ふつうに生きる有難さ
『死が怖い人へ』(久坂部羊・著、SB新書)第五章「生とは何か」からメモする。
新聞の人生相談などを見ていると、ときどき「自分には生きている価値があるのか」というような相談が寄せられることがある。回答はだいたい、だれにでも生きる価値はある、あなたはまだそれを見つけていないだけ等、優しく励ます内容が多い。
私はどんなに成功している人でも、幸せに暮らしている人でも、その人の生に価値があるとは思わないし、逆に、無職で孤独で夢も希望も居場所もない人の生を、価値がないとも思わない。生きるということには、価値があるともないとも思わない。生きる価値などというものは、何か支えがないと落ち着けない人が創り出した妄想で、それぞれが勝手な意味づけをしているから、議論しても答えは出ない。
そんな疑問を持つヒマがあったら、もっとシビアな現実を見たほうがいい。先日、NHKの「プロジェクトX」の再放送で、日本初の骨髄バンクを作った人々が紹介されていた。その中で、白血病のために15歳で亡くなった少女の「将来について」と題された作文が紹介されていた。
『私は、ふつうの高校生になって、ふつうのお嫁さんになって、ふつうのお母さんになって、ふつうのおばあさんになって、ふつうに死にたい』
少女はその『ふつう』をすべて叶えられずに亡くなった。ふつうに生きて、ふつうに年を取って、ふつうに暮らせずに亡くなる人が、この世には大勢いる。ふつうに生きていることが、実は得がたい幸運で喜ぶべきことと知ったら、生きることに価値があるかどうかなど、考える気にはならないのではないか。ふつうであることの幸運を、十分認識すれば、生きることも少しは楽になると私は思う。
・・・上記の「プロジェクトX」再放送は自分も見た。名古屋での日本最初の骨髄移植の話。20年くらい前にも見たが、その時は、最後に骨髄提供者と被提供者の感動の出会い(本来は、会っちゃいけないらしい)が印象に残ったが、今回の放送では、自分も白血病死した女の子の言葉がひどく痛切に感じられた。
平和な時代に、若くして亡くなってしまう人がいる。病に襲われることに理由は無い。それだけに残酷としか言いようがないし、ただただ悲しい。本当に、ふつうに生きることができれば、それで十分なのだ。生きる意味やら価値やら考えても、大した結論は出ないのだから、生きられるところまで生きればそれでよし。
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