« 2023年9月 | トップページ | 2023年11月 »

2023年10月31日 (火)

エスカレーター歩かないで条例

10月1日から、名古屋市ではエスカレーターは立ち止まって利用を義務付ける条例が施行されている。本日付日経新聞記事からメモする。

エスカレーターに立ち止まって乗るよう義務づける条例が名古屋市で施行された。歩いて昇降する人のため、片側を空けるのが長らくの慣習。その中で転倒などの事故は増加傾向にある。

日本エレベーター協会が2018〜19年に実施した調査によると、エスカレーターの事故は全国で1550件起きた。10年前の調査に比べて3割増え、増加傾向にある。原因では歩きながら利用し転倒するなどの「乗り方不良」が51.9%で最も多かった。

事故防止のため、全国で初めて「歩行禁止」条例を設けたのが埼玉県だ。10月で施行から2年を迎えた。

アール医療専門職大の徳田克己教授(バリアフリー論)は大宮駅(さいたま市)で条例の効果を調査してきた。施行から3カ月が過ぎた22年1月、ある地点で歩行する人の比率は38%で、施行前の21年9月(60%)から22ポイント減った。だが施行1年を控えた22年9月は61%で施行前の水準に戻っていた。

徳田教授は「歩いて利用する行為は弱い立場にある人にとって障壁になり得ることなどを、自治体や事業者が丁寧に伝える必要がある」と話す。

文京学院大の新田都志子特任教授(消費者行動)は「両側立ちの方が全体の効率が高まり合理的だと伝われば、歩く人の行動変容が促されやすい」と指摘する。

・・・駅だけでなく、急ぐ必要のない商業施設のエスカレーターでも、片側空けで乗るための行列が出来ているのを見ると、何かヘンだなあと感じる。エスカレーターの片側空けの慣習が生まれたのは1990年代の前半の前半くらいだったか、テレビ各局がニュースで片側空けが国際ルールであると一斉に流してからだと記憶しているので、またネットも含めてニュースで呼びかけないと、なかなか両側立ちに戻らないかも。

| |

2023年10月29日 (日)

「関ヶ原」と「ドイツ三十年戦争」

Photo_20231122095601

戦国マンガ『センゴク』で知られるマンガ家・宮下英樹の最近作の単行本『大乱関ヶ原』(第2巻)と『神聖ローマ帝国三十年戦争』(第1巻)が出た。

関ヶ原合戦は言うまでもなく、1600年に起きた「天下分け目の戦い」。三十年戦争は、1618年に当時の神聖ローマ帝国(ほぼドイツ)で始まり、ヨーロッパ各国を巻き込みながら1648年まで続いた大戦争。

関ヶ原合戦は最近急速に研究が進んでいる。徳川家康が天下を取った戦いというよりも、1598年に豊臣秀吉が死んだ後、豊臣政権内で2年余り続いた権力闘争の最終決着の戦いと考えられている。

三十年戦争の源は、戦争開始から更に100年前に遡る。1517年ルターの宗教改革に始まる、カトリックとプロテスタントの争いが背景になっている。1555年のアウクスブルクの和議でいったん小康状態となったが、1618年にボヘミアから戦火が広がり、ドイツ国内だけでなく、スウェーデンやフランスなども巻き込む大戦争に発展した。1648年にウェストファリア条約締結で戦争終結、これにより教科書的に言えば、主権国家体制が確立したとされる。

1517年に宗教改革が始まり、それが130年後の主権国家体制確立に帰結するプロセスには、まさに歴史のダイナミズムを感じる。日本でも、応仁の乱(1467年)から130年後の関ヶ原合戦が戦国時代の総決算になったのを見ると、歴史的な混乱から新しい秩序が作られるまでは100年以上かかるのだな、と思う。

「三十年戦争」単行本の帯には「ヨーロッパの戦国」の惹句があり、発行会社は別である「関ヶ原」単行本の帯にも「三十年戦争」が広告されている。関ヶ原はともかく、三十年戦争は馴染みのない人が多いだろうから、「関ヶ原」を買った人が「三十年戦争」にも興味を持ってくれるといいなと思う。いずれにしても、日本とヨーロッパの歴史的な時代の転換点を描く二つの宮下作品に、とても期待している。ただ「関ヶ原」は月刊誌連載、「三十年戦争」は隔月刊誌連載で、特に「三十年戦争」は完結までに何年もかかりそうだなあ・・・。

| |

2023年10月28日 (土)

西南戦争がマンガになる(予定)

Photo_20231122095801

「交番女子」の警察マンガ『ハコヅメ』の作者・泰三子(やす・みこ)の歴史マンガ『だんドーン』単行本第1巻(講談社)が出た。扱う時代は幕末で主人公は川路利良(かわじ・としよし)。・・・って誰?という感じだが、日本警察の礎を築いた人だという。とりあえず「警察つながり」で、謳い文句は「本格幕末コメディ」の新作らしいのだが、「日経ビジネス電子版」のインタビュー記事を読んでみると、西郷隆盛の人物像を見直すとか、桜田門外の変や西南戦争を新たな視点で描く予定など、むしろ「本格幕末ドラマ」になりそうな感じもある。記事の泰発言から、西南戦争に係る部分をメモする。

私は「西南戦争をマンガで描きたい」気持ちをずっと持っていたんです。西南戦争は西郷(隆盛)と大久保(利通)の戦争、と見せかけて、あれは中村半次郎(桐野利秋)と川路利良の代理戦争だった、という声もあるじゃないですか。この2人を描いていくと、当時の人たちがどうして西南戦争に進んでいったかというのを、自分なりの解釈で分かりやすく描けるかなと。

(「戊辰戦争で幕末終了」感はあるのかもしれないが、)会津戦争(1868)からの西南戦争(1877)を描いてこそ、本当の幕末史じゃないですか。会津戦争で会津が薩摩らの新政府軍にどんな目に遭わされて、その9年後の西南戦争で、会津軍の将たちがどういう活躍をして、どういうふうにいわれてきたか。会津の人たちの魂について触れるには西南戦争まで描かないとだめで・・・。

熊本城を守り抜いた谷干城(たに・たてき、土佐藩出身)がいるじゃないですか。谷干城は会津の戦いの中で山川浩を知って、軍にスカウトするんですよ。その山川が自分を見込んでくれたかつての敵、谷の救援のために、一番乗りで熊本城に入城を果たすという。「めちゃくちゃ胸熱展開なのに、誰かマンガにしていないの」と。新撰組がお好きなら、斎藤一も出てくるのに・・・。彼は川路の下で警察官になって「抜刀隊」という、西南戦争の勝敗を分けた隊に入っているんです。いや本当に楽しみだな、西南戦争を描くのが。

・・・最近自分も、なぜか西南戦争への関心が軽く盛り上がっていて、今年の春に田原坂周辺を歩いてみたし、熊本城天守が戦闘直前に焼失した謎も気になっているので、いま西南戦争を描くというマンガ家さんが出てきたことに大変驚きかつ頼もしく思っているし、西南戦争のマンガを読むのが本当に楽しみです。

| |

2023年10月22日 (日)

「ブラックマンデー」の記憶

1987年10月19日に起きた米国株大暴落、「ブラックマンデー」。最近の市場環境は、36年前の当時と似ているという話もある。日経新聞電子版21日発信のコラム記事(「ブラックマンデー」市場が語る理由)から以下にメモする。

「トム・ソーヤーの冒険」で知られる米国の文豪、マーク・トウェインは小説でこう書いている。「10月。株に手を出すにはいやに危険な月だ。このほかのそういう月には7月、1月、9月、4月、11月、5月、3月、6月、12月、8月、2月がある」。結局年中すべてだが、10月が最初に出てくる。

米市場では10月に株価の急落を何度も見てきた。1987年10月19日に起きたのが「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」。米ダウ工業株30種平均がわずか1日で23%下落した日だ。市場状況が当時と似ている――。そんな警戒が金融市場から聞こえてくる。

87年は急落の直前は奇妙なくらい「株高・金利高」が共存していた。レーガン政権下で財政赤字は続き、米連邦準備理事会(FRB)が利上げ、米10年物国債の利回りが一時10%超に達するタイミングだった。

中東はイラン・イラク戦争下にあった。ブラックマンデーの直前に、タンカー攻撃になやむクウェートの要請を受けて米軍機がイランの施設を攻撃。市場に緊張が走った。

そしてもう1つがプログラミングトレードの存在だ。当時は年金を中心に「ダイナミック・インシュアランス」という手法が広がり、そのヘッジ売りが膨らんだことに裁定取引が重なり機械的に下落幅を増幅した。

今になぞらえるとどうか。急ピッチな利上げは確かに87年に重なり、米10年物国債利回りは16年ぶりの高さに駆け上がっている。株価は高止まりを続けている。

かたや中東ではイスラエルとイスラム組織ハマスの衝突が激しさを増す。ホルムズ海峡など原油の供給面に影響が及ぶような事態にもしなれば、市場には大きな懸念材料だ。また、コンピューターを駆使する取引は当時よりもはるかに高度化・複雑化している。

87年当時とは異なることも多い。ただブラックマンデーの記憶を通して市場に潜むリスクをチェックし、構造的な変化まで多面的に議論が起きること自体に、市場参加者に広がる神経質なムードが表れる。

・・・87年10月19日の翌日20日、東証も大暴落。文字通り相場の底が抜けた感があった。しかし21日は、大量の小口注文を集めて株価は急反発。とにかくあの頃の日本は強気だった。あんな時代は二度とこないだろう。

マーク・トウェインから、株投資に危険な月の筆頭に挙げられた10月。最近の金利高と原油高の環境の中で、今年の10月の株取引が無事に終わるかどうか。

| |

2023年10月21日 (土)

「友だち」は学校時代の産物

まず『友だちリクエストの返事が来ない午後』(小田嶋隆・著、2015年)からメモする。

子どもが大人になるということは、そのまま友だちを失っていく過程であったりする。無論、かつて友だちだった人間が友だちでなくなるわけではない。そういう意味では友だちはいる。ただ、高校時代や大学生だった頃に親しく付き合っていた「親友」と呼べる人間と、現実に会う機会が持てるのかというと、それは別の話になる。
職場の同僚や、行きつけの飲み屋で顔を合わせる知り合いの中に、親しい人間がいないわけではない。が、彼らが「友だち」なのかというと、ちょっと違う。なにより利害関係や上下関係が介在している。
ということはつまり、社会に出た人間は、原則として新しい友だちを作れなくなるということだ。もしかすると、友だちは、学校という施設の副産物だったのかもしれない。

・・・橘玲も、友情は学校でしか生まれない、と言う。近著『人生は攻略できる』(ポプラ新書)からメモする。

日本では、友情は学校で平等体験を共有した仲間とのあいだでしか生まれない、ものすごく希少な人間関係だ。
日本では、たまたま入った学校で、たまたまクラスでいっしょになった子どもとしか友だちになれない。大学や就職で地方から都会に出て行ったり(あるいは都会から地方に行ったり)、留学や仕事で外国に住むようになったりすると、そのたびに友だちの数は減っていく。そうやってだんだん友だちが少なくなって、最後まで残った1人か2人が親友と呼ばれる。
それでもなかには、大人になってもずっと友だちに囲まれているひとたちがいる。地元(卒業した中学や高校のある地域)にずっと暮らしているからで、最近では「ジモティ」と呼ばれる。ジモティは、学校時代の友だち関係をいくつになってもつづけている。
ジモティは、生まれ育った街から出たがらない。故郷を離れてしまえば、友情が失われることを知っているからだ。国や民族、宗教や文化を問わず、世界の大半はジモティによってつくられている。それだけ「故郷」と「友だち」は強力なのだ。

・・・友だちというのは学校時代の同級生との間だけで、時間も空間も限定された中でしか成立しない人間関係ということになる。大人になっても友だちがいるジモティの生活環境は、ちょっと羨ましい感じもあるのだなあ。

| |

2023年10月20日 (金)

「コネ社会」に生きるイタリア人

日経新聞の広告によると出たのは8年前ながら、最近話題の本らしい『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋勲・著。日経ビジネス人文庫)から、以下にメモする。

イタリア人の家族の結束は非常に強い。イタリアの家族の強い団結は、当然、異国にずっと支配されてきた歴史と密接な関係がある。被支配民族として、頼れるものは家族だけという考え方である。支配民族に対する抵抗から生まれて発達したシチリアのマフィアが、その組織を「Famiglia(家族)」と呼んでいるのは象徴的だろう。この例からもわかるように、家族という概念はもっと広い形でもとらえられる。同じグループに所属するメンバーがお互いに融通を利かせあって、便宜をはかりあうという発想が強い。

だからイタリア人は、何をするにしてもすぐにコネを探ろうとする。同じグループのメンバー、仲間だと思われると、物事がスムーズにいくと考えるのだ。常に誰かを頼っていき、頼られたほうは便宜をはかることにより、彼らの仲間は拡大していく。恩義の貸し借りの物々交換が物事を進めていくのである。

イタリアの食事は短くても2時間、長い場合はアペリティフを入れると5時間などということも珍しくない。厳密にいえば、イタリアでは食事の時間が長いのではなく、食卓にいる時間が長いのである。イタリアのようなコネ社会では、友人の輪を広げないと仕事も発展しない。そして、そのためにはアペリティフは最高の機会なのである。

イタリアの食卓はコネを広げる出会いの場だ。男女の区別なくくり返される、合コンのようなものであるともいえる。食卓でフィーリングが合う相手とは、ビジネスもきっとうまくいくだろうし、男女の場合なら結婚してもうまくいく可能性が高い。一方どこかしっくりこない相手とは、職業的にも、プライベートでもあまり好ましい発展はないだろう。重要なのは、自分と波長の合う相手を見つけることで、そのためには食卓が理想的な場であるということだ。

・・・「家族主義」の「コネ社会」に生きるイタリア人。何となく「ゴッドファーザー」の「ファミリー」を思い出すわけですが、まあ日本人にも「お家」大事の意識が今でも多少はあるでしょうから、そこは分からないでもないです。

一方で、被支配民族の意識というのは、半島住民のメンタリティ(朝鮮半島も似てる気がする)と言えるかも知れないので、島国根性の日本人とはまた違う感じもあります。まあイタリアという国もフランク王国の大昔から見れば、半島の根元の部分が元祖イタリアなのだろうし、北と南、ヨーロッパと地中海でもメンタリティ結構違うだろうと。

勝手なイメージでしかないけど、イタリア人は男も女もナンパする、される前提で生きてる感じがする。そこは羨ましいです。生まれ変われるならイタリア人が良いなと思う。

| |

2023年10月17日 (火)

肥前名護屋城に行く

去る10月15日、肥前名護屋城に行った。3度目になる。前回訪問は14年前。その時は、お城エリアの入り口には、寄付のお金を入れる箱だけがあったと記憶していたのだが、今は案内所が作られて、そこで100円払えば城内の案内図を貰えるようになっていた。さらに記念撮影用の椅子も置かれて、多少観光地っぽくなっていた。写真は上から大手口、登城坂、本丸(奥に見えるのが天守台)、天守台、本丸直下にある「遊撃丸」から見た本丸部分(天守台の辺り)。

Photo_20231017203001

Photo_20231017203101

Photo_20231017203102

Photo_20231017203201

Photo_20231017203202

| |

2023年10月16日 (月)

名護屋城博物館の講座に参加

昨日10月15日、肥前名護屋城を訪ねた。自分が行くのは14年ぶり3度目。きっかけは9月初め、福井県の一乗谷朝倉氏遺跡博物館に行った時、当地に置いてあった名護屋城博物館のチラシを見たこと。それは「新時代へのかけはし」と題する、文禄・慶長の役から国交回復の足取りを辿る企画展のお知らせだった。期間は9月23日から11月5日まで。10月8日には、本郷和人先生の講演会も予定されていた。今年のNHK大河ドラマの主人公は徳川家康だし、確かに文禄・慶長の役から朝鮮通信使は、豊臣の戦争から徳川の平和という流れだし、久しぶりに行ってみよっかなという気になった。

さらにHPでもう少し調べてみると、博物館の学芸員さんが、10月15日に企画展の解説講演をやる予定になっていた。まあ本郷先生の話ならカルチャーセンターとかでも聞ける機会はあるだろうし、今回は学芸員さんの話を聞くことにして名護屋に出向いた次第。

現地で話を聞いて改めて思ったのは、対馬の宗義智、大変だったなあと。文字通り朝鮮と日本の間にいる立場で、秀吉が戦争を始める時も、家康の国交回復でも苦労した。結局家康は、朝鮮との対応は宗氏にほぼ「丸投げ」だったこともあり、宗氏は止むを得ず国書の偽造・改竄に手を染めた。辻褄合わせのために改竄に改竄を重ねて、成し遂げた国交回復だったのである。後に宗氏のお家騒動が起こり、国書改竄が明らかになった時も、宗氏が引き続き日朝貿易を担うことが江戸幕府から認められた。過去の国書改竄についても、お咎め無しで終わったことになる。

前回訪問時の2009年11月、自分は名護屋城行きから間を置かずに、対馬・壱岐ツアーにも行ってる。対馬では宗氏の菩提寺である万松院も訪ねた。この頃、自分は秀吉の朝鮮戦争に対する関心が強くて、2011年4月には韓国の西生浦倭城も訪ねている。NHK大河ドラマでは、2014年の「軍師官兵衛」で秀吉の朝鮮戦争は結構描写されていた。今年の「どうする家康」でも、戦いの場面は殆ど無かったとはいえ、秀吉の権力と支配欲の膨張を示す出来事として盛り込まれていた。とにかく秀吉の朝鮮戦争は、近代以前に日本が起こした唯一の対外戦争であり、戦後の外交交渉も含めて、いろいろな面から考えるべき歴史的大事件だと思う。

| |

« 2023年9月 | トップページ | 2023年11月 »