知覧特攻平和会館
先週23日の祝日、鹿児島県にある知覧特攻平和会館を初めて訪れた。まあホントは、もっと若い時に行かなきゃいけない(自分は既に60歳を超えている)ところなんだろうけど・・・。
なぜ今、行くことにしたのか。自分的な流れの説明。年末に「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」を観た。映画の中に出てくる戦闘機「震電」の実物大模型が、福岡県の大刀洗平和記念館にあると聞いた。行ってみた。「震電」を見た。特攻に関する展示もあった。大刀洗には陸軍飛行学校があり、その分校が知覧にあったと知る。そうか知覧か。という流れで、とにかく一回行っておこうと決心し、実行した次第。
鹿児島中央駅から路線バスで1時間半。思ったより、山の中にあるのだなあと感じた。休みの日でもあり、結構入場者多数である。メインの展示は特攻隊員1000名余りの写真、多数の遺書。飛行機の展示は、陸軍の「隼」が実物大模型、同じく「疾風」は復元された現存機体。ボロボロになった海軍の「零戦」もある。海中から引き揚げられた機体とのこと。実際の特攻では、九七式戦闘機など旧式機も多く使われたという。
展示されている遺書の内容は、父上様母上様有難うございました。敵艦一撃必殺。概ねそういう感じのものが多数。まあ当然ですかね。
その中で、ちょっと他とは違う感じがするのは、上原良司の「遺書」。「自由主義者」の思想表明とでも言うべきもので、これは泣けた。いつだったか何かで、この話を聞いたなと思い出した。後で調べると、割と有名な遺書(「所感」と題されている)ということなので、上原さんの名前をちゃんと覚えておこうと思った。なぜか上原さんの遺書は、メインのフロアではなく、「戦史資料室」という別室に展示されていた。やはり他の大部分の遺書とは異質、あるいは別格ということなのだろうか。
特攻を考え出し実行した日本人。「国を守る」ためとはいえ、当時なぜそこまで極端なことができたのか、根本的に理解するのは怖ろしく困難であると感じる。
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