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2024年11月18日 (月)

70年代司馬遼太郎ブームの背景

「日経MJ」17日発信の文芸評論家・三宅香帆(『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』著者)インタビュー記事の中で、聞き手である中村直文・編集委員が以下のように発言していた。

(著者である三宅氏は)1994年生まれなのにまるで時代を見てきたように書いています。すごい読書量なんでしょうね。 著書内容の大半は同意しますが、司馬遼太郎作品については異論があって。1970年代に会社員らが60年代のノスタルジーとして読んだのでは、と書いていましたが、80年代に読んだ身としては、「まだまだ日本はいける」前提で読んでいました。

・・・年若い著者が、1970年代の司馬遼太郎ブームについて考察しているのは凄いなあと、自分も感心したのだが、そのブームは60年代のノスタルジーだったという見方は、自分も中村氏同様、違うと思った。70年代の時点で60年代を振り返ってノスタルジーの対象にするのは、さすがに早すぎるだろうと。じゃあ司馬遼太郎ブームとは何だったのかというと・・・ちょっと考えさせてね。(苦笑)

実は、自分は司馬遼太郎をまともに読んだことが殆どない。小説は「国盗り物語」「燃えよ剣」を読んだくらい、それも割と最近の話。司馬作品のど真ん中という感じの「竜馬がゆく」「坂の上の雲」は読んでない。あとは、エッセイやテレビでの断片的な発言を聞きかじりしていた程度だ。

なので、いわゆる「司馬史観」もイメージしか持ってないが、軍隊経験のある作家は、とにかく戦時中の日本に違和感ありまくりだったので、何で日本はこんなにおかしくなったのか、昔の日本人はもっとまともだったはずだと考えて歴史小説を書き始めた、という話だったと思う。つまり明治維新から、日清・日露戦争までの40年間は輝かしい時代、その後の大東亜戦争終結までの40年間は暗黒の時代であった、これが「司馬史観」であると。なので基本的に、日本と日本人の輝かしい時代を描いているのが司馬作品、という印象。

日本の1970年代は、前半の石油ショックを乗り越えて、先進国サミットに非西洋国として参加。70年代末には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の呼び声も高まった。1960年代の高度成長は終わっていたが、経済大国としての自信は揺ぎ無いものになっていたと思う。そういう時代に、輝かしい日本を描く司馬作品はフィットしたという感じがする。

ついでに言うと、70年代は日本人論が流行った頃で、これもアジアの中でいち早く近代化、西欧化して、戦争には負けたが高度成長を達成した日本とはどういう国であるのか、日本人とは何かという問いに、日本人自身が大きく関心を寄せたものと見える。つまり日本の70年代とは、経済大国という自信の裏に、内省的な意識も芽生えていた時代ということになる。

そんな時代背景から、日本や日本人を問う作家の姿勢も含めて、司馬作品が70年代の日本の社会状況と共鳴したのではなかろうか。

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