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2025年1月 6日 (月)

経済発展≠民主主義の実現

本日付日経新聞「経済教室」(日本の世界史的使命は何か、執筆者は岩井克人先生)から、以下にメモする。

1989年8月、米国の政治哲学者フランシス・フクヤマ氏は「歴史の終わり」と題した論文を発表した。その中で彼は宣言した。これまで人類を支配してきたイデオロギーの争いの歴史は終わった。自由の理念に基づく近代的な民主主義こそが究極の政治体制、すべての社会が最終的に到達すべき「終わり」の政治体制である――と。

フクヤマ氏の宣言から3カ月後の89年11月、ベルリンの壁が突然崩壊した。2年後にはソビエト連邦も解体された。第2次大戦後の世界を二分した民主主義と社会主義の冷戦は、民主主義の一方的な勝利で幕を閉じたのである。

ソ連解体を目の前にして私を含む多くの人は次の展開を予期した。中国についてである。78年に鄧小平氏が改革開放路線を導入して以来、中国は着実に経済発展の道を歩んできた。 低賃金労働を武器に先進諸国から大量の資本を引き寄せ、世界の工場として奇跡の成長を始める。

実はフクヤマ氏の論文はいわゆる近代化理論に大きな影響を受けていた。それは米国の社会学者シーモア・リプセット氏の「豊かな国ほど民主主義を維持できる可能性が高い」という言葉に要約される。経済発展は中産階級の成長を支え、政治参加や民主的統治を促すという理論である。

だが12年に中国に習近平政権が登場すると、国外では地政学的な拡大姿勢を鮮明にした。それと同時に、国内では個人活動の監視や民間企業の規制を強化し始めることになった。

中国はフクヤマ氏の言う「終わり」が西洋文明にとっての終わりでしかないと主張し始めたのである。近代的民主主義は地理的にも歴史的にも限られた西洋固有の価値にすぎない。中国は自らの歴史に根ざした固有の価値を保持し「中華民族の偉大な復興」という終わりを目指すべきだ、と。

ソ連解体後のロシアでも同様のことが起こり始めていた。2000年にプーチン氏が大統領に選出されると資源価格高騰に助けられ経済は急成長する。だがロシアも近代的な民主主義に向かうことはなかった。中国と同様、それは西洋に固有の価値にすぎないと主張し始めたのである。それに代えてロシア正教、家族、祖国愛など独自の価値を保持し「偉大なロシアの復活」という終わりを目指すことになった。

近代的民主主義は、個人の自由を最低限確保してくれる政治体制である。それは必然的に到達する「歴史の終わり」ではなく、不断に目指し続けなければならない「歴史の目的」なのである。

・・・岩井先生は、日本の世界史的使命は、近代的民主主義社会であり続けること、その事実を世界全体に向けて語り続けることだ、という。

さて、元日NHKBS「欲望の資本主義」にも「近代化理論」の話が出ていたのだが、大雑把に言えば、近代化理論というのは経済決定論だろう。マルクス的に言えば、下部構造が上部構造を決定する。これもまた経済決定論であり、資本主義が瓦解すれば共産主義社会が実現する。しかし、冷戦終結と共に社会主義のイデオロギーも誤りとされ、冷戦後は逆に、資本主義が発展すれば民主主義が育つと説かれた。だが中国、ロシアは経済力が向上しても、自由な民主主義社会にはならなかった。結局、近代化理論も誤りであり、必然的法則としての経済決定論が成り立たないとしたら、残るのは、地政学的な要因が決定的であるという身も蓋もない現実だろう。

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