『構造と力』40年後の文庫化
1983年の刊行から40年を経て、『構造と力』(浅田彰・著、勁草書房刊)が文庫化(中公文庫)された。哲学者・千葉雅也の解説文からメモする。
大きな図式を把握すれば、ひとまず、この本を読んだと言える。その大きな図式は、「本体部分+α」という形で捉えられる。本体部分は「近代の構造」であり、+αは「ポストモダン論」である。『構造と力』は、「近代(モダン)とは何かを論じた上で、そのリミットとしてポストモダンの可能性を示唆した本」だと言える。
近代とは、資本制(資本主義)が全面化へと向かう時代であり、経済は流動性を増して、事物と第三者=貨幣の変換が加速する。このことを論じる際、背景には、岩井克人の不均衡動学、および柄谷行人のマルクス論がある。そこに、「脱コード化」というドゥルーズ=ガタリの概念が導入される。そして、近代的脱コード化のただなかにおける別の可能性として、ポストモダン的なあり方を素描する。そこで、ドゥルーズ=ガタリが提案した「リゾーム」という概念を用いる。リゾームとは、二元論的にではなく、多方向に展開する関係性を言うための概念である。
議論の展開を骨組みだけで捉えてみよう。(1)内部に対し、第三者が位置する外部がある。(2)次に近代の段階となり、内部/外部が脱構築されて循環する。さらに「リゾーム」的見方を導入し、(3)内部/外部の大きなペアを立てることなくして、いたるところが外部だらけだ、という描像を採用する。この外部性のことを本書では「力」と言っている。異質な力が、互いに「外部同士」として交錯する。
二元的な構造とその脱構築(すなわち、構造主義のリミット)を説明した上で、複数的な力の場を考えるーーゆえに、本書は「構造と力」と題されている。
・・・『構造と力』は、「ポストモダン」とか「ポスト構造主義」という思想を解説した本というよりも、「資本主義社会」を論じた本であるように思う。80年代半ばの、いわゆる「ニューアカ」ブームが過ぎ去っても、『構造と力』が読まれ続けた理由は、そこに求められるのではないだろうか。
| 固定リンク | 0
