家族の維持という「任務」
映画「SPY×FAMILY」を観た。テレビアニメ(マンガ原作・遠藤達哉)放映中作品の「劇場版」であり、ストーリーもスピンオフ的な映画用オリジナル。
このマンガの基本設定は、スパイのロイドと殺し屋のヨル、そして人の心が読める超能力者アーニャが自分の正体を隠すため、それぞれ「父」「母」「娘」として、世を忍ぶ仮初めの家族を作り生活するというもの。特にロイドにとってフォージャー家は、自分のミッションを達成するために必要不可欠な、何が何でも維持するべき「家族」。映画の前半はフォージャー家の「家族旅行」という感じで割と穏やかに進んでいくが、後半になると怒涛の急展開。アクションとスペクタクル満載、ロイドさんもヨルさんも超人的な能力を発揮する大活劇になっていて、さすがに映画だわーと感心した。しかし、こんな突拍子もない非日常的な経験をした夫婦なら、お互いただ者ではないと気づきそうなものだが。(笑)
この人気マンガについて評論家の宇野常寛は、「全力で家族を演じ、維持しなければいけない」という物語が支持されているのは、多くの人にとって、「戦後的な核家族の幸福のフォーマット」が、「渇望しているけれど手に入らない憧憬の対象になっているからではないか」(『2020年代の想像力』ハヤカワ新書)と評しているのだが、ちょっと考え過ぎかなという感じもする。
昔だったらこのマンガは、父であるロイドさんだけが自分の正体がバレないように、ジタバタする設定になるのではないか。それが父母娘の3人ともジタバタするのが、今風だなと思えるところだ。なので「核家族の幸福」にフォーカスしてるとは思えなくて、やはり家族全員が特殊な人物でありながら、普通の家族を結構一杯一杯で演じている、というのが共感を呼ぶポイントではないか。つまり今は誰もが、家族の一員を演じているという意識を、多かれ少なかれ持っているのだと思う。それは言い換えれば、個人の中に家族というものに対する距離感が多かれ少なかれあり、そこから家族を機能させるためには演じることが必要だという意識が生まれる、ということなのだろう。あるいは今の多くの人にとって、家族を維持するのは「任務」になっている、ということなのかもしれない。
さて、最終的にロイドさんのミッションが達成されて完了した時、フォージャー家はどうなるのだろうか。目標を達成したから「解散」となるのか、それとも仲良し家族として「継続」していくのか。まあミッション達成まで、まだまだ先は長いと思うけど。
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