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2024年11月22日 (金)

積読(つんどく)の「美学」

本を読む人にとって悩ましいのが、積読(つんどく)。いつの間にやら部屋の中に本が積まれていると、自分の趣味は「読書」じゃなくて「買書」だな、とか思う(苦笑)。誰か、買うだけで内容が頭の中に入る本を発明してくれないか(また苦笑)。

12人の作家・読書家へのインタビューで構成されている『積ん読の本』(石井千湖・著、主婦と生活社)は、本が溢れる各人の自宅などのカラー写真付き。以下に、3者の発言からメモしてみる。

「本は自分の関心事が物の形をとった、知識のインデックスみたいなものなので、必要になったときに読めばいい。だから私は積ん読がいくら増えても気にしません。むしろ積まなくてどうするという感じです(笑)。(背表紙を並べれば)非常に効率よく知識を編集できるんですよね。なるべく目的の本を探しやすい積み方を心がけています。空間を使って、知識や創作物のマップを作っている感じです。」(山本貴光、文筆家・ゲーム作家)

「社会学者の服部恵典さんの言葉がしっくりきたんです。〈積読っていうのは、「読まない本を買ってる」んじゃなくて「自分のための図書館を建ててる」んですよね〉という。自分専用の図書館を作ってると思えば、急いで読まなくてもいいんじゃないかなって。今読まなくてもすぐ手に取れる場所にあるというのは自分にとってはだいじですね。」(柴崎友香、作家)

「本は書いた人の世界がパッケージになったもの。本がここにあるということは〈自分じゃない人の世界がここにある〉ということだと思います。私はできるかぎり、積ん読をしたほうがいいと思うんです。読んでない本があると、世界は外に広がっている。未知の世界に自分が開かれているんです。」(辻山良雄、書店主)

・・・なるほど。積ん読とは、自分の図書館を作ること。あるいは自分が向き合う知識の世界を作ること。と考えて、積ん読に励むとしようか。それにしても、私の部屋の広さの限界が、私の積ん読の世界の限界である、のが悩ましい。(苦笑)

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