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2025年3月10日 (月)

「天下餅」を膨らませた家康

近年の歴史研究では、織田信長は「普通の戦国大名だった」とする説が出されている。これに対して本郷和人先生は、やはり信長は革新的だったと評価する。そして徳川家康は「普通の戦国大名」かもしれないが、日本に大きな転換をもたらした、という。『東大生に教える日本史』(文春新書)からメモする。

信長はどこが革新的だったのか? 私の答えは、「自分を頂点とする一元的な支配を拡大し、全国政権をつくろうとしたこと」です。

「天下布武」とは、そうした信長のヴィジョンを示す言葉でしょう。日本全国に「武を布く」、すなわち自分の武威を示すことでしか、戦乱は終わらない。そんなことを考え、実行に移した戦国大名は、やはり、信長しかいないのです。

「織田がつき羽柴がこねし天下餅、坐りしままに食うは徳川」と狂歌にも詠われたように、しばしば「天下統一への設計図を描いたのは信長であり、秀吉はそれをなぞっただけだ」という言い方がされます。そうだとしても、設計図を現実のものにするのはやはり大仕事であり、その意味で、秀吉もまた歴史を動かす役割を担った人物だといえます。

カリスマ信長や、革命児秀吉に比べると、家康にはそこまで強烈な個性は感じられません。私は、家康が最終的な勝者となったのは、彼が信長・秀吉の起こした革新をきちんと理解できた、「時代」の流れを見通すことのできた「普通の戦国武将」だったからだと考えています。

家康が行なった、今の日本にも大きな影響を与える大転換は、なんといっても江戸に幕府を置いたことでしょう。この決断がもたらしたものは大きく二つ。ひとつは日本に「二つの中心」ができたこと。もうひとつは東国、ことに東北の成長です。

秀吉によって関東に移された家康の視界に、いまだ統一の途中にある広大な地域として、東北が入ってきた。それは秀吉が達成した「天下統一」を、さらに北へ拡張・拡充するものでした。

家康が幕府を構えたことで、江戸は政治的中心地となるだけではなく、一大消費地としても成長していきます。それまで経済や文化の中心といえば、京都、大坂だったのが、江戸というもうひとつの中心が生まれたのです。東国の成長による「天下の拡充」。それが家康の成し遂げた大きな成果だったといえるでしょう。

・・・信長が着手し推進した「天下統一」プロジェクトを、秀吉がほぼ完成させた。そこから家康が一層の拡大を指向・継続し、併せて徳川の支配体制を盤石のものとした。これにより国力が増大し、後に近代化の機会が到来した時にも対応できた。と考えると、やはり三英傑の時代は、日本史の大きな転換点だなあと思う。あの時代に、何でこんな人たちが出てきたのか、特に信長は何でこんなことを考えて実行したのか、不思議に思えてくる。

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