« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »

2021年12月29日 (水)

ウクライナは「火薬庫」

本日付日経新聞オピニオン面コラム記事(ロシア軍事侵攻の本気度)からメモする。

ロシアがウクライナへの軍事圧力を高める一方で、米国に新たな安全保障体制の条約締結を提案した。本音は交渉か、軍事侵攻か。疑心暗鬼のまま2022年を迎える。

条約案でロシアが最も重視しているのは、北大西洋条約機構(NATO)がウクライナ、ジョージアなどを加盟させないことだ。

12月21日、プーチン氏は国防省幹部との会合で「提案は最終通告ではない」と述べた。妥協の姿勢を見せながらも軍事オプションをちらつかせ、最終的に交渉でウクライナを勢力圏に取り戻す――。ロシアが描く最も現実的で穏健なシナリオにみえる。交渉は米欧側に分が悪い。ジョージア、クリミア半島の前例があり、軍事侵攻の可能性が排除できないからだ。

それだけではない。もしかしたら最初から交渉決裂を前提にしているとさえ思える。状況証拠はそう思わせるのに十分だ。集結した地上部隊は全体の3割近い約10万人。ブラフにしては大規模で費用がかかっている。
「侵攻が始まれば数日でキエフは陥落する」(小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター特任助教)。そのあとは屈辱的な和平案をのませるか、事実上のかいらい政権を置き、勢力圏に戻す――。これが軍事侵攻シナリオだ。

小泉氏は「プーチン氏はレガシー(遺産)づくりにとらわれているのかもしれない」と指摘する。
プーチン氏は本気でウクライナを取り戻すつもりだ。欧州は22年も波乱含みだ。

・・・今、ウクライナは「火薬庫」といえる。100年前はバルカン半島が火薬庫だった。その時も一方の当事者はロシア帝国。バルカンを舞台にハプスブルク帝国と対決した。そして現在、火薬庫の位置はバルカンのさらに東へと移った。ロシアの危機感も半端ないというか、30年前に消えた大国ソ連の幻影を追い求めるプーチンの焦りもマックスというか・・・。火薬庫爆発を回避するため、今はロシアに対する欧米側の譲歩が求められるところだろう。

|

2021年12月24日 (金)

昭和が「エモい」らしい

日経新聞電子版の記事「若者なぜ昭和レトロ」第4回(友達親子で価値観共有 手軽に楽しむ「エモい」)からメモする。

最近の親子はすごく仲がいい。親が好きだった音楽を好んで聴き、親が若い頃着ていた服のお下がりを「エモい(=エモーショナルな)」と喜んで着る。若者の間でブームの昭和レトロ。研究テーマの一つとする明治大学の藤田結子専任教授(社会学)は「『友達親子』と呼ばれるフラットな親子関係が色濃く影響している」と指摘する。

なぜ今の若者は親と仲がいいのか。藤田氏は「もっと前の世代は、親と子の育った社会環境の違いが大きすぎた。でも今の若者と親の価値観はあまり変わらず、育った環境もそう大きくは違わない」とみる。

例えば団塊世代と団塊ジュニア。団塊世代が若いころは日本で消費文化が根付いていなかった。しかし今の若者の親は40~50代が中心。80年代ごろの消費文化が花開いた時代に思春期を送った世代のため、今の若者と育った環境も価値観もそれほど大きくは違わない。若者にとって親は「共感できる相手」というわけだ。

昭和レトロに厳密な定義はないが、これまでは60年代くらいを中心にせいぜい80年代までのイメージだった。しかし今20歳前後の若者が「昭和レトロと思うもの」には、昭和から平成に移り変わった後の90年代も含まれている。

その理由を藤田氏は「メディア環境、中でもインターネット普及の影響が大きい」と分析する。今の若者にとって「昭和」はネットを通じて触れられるもの。特に80年代以降の写真や映像などといったコンテンツはネット上に大量に流通しており、そうしたものに若者が出合いやすい環境がある。

親と子が隔たりなく話せるようになり、親から聞いたことに「それは何だろう」と思えば、すぐにネットで調べられる環境にある今の若者たち。適度な古さがあり同時に比較的近くて「つながることができる」時代、それが彼らにとっての昭和。珍しさと懐かしさも感じられるものに触れることが「エモい」につながる。

親からの話を通して今の若者が抱く昭和のイメージはとても肯定的だ。藤田氏はそこに「今よりも景気が良かったし、人も温かかった」という仮想のノスタルジーがあるとみる。若者にとって昭和は「ゆっくりしていて良かった時代」と映るようだ。

・・・昭和の枕詞は「激動の」、つまり戦前、戦後も含めて昭和、というのが昭和34年生まれの自分の感覚。実際、昭和天皇崩御の時は、テレビ放送は「激動の昭和」回顧番組一色になった。ところが今の「昭和レトロ」の対象は戦後のみ、おそらくは昭和30年代の高度経済成長期を起点として90年代の平成初期まで延長された時代が、「エモい昭和」として認知されているようだ。「激動の昭和」から「エモい昭和」へ、まさに時代を捉える感覚は変わったということだな。

また、親子間の時代環境や価値観のギャップが小さくなっている、というのも肯ける感じ。自分が子供の頃、明治・大正・昭和と並べると随分違う時代に感じたものだが、今まで自分が生きてきた昭和(戦後)・平成・令和と並べると、大体地続きの時代と思えるし。でも今後、令和ではデジタル化がさらに急速に進むだろうから、自分は付いていけなくなることだろう。(苦笑)

|

2021年12月23日 (木)

皇位継承の危機は続く

本日付日経新聞記事(皇位継承、本質の議論を)から以下にメモする。

政府の安定的な皇位継承に関する有識者会議が22日に公表した最終報告は、問題の「根治」ではなく、塗り薬で痛みをやり過ごすような内容だ。

まず「皇位継承とは切り離して、皇族数の確保が喫緊の問題」との認識自体が本質からの逃げである。問題の本質は「持続可能な皇位継承制度」ではないのか。
公務を担う皇族が足りないという議論は本末が逆で、皇族数に合わせて公務を調整するのが筋である。

主題が皇族数確保にされたのは、保守派の反発が強い女系継承議論を避けたいという心理からきている。公務の担い手確保という方便で、まずは婚姻による女性皇族の流出を防ぐ。女系継承は将来の課題として先送りする。
女系反対派はその意図を百も承知で、女性宮家を否定した。その後、公務の担い手不足の方便を逆手にとる形で、皇族数確保が本質のような議論にすり替わり、女系の検討は後景に退いた。

男系継承が天皇の絶対的原理かどうかの議論はさておき、科学的な視点でいえば、一夫一婦制のもとで男系継承が持続する確率はきわめて低い。
自然の摂理に反した幸運に期待し、ダメなら天皇制の消滅を受け入れるのか。それとも知恵を絞って継承の確率を上げ、国民が親しんできた「象徴天皇」そのものを残すのか。その選択を真正面から問う議論をやり直すべきではないだろうか。

・・・日経新聞は意外に皇室関連で骨太の内容の記事を書く印象がある。現状、保守派は非現実的な理想論に固執し、その保守派に対して腰が引けた議論が行われる。要するに、皇位継承の危機をまともに考えている人など誰もいないのだ。もはや天皇制は実質的にオワコンになっている。

|

2021年12月19日 (日)

日本経済の活力不足と地盤沈下

日経新聞15日付と18日付の市況欄コラム「大機小機」から、以下にメモする。

わが国の失われた30年の基本的な姿。それは経済政策と言いながら経済成長をもたらさなかったという意味で、バラマキ政策を繰り返した姿だったといえよう。
実は過度な財政支出は、民間企業だけでなく、日本経済全体の活力もそいでしまうという問題を抱えている。それはケインズ経済学の基本が教えるところだ。ケインズ政策の効果としてよく知られているのは、財政拡大が不況からの回復をもたらすというものだが、同時に経済成長はもたらさないことも教えている。それを聞いた人がケインズに、では何が経済成長をもたらすのかと聞いたことへの答えが、アニマルスピリットだった。
アニマルスピリットとは、人々がよりよい生活の実現に向けてチャレンジしていくことだ。今必要なのは、新型コロナウイルスへの危機対応に加えて、国民のアニマルスピリットを喚起する政策だ。そこを押さえずに財政支出の拡大ばかりを求めていては、失われた30年が続き、日本はアジアの中でも貧しい国になっていってしまう。(15日付「財政拡大がそぐ経済の活力」)

日経平均株価は今年の2月に30年ぶりに3万円を回復し、先行きに明るさを予感させた。しかしその後一進一退を繰り返し、11月末には年初水準に逆戻り。
低迷が続く要因は多岐にわたる。最も重要な要因は企業の稼ぐ力の弱体化であり、先行きの展望に明るさが見通せないことだ。かつては経済一流と評価され、それを支えたのはまぎれもなく活力あふれる企業群だった。世界をリードする企業が目白押しで、日本企業の世界での存在感は極めて高かったといえる。
そのことに慢心したのか、守りに入ったのか、多くの企業で熱意、活気が失われていった。一部の革新的な企業を除き、新たな価値創造へ向けた熱意が薄れ、改革も決断せず現状維持を続ける企業が日本中にまん延した。執行を監督する社外取締役は増えたが、残念ながら企業価値向上に貢献しているとはいいがたい。株価は見事にその実態を映し出している。
企業は今こそ創業の原点に返り、存在意義を組織に浸透させ、企業価値向上を実現せねばならない。今のままでは日本経済の地盤沈下は止まらない。(18日付「経済の地盤沈下が止まらない」)

・・・今では90年代のデフレや不良債権問題は過去の話になったのかも知れないが、当時形成された政策的経営的マインドは今も日本を呪縛しているように見える。つまり何だかんだ言っても、日本経済はバブル崩壊の後遺症を未だに引きずっている(だから「失われた30年」なのだ)、と思える。すなわち政策的には円安と低金利そして財政出動への依存、そしてこれらが企業再編や労働力流動化の遅れにつながり、その結果として生産性向上の遅れ、低賃金の継続等を招いている。「コロナ後」の日本経済の見通しがさえない中で、ここから民間企業がアニマルスピリットを奮い起こして活力を取り戻し、さらなる企業価値の向上に邁進していけるのかどうか。岸田政権の経済政策が、その呼び水になると期待できるのかどうか。(まあ自分も結構日経新聞に毒されているので、そこはネガティブに見てますね)

|

2021年12月18日 (土)

小説『ひと』について雑感

書店の文庫本コーナーで、「本の雑誌が選ぶ2021年度文庫ベストテン第1位」のオビが巻かれた『ひと』(小野寺史宜・著、祥伝社文庫)が積まれているのが目についた。

自分が『ひと』を読んだのは今年の春、文庫新刊として書店に置かれていた頃である。何となく手に取って本を開いて見ると、冒頭の一行の「砂町銀座」に何とも意外感があった。砂町銀座、要するに東京下町の商店街である。大昔、江東区に住んでいたことがある自分にとって、砂町銀座が小説の舞台になるものなのだろうかと思った。普段小説を読まない自分がこの小説を読んだ理由は、殆どそれに尽きるかもしれない。

「砂町銀座商店街は不思議な場所だ。JRや地下鉄が縦横無尽に走る東京二十三区内。なのに、どの駅からも遠い。それでも賑わっている」。確かに。商店街のある北砂町まで、公共交通機関で行くとすれば都バスしかない。自分は高校生の頃、南砂町から亀戸まで、この路線バスに乗って、砂町銀座入り口の前を毎日往復していた。結局、当時は商店街に足を踏み入れることはなかったけど。

「WEB本の雑誌」では、主人公の人生がちょっとした人との出会いで変わっていく感動作、と紹介されている。主人公は20歳の若者なので、ジャンルとしては、いわゆる青春小説と思っていいんだろう。地味だけどね。何しろ砂町銀座だし。主人公は両親を亡くし、大学をやめたという設定なんだけど、優しくて落ち着いていて淡々としている。何か普通なら「世界で一番不幸なのはこのオレ」とか思って、自暴自棄になりそうなところだが・・・若くして、いきなり人生半分悟っちゃったような感じ。

文庫解説の中江有里は、この小説について、主人公の「成長譚であり、孤独を具現化した」ものであると評する。中江はまた、「孤独は人生において本当に大切なものを浮かび上がらせる。孤独は自分との対話を促し、孤独は自分に問いかける。その時間が孤独を深め、さらに孤独な時間を研ぎ澄ましていく。独りだから、そばにひとがいるありがたさを知る」、と述べている。(孤独の説明としては結構ベタである)

で、孤独の名言として自分が推すのは、平原綾香の歌う「ジュピター」の一節。「愛を学ぶために孤独があるなら、意味のないことなど起りはしない」。なるほどそうか、と思う。軽く無理矢理感があるのもイイ。

|

2021年12月15日 (水)

関西スーパーVSオーケー、決着

昨日14日、最高裁は関西スーパーマーケットとエイチ・ツー・オーリテイリング傘下の食品スーパー2社との経営統合を認め、オーケーは買収を断念。本日15日、関西スーパーとイズミヤ及び阪急オアシスの経営統合は完了した。本日付日経新聞から、最高裁判断に対する評価と、今後の株主総会の課題について、識者の見方をメモする。

今回の最高裁決定は「あくまで今回の事実関係に基づいた判断。一般的に株主意思と総会ルールのどちらが優先されるかなどの、法的な判断には踏み込んでいない」(ベテラン裁判官)。大阪大学の松尾健一教授は、「どの時点までならば、後から投票の修正ができるのか、不透明な部分が残されたままだ」と指摘する。

九州大学大学院の徳本穣教授は、「今回、非常に総会に慣れていたと思われる株主でも投票についての誤認が起きた」ことを課題に挙げる。「総会における投票ルールをより丁寧に明確に、徹底して周知するなど総会の実務に大きな影響を与える」と指摘する。
今回の関西スーパーの総会では、白票が棄権扱いになることは会場で何度も説明されていた。「争いが想定される事案では、白紙での投票は棄権なのか賛成なのかを含めて議長がルールを周知し、かつ株主が理解できるようにすることまでが求められる」(上西拓也弁護士)とみられる。

今後「事前の議決権行使をした株主が当日出席した場合は事前の行使が効力を失うことや、後から個別株主の訂正は認めない、という2つを招集通知に書いたり、当日に会場で議長がアナウンスしたりする」(川井信之弁護士)など、総会の実務が煩雑になる可能性もある。

・・・株主意思(高裁)か総会ルール(地裁)かの判断は、最高裁が株主意思の尊重に軸足を置いたことにより、超異例と思われるケースの司法対決は、関西スーパーの勝利で決着した。一般的な法的判断の基準は残されなかったが、現実には今後も個別ケース毎に判断するほかないのだろう。これが大勢に影響のない一票ならば、間違いでした分かりましたで済むのだろうが、何しろこの一票の扱いで結論がひっくり返る超レアケースだけに、オーケーも見過ごせないし関西スーパーも引き下がれない事態になったのは当然だと思う。

しかし今後の株主総会は、会場で投票のルールをくどいくらい説明して、みなさん分かりましたね、分かった人は手を挙げてください、ハーイ!なんてやるのかな。(小学生かっ!)
どうやら一人のアホ株主のおかげで、総会開催や進行の手間が増えることになりそうだ・・・はあ。

|

2021年12月12日 (日)

変われないニッポン

日経新聞の連載記事「ニッポンの統治」、10日付のインタビュー記事から以下にメモする。語るのは、2006~08年に経済財政担当大臣を務めた大田弘子氏。新型コロナ禍の政策対応の検証を梃子にして、既得権の壁を打ち破れと訴える。

「日本が過去の教訓から学ぶことができないのは、踏み込むと省庁間や既得権の壁に突き当たるからだ」

「日本の政策は現状維持、もしくは元に戻そうとする力が圧倒的に強い。政策当事者は産業構造や労働環境の変化に合わせ、10年先の質の高い雇用機会を生み出していく責務があるが、この視点がない。政策は供給側の力が圧倒的に強い。規制官庁は既存産業とは密にコンタクトするが、そこに新規参入者や利用者の声は入ってきにくい。それが現状維持につながる」

(岸田政権の掲げる「新しい資本主義」について)「趣旨には賛成だが、具体的な政策はもの足りない。デジタル化やグリーン化など経済環境が大きな転換期にあるなか、規制構造や労働市場の改革に踏み込んだ骨太の政策パッケージが必要だ」

「今度の政権の課題は、長期ビジョンによる仕切り直しだ。自らの任期に関係なく5~10年後に向けた中長期の視座を持ち、そこから逆算して足元の壁を打ち破っていくことが必要になる」

・・・かつて大田大臣が国会演説で、もはや日本経済は一流とはいえないと断じたのは約14年前。その後、アベノミクスで持ち直した日本経済だが、一流の輝きを取り戻したとまでは言えない。ゆえに岸田政権の「新しい資本主義」の真価が問われる・・・のだが、正直あんまり期待もできないなあ。(ため息)

|

2021年12月11日 (土)

現役世代の1票は限りなく軽い

「1票の格差に関する議論では、2倍や3倍といった数字ばかりが重要なのではない」と言うのは、渡辺安虎・東大教授。10日付日経新聞「1票の格差、政策のゆがみに直結」から、以下にメモする。

そもそも1票の格差をゼロにすることは今の選挙制度では不可能だ。選挙区を市区町村などの行政区画と一致させる以上、必ず格差は生じる。

日本の1票の格差の最大の問題は、格差がランダムではない点だ。言い換えると、1票の格差によって特定のグループの人たちの1票が重くなる一方、1票が軽くなるグループがいる。結果として民意が正確に反映されず、政策形成をゆがませてしまう。

この問題が最も明白なのが年齢だろう。日本では1票が重い選挙区は高齢者の比率が高く、軽い選挙区は現役世代の比率が高い。
10月の衆院選を見てみよう。1票が最も軽かった10選挙区のうち8選挙区が東京都内であり、残りも神奈川県内と札幌市内だ。いずれの選挙区も現役世代の比率が高い。つまり、有権者に占める現役世代の比率が高い選挙区は1票が軽いのだ。このことにより、システマチックに現役世代の声は過少に扱われ、国政に届きにくくなる仕組みになっている。

さらに問題なのは、多忙な現役世代は投票コストが高く、投票率が低いことだ。このため1票の格差により軽んじられている現役世代の声は一層、国政に反映されにくくなっている。膨張を続ける医療費や低位が常態化する出生率といった問題に、この構造は無関係でないだろう。

・・・ということで記事の中では、区割りの際に例えば1票の格差と年齢との相関を弱くする何らかの基準を採用する、という対応の方向性も示唆されている。のだが、現役世代の声を国政に充分に反映させるという一点に絞れば、リタイアした高齢者から投票権を取り上げて、現役世代の棄権には罰金を課すのが一番いいと思う。(暴論であります)

|

2021年12月 9日 (木)

関西スーパーVSオーケー、最高裁へ

関西スーパーVSオーケーを巡る司法判断は神戸地裁(オーケー勝利)、大阪高裁(関西スーパー勝利)、そして最高裁へと持ち込まれた。本日付日経新聞から以下にメモする。

関西スーパーマーケットとエイチ・ツー・オーリテイリング(H2O)傘下の食品スーパー2社との経営統合を巡り、大阪高裁は8日、統合差し止めを求めるオーケー(横浜市)の許可抗告を認めた。司法判断が揺れた異例の統合劇の行方は、最高裁に委ねられる。

今回、大阪高裁が認めた許可抗告は、決定の判断が過去の判例と異なったり、法令の解釈に関する重要な事項を含んでいたりする場合に限り、最高裁の判断を仰ぐことができる制度だ。ただ最高裁にたどり着くまでのハードルは高い。司法統計によると、2020年は全国の高裁への許可抗告の申立件数は1311件あったが、高裁の許可を得るなどして最高裁が新たに扱ったのは45件だった。

神戸地裁と大阪高裁で判断が分かれた理由は、総会運営の「形式」を重視するか株主の意思という「実質」をみるかの違いだ。
地裁は投票ルールに注目し「議場閉鎖の解除後は、軽微かつ形式的な誤りだったとしても訂正できない」などと指摘。高裁は「株主の意思が投票用紙と異なっていたと明確に認められ、恣意的な取り扱いとなる恐れがない」などとして、賛成票として扱うことを認めた。

最高裁の審理では、株主意思の尊重と総会ルールの運用のバランスに、どのような判断が下されるかが注目される。

・・・当初自分は素人判断で、株主の意思が賛成なら白票を賛成と見做してもいいかな、とか思ってたら地裁判断が出て、なるほどあくまでルールに従って例外的措置を認めちゃいけないのが法的判断なのだな、と一応納得していたら、地裁判断と逆の高裁判断が出て、何これ裁判所の判断って何なの?と思ってしまった(苦笑)。専門家の意見も割れているということだし、最高裁の判断はどうなることやら。関西スーパーの株価はというと、オーケー勝利期待で上昇、敗北予想で下落するという推移。とにかく多方面に迷惑をかけているわけだから、問題の一票を投じた株主には土下座して世間に謝ってもらいたい気がするぞ。

|

2021年12月 6日 (月)

毛利輝元、しくじる

関ケ原町では古戦場記念館の開館一周年を記念して、11月から特別講演会を毎月開催中。12月の講演会「毛利一族~不戦の代償~」(講師は光成準治先生)は昨日5日行われた。会場で配布されたレジュメを元に、以下にメモする。

関ヶ原合戦時の西軍総大将、毛利輝元には「天下三分」という野望があった。すなわち東は徳川家康、西は輝元、そして中央は豊臣政権という支配体制を思い描いていた。この野望を実現するためには、東軍と西軍の、美濃方面における戦いは長期化することが望ましい。戦いが長期化している間に、輝元は西国の東軍勢力を一掃し、その後で家康と石田三成らの講和を仲介する。さらに予め家康と不戦協定を締結しておけば、万が一、三成らが敗北した場合でも、家康との講和に持ち込み、家康と「天下二分」することができる。

吉川広家らの工作により、実際に不戦協定は締結された。ところが、小早川秀秋の西軍からの離反によって危機に陥った大谷吉継を救援するために、大垣城の西軍が関ヶ原に移動した結果、9月15日に突発的に戦いが勃発した。美濃方面における戦闘の長期化を予想していた輝元は、南宮山の毛利勢に対して、眼前で戦闘が始まった際の行動を指示していなかった。現地の毛利秀元には全軍の軍事指揮権は与えられておらず、全軍を指揮できる輝元が大坂城にいたため、毛利勢は行動を起こすことはなかった。

吉川広家らの事前交渉の通り、毛利氏分国は安堵されるとの認識から、西軍の敗北後に輝元は抵抗することなく大坂城から退去。しかし、これは家康のワナであり、所領安堵を約束して輝元を大坂城から退去させた後、減封するという作戦だった。

反徳川闘争決起から不戦の密約に至るまで、毛利輝元は祖父元就譲りの策略を駆使したが、自らは前線に赴かず、大阪城での抗戦も放棄するという、二代目ゆえのひ弱さに基づく自己保身行動が、減封という結果を招いたのである。

・・・毛利輝元が反徳川家康の側に立った目的は、自らの勢力拡大であり、打倒家康の覚悟については石田三成らと相当の温度差があったと考えられる。関ヶ原の戦いは、通説のような大会戦ではなく、突発的に起こり瞬時に決着した。これにより、輝元の戦争長期化予想は外れて西国支配も叶わず、さらに戦後は領国安堵も反故にされた。こうして、輝元の抱いた「天下三分」の野望は夢幻のように消えたのである。

|

« 2021年11月 | トップページ | 2022年1月 »