問題は二項対立か相対主義か
新著『現代思想入門』が好評の哲学者・千葉雅也と、80年代に『構造と力』で現代思想ブームを巻き起こした浅田彰。両者の対談記事(今なぜ現代思想か)が『文藝春秋』9月号に掲載。以下にメモする。
千葉:今度の拙著の中でも資本主義が発展していく中で、価値観が多様化し、共通の理想が失われた時代、それがポストモダンの時代だと説明しています。そんな時代に生まれた現代思想は、「目指すべき正しいもの」がもたらす抑圧に注意を向け、多様な観点を認める相対主義の傾向がある。しかし現在、世間を見渡すと、相対主義を斥けて、何でも二項対立で考える風潮が高まっている。白か黒か、善か悪か。だからこの本では、そもそも、なぜ二項対立が生じているのか、状況を俯瞰して冷静に考える知性こそが重要だと書いています。
浅田:多文化主義という表層の背後のグローバル資本主義がすべてを支配する状況になり、儲かるかどうか、役に立つかどうかのプラグマティックな〇✕式思考が広まってしまった。80年代初頭に僕が考えていたのは、旧左翼や新左翼の失敗を清算することで、かえってマルクスを初めとする左翼思想を自由に読み替える可能性が出てきたということだった。ところが実際には、左翼はすべて✕、資本主義が〇という方向に動いてしまったんですね。だからこそ、ドゥルーズとガタリの共著『アンチ・オイディプス』などにヒントを得ながら、資本主義から逃走するための地図を描きたかった。それが『構造と力』や『逃走論』に結実しました。旧左翼・新左翼のように資本主義を批判するより、資本主義の大波に乗りながら、微妙に方向をずらして新しい空間に向かうこともできるんじゃないか、と。
千葉:ただ、『構造と力』が出た時代は資本主義や左翼思想など、打ち破るべき強固なドグマや権威があったわけですよね。今の時代は戦うべき強固な相手がいなくなってしまったのが実情です。
浅田:1980年代初頭には、「右手に朝日ジャーナル、左手に平凡パンチ(左手に少年マガジンでもいい)」という形で教養主義が辛うじて生き残っていた。それがなければ『構造と力』もブームにならなかったかもしれない。
千葉:権威的な知と、ポップカルチャーの融合ですね。ところが、時代を経て権威的な知が批判され尽くすと、もはやぶつかるべき相手もいなくなり、すべての教養やカルチャーがフラット化してしまう。
浅田:相対主義的多文化主義の背後には、価格だけが唯一の尺度というグローバル資本主義があるわけですね。
千葉:多様性とは言っても、資本主義のもとで消費される商品として展開しているだけなんですね。
浅田:その種の相対主義が蔓延して、教養が衰退していったんだと思います。
・・・千葉先生の本を読んで、浅田先生から40年、現代思想も随分こなれた感じになったものだなーという感慨を抱いた。さて、相対主義の別名はリベラル化、と言えるかもしれない。しかし、人は自分の自由は認めても、他者の自由は簡単には認めない傾向があるように思う。なので寛容であること、その余裕を持つこともなかなか難しいようであるし、逆に言うと、そういう余裕の無さから二項対立というか、「分断」が発生するという面もあるのかも、と思ったりする。
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