きする。

「コーポレートガバナンスの本質は、経営者に対する『規律づけ』という点において不変であるものの、その目的、そしてそれを実現するための具体的な仕組みは、不断に変化し続けるものである」。「『理想のコーポレートガバナンス』像は、経済や社会のあり方や、その中における株式会社の位置付けの変遷とともに、常にアップデートされ続けるもの」であり、我々は「『理想のコーポレートガバナンス』像を目指して、試行錯誤を繰り返しながら、常に走り続けることを運命づけられているのだろう」。

・・・まあ何事によらず、結局何なの?という感じになったら、いったん原点に戻るのが良いと思う。コーポレートガバナンスの場合は、「所有と経営の分離」という考え方。以下に、同書第1章からメモする。

コーポレートガバナンスに関する考え方(すなわち、コーポレートガバナンスとは、会社経営者に対して「規律づけ」をするための制度的な担保及び具体的な制度運用の総体を意味するという考え方)を、「所有と経営の分離」という概念を用いて明快に基礎づけたのが、米国の法律家バーリと経済学者ミーンズである。(『現代株式会社と私有財産』、1932年)

バーリとミーンズの指摘――多数の株主を擁し、所有と経営が分離した近代的な大企業では、チェック・アンド・バランスのメカニズムが有効に機能しなくなり、結果、経営者が、株主の利益から離れて、自分自身の利益を追求するようになっている、との指摘――は、極めて先駆的な考察であった。「経営者をいかに規律づけるか」という「コーポレートガバナンス」の考え方は、事実上、このバーリとミーンズによる「所有と経営の分離」という指摘からスタートしているといっても過言ではないだろう。

・・・コーポレートガバナンスとは何なのかよく分からなくなったら、とりあえず「所有と経営の分離」に立ち帰り、株主の負託を受ける経営者は何をするべきか、株主は経営者に何をさせるべきか、あるいは何をさせないべきか、考えてみるのが良いのではないか。

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2025年5月26日 (月)

コンサル就職人気と「成長」志向

今どきの就活で、東大生が目指すのは官僚ではなく、コンサルティング会社だという。なんでまたと思うわけだが、就活生の成長志向に、コンサルという職種が良い感じでハマるらしい。以下に『東大生はなぜコンサルを目指すのか』(レジ―著、集英社新書)からメモする。

成長したいと叫ぶビジネスパーソンは常に何かに追い立てられている。ポジティブな気持ちで成長を望んでいるというよりは、「成長を目指さないとやばいのでは?」という漠然とした不安にとらわれている。

結局、「成長したい」の裏側にあるのは「安定したい」なのである。かつては大企業に新卒で入るのが間違いのない安定だった。しかし、今はポータブルスキルとともに働く場所を変えながら、どこからも求められる人材として働けるようになることこそ安定に他ならない。終身雇用の時代はいつしか「終身成長」の時代に変わっている。

ポータブルスキル。直訳すると、持ち運べる技能。厚労省によるとポータブルスキルの要素は「仕事のし方(対課題)」と「人との関わり方(対人)」に大別される9つの要素からなる。これがあれば大丈夫、というお守り的なスキルを多くのビジネスパーソンが身につけたいと願っているのだ。

ここで浮上してくるのが、「コンサル」である。スキルとお金を得ることができて、かつ時代のトレンドに乗っている仕事。この業界が就活において人気になっている。

成長を目指すビジネスパーソンが陥りがちなのは、「キャリアは計画的に作れる」という強い思い込みである。主に学生時代の経験や視野をもとに考え出した「キャリアパス」は、世の中や自分のことをどこまでわかったうえでのものなのだろうか。

「優秀な人材」としてスキルと年収を高めるのは、あくまでもビジネスパーソンの成長における一つの側面に過ぎない。そもそも、人の数だけ成長のイメージがあってしかるべきだ。

余暇人として自分にとっての大事な趣味を突きつめることも、家庭人として自分の身近な人のために時間を使うことも、本来は立派な成長のはずである。昨今の成長にまつわる話は「人間として」ではなく「労働者として」の議論に偏りすぎている。ポータブルスキルを求めるだけでなく、労働者とは異なる役割から自分のあり方を見つけるのも成長なのではないか。

・・・東大生のコンサル志向というのは、今どきのキャリア意識の象徴であると見ていいんだろうな。とにかく比較的短期間で一定水準以上のスキルを身につけて自分の市場価値を高められる、それが就活生の考える理想の仕事なのだろう。まあ若い人が自分の急成長目指して焦る気持ちも分かるし、確かにコンサルというのはカッコいい仕事でもあるのだろうが、職業人生の始まりがコンサルというのは「頭でっかち」になるだけのような気もする・・・コンサルにはコンサルの泥臭さがあるのかな。よう知らんけど。

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2025年5月25日 (日)

インフレの現実とデフレ意識

日本経済のインフレという現実に対して人々は立ちすくみ、根強く残るデフレ意識から消費意欲も減退しているようだ。以下に『新型インフレ』(永濱利廣・著、朝日新書)からメモする。

賃金以上に物価が上がっているため、日本経済は疲弊している。

物価上昇には「コストプッシュ型」と「ディマンドプル型」の二つがある。コストプッシュ型のインフレは、原材料費やエネルギー価格など、供給コストの上昇が原因で起こる物価上昇だ。ディマンドプル型のインフレは、需要が供給を上回り、品不足が生じることで起きる物価上昇だ。コストプッシュ型では実質賃金がマイナスになりやすい。ディマンドプル型では実質賃金がプラスになりやすい。

日本の物価上昇の主たる要因は、食糧とエネルギー価格の上昇なのであり、コストプッシュ型だということがわかる。

物価上昇がコストプッシュ型で実質賃金がマイナスであるため、人々が消費を控えるので需要は拡大しない。需要が拡大しなければディマンドプル型の物価上昇にはなりにくく、賃金も物価を安定的に上回って上がりにくい。消費のスイッチをオンにして需要を拡大し、ディマンドプル型に切り替えなければならない。だが、日本には切り替えを阻む強烈なブレーキが存在している。それがデフレのトラウマだ。日本では、デフレのトラウマが後遺症となり、今では「デフレマインドという国民性」として定着してしまったかのようだ。

長期にわたるデフレ経験の結果、消費は停滞し、需要は縮んだままだ。そして、この状況を強めるのが将来への不安だ。「この先、何が起こるかわからない」という時、人は支出に慎重になりお金を貯め込む。

通常のインフレは物価も株価も上昇するが、その分賃金も上がり、需要が拡大する。それが企業の好業績につながり、個人の所得へと還元されていくのだ。ところが、今の経済状況は「新型インフレ」である。物価も上がる、株価も上がる、名目賃金も上がる。ただ、実質賃金が上がらない。したがって消費は増えず、人々はお金を貯め込み、日本経済全体の停滞が続く・・・。

・・・「デフレのトラウマ」。まあ証券業界OBの私としましては、「バブル崩壊の呪い」と言いたい気がする。呪いが解けないと、行動は変わらないのだ。(苦笑)

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2025年5月18日 (日)

「振り飛車」を応援しよう

本日付日経新聞記事「AIにあらがう将棋棋士」から、以下にメモする。

将棋トップ棋士の間で、人工知能(AI)が不利と評価する戦法「振り飛車」が見直されている。AI全盛の世で、人間の創造力を探る好例といえそうだ。

居飛車と振り飛車の棋士の割合は約3対1。もともと振り飛車党は少数派だが、近年は上位ほどその割合が減る傾向にあった。飛車を動かす場所は主に3通りあり、いずれも将棋AIはマイナスの評価を下す。次々とタイトルを獲得していった藤井聡太七冠が居飛車しか指さないことも大きい。

だがこの1、2年で風向きが変わった。振り飛車復活の流れを作ったのは佐藤天彦九段だ。23年秋、振り飛車に転向。当初は苦戦したが、24年度はA級でトップを走った。

振り飛車再評価の背景には、AI研究合戦による居飛車同士の戦いの行き詰まり感がある。AIが示す有利な戦い方を暗記し、再現できるかが勝敗に直結する。佐藤九段は「AI研究は若さ、時間との親和性が高い」とも指摘。体力と時間を要する研究勝負は若手に有利な面がある。他方、振り飛車を指すようになったトップ棋士は30代半ばが目立つ。「30代には人間同士の中で得てきた戦い方の知恵のようなものがある」と佐藤九段。

タイトル戦では、23年度に振り飛車党の菅井竜也八段が藤井七冠に2度挑戦。藤井七冠は「振り飛車党でも佐藤九段と菅井八段では棋風が全く違う。対局者の個性が出やすい」と話す。

「最善」や「真理」の追究は将棋の醍醐味だが、試合の中で生まれるひらめきこそが楽しさにつながる。それはどんな分野にも通じる喜びだろう。AI研究の先端を行く将棋界での静かな変革は、人間とAIの関係を見つめ直す示唆に富む。

・・・大昔のプロ将棋は、相矢倉と振り飛車が二大戦法で、角換わりや相掛かり中心の現在とは、まさに今昔の感。それでもプロ棋士はともかく、アマでは振り飛車は今も人気戦法だ。相居飛車の戦いは定跡研究が高度に進み、一手一手の意味が難解なものになっているのに対して、振り飛車居飛車の対抗型は、攻めと守りの狙いが比較的分かりやすい。その辺が、アマに好まれるのだと思う。

振り飛車戦法は、実質的に美濃囲い戦法だろう(穴熊もありますが)。とにかく飛車をどかして、飛車のいた位置に王様を移して、銀を一手動かせば堅陣が出来上がる。飛車を動かす一手がAIには評価されないとしても、これはこれで合理的な戦法だと思う。指す人の個性が出やすいということは、つまり見ていて面白いということでもあるし、振り飛車党の棋士がタイトル戦にもっと登場することを望みます。

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2025年5月15日 (木)

企業情報開示、多すぎ。

株主総会前に有価証券報告書を開示できれば、それに越したことはないが・・・以下に、本日付日経新聞投資面コラム「大機小機」(個人投資家に平易な情報開示を)からメモする。

企業開示は投資家にとって最重要の情報源だ。正確で豊富、かつ迅速であることが必要だ。株主総会前の有価証券報告書開示の動きは、一般論としてはこの要請に沿う。

だが上場企業は、すでに金融商品取引法上の半期報告書と上場規程に基づく決算短信に加え、投資判断に影響を及ぼすような重要情報には、適時適切な開示義務を負う。また、図表や写真を駆使した統合報告書やサステナビリティー報告書、株主通信などの任意開示も進めている。投資家向け広報(IR)活動や投資家との対話も盛り込んだ。さらに会社法により、株主総会の2週間前までに総会招集通知が交付され、事業、財務情報などが数十ページにわたって記載されている。

企業の作業量は膨大である。最近は経営戦略・課題や人的資本、ESG(環境・社会・企業統治)、多様性などの非財務情報の開示も求められており、負担は増すばかりだ。有報の総会前開示が、費用対効果に見合うか否かは十分に検討しておくべきだ。

プロ投資家なら総会前の1、2週間で、1社200ページ近い有報を何十社も読みこなせるかもしれない。しかし、大半の個人投資家には難しい。分量のみならずかなりの財務、会計の知見を要するし文章も専門的で読みにくい。

上記のような事情とともに決算日から総会までの期間は日本が3カ月以内なのに海外では4、5カ月という違いもある。

急ぐべきは、事業報告書、有報、短信といった会社法と金商法、取引所それぞれの三様の開示の交通整理である。また、とくに個人投資家にとっては分量よりも平易な開示が重要課題だ。

・・・とりあえず株主総会の開催を、現状からもうひと月先延ばしするのは、できないことではないらしい。そうなれば、有報を読む時間はまあまあ確保できるだろう。それはそれとして、有報は一般人が読むためのものとは思えない。あれは基本的に、役所に出す「届出書」であると自分は思っている。書式もきっちり決まっているので、読みやすくするということ自体、難しい気もする(苦笑)。それから、会社法上の事業報告書は省略可として、上場企業の法定開示書類は有報に一本化してもらいたい。これは、いつも思うことだが。

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2025年5月11日 (日)

自社株買いで株価上昇?

最近の株式相場の売買動向では、「自社株買い」が存在感を高めている。短期的売買の買い材料にもなっている自社株買いだが、理論的には株価に中立とされる。日経新聞の昨日10日付記事(「株数減少時代」に日本突入)からメモする。

日本の株式市場で株数が本格的に「減る」時代に突入している。背景にあるのが資本効率改善手段としての大規模な自社株買いだ。24年度の取得実績は前年比7割増え16兆円超と過去最大だった。

自社株買いは短期的には正の超過リターン(相場対比のリターン)をもたらすことが実証研究などで明らかになっている。ただ長期的にどう影響するのかは、ファイナンス理論の世界では様々な議論がなされてきた。

「自社株買いは株価に対してニュートラル(中立)」。こんな結論を導き出すのが「MM理論」だ。後にノーベル経済学賞を受賞した経済学者のフランコ・モジリアーニ氏とマートン・ミラー氏が1950年代に提唱し、両者の頭文字を取った。

MM理論の命題はどんな資本構成でも企業価値は変化しないということ。自社株買いを実施しても1株あたりの企業価値も変わらないことになる。EPSの上昇は「見かけの改善」に過ぎないので、株価は上がりも下がりもしない、となる。自社株買いと株価を検証する上で最重要の理論とされる。だが現実世界では株価は上げている。

経営者は企業の内部情報を持ち、投資家との間には情報格差がある。自社の実力をよく知る経営陣が「株価は本来もっと高くあるはずで、現在は割安だ」と発信するメッセージとして自社株買いを使う。「シグナリング仮説」と呼ばれる。

だが、いまの日本企業に当てはまっているのは別の理論だと野村証券の北岡智哉チーフ・エクイティ・ストラテジストは指摘する。それが「エージェンシー仮説」だ。自社株買いは、経営者が自由に使える現金を減らして株主に返す行為にほかならない。自らを規律付けられる経営者は信頼に足るとみなされ、投資家から高く評価されるという。

一橋大学の田村俊夫教授は、中長期で「PBR2倍、3倍を目指すには、有望な投資機会を創り積極投資」することによる、本業の価値向上が必須だと強調する。

成長の種に資金を振り向けずお金を投資家に返すばかりでは、縮小均衡で終わってしまう。株数減少時代をきっかけに、企業価値を高める成長戦略を構築すべきだろう。

・・・適当な投資先が無いので資金を自社株買いに使うのは、次善の策。やはり本筋は、成長投資に資金を投入し企業価値を高めて株価を上げること。だな。

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2025年5月 6日 (火)

中ロ「帝国」と、米国覇権の終わり

日経新聞の昨日5日付オピニオン面記事(「帝国」の時代なのか)から、以下にメモする。

膨張ではなく、昔持っていたものを元通りにするのが習近平(シー・ジンピン)国家主席の唱える「中華民族の復興」だ。人や他国を見下す歴史的に筋金入りの「華夷秩序」の意識が根底にある。中国とロシアは似ている印象がある。ロシアはウクライナに殴り込みをかけ、中国は台湾に襲いかかろうとしている。プーチン大統領がウクライナに踏み込んだのは、もともとロシアのものだったものを取り戻すためで、中国と論理がよく似ている。日本はつくづく悪い立地にある。対ロシア、中国との最前線にいる。(岡本隆司・早稲田大教授)

ロシアは現状を守ろうとする保守的な国といえる。ウクライナで続く紛争はロシアが現状を維持し、地政学的な地位の悪化を防ごうとする試みではないか。かつての米ソの二極体制、米国の一極化を経て、世界は多極化に向かっている。世界の多極化が進む中で、大国ごとに利益圏が形成されるようになるだろうか。有力国の側に位置するなら、その国益を考慮しなければならないというのが現実だ。(アンドレイ・コルトゥノフ、ロシア国際問題評議会研究員)

第2次世界大戦から1991年の冷戦終結まであった米国の覇権体制は、機能不全に陥っている。第2次トランプ政権発足後、民主主義や人権の擁護、国際的な法規制も含めて、あらゆることを米国が自ら破壊し始めた。では中国やロシアが、どこまで世界の覇権体制を目指すのだろうか。ロシアのように、武力だけで覇権を得ることはできない。中国のように、市場を開放せずに生産だけで経済覇権を握ることもできないだろう。やはり世界は、あらゆる形態のナショナリズムに対抗するような、新たな国際主義を必要としている。(マイケル・ハート、米デューク大教授)

・・・中国もロシアも、膨張する帝国を志向しているのではなく、台湾やウクライナを取り戻す、という考え方なのだろう。とはいえ、目的達成のため、暴力を行使するのは言語道断である。一方で、国際秩序の安定に主導的な役割を果たすというアメリカの意欲は弱まりつつある。いやでも「パックス・アメリカーナ」の終わりを感じるところだ。他国の都合などお構いなしに大国が好き勝手に振る舞う時代が来ているとすれば、これに対抗するため、いかに非大国の間で連携するかが外交的課題になるのだろう。

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