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2024年11月 2日 (土)

GHQ占領と東京裁判

昭和問答』(岩波新書)は、田中優子と松岡正剛の対談本。戦後の、アメリカの日本占領政策と東京裁判に係る松岡発言からメモする。

たしかにアメリカによる日本占領政策は、まさにフロンティアを開拓していくというような独創的で実験的なものだったんだろうと思います。アメリカが日本占領のすべての権限を独占的にもつ。ここが日本占領作戦の最も重要なポイントです。ヤルタ体制のままだと、ドイツの東西分裂やベルリン分割同様のことも起こったかもしれなかった。それをアメリカが巧みに出し抜いた。そのうえで、アメリカの日本占領政策が矢のように連打されていった。このシナリオがまさに「昭和」と、その後の今日に至る「日本」の命運をすべて決することになった。

にもかかわらず、これを詳細に検討することは、いまの日本人の〝宿題〟としては稀薄になっています。天皇の問題、憲法の問題、東京裁判の問題、日米安保条約の問題、経済政策の問題、民主主義の問題、独立の問題など、大問題のほぼすべてが占領政策の施行とともに確定してしまったのに、今日の日本はそういうシナリオから脱したかのように錯覚しているよね。

日本では、東京裁判を受け入れるような立場を「敗北史観」とか「東京裁判史観」とみなす考え方が一時流行した。東京裁判そのものはどう分析しても、勝ち組の裁判であることに変わりない。敗者として裁かれるという経験をした日本が、そういうものを抱えたまま国家を維持していくというのはどういうことなのかを、もっと考えつづけたほうがいいと思う。もし東京裁判がなかったら、はたして日本人はあの戦争を自分たちで振り返ることができたのだろうか、ということさえ怪しく思えてくるよねえ。

東京裁判でA級戦犯をつくりあげて処罰し、天皇のことは不問にする代わりに人間宣言をさせる。そこに加えて民主憲法をつくって与える。それをGHQがあっというまにやってしまった。これでは占領日本は、ぐうの音も出ない。

アメリカは自分たちの影響下での日本の再軍備、ようするに「自衛隊づくり」に着々と向かう。世界戦略として、アメリカは最初から日本をソ連に対抗する地政学的な拠点として見ていたからね。結局、(サンフランシスコ講和条約の調印と同時に)日米安全保障条約が結ばれて、これで日本はずっとアメリカに従属させられることになった。とうてい独立したとは言えないよ。

・・・こんなふうに整理されると、今の日本はアメリカが作った、としか思えなくなる。終戦直後にアメリカから平和憲法を与えられた日本は、冷戦構造の形成に伴い、アメリカの都合により再軍備を強いられ、「反共の砦」となった。冷戦終了後も、国家の在り方が孕む矛盾は解消されないままであり、今も日本は基本的に「属国」的な在り方を引きずっている。

来年(2025年)は「昭和100年」にして終戦80年。戦後日本の根本を問い直す良い機会になるのかもしれない。けど、政治は結局、目先の対応で右往左往するのだろうなあ。

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