労働と読書は両立するか
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆・著、集英社新書)が売れているらしい。日経新聞の読書欄にも取り上げられていた。一度読んではいたが、もう一度目を通してみた。
最初に書名を見ると、そりゃあ働いてれば自由時間は減るし疲れるからだろう、と思っちゃうわけだが、文芸評論家である著者は、明治以降の労働と読書の歴史を辿ることによって、いま労働と読書の両立が困難になっている原因を探ろうとする。今どき、人文科学的な正攻法のやり方であるのが、むしろ新鮮に見えた。
明治時代、「立身出世」の掛け声と共に「修養」の概念を打ち出した『西国立志論』が多くの人に読まれる。いわば自己啓発書ジャンル初のベストセラーだ。そして大正時代、「サラリーマン」の誕生と共に教養主義が勃興する。戦前の「円本」(文学全集)ブームを経て、戦後はサラリーマン向けの小説(源氏鶏太)、ハウツー本(カッパブックス)、さらには1970年代の司馬遼太郎、1980年代の雑誌ブーム(「BIG tomorrow」など)と、サラリーマンの読書トレンドは変遷する。
おそらく1990年代が労働環境と読書の転換期である。1995年、『脳内革命』が爆発的にヒット。累計350万部が売れた。同書は、自分の行動を変えることで、自分を巡る状況を好転させるという世界観を提示した。ここから、自己啓発書は「内面」から「行動」の時代に移る。90年代、バブル経済の崩壊から続く長い不況の中で、自分のキャリアは自己責任で自分が作る、という価値観が広がっていく。つまり、「バブル経済以前の一億総中流時代が終わりを迎え、新自由主義的な価値観を内面化した社会が生まれつつあったのが、90年代だった」。経済の波にうまく乗るために取るべき行動は何か、無駄(ノイズ)を省いて説く自己啓発書として、『脳内革命』はベストセラーとなった。
政治と内面の時代から、経済と行動の時代へ。自分自身をコントロールして行動することにより、市場に適合することが肝心となる。社会を知ろうとする読書は、労働にとって余計なもの、ノイズになる。そして2000年代、経済と行動に加わるのは、インターネットと共に台頭した「情報」である。情報とはピンポイントで「知りたいこと」であり、当然ノイズは排除される。そこでインターネット的情報と自己啓発書の足並みが揃う。読書そのものも変質する。「速読本」の人気に示されるように、「読書を『娯楽』ではなく処理すべき『情報』として捉えている人の存在感が増してきているのだ」。
しかし、「私たちはノイズ性を完全に除去した情報だけで生きるなんてーー無理なのではないだろうか」。「今の自分には関係のない、ノイズに、世界は溢れている」。「自分に関係のあるものばかりを求めてしまう。それは、余裕のなさゆえである」。
仕事で自己実現しようとすると、自己実現=仕事の奴隷になってしまう。もう全身全霊で働くのはやめよう。「仕事は、男女ともに半身で働くものになるべきだ」。「半身で『仕事の文脈』を持ち、もう半身は『別の文脈』を取り入れる余裕ができるはずだ。そう、私が提案している『半身で働く社会』とは、働いても本が読める社会なのである」。
・・・冷戦終結、世界経済のグローバル化、国内経済のバブル崩壊、以降の成長しない経済の中で、新自由主義が広がり、企業も個人も効率追求に走らざるを得ない、この余裕の無い社会。教養は無駄なものとして切り捨てられ、役に立つ情報だけが求められる。「本が読めない」とは、単に時間がないから、疲れてるからだけではなく、常に情報を求めるよう強いられる社会の有り様の反映かもしれない。
著者の提案(半身で働く)については、「文芸評論家」の言うことなので、それこそ話半分で聞くとしても、まだ30歳そこそこの著者が過去のサラリーマンのベストセラーの歴史を振り返りながら、その背景を批判・分析(60代の自分にも、司馬遼太郎や『脳内革命』の話は頷けるものだった。勝間和代も分析対象に入れてほしかったな)しつつ、適確なストーリーを作り上げる能力には舌を巻いた、ということを付け加えておきたい。
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