「だめ連」の反資本主義
元「日本一有名なニート」のphaさんは、大学時代に「だめ連」の影響を受けたという。その「だめ連」の本が、今年初めに出ていたことを知って、驚いた。『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』(神長恒一、ペペ長谷川の共著、現代書館)が、その本。1992年に、神長とペペの両氏が結成した「だめ連」は、なるべく働かないで、様々な人たちと「交流」する生き方を実行する。しかし30年もよく続いてきたなあ。でも創始者の一人、ペペさんは一年前にお亡くなりになっている。本の内容は概ね、神長とペペ、両氏の対談で「だめ連」の活動を振り返るというもの。「勝ち組でも負け組でもない、抜け組になる」という神長氏の主張を、以下にメモする。
全部が経済的に生産性があるかどうかというところで測られちゃって、役に立たないやつはだめ人間だみたいになってきちゃって。とてもじゃないけど、やってらんない。
そもそもなんのために生きているのかね。忘我とか、自由とか、歓喜とか、遊びとか、そういうのが重要なんだよね。生産性ばっかりで生きていてもしょうがねえじゃねえかって。だったら、だめ人間でけっこう。
苦労して働いても金は入らないし、たいして幸せにもならないみたいな。格差が拡大してきて、資本主義をちゃんとやっていれば幸せになりますよ、というのも崩壊してきている。
普通に働くっていったって、すごくハードル高い。普通に社会に適応するにはいろんなことを我慢して統合しまくって、なんのために生きてるのかわかんないくらい。そもそも金銭的にだけじゃなく、生きるよろこびそのものが搾取されているわけですよね。そうやって生きている。
文句を言って闘っていくというのがすごく重要でしょ。ふざけんな、と。それと同時に降りるということだよね。資本主義的な生き方を降りる。どっちも重要。日本の場合とくに、文句を言って闘うというのが少ない。
だめ連も基本的にはオルタナティブ・ライフというか、「降りる系」というのが1990年代には珍しくて注目されたわけだけど、2000年頃からは降りる系の人たちも各所で増えてきている。降りて新しい生き方を作ってきている。でも、それと同時に闘うという路線が重要だよね。
・・・もう40年も前の話ですが、自分も学校を出てから就職しないまま2年近く過ごして、結局、行き詰って会社員になりました。その約10年後に出現した「だめ連」を興味深く見ていたわけです。その時は、とにかく働かない生き方を追求しているのだと思ってました。でも、この本を読むと、資本主義を否定するみたいな話が意外と多くて、そこはむしろ観念的な印象がありました。
既に会社員引退間近の歳になっている自分から見ると、いきなり働かない生き方を追求するよりも、とりあえず働きつつ、何とかやっていけそうな働き方を目指ざすのが現実的かなという感じがしています。
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