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2024年3月31日 (日)

日本株、最高値更新の意味

3月28日付日経新聞コラム記事(株高持続、ドラッカーの教訓)から以下にメモする。

株式市場の歴史から考えるべきことがある。米国最大のバブルは1929年が頂点。そのあとに来たのが大恐慌だ。米ダウ工業株30種平均が次に最高値を取り戻すのが1954年。つまり25年間の月日を費やした。

この54年という年は重要だ。米経営学者ピーター・ドラッカー氏が「現代の経営」を刊行した年に当たる。ゼネラル・エレクトリック(GE)などが取り組んだ経営の分権化を軸に、現代的な管理の重要性を説いた。「マネジメントを発明した」と呼ばれ、米国の企業経営が洗練されていく。「50年代以降の米国の株価上昇は、30年代の大恐慌を経て本当に苦労して米国企業が作り上げた組織革命の成果だ」。米倉誠一郎・一橋大学名誉教授は話す。

50年代は同時に、米国の証券市場も変化していく時期だ。米国の証券史に詳しい日本証券経済研究所の佐賀卓雄名誉研究員は、米国人から繰り返し聞いたフレーズがある。「祖父が大恐慌で株で大損した」
深く記憶に刻まれ、株式には「絶対手を出すな」の世代だ。実際、50年代までの米国の家計は預貯金中心だった。

ただ1世代が入れ替わる歳月が経過し、米企業自身が新たなビジネスモデルで収益力を高めると市場の風景が変わった。持続的な株高局面になるにつれ、「市場に構造変化が起き、時間分散と銘柄分散によって長期的に保有することでリスクを抑えられるとのアイデアが広がっていった」(佐賀氏)。

ゼネラル・モーターズ(GM)が年金基金に自社株を組み入れるなど、それまでは債券中心で安定志向だった年金基金が、50年代から徐々に株式の保有を高め始めた。

市場の価格形成への信頼回復も大きい。バブルとその後の暴落を招いた不正行為を暴き、証券市場制度を整えた。

日本はどうか。もちろん70年前の米国株と簡単に比べられるものではないだろう。ただ日本の株高が持続する条件を照らす手がかりになる。

・・・アメリカ株の最高値更新まで要した時間が25年、日本株はそれを上回る34年。日本のバブル崩壊は、アメリカの大恐慌以上の影響があったのかもしれない。日本株の最高値更新までのプロセスは、会計制度の整備やコーポレートガバナンス改革など、日本企業がグローバル基準に適合していくプロセスであり、今ようやくグローバル投資家から「合格」の評価を得ることができたようである。いずれにしても株高持続のためには、これからも企業組織の改革や証券市場制度の整備を不断に続けていくことが求められるのだろう。

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2024年3月24日 (日)

昭和の町(豊後高田市)

先日、大分県の豊後高田市にある「昭和の町」を訪ねた。昭和30年代の町並みを再現したのか残してるのか、とにかくそういう場所。列車で行くと、JR宇佐駅からバスに乗る・・・のだが、本数が少なくて、タクシーを利用。時間は5~6分、料金1500円程度。到着後、豊後高田バスターミナルで、駅に戻るバスの時刻を確かめてから、ぶらぶら「商店街」を歩いた。

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電気屋さん。テレビ、冷蔵庫、洗濯機。昭和30年代の「三種の神器」。

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薬屋さん。オロナイン軟膏ね。

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「給食」メニューを出しているお店もある。

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駄菓子屋さん。鉄人28号が置いてある。

駄菓子屋はなぜか心惹かれる空間である。自分がそういう年齢というか世代だからと言ってしまえば、それまでか。まあさすがに、今ここで何かあれこれ買おうとは思わないけど。「昭和の町」には商店街の他に、展示施設「昭和ロマン蔵」がある。敷地に停めてあるボンネットバスは、土休日には商店街の中を走るとのこと。

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2024年3月23日 (土)

中津城に行く

先日、中津城(大分県)を訪ねた。黒田官兵衛が築城に着手、細川氏が整備した城である。

コンクリート製の模擬天守と聞いていたので、あんまり期待してなかったのだが、見た目は黒板張りで結構雰囲気出ていた。それから石垣は、昔のままということで、ここはかなり見どころのある感じ。ロケーションも、城の側を流れる川を使ってすぐ海に出れる場所であり、瀬戸内海ルートによる上方までのアクセスを確保していたということで、さすが黒田官兵衛、目の付け所が違う。

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「天守閣の外観は、萩城の天守の古写真をもとにデザインされた。下見板張りをつけたことによって古風な雰囲気を醸し出している。模擬天守だが完成度は高い。」(『あやしい天守閣ベスト100城+α』イカロス出版)

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城の北側の石垣には、斜めに区切られた境目の部分がある(上の写真、右下の石垣の辺り)。向かって右の部分が黒田時代の石垣、左が細川時代に後から自然石を積んだ石垣。黒田が加工石の積み上げなので、時代があべこべの感じがするのだが、黒田の石垣は、川の上流にある古代山城から運んできた石を使っているのだという。既に古代から、石を加工する技術はあったのだなと感心する。それからコンクリ天守閣は、本来建っていない場所に作られたため、石垣の境目部分の斜め方向とはチグハグな建て付けになっている。

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2024年3月22日 (金)

岡城に行く

春分の日の20日に九州の名城、岡城を訪ねた。前日に大分に入り、当日JRで豊後竹田(ぶんごたけた)駅へ。駅から徒歩30分というので何とか行けるだろうと、町中をてくてく歩く。町が途切れる辺りから坂道に。上りきったところで駐車場&入城受付所に着く。坂道の距離が比較的短かくて助かった。入城料300円を払って城山を上り、大手門跡から城内に入る。この数日間の陽気は冬に逆戻りしていて、当日の天気は概ね晴れではあったが、風が強いし冷たい。そんな中で、石垣のひしめく広大な城跡を歩き回る。阿蘇山がよく見えるスポットもある。山城に行くといつも思うのだが、こんな高いところにどうやって石垣積み上げたのだろうか。何か人間ってすごい。

以前は、岡城って石垣凄いらしいけど、何か遠い所にあるなーとか思って、余り行こうという気にならなかった。それが今回行くきっかけになったのは、今年の2月から日経新聞で連載が始まった、岡城主中川久清を主人公とする小説(「登山大名」、諸田玲子・作)。岡城のことが小説になるとは意外だったし、おかげで「とにかく一回行っとくか」という気持ちにもなった。それにしても関連史料が多いとも思えないのに、それでお話を作ってしまう小説家ってすごい。

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岡城の主郭部分。向かい側の屋敷跡の曲輪から見た眺め。建物は休憩所。

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三の丸の高石垣。

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三の丸跡から見る本丸の石垣。

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一番東の端にある下原門(しもばるもん)跡の石垣。

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2024年3月18日 (月)

九鬼周造の「シーシュポス」

『現代思想』3月号の特集は「人生の意味の哲学」。森岡正博と古田徹也、哲学者二人の対談の中で、カミュの「シーシュポスの神話」は、九鬼周造の議論の焼き直しのようなものだと、古田先生が話しているのが目に付いた。九鬼もシーシュポスを取り上げていたというのは、正直不勉強で知らなかった。とりあえず、九鬼論文「時間の観念と東洋における時間の反復」(原文フランス語、坂本賢三訳)から、シーシュポス(シシュフォス)について述べている箇所を引用する。

いつも皮相だと思うのは、ギリシア人がシシュフォスの神話の中に地獄の劫罰を見たことである。彼が岩塊をほとんど頂上まで押し上げると岩は再び落ちてしまう。そして彼は永遠にこれを繰り返す。このことの中に、不幸があるであろうか。罰があるであろうか。私には理解できない。私は信じない。すべてはシシュフォスの主観的態度に依存する。彼の善意志、つねに繰り返そうとし、つねに岩塊を押し上げようとする確固たる意志は、この繰り返しそのものの中に全道徳を、従って彼の全幸福を見出すのである。シシュフォスは不満足を永遠に繰り返すことができるのであるから幸福でなければならない。これは道徳感情に熱中している人間なのである。彼は地獄にいるのではなく、天国にいるのである。すべてはシシュフォスの主観的見地に依存する。

・・・九鬼論文は1928年にフランスで出版されており、カミュの「神話」発行(1942年)に先立つこと14年前になるが、カミュが九鬼論文を知っていたかどうかは不明とのこと。確かに「シーシュポスは幸福なのだ」という趣旨はよく似ている。ただ、カミュのシーシュポスは「不条理」を語る中でのアイコンなのに対し、九鬼のシーシュポスは「回帰的時間」を語る中でのアイコンという違いがある。とりあえず前者は不条理への終わりなき反抗の意志の現れであろうし、後者はニーチェ的な永遠回帰の中で生を肯定する意志を示しているのだろう。(まあ、ニーチェはカミュのアイドルでもあったわけですが)

ヨーロッパに留学した九鬼周造は、一歳違いのハイデガーに直接学んだ。九鬼哲学には、同時代の実存哲学的背景が反映されている。その九鬼がシーシュポスに着目し、著作における言及もカミュより先というのは、かなり興味深いです。

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2024年3月17日 (日)

シーシュポスの「幸福」

『現代思想』3月号の特集は「人生の意味の哲学」。森岡正博と古田徹也の対談から、二人の哲学者がカミュの「シーシュポスの神話」について語る部分をメモする。

森岡:カミュは人間存在において注目すべきは不条理というあり方であると考えました。今まで安心して立っていた世界の底が抜けることを不条理という言葉で捉えています。不条理に満ちた世界で運命に反抗することで、自分が生きることを肯定していけるのではないかというメッセージをカミュは出しています。カミュはその際、古代ギリシャのシーシュポスの神話を例に出します。シーシュポスは、神々からの罰を受けて山の上に岩を押し上げなければなりませんが、岩は必ず転がり落ちてしまうので、何度も岩を押し上げ続けないといけない。カミュは、まったく意味がないように見えるシーシュポスの行為であっても、運命に反抗するというスタンスを取ったときには、何かそこに自己肯定的な、幸福につながるものが見えてくるのではないかと考えます。

古田:僕自身はカミュの問いーーあるいはそれは九鬼周造の議論のほとんど焼き直しのような感じですがーーがずっと気になっています。シーシュポスのあり方は、徒労と無意味を象徴化したものとして捉えられるのが一般的ですが、九鬼とカミュによれば、シーシュポスは幸福でなければならない。彼らはそこで、ある種の発想の転換を果たそうとしているわけです。このときの幸福とは何か。シーシュポスが置かれているのは、一般的な意味では全く幸福ではない状況です。つまり、我々が幸福を見出すことができるような条件は全てはぎとられている。何も達成できないし、何も承認されない。しかも精神的にも肉体的にもずっと苦痛が続く。しかしそれでも、生きることには何らかの肯定性を見出すことができるかもしれない。九鬼やカミュがシーシュポスに見出そうとしている幸福は、そういうギリギリの肯定性です。九鬼やカミュはシーシュポスの姿をめぐって、そういった肯定性を幸福という言葉に託して議論しているわけで、そういう意味では幸福論よりも人生の意味論に分類できると思います。

・・・「人生の意味の哲学」というテーマを語る中で、カミュの「シーシュポスの神話」がフィーチャーされるのは、至極当然のように思われる。何しろこのカミュのエッセイは、冒頭から「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」と、切迫感を伴いつつ単刀直入、ド直球の問題設定で始まる本なのだから。シーシュポスは「ギリギリの肯定性」を体現する「幸福」な者であるならば、シーシュポスに倣って我々も、人生に意味はあると判断できる、ということなのだろう。

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2024年3月16日 (土)

「人生の意味の哲学」

『現代思想』3月号の特集は「人生の意味の哲学」。森岡正博と古田徹也、二人の哲学者による対談からメモする。

森岡:人と話すと「生きる意味を考えるのが哲学ですよね」と言われることは多い。けれども哲学のアカデミーの中にいると、人生の意味が哲学の問題として正面から論じられることは実はあまりありません。

古田:村山達也(東北大学教授)さんが指摘されていたのは、「人生の意味」という言葉を用いた哲学的な問いは、18世紀末から19世紀にかけて生まれた比較的新しいものだということです。村山さんによれば、ある種の宗教的権威がどんどん崩れていき、それまで神によって問うまでもなく保障されていたはずの意味が不安定になり、また近代の産業社会が発達し、自分の仕事や労働、生活に意味付けすることが難しくなった。時代の変化により意味を支える土台が崩れていき、虚無的な感覚にとらわれる中で、自分の人生の意味に対して懐疑も含んだ問いがより表立って出てきた。

森岡:18世紀後期以降の近代化の一つの帰結として、人間が自分の生きる意味を考えないといけなくなったというのは大きなことです。それは西洋だけではなく、明治時代から西洋化・近代化した日本も同じ問いを抱えました。だから人生の意味の問いは洋の東西を問わず、近代的な原理で動く社会が必然的に抱えてしまうものだと言えます。

・・・共同体が壊れて社会が流動化して人間が個人になる、要するに「近代化」の帰結の一つの現れとして、「人生の意味の問い」が生まれてきたといえるのだろう。

けれども近現代哲学でも、「人生の意味」がストレートに問われてきたわけではない。哲学と聞くと、一般人は「人生を考える」というイメージを持つことが多いのではないか。しかし学問的に「哲学」というと、概ね「西洋哲学史」を学ぶことだったりする。一般人の哲学イメージに一番近いのは、実存哲学なのだろうが、その流行も遥か昔のことである。

それでも近年、分析系哲学が「人生の意味」を議論する動きがあるとのことなので、ちょっと注目してみたい感じもする。

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2024年3月11日 (月)

今週末、ジブリパーク全面開業

今週末の3月16日、ジブリパークの新エリア「魔女の谷」がオープン予定。これで、ジブリパークは5つのエリア全てが開業する。自分はジブリファンでも何でもないが、住んでいる藤が丘からリニモに乗って、ジブリパークのある愛・地球博公園にすぐ行けるので、昨日ちょっと散歩してきた。

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リニモ「愛・地球博記念公園」が最寄りの駅。

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「魔女の谷」遠景。エリア内に人が結構入ってますが、昨日10日は一般向けの内覧日だったとのことです。

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2024年3月10日 (日)

清原達郎氏の『わが投資術』

20年前の高額納税者トップ、長者番付1位の清原達郎氏。推定年収100億円サラリーマンとして、週刊誌ネタにもなっていた覚えがある。その「伝説の人」が本を出したというから驚いた。自身の投資ファンドの運用終了、引退を機に書いたものという。その著書『わが投資術 市場は誰に微笑むか』(講談社発行)から、氏が得意としていた中小型割安株の投資アイデアをメモする。

見るべきは、会社が赤字になろうがなるまいが、同じ値段で売れる資産がどれほどあるか、ということです。それに会社が持っている現金を足して、全負債を差っ引いた数字がキーなのです。それがネットキャッシュです。

ネットキャッシュ=流動資産+投資有価証券×70%-負債
ネットキャッシュ比率=ネットキャッシュ/時価総額

ネットキャッシュ比率が1というのは、「会社がただで買えるほど割安」ということです数字が大きいほど割安、ということになります。ネットキャッシュ比率が1なら、お金を借りて時価でその会社の株を全部買うと、借りたお金は、会社にある現金や換金可能な流動資産を売って返済できます。さらにネットキャッシュ比率が1を超えている株式は、「ただで会社をもらった上に現金までもらえる」ということです。

「もし割安株を買って儲からないなら、そもそも割安の定義が間違っていた」ということです。逆に(正確には対偶命題で)言うと、「①割安株に投資すると儲かります」。もちろん、すぐ儲かるかどうかはわかりませんが。

低PERの株は将来の業績予想をするとき、別に増益になる必要がないのです業績横ばいでも、株価が上がる可能性は十分あります。なぜなら、過大な固定資産投資をしなければ、ネットキャッシュが毎年大きく積み上がってくるからです。ある意味、ネットキャッシュ比率が1以上というのは「矛盾」です。だから、正しい「割安」の定義は、「②割安な株の株価が上がらず、割安に放置されたままだと、時間の経過とともに矛盾がさらに大きくなる」ということかもしれません。そして、その矛盾は無限に大きくなることはなく、どこかで解消されていくということなら、①と②の命題は一致します。

我々は、PER、ネットキャッシュ比率で割安である順に銘柄が出てくるよう、スクリーニングを行います。すると、基本ダメな会社順に並んで出てきます。でも、その中に「この会社ってそんなにダメなの? ちょっと調べてみようか」という会社が、何社か出てくるのです。それを一銘柄ずつ会社訪問をし、丹念に調べていこうというのが、我々のやり方でした。

成長の源泉は、オーナー社長のガッツと能力ですから。社長に会って話を聞くのが、一番手っ取り早いですよ。

・・・キャッシュリッチかつ利益も出し続けている企業の株を保有して、企業評価の修正、割安な株価の水準訂正を待つ、というイメージだろうか(ちょっと根気が要るかも)。清原氏が強調するのは、株式投資の才能というものはない、自分の失敗から学ぶしかない、ということ。運用で財を成した人の言葉を肝に銘じよう。

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2024年3月 9日 (土)

幸福感について(山崎元氏)

経済評論家の父から息子への手紙』(Gakken発行)は、今年1月1日に亡くなった山崎元氏の最後の書下ろし。本の終章「小さな幸福論」からメモする。

幸せを感じる「要素」、あるいは「尺度」は何か。父はこの問題に暫定的な結論を得た。人の幸福感はほとんど100%が「自分が承認されているという感覚」でできている。

思うに、幸福は、人生の全体を評価・採点して通算成績に対して感じるようなものではなくて、日常の折々に感じるものだ。日常の一日一日、一時一時を大切にしよう。幸福感は「その時に感じるもの」だ。そして、自分にとって、どのようなことが嬉しくて幸福に感じるのかに気づくといい。できたら、それを言語化しておこう。

父は、自分を顧みて、何か新しい「いいこと」を思いついて、これを人に伝えて感心された時に自分が嬉しいことに気がついた。そこで、これをキャッチフレーズ的に言語化してみた。「私のモットーは、(1)正しくて、(2)できれば面白いことを、(3)たくさんの人に伝えることです」。シンプルで気に入っている。

・・・幸福感は日常の中で感じるもの、という山崎氏の考えに同感する。自分も、幸福とは、最終的に実現するべき人生の最良の状態というようなものではなく、日常の中で感じるものだと、最近思うようになった。で、山崎氏のいう「言語化」、つまり自分なりの幸福感の定義は必要なので、誰かと何かを共有できたと感じた時が幸福、とした。共有感=幸福感である。ただ、これを日常の中で実現しようと思うと、「ぼっち」がデフォルト設定の自分には、結構ハードル高いんだけどね。(苦笑)

「息子への手紙」の「結論」は、「モテる男になれ。友達を大切にせよ。上機嫌で暮らせ!」。(三つ目の上機嫌でいろというのは、山崎氏の「母の教え」であるらしい。ゲーテがそういうことを言ってるそうだ。)

そして「あとがき」は、「息子本人と、すべての読者の幸せを祈ります。どうもありがとうございました!」と結ばれる。辞世の挨拶のように思われて、ただただ悲しい。

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2024年3月 8日 (金)

市場制度、バブル期とは大違い

日経新聞電子版本日発信のコラム記事「株価4万円、80年代と違う 過熱はあってもバブルではない」(小平龍四郎・編集委員)から、以下にメモする。

「バブルの懸念はないのか」。日経平均株価が史上初の4万円台をつけるに至って、こんな質問を受けるようになった。現状では、バブルの懸念は小さい。

少し歴史をひもとこう。日経平均が初めて1万円を超えたのは1984年1月、2万円が87年1月、3万円は88年12月のことだ。大台乗せを次々にクリアしていった80年代は、日経平均株価の黄金時代といえる。

当時の株式市場は今と比べ、どのような様相だったか。よくあるPERなどの単純比較が本当に有効かどうかは、議論が分かれるところだ。当時の主流は取得原価会計に基づく単体決算、現在は公正価値を重視した連結決算。すなわち、80年代と2024年現在の1株当たり利益や1株当たり純資産(BPS)は成分が異なる。当然、それらに対する株価の倍率も単純に比べることはできない。

指標もさることながら、筆者が注目しているのは株式取引のインフラや規制など市場の制度比較だ。同じ「株式市場」とはいえ、80年代の株式市場は今とは驚くほど質が異なっている。

もう少し歴史をたどる。インサイダー取引規制をきっかけに株式市場の近代化は進み、不透明な株式の買い集めをあぶりだす「5%ルール」も90年12月に導入された。不公正な市場取引に目を光らせる「証券取引等監視委員会」の設立は92年7月。証券会社の収益の源泉だった固定手数料の自由化が加速したのは90年代後半の「金融ビッグバン」から。公正価値(時価)を重視した連結主体の企業決算は、2000年前後からの「会計ビッグバン」のもとで広まった。

インサイダー取引規制、5%ルール、監視委、手数料自由化、時価会計、連結決算・・・。今では当たり前の制度が整い始めたのは、1989年以降のことである。日経平均が1万〜3万円の大台を次々にクリアしていった時代(84〜88年)は、そうした近代的なインフラが整備されていない発展途上国のような市場で株式が取引され、株価が形成されていた。

あらためてふり返ると、バブル期の株式市場には無法地帯が少なからずあり、デタラメもかなりまかり通っていた。バブルにとどめを刺すのは、バリュエーションの高さではなく、見えないところで横行していたいかさまや、不健全な取引だ。そして、崩壊して初めて「あれはバブルだった」と人は気づき、時間の経過とともに事態の深刻さを認識する。1989年末に日経平均株価が当時の最高値3万8915円87銭をつけた時の報道は、同年12月30日付日経新聞1面左下の小さな囲み記事。なんとも象徴的である。

・・・1989年末大納会の株価のバブル高値は、それ程強く記憶に残っていない。今年も高く終わったな、来年は4万5000円だ、くらいの感じだったように思う。それが年明け以降の株価暴落で、長い間「大天井」として意識されることになった次第だ。そしてバブルが崩壊してから、市場の制度があるべき姿に向けて整えられていくという流れになった。今の日経平均4万円は、株価低迷期に整備された市場制度に支えられている。80年代のバブル株価とは違う。

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2024年3月 4日 (月)

柳川城跡

先日、福岡県の柳川を訪れた。「水郷柳川」の風景を見て、立花家史料館で戦国武将の立花宗茂について学び、鰻せいろを食べ、柳川城跡を見る、という旅。柳川城は明治の初めに焼失。今は柳城中学校に近接する公園の形で、僅かに石垣が残っている。

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2024年3月 3日 (日)

柳川の雛祭り

福岡県柳川市では柳川雛祭り「さげもんめぐり」開催中(2月11日~4月3日)。「さげもん」と呼ばれるつるし飾りで、女の子の健やかな成長を願います。

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