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2025年1月 4日 (土)

「伏見桃山城」

昨秋視聴済みのブラタモリ「東海道五十七次」(五十三次プラス伏見、淀、枚方、守口)の回が昨日3日に再放送されていて、流し見していたら、伏見宿は伏見の城下町を「居抜き」して作ったとか、徳川家康は伏見にいた期間が長かったとかの話をしていた。そうかぁ、確かに豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いまでの権力闘争の主な舞台は伏見城という印象があるしなぁ・・・などと思って、「伏見に行っておくか」という気になり、寒い中、京都まで行ってきた。写真は「伏見桃山城」の模擬天守。

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この「お城」は遊園地内の施設として建てられ、閉園後もそのまま残されたという代物。耐震基準の問題で、内部への入場も不可とされて、今は巨大な置物と化している。もともと伏見城は歴史的資料が乏しい(豊臣時代の初代は地震で倒壊、同じく二代目は関ヶ原の前哨戦で焼失、徳川時代の三代目は一国一城令により廃城)ようなので、このお城の外観もほぼ想像の産物、いわゆる「あやしい天守閣」だというのは、大方周知済みなのではないかと思う。

ところで、今月から始まるEテレ番組「3か月でマスターする江戸時代」のテキストに、江戸時代は「伏見幕府」から始まったとあるのを見て、「おおっ」という感じがした。以下にメモしてみる。

江戸幕府はずっと江戸城に政権があった、というイメージをおもちの方もいるでしょう。しかし、幕府発祥の地は、意外にも京都郊外の伏見城でした。徳川家康・秀忠・家光が将軍宣下を受けたのも、最初の武家諸法度が公布されたのも、この伏見城なのです。初期幕府を〝伏見幕府〟と呼ぶこともあるほど、伏見は江戸幕府の成立を考える上で重要な地なのです。

・・・伏見の地において、豊臣から徳川へ政権が移行した。言い換えれば、豊臣末期と徳川初期の政権が重なる地が伏見、という認識になるのだろう。

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