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2022年4月30日 (土)

株主第一主義は要修正としても

本日付日経新聞読書面の記事「活字の海で」(企業のあり方を問い直す 持続可能な社会実現に役割)から、以下にメモする。

持続可能な社会を実現するために、企業が担う役割は大きい。「パーパス」と呼ばれる存在意義を自らに問い、打ち出す。株主第一主義から、幅広いステークホルダーのための経営への移行が企業に求められている。

企業のあり方に関する議論は、19年に米国の経営者団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、株主第一主義からの転換を掲げたことが大きな節目となった。近年は日本企業の間にも、自社のあり方を見直す動きが相次ぐ。21年6月に改訂された、東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)が、サステナビリティーを巡る課題への取り組み強化など、ESG(環境・社会・企業統治)を重視する姿勢を打ち出したことも追い風だ。

ただ、欧米企業が行き過ぎた株主第一主義への反省から、会社の本質論の転換を迎えているのに対し、日本企業はそもそも資本効率を高めて株主に対する責任を果たすという目標すら、達成道半ばだ。今後は、経営の効率化を図りつつ成長を促進し、さらに環境や人権問題などの社会的課題解決にも貢献するという、高いハードルをクリアしなければならない。

・・・近年、株主第一主義の修正が唱えられてはいる。が、日本企業については、株主主義による資本効率向上が十分な成果を挙げたとは言えないだけに、株主第一主義の弊害を十分に意識しつつも、今しばらくは株主主義による資本効率向上に向けた取り組みを続行する必要があるように思われる。

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2022年4月29日 (金)

「兵馬俑」と「ポンペイ」in京都

今月21日から、京都市京セラ美術館で「ポンペイ展」が始まっている。会期は7月3日まで。同じ美術館で「兵馬俑と古代中国」展も開催中。こちらは5月22日まで。つまり5月22日までは、同じ場所で「ポンペイ」と「兵馬俑」を観れる。名古屋に巡回する予定はというと、「ポンペイ」は来ないし、「兵馬俑」は9月とまだ先。というわけで、行動規制のないゴールデンウィークの初日、雨になりましたが京都まで行ってきました。

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「ポンペイ」も「兵馬俑」も、日本で時々展覧会やってると思うけど、自分はポンペイ展は12年ぶり2回目で、兵馬俑展は初めて観た。

死者を守るため、死者と共に埋葬された人や馬の像である兵馬俑。と言えば、もちろん秦の始皇帝陵の兵馬俑となるのだが、今回の兵馬俑展では、その前後の時代、つまり前は春秋戦国、後は漢の時代の兵馬俑も紹介されている。そして前後の時代の兵馬俑の造形はミニチュア人形のレベルであり、等身大でリアルに造形している兵馬俑というのは、実は始皇帝陵のものだけだ。ということが了解できる展示になっている。このほか、春秋戦国時代を描いたマンガ「キングダム」のコーナーもありました。

ポンペイ展では今回、アレクサンドロス大王の描かれたモザイク画(レプリカ)が床面に展示されている。これは実際の当地の住居跡でも談話室の床面を飾っていたとのこと。大王の「肖像」として、世界史の教科書にも載ってるやつね。一部剥がれちゃってるわけだが、大王の顔の部分が残っていて良かったなぁという感じです。

ショップで販売してるグッズには、マンガ家のしりあがり寿のイラストを使ったTシャツや手ぬぐいなどもありました。人物の胸像を載せた柱に、パンツを履かせるというイラストが面白い。あの「柱型肖像」は確かに妙なセンスだなと思うので、これはネタにしたくなるよなぁ。

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2022年4月25日 (月)

へドラ・日本沈没・大予言

先日、「生誕100年特撮美術監督井上泰幸」展(東京都現代美術館)を観た。

井上泰幸(1922-2012)は、円谷英二特技監督の下で特撮美術を担当し、精巧なミニチュア作りで東宝特撮映画の全盛期を支えた人物。ゴジラシリーズを中心とする怪獣映画、「日本沈没」などSF映画、「連合艦隊」など戦争映画、それらの特撮場面に登場する都会、山や海、熱帯のジャングルや氷に覆われた極地等々、あらゆる情景を精密なミニチュアで再現し、迫力ある映画作りに貢献した。

会場を歩くと、まず大量の絵コンテ、設計図が展示されていることに息を呑む。あらためて認識したのだが、自分が子供の頃に観た怪獣映画の殆どは井上さんが関わるものだった。自分は大体、昭和40年頃から映画館で怪獣映画を見始めたので、ゴジラだと「南海の大決闘」「ゴジラの息子」「怪獣総進撃」、ゴジラ以外だと「フランケンシュタイン対バラゴン」「サンダ対ガイラ」(怖かったぁ)の辺り。加えて春休み、夏休み、冬休みの「東宝チャンピオン祭り」で、「キングコング対ゴジラ」以降の作品を観た。これらの作品の殆どに井上さんは関わっている。このほかテレビ「ウルトラQ」の「ゴメスを倒せ!」は、重厚な画面そのものがドキュメンタリー的かつドラマティックだ。そして展示順路の最後に置かれているのは、「空の大怪獣ラドン」の名場面、井上特撮美術の最高傑作とも言えるであろう岩田屋百貨店のミニチュア。復元されたセットの出来栄えは圧巻で、深く静かな興奮を覚える。

井上さんは「ゴジラ対へドラ」では、へドラの造形も担当。下はデザイン画。

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そして「へドラ」を最後に、東宝から独立してフリーの特撮美術監督になるが、東宝作品にも引き続き参加。展覧会では、独立前後の東宝作品である「ゴジラ対へドラ」「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」がまとめて展示されているスペースがある。これらの作品の公開時期は「へドラ」が1971年夏、「日本沈没」が73年末、「大予言」が74年夏。石油ショックが起きたのが73年秋。公害やら人類滅亡やらが取り沙汰されて、何しろ暗い世相で、74年の世の中は終末観のピークに達したという感じではなかったか。異色のゴジラ映画と評価される「ヘドラ」、「マントル対流」を学んだ「日本沈没」、何故か現在「封印」作品扱いの「大予言」。この3作品を、自分は小学校6年生から中学生の間に観てしまったわけで、人格形成に良くない影響があったかも知れない。(苦笑)

それはともかく井上泰幸展、興味深い展示内容でありました。CG全盛の現代から見ると、ミニチュア特撮はまさに職人芸、アナログの極致となるのだろうが、だからこそアナログの凄みを感じることができる展覧会だと思う。

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2022年4月21日 (木)

ロシアの近未来像は

ウクライナ戦争が終結する時、プーチンのロシアに何が起きるのか。以下は、小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター専任講師の見方。(雑誌「Wedgeウェッジ」5月号掲載のインタビュー記事からのメモ)

(ロシアの「勢力圏」と「大国」意識について)
ロシアには「大国」を中心とする国際秩序観がある。「勢力圏」というのは、西欧は米国のシマであり、東欧はロシアのシマという認識だ。特徴的なのは、「勢力圏」と、「ルーシ(スラブ)の民は一つ」というナショナリズムが癒着していることだ。昨年7月にプーチン大統領は『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』という論文を発表したが、現状においても「ウクライナは西側にたぶらかされているから、ロシアが保護する必要がある」と、あたかも自分たちこそがスラブ民族の救世主であるかのごとく考えている。

(ウクライナ侵攻の理由)
「ウクライナとロシアの統一」とは観念的で、フワッとしている。プーチン大統領が頭の中ではそのように考えていたとしても、政治家であれば現実的に行動するのが普通だ。今回の場合、いわば、頭の中の考えをそのまま外に出してしまったようなものだ。なぜ戦争まで踏み込んだのかは不明だ。

(「戦後」のロシアについて)
戦後については4つのシナリオが考えられる。まず、「大北朝鮮化」、つまり「プーチニスタン」の出現だ。大量破壊兵器の使用も辞さず、何を起こすのか分からない。国際的にも完全に孤立する。
次に、現政権内部でプーチンを引きずり降ろす可能性である。プーチン後を誰が率いるかが課題だ。
3つ目は、国民とエリートが合意して現在の権力構造を変えることだ。
最後に、ロシアの人々が最も恐れる状況が「大動乱(スムータ)」だ。「第二次ソ連崩壊」と言えるかもしれない。誰も全土を統治できる人間がおらず、混乱が続くという状況だ。

・・・さすがに「大北朝鮮化」だけは勘弁してほしい。のだが、新型ICBM発射成功を自信たっぷりに発表するプーチンを見ていると、北朝鮮化が確実に進んでいるようにも思える。

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2022年4月20日 (水)

ロシア「KGB政権」

KGB出身のプーチンを「皇帝」として戴くロシアは、かつての共産党ソ連よりも厄介な国家になっていると思われる・・・本日付日経新聞「中外時評」(ロシアに巣くうKGBの亡霊)からメモする。

ロシア軍によるウクライナ侵攻開始からもうすぐ2カ月。ロシアでは制裁の影響で物価が上昇するなど、国民の間に不満の芽が出つつある。しかし、プーチン大統領は全体主義と恐怖政治で、それを覆い隠そうとしている。

連邦保安局(FSB)は、ソ連時代の国家保安委員会(KGB)の流れをくむ治安・情報機関だ。もとをたどれば16世紀に、イワン雷帝が反皇帝勢力を弾圧するために創設した親衛隊オプリーチニキに行き着く。以来、名称や勢力は変えながら、時の権力者がよみがえらせてきた。
そんな亡霊のような存在が侵攻をきっかけに、ソ連崩壊以降最も活発に活動し始めた。KGB出身のプーチン氏が大統領に就任したのが2000年。それ以降、側近をKGB出身者で固めたうえで、憲法を改正したり、有力企業を政府の支配下に置いたりして、長期独裁体制を整えてきた。
野党は事実上存在せず、与党「統一ロシア」はプーチン氏の政党だ。ソ連時代は共産党とKGBがけん制し合う側面もあった。だが、いまの政権を支配するのは、西側を敵視し、力を信奉し、異論は許さないKGBの論理のみだ。

デモ参加者は有無を言わさず拘束。家族をも巻き込む手法は伝統だ。情報統制も徹底している。多くの国民は政府のプロパガンダを信じるしかなくなった。
あの手この手のプロパガンダは、戦争に異議を唱えることを許さない。
だが、国民は多数の若い兵士が戦死したことを知り、外国との関係を断たれたことによる困難と不自由さを味わい始めている。政権側は「すべては西側のせい」と批判をかわそうとしているが、それにも限界がある。行き着く先は、独裁による恐怖政治だ。

KGBの亡霊が巣くうロシアは、侵攻前より不安定さを増している。世界にとって危うい存在であり続けるのは間違いない。

・・・一党独裁とプロパガンダ。KGB出身のリーダーとKGBの後継組織が支配するロシアは、ナチス・ドイツと相似形の国家としか見えない。

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2022年4月17日 (日)

映画「ゴッドファーザー」50周年

気が付けば、「ゴッドファーザー」というのは50年も前の映画なのだな。そして自分は50年前に映画館で観ている。そんなに長い時間が経ったのか。どうにも信じられない。
先月、特集が組まれていた雑誌「kotoba」(集英社)を買い、今月は名画の劇場上映企画「午前10時の映画祭」で、「ゴッドファーザー」「ゴッドファーザーPARTⅡ」「ゴッドファーザー〈最終章〉:マイケル・コルレオーネの最期」3作品を続けて観た。「最終章」は、「ゴッドファーザーPARTⅢ」の2020年再編集版で、今回初の全国上映。

「ゴッドファーザー」の日本公開は1972年。自分が観たのは翌年春、中学1年生の終わりの頃だ。「PARTⅡ」公開は1975年、高校1年生の時。そして「PARTⅢ」公開は1991年で(16年経って続編が出来た時はさすがに驚いた)、自分は31歳になっていた。こうして振り返ると、自分の人生は「ゴッドファーザー」と共にあったような気がしてくる。

自分は1959年生まれだが、「ゴッドファーザー」は、おそらく自分以降の世代はかなり影響を受けている映画だと思う。直近雑誌等で知った「ゴッドファーザー」好き有名人は、オバマ元大統領、落語家の立川志らく。オバマは61年生まれ、志らくは63年生まれなので、やっぱりモロに影響受けた世代という感じだ。自分も、人生で大事なことは全て「ゴッドファーザー」から学んだ、と言ってもいいくらいの思いがある。

自分は今回、「最終章」を初めて観た。そもそも「PARTⅢ」の評価は余り高くないのが通り相場ではあるが、それは前2作に比べてという話で、「ゴッドファーザー」ファンには十分心に響く作品だろう。少なくとも、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」の楽曲をバックに進行する、お約束の敵方一掃抹殺シーンは「PARTⅡ」より上だろう(というかⅡがショボい)。さて、「最終章」の内容は「PARTⅢ」と大きくは変わらないが、いくつかのシーンの順序の入れ替えや削除等の変更があり、いきなり冒頭から「PARTⅢ」と異なる場面、マイケルとギルディ大司教の「商談」シーンが置かれる。意外感ありだが、変更の是非はよく分からない。さらにマイケル叙勲式のシーンもカット。その後のパーティ・シーン以降は概ね「PRATⅢ」と同じ進行だが、最後にまた少々意外な変化が。マイケルが愛する妻や娘、アポロニア、ケイ、メアリーとダンスする回想シーンが、マイケルとメアリーのダンスだけになり、最後の最後、老いたるマイケルの姿が映し出され、そしてシチリアの「幸福」観が紹介されて終わる。つまり、「PARTⅢ」の最後に置かれたマイケルの斃れるシーンがないのだ。サブタイトルに「最期」(原語でもThe Death of Miceal Corleone)とあるのにも関わらず、である。これも何だか妙な感じだった。

コッポラ監督の再編集の意図は正直良く分からないので、自分の印象だけ述べれば、「最終章」は前2作とのつながりをやや薄めて相対的に独立性を高めた(ちょっとだけど)作品という感じがした。冒頭の叙勲式シーンがカットされたことによりフレド殺しの回想場面もなくなったが、正直、冷徹な人物としてのマイケルのファンから見れば、彼が兄弟殺しの罪の意識に苛まれるような人物には思えない。「PARTⅢ」は、マイケルの「罪と罰」(兄弟殺しと娘の死)の色が濃い何だか気の滅入る話になっているが、少なくとも罪の意識の強調はやりすぎだと思える。悲劇的要素は全く要らないとまでは言わないが、できることなら「最終章」は、マイケルが自らのビジネスの合法化を目指す「最後の戦い」中心で、押し切って欲しかったような気もする。しかし「PARTⅢ」からも、30年経ってるのか。いやもうびっくりです。

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2022年4月 9日 (土)

独ソ戦、ウクライナの敵は?

先日、「本屋大賞」を受賞した『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬・作)、物語の舞台は第二次世界大戦、独ソ戦。主人公は、ソ連軍の女性狙撃兵士セラフィマ。彼女は狙撃訓練学校に入り、元狙撃兵の冷徹な教官長イリーナの元で、志を同じくする女性兵士たちと共に訓練に励む。仲間の一人、オリガはウクライナ出身。セラフィマに向けて、オリガが投げかけてくる言葉がとても気になる。

「ウクライナがソヴィエト・ロシアにどんな扱いをされてきたか、知ってる? なんども飢饉に襲われたけれど、食糧を奪われ続け、何百万人も死んだ。たった20年前の話よ。その結果、ウクライナ民族主義が台頭すれば、今度はウクライナ語をロシア語に編入しようとする。ソ連にとってのウクライナってなに? 略奪すべき農地よ」
「ウクライナでは、みんな最初ドイツ人を歓迎していた。これでコルホーズが終わる。これで共産主義者がいなくなる。これで、ソ連からウクライナは解放されるんだって」
「コルホーズは解体されなかった。ドイツ人はスラブ民族を奴隷にするため、コルホーズを維持してウクライナの支配者になったの。・・・どういう意味だか分かる? セラフィマ。コルホーズはウクライナ人を奴隷にする手段なの。ドイツにとっても、ソ連にとっても」

「オリガ、あなたの話の中に、私はナチとソ連の決定的な違いがあったように思うの。ナチはウクライナを解放しようとはしなかった。ソ連を打倒してロシア人民を解放するとも言わない。それがドイツにとって合理的な勝利への近道であっても。それはナチ・ドイツが戦争を始めた理由が、そもそも私たち全部を奴隷にするためだったからよ」
「そう。奴隷化そのものが目的。ソ連がウクライナを目的のために奴隷化したのとは違う」

・・・オリガの言葉にぐっと詰まったセラフィマは、ナチ・ドイツは絶対に友達になれないが、ロシアとウクライナは朋友になれる、と言い返すのが精一杯だった。(実はオリガは秘密警察の一員であり、狙撃兵たちを監視するために送り込まれた人物だった。)

物語の終わりに、アレクシエーヴィチ作「戦争は女の顔をしていない」との「接点」が置かれているのを見た時は、「そうか。そうきたか」という感じがした。自分は「戦争は~」のマンガ(化作品)は読んだが、原作は読んでない。で、「同志少女よ~」についても、作者に申し訳ない気もするが、誰かこれマンガ化してくれないかな~とか思ってしまった。(苦笑)

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2022年4月 3日 (日)

スターリン化するプーチン

本日付日経新聞の「NIKKEIAsia」オピニオン記事(スターリンと似るプーチン氏)からメモする。

ロシアのプーチン大統領はかつて、尊敬する人物はピョートル大帝だと語った。18世紀初頭にロシアを近代欧州の列強の一つに仕立て上げた人物だ。彼の最も素晴らしい遺産は、西部に建設した都市サンクトペテルブルクで、1917年のロシア革命まで首都であり続けた。

指導者としてのプーチン氏は、ジョージア(グルジア)出身で22~53年にソ連を率いたスターリンに似ている。スターリンは30年代の「大粛清」での弾圧や拷問、強制収容により、多くの死者を出した。プーチン氏は大粛清ほどの犠牲を生んでいないとはいえ、振る舞いは冷酷な独裁者のスターリンに近づいている。
ソ連のジューコフ元帥は回想録で、数多くの兵士の命を無駄にした責任がスターリンにあると非難した。プーチン氏も、あらゆる人命に対して無関心な様子だ。

プーチン氏は侵攻前、ウクライナが存在する権利はないという意味の発言をした。しかし戦闘が1カ月以上続いてなお、プーチン氏はウクライナの政権を崩壊させるなど当初の目的を達成していない。
追い詰められたプーチン氏は、真実と虚構の混ざった不満を抱え込み、危険だ。国際社会はある意味で、プーチン氏がスターリンともう一つの共通点を持つことを期待するしかない。無慈悲で常軌を逸しているが、究極的には合理的な人物であることだ。

・・・スターリンが「合理的な人物」かどうかはさておき、ウクライナ戦争においては現状、とにかくプーチンが諸々の「潮時」を了解して「合理的」に行動してくれることを期待するしかない感じではある。

気が付けばスターリン化していた独裁的権力者プーチン。ただスターリンの共産党(あるいはヒトラーのナチス党)のような、強固な組織的基盤が無いように見えるにも係わらず、プーチンが何年もかけて独裁的権力の強化を図ることができたのは、ちょっと不思議な気がする。

独裁的権力者プーチンは大国復活を目指しているようだが、その念頭にあるのはロシア帝国なのかソ連なのか。どちらにしても、時代錯誤というほかは無いのだが、プーチンがスターリン化するのではなく、西欧かぶれのピョートル大帝を真似してくれれば、世界は平和だったろうに。(ため息)

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2022年4月 2日 (土)

20世紀のロシアとウクライナ

かつての20世紀、共にソビエト連邦を構成していたロシアとウクライナは、民族的にも文化的にも近い国だと言われる。しかしソ連時代も、この「兄弟国」の関係は決して麗しいと呼べるものではなかった。以下に、「週刊東洋経済」(4/2号)掲載記事(執筆者は名越健郎・拓殖大学教授)からメモする。

1917年のロシア革命後、ウクライナはレーニン率いるボリシェビキの支配下に入り、ソ連邦第2の共和国になったが、ソビエト体制下では苦難の連続だった。スターリンは農業集団化を断行し、ウクライナの富農を粛清。外国から武器を購入するため食糧を強引に徴収した結果、「ホロドモール」と呼ばれる人工的な大飢饉が30年代初めに発生し、死者は1000万人に上ったという。30年代後半、スターリンは反体制派を弾圧する大粛清を行い、ウクライナ共産党幹部が真っ先に逮捕され処刑された。

41年6月に勃発した独ソ戦は、広大なウクライナの平原が戦場となり、ウクライナ人の死者は民間人を含めて700万人で、4人に1人が死亡したとされる。
その際、スターリンの恐怖政治におびえたウクライナ西部の住民はドイツ軍を「解放軍」として歓迎し、蜂起軍を結成。これに対し、東部のウクライナ人はソ連軍として戦い、ウクライナ人同士が戦場で衝突した。
大戦初期、ウクライナを制圧したドイツ軍は、ユダヤ系住民の大量虐殺を行った。ドイツ軍が敗走すると、伯耆軍はソ連に徹底弾圧された。こうして、ウクライナは第2次世界大戦で最も激しい戦場となり、国土は疲弊した。

スターリン後に政権を掌握したフルシチョフとブレジネフは、ウクライナたたき上げの指導者で、ウクライナを優遇し、農工業が発展した。フルシチョフにより54年、クリミア半島はロシアからウクライナ共和国に編入された。

改革派指導者ゴルバチョフが85年に登場し、ペレストロイカ(再編)を進めると、ウクライナ語復権の動きや見直し運動が高まった。

91年8月、ソ連の保守派が決起し、失敗に終わったクーデター事件の直後、ウクライナ議会はいち早くソ連からの独立を宣言した。12月1日には、独立の是非を問う国民投票が実施され、90%の支持で承認された。第2の共和国であるウクライナの独立で、連邦継続が困難とみたロシア、ウクライナ、ベラルーシ3首脳はソ連邦崩壊を宣言。ゴルバチョフは辞任し、ウクライナは史上初めて、悲願の独立を果たした。

・・・ソ連時代のロシアとウクライナの関係を見ると、「兄弟国」の戦争にも歴史的な背景はあるのだと思える。しかしそれでもやはり、21世紀の大規模戦争勃発という現実を充分に理解するのは難しい、という困惑にも似た思いは残る。

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