『アドラーに学ぶ どうすれば幸福に生きられるか』(岸見一郎・著、ベスト新書)からメモする。
アドラーは、「私は自分に価値があると思える時にだけ、勇気を持てる」といっています。ここでいう勇気とは、対人関係に立ち向かう勇気です。
自分が好きでないという人は、対人関係を避けるために、自分には価値がないと思い、したがって、自分を好きにならないでおこうと決心しているのです。
(自分が好きと思える時は)自分が役立たずではなく、誰かの役に立っていると思える時ではないでしょうか。自分が何らかの形で貢献できたことを知れば、自分には価値があると思え、自分を好きになることができます。
貢献する、あるいは与えるという時、私が考えているのは、他の人のために動くことが自分にとって喜びであるということです。人から「ありがとう」といってもらいたいのではありません。自分がしたいことをすることが人に役立つことになるというのがいいのです。
与えられた生をどう使うか。プラトンの言葉を借りるならば、ただ生きるのではなく、「よく生きる」ために使いたいのです。「よく生きる」ということの具体的な内実は、アドラーが与えています。「私に価値があると思えるのは、私の価値が共同体にとって有益である時だけである」
先に見た言葉でいえば、私が他の人に役立っていると思える時に、そんな自分のことを好きになれるということです。そのように思える時、この生は生きるに値すると思えるでしょうし、そのように思えるよう他の人と関わるためには、対人関係を主な内容とする人生の課題を回避するわけにはいきません。
人生に意味がない、とか、目的がない、と考えるのは、人生が自分の思うとおりにならないと思う人だけです。この人生には意味がない、と考えることには、目的があります。そのように思うことで、人生の課題を回避しようとしているのです。
私は他の人に負っていることが多々ありますが、私もまた他者に働きかけ、協力することができます。与えられるだけではなく、与えることができるのです。
どのような仕方であれ、他者に貢献している、誰かに役立っていると感じられる時、人は幸福になれます。幸福とは貢献感なのです。
・・・アドラー心理学では、人間の行動を目的論的に考えるという。なので、自分が嫌いだとか、人生は無意味だとか言う人は、対人関係を主な内容とする人生の課題を回避することを目的としている、と説明される。
でも、人間の行動にはいつも目的があるとまでは思えないし、ある考え方をすれば人生の課題や対人関係が回避できる、わけでもないよなあ。むしろ避けようとしても、否応なく向こうからやってくるような気がする。回避しようもない人生の課題や対人関係にぶつかった結果、自分が嫌いだとか人生は無意味だとか感じる、やっぱりそういう順番だろうと思ってしまう。
それはそれとして、「よく生きる」ということが大事であるのは同意する。なぜか自分は今そういう心境だったりする。もちろん、「よく」の内実を自分も考えないといかんのだが。
幸福についても、今の自分は単純に、他者と何事かを共有できればそれが幸福なのだなあ、という感じで思っております。