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2023年12月17日 (日)

黒田長興(秋月藩初代藩主)

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先日、秋月城下町(福岡県朝倉市)を訪れた際、当地にある秋月博物館で「藩祖黒田長興」展を見学した。黒田長興は、黒田長政の三男。黒田孝高(官兵衛)の孫である。以下、展覧会図録の解説文からメモする。

元和九年(1623)、戦国時代を駆け抜けた福岡藩初代藩主黒田長政が没する。生前、言動や素行に問題があった嫡男忠之の将来を案じた長政は、優秀の誉れが高い三男の長興に跡を託したいと考えるが、家老達の反対に合い断念した。

しかし、長興の才を惜しんだ長政は、死に際して秋月を含む下座郡、夜須郡、嘉麻郡の内五万石を与え、福岡藩支藩とすることを遺言する。元和九年(1623)、この遺言に基づき、秋月藩が成立した。

長興は、幕府から独立した藩として認めてもらうために、将軍拝謁を目論んだ。長興を家臣として遇し、福岡藩の一部としたい忠之から妨害を受けたが、寛永三年(1626)に前将軍の台徳院(秀忠)に拝謁し、朝廷から従五位下甲斐守に任じられる。その後も江戸幕府に忠勤を尽くし、寛永十一年(1634)に本領安堵の朱印状を得て、独立藩としての地位を固めた。

寛永十四年(1637)10月、島原・天草一揆(島原の乱)勃発。翌年1月、一揆軍が立て籠る原城攻撃のため、秋月藩は福岡藩と共に出陣。2月の幕府軍総攻撃で秋月藩も奮戦、原城を攻め落とした。

大坂城や江戸城天守台の普請、朝鮮通信使饗応、長崎警備など、幕府に貢献する働きを続けた長興は、寛文五年(1665)に数え年56歳で死去。

・・・福岡藩主となった早々、忠之は家老と対立し、お家騒動に発展。長政の遺言により、長興を藩主とする秋月藩が作られたのも、長政の先を見通す力の現れだったのだろう。

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