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2022年7月31日 (日)

適応への意志

世界史好きの経営者として知られる出口治明氏。2018年から立命館アジア太平洋大学学長を務めていたが、2021年1月に脳卒中を発症。治療とリハビリ後も右半身麻痺や言語障害などが残り、電動車椅子利用者となるも、2022年3月に学長職に復帰。『復活への底力』(講談社現代新書)は、氏の復職に至るまでの記録だ。氏は、「自分の身体に障害が残った事実をありのままに見つめ、その変化に適応するだけ」と考えて、リハビリに前向きに取り組んだ。同書からメモする。

ダーウィンの自然淘汰説は、生物に関する最高の理論だと僕は考えています。要するに、何が起こるかは誰にもわからないし、賢い者や強い者だけが生き残るわけではない。ただその場所の環境に適応した者が生き残る。
将来何が起こるかは誰にもわからないのなら、川の流れに身を任せるのが一番素晴らしい。人間にできるのは、川に流されてたどり着いたその場所で、自分のベストを尽くすことぐらいです。なにより明確なゴールに向かってただ真っすぐに進んでいく人生より、思いもよらない展開のなかで一所懸命生きていくほうが面白いに決まっています。人生は楽しまなければ損です。

人間は常に病気や老化、死と向き合って生きています。不幸と呼ぶべきか、宿命と呼ぶべきか、これらの避けられぬものと、いかに向き合って生きていくか。哲学や宗教は、人間が生きていくための知恵を探し出すことから出発したといえなくもありません。生きていくための知恵は、不幸といかに向き合っていくかの知恵ともいえます。

ニーチェは、歴史は永劫回帰している、と考えました。歴史は直線的に進歩するのではなく、永劫に回帰する円環の時間なのである、という考え方です。時間も歴史も進歩しない、そのような運命を正面から受け止めてがんばっていく人間。この強い人間をニーチェは「超人」と呼びました。ニーチェは人間が強く生きていこうとしたとき、何を一番大切な理念としているのかといえば、それは力への意志であると考えました。強くありたい、立派でありたい、そのように生きたいと目指すことです。ニーチェの「超人思想」は、あくまでも、人間はこの大地で現実の生そのものに忠実となり、運命を受け入れて、強い意志を持ち生きていくことが重要だと説いているのです。

・・・おのれの身体条件も含む環境が大きく変化しても、それを受け入れ適応しようとする強い意志を持って生きること。出口氏の困難に対する適応への意志は、まさしく超人的だと思う。

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2022年7月28日 (木)

丸山ワクチンは効く。のか。

今月の日経新聞「私の履歴書」は、ソニー・ミュージックエンタテインメント元社長の丸山茂雄氏。本日語られているのは氏のがん経験。以下にメモする。

がん治療のため私は静岡がんセンターに入院した。2007年のクリスマスの夜、治療は始まった。きつい治療で1カ月、2カ月と苦しむのではなく、気分よく人生を終わりたい。副作用が強い抗がん剤をあまりたくさんは使わず、標準的な治療の7割くらいに抑えた。(がんセンターに)付属するホスピスもとても感じがよく、最末期になったらそこに入りたいと思った。
やがて食事ができるようになった。点滴を外せれば、散歩や外出も可能だ。
08年2月に退院し、翌3月に検査すると食道のがんがきれいになくなっていた。

実は病院での治療の傍ら、父(丸山千里氏)が開発した「丸山ワクチン」を注射していた。医師には内緒だ。がんの治療法として正式には認められていないからだ。あくまでも私個人の責任に基づく勝手な行為だ。あるとき、私は医師に尋ねた。「先生、丸山ワクチンって知ってます? 私が開発者の息子だということは?」。答えは「噂では聞いています」。私は父が書いた論文を手渡した。「お時間のあるときに読んでください」

その後も私の体調は安定し、余命とされた3カ月もとうに過ぎた。08年の秋、医師に聞かれた。「ここまで来ました。丸山ワクチンをおやりになっているのでしょう?」。私は答えた。「ノーコメント」。医師はニヤリと笑った。それでおしまい。

・・・丸山氏は今も丸山ワクチンを打ち続けている、とのことだ。

丸山ワクチンが一時話題になったのは随分昔のような気がする。ので、「私の履歴書」でこの言葉を見た時、「今もあるんだ」と思ったのが最初の感想。そして内容を読んで、「効くんだ」と思ったのが次の感想。

薬というものは、効く人には効く、としか言えない感じがする。だから患者としては、できるだけいろいろな薬や治療法を試せる方がいいと思う。丸山ワクチンが今でもお役所に認められていない理由は知らないが、患者の選択肢を増やすためにも、認めてくれてもいいんじゃないかなあと思う。

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2022年7月25日 (月)

「小山評定」は在ったのか

慶長5年(1600)7月、上杉氏討伐のため徳川家康は軍勢を率いて会津に向けて進んでいた。しかし毛利輝元・石田三成ら「西軍」の挙兵を知り、指揮下の諸将と合議して上方へ反転することを決める。この、いわゆる「小山評定」(通説では7月25日)により「東軍」が結成され、ここから9月15日の関ヶ原合戦まで、決戦を目指す両軍の動きが加速していく。(写真は小山市役所敷地内の石碑)

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関ヶ原合戦については近年、通説の見直しが盛んである。今までの通説的ストーリーは、後世に成立した「軍記物」はじめ二次史料の記述に拠っていて史料的裏付けに乏しいというのが、見直しの大きな動機及び基本的スタンスになっている。既に「問鉄砲」は否定されているし、小早川秀秋も合戦当初から東軍側という話になっていて、さらに「小山評定」も無かったという説が出ている。以下に、『関ヶ原合戦全史』(渡邊大門・著、2021年)からメモする。

 「小山評定はなかった」という説を最初に提起したのは、光成準治氏であった。光成氏に続いて、同様の説を展開したのは白峰旬氏である。
白峰氏は一次史料を駆使して、7月25日に家康が小山にいたのかを徹底的に検証した。その結果、同日に家康が小山にいたとの確証が得られなかった。
 問題となるのは、7月中旬から8月頃にかけての時期における武将間の書状には、小山評定があったことを明確に示したものがなく、二次史料しか残っていないことである。
 しかし、これまでのさまざまな検討を踏まえた場合、家康が小山評定で諸大名に会津征伐の中止、そして輝元・三成らの挙兵を伝え、方針転換を伝えた可能性は高い。やはり小山評定は開催されたと考えるのが妥当なようである。ただし、通説のように、劇的な展開があったか否かは別の問題である。
 多くの編纂物では、小山評定をドラマティックに描いているが、それは家康を賛美するために脚色されたと考えてよいだろう。

・・・一次史料は無いので結局、家康の「軍事指揮権」の在り方などから考えた合理的な推論によって、小山評定と呼べる会議はあった可能性が大きいとは言える。んだろうけど、黒田長政が根回しして福島正則が打倒石田宣言をする、というドラマ的展開はフィクションの産物、なんだろうなあ。

ところで白峰先生の研究によれば、前田利家死去直後に石田三成が危機に陥った「七将襲撃事件」も、襲撃ではなく訴えを起こしたのであるという。白峰先生の手にかかると、問鉄砲も小山評定も七将襲撃も、みんな無くなっちゃう。通説打破の勢いが止まりません。

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2022年7月22日 (金)

成長戦略は恐ろしく困難

本日付日経新聞オピニオン面エコノミスト360°視点「成長戦略を巡る不都合な真実」(筆者は門間一夫氏、日銀出身)から、以下にメモする。

持続可能な経済成長率のことを潜在成長率という。中長期的な経済の「実力」と言ってもよい。それが日銀の最新の推計ではわずか0.2%である。

潜在成長率を高めるには構造改革が必須である。別の言葉では成長戦略とも言う。だから有識者やメディアから「成長戦略を強化せよ」との批判が聞かれるが、いくつか認識しておくべき現実もある。

第一に、他の先進国より日本の潜在成長率が低いのは、人口減少・少子高齢化による面が大きい。
第二に人口動態を前提とするなら、経済成長には生産性の上昇が必要である。ただ、頑張ればできるというほど簡単なことではない。
第三に、日本はこれまでも不断に改革努力を行ってきた。日本は四半世紀以上もその時々の英知を集め、可能な改革には取り組んできたのである。

こうすれば必ず経済成長が起きるという実行可能な政策は簡単に見つかるものではない。ただ、どのみち取り組まねばならない課題は多い。全世代型の社会保障の充実、教育の質とアクセスの向上、脱炭素化の推進、科学技術や文化の振興、災害への強靭な対応力などである。

共感できるテーマに向けて国が腰を据えて動き出せば、民間はそこに必ずビジネスチャンスを発見する。関連分野での投資、人材育成、雇用が誘発される可能性は高まるだろう。

・・・90年代後半橋本政権の行財政改革に続き、2001年から小泉政権「構造改革」が始まり、2008年リーマン・ショック以降の「成長戦略」への取り組みの流れから第二次安倍政権の「アベノミクス」と続いたものの、いずれの改革も充分な成果を出す前に終了となった感が強い。そもそも構造改革や成長戦略とは、規制緩和など制度改革を伴うものであるから、実行を決めるまでに既得権層に対する説得など時間がかかり、実行できても効果が出るのにまた時間がかかる、という感じ。こんな調子だから、たくさんの頭の良い人がたくさんの提案を行っているのに、世の中はなかなか良くならないのだろうな。

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2022年7月20日 (水)

安倍政権の企業統治改革

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事「安倍ガバナンス改革の功績」から、以下にメモする。

安倍元首相は、日本市場の歴史に残るブレークスルーを成し遂げた。企業統治(コーポレートガバナンス)改革だ。
安倍元首相は、具体的に何をしたのか。
まず、14年に年金基金や資産運用会社が株主としてなすべき規範を記す「スチュワードシップ・コード」を策定。これにより、株主に企業との対話を促した。翌年には企業の責任を示す「コーポレートガバナンス・コード」をつくり、株主との対話に前向きに応じるよう求めた。この項目の一つに入ったのが「社外取締役の選任」だ。

改革はなぜ成功したのか。第1に、ガバナンスを成長戦略として位置づけたことだ。それまで企業統治や社外取締役が議論されるのは、企業不祥事がきっかけになることが多かった。コンプライアンス(法令順守)としての統治論であり、不祥事を起こさない企業には無関係と見なされがちだった。
発想を切り替え、社外取締役の役割は経営者に成長投資を促すことと再定義したのが、安倍改革だった。「攻めのガバナンス」という標語も、企業にとり取締役会改革を促すうえで有効だった。

安倍流ガバナンス改革が成功した第2の理由は、法律ではなく規範(コード)に訴えた点だ。伝統的な統治論は、社外取締役の設置を会社法で義務づける点にこだわった。これだと、社外取締役が手当てできない企業は法を犯すことになり、処罰されかねない。保守的な大企業が反対した大きな理由だ。
そこで安倍政権は金融庁や証券取引所がコードを策定し、「原則として内容に従うべきだが、できない場合は理由を説明してほしい」という方針を打ち出した。

安倍政権は財政・金融政策に比べ、構造改革が物足りないとも批判された。そんななかで企業統治は数少ない改革の成功例だ。

・・・攻めのガバナンスは、どこまで企業価値の向上に寄与したのか、実証的分析はなかなか難しい。しかし、上場会社には社外取締役がいるのが当たり前、という空気感を作りだしたのは、やはり安倍改革の大きな功績だろう。

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2022年7月18日 (月)

元総理の不条理すぎる死

昨日17日朝、新幹線に乗って京都へ。山鉾巡行には目もくれず、近鉄に乗り換える。目指すは大和西大寺駅。自分には、安倍元総理の暗殺は不条理すぎる事件というか、何だか現実感に乏しいこともあって、「現場検証」に出かけた次第。

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現地に立ってみた最初の感想は、「近いな」ということだった。画像でよく見た暗殺者が待機していたであろう場所の辺りから、例のガードレールに囲まれたスペースを眺めると、想像以上に近い。車道は二車線、この中央付近まで歩み出て手作り銃を撃ったのか。近い。弾丸の一部は、写真の奥にある立体駐車場のビル(90メートル先)まで届いていたそうだから、銃弾の速度と威力の凄まじかったことが窺い知れる。

この場所で、暗殺者はおそらく自分の胆力の全てを込めて、まさしく「全集中」で標的に向かって弾丸を発射した。1発目で振り返った元総理が最後に見たのは、暗殺者の姿だったのか。2発目の発砲まで3秒弱。しかし警護はほぼ機能しなかった。最初の発砲音が爆発音のようでもあり銃撃とは認識していなかったのか。白煙が立ちこめたため何が起きているか把握できなかったのか。しかしこの距離と時間で、有効な動きが出来なかったのは、明らかに警護の失態だった。結果、暗殺者は目的を達成した。

手作り銃は「火縄銃」の様な原始的な仕組みらしい。銃よりも小さな鉄砲という感じか。一年程かけて作製、今年の春には完成させていたようだ。マンションの一室でひたすら銃器作りに勤しむ男のイメージは、まさに孤独なテロリストそのものである。

しかし様々な報道が伝える暗殺者の人生を概観すると、彼が暗殺者になったのは必然のように思えてくる。確かに元総理を狙うのは飛躍している印象もある。しかしそれは他人から見た話であって、彼からすれば、より達成しやすい目標に変更しただけのことであり、それがたまたま元総理だったという、それだけの話なのかもしれない。そして元総理が地元に来る千載一遇の機会に、彼は人生の唯一最大の目標となっていたであろうプロジェクトを決行。ワンチャンスを見事にものにしたことに、驚くばかりだ。

幸福な家庭は似たりよったりだが、不幸な家庭はそれぞれに違う。トルストイの有名な言葉だ。暗殺者の壮絶な人生に、自分も暗澹たる思いを抱く。共感や同情が全くないと言うつもりはない。もちろん「暴力は許されない」と、建て前的に前置きすることはできる。しかし起きてしまったことについて考えると、誰が悪いのか、よく分からなくなってくる。今回の事件は、せめて暗殺未遂で終わって欲しかった、という思いが強く残る。

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2022年7月10日 (日)

「シン・ウルトラマン」の科学

映画「シン・ウルトラマン」には、プランクブレーン初め訳の分からない専門用語が散りばめられている。監修を担当した京都大学の橋本幸士教授に、日経新聞が取材。本日付記事「シン・ウルトラマンの物理学」から以下にメモする。

映画では、ウルトラマンや宇宙人が「複数」の宇宙を行き来する不思議な世界が描かれる。この世界観をつくっているのは「余剰次元」と「ブレーン宇宙」だ。いずれも超ひも理論にもとづく。

物質を細かくしていくと、素粒子と呼ぶ粒になる。大きさは1ミリメートルの10の15乗分の1よりも小さい。超ひも理論では、素粒子は極微のひもでできており、大きさはさらに小さい。その世界では空間は9次元ある。前後、左右、上下方向の3次元に広がる現在の常識と大きく異なる。つまり6つの次元が余計に存在し、余剰次元となる。映画では「高次元」「6次元」という言葉が使われた。
余剰次元は、私たちの身の回りのあちこちに存在する。しかし素粒子よりも小さい世界に丸まり、光のもととなる素粒子の光子すら入れない。人間はその存在に気づけない。科学技術が進んでも、観測は不可能だと考えられている。
なぜ、余剰次元は小さいのか。宇宙誕生の大爆発であるビッグバンの前、宇宙は素粒子くらいの大きさだった。ビッグバンの直後、9次元の空間のうち3次元の空間だけが急速に膨張し、今のような世界ができたと考えられている。

超ひも理論によると、宇宙はブレーンと呼ばれる膜のような存在だ。9次元空間の中に、ブレーンが幾つも浮かぶ。人間や星などは、3次元空間のブレーンに閉じ込められている。
物理学者たちは、私たちがいる宇宙とは違う宇宙が別のブレーンに存在すると考えている。並行宇宙と呼ばれる仮説だ。映画では、ウルトラマンや宇宙人はブレーンの間にあたる並行宇宙を行き来する。

別の宇宙とつながった時空のトンネルであるワームホールを使うことは、理論的には可能だ。別宇宙への往来というアイデアは、荒唐無稽な話ではない。

・・・超ひも理論の描く世界は、多くの物理学者が数学的に検証して「ほぼ正しい」と考えられている、そうだ。もう素人には訳わからんが、とにかく宇宙というのは摩訶不思議な存在だ、としか言いようがない。(苦笑)

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