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2021年11月29日 (月)

コヘレトの言葉

すべてには時がある』(若松英輔と小友聡の共著、NHK出版)は、旧約聖書「コヘレトの言葉」を取り上げたEテレ「それでも生きる」(NHKこころの時代)放送終了後に、番組内の対話を書籍化したもの。同番組は現在再放送中であり、もしかして「コヘレト」の静かなプチブームが起きているのかも・・・。

さて、NHK番組の「コヘレト」の取り上げ方は、当然ながら真面目だ。NHK本の各章のタイトルを見ても、「価値」が反転する書、「束の間」を生きる、「時」を待つ、「つながり」を感じる、「言葉」を託す、という具合で、かなり真面目感が強い。自分が「コヘレト」に関心を持ったのは、『「バカダークファンタジー」としての聖書入門』(架神恭介・著、イースト・プレス発行、2015年)なので、余計にそう思う。架神本は語り口が軽やかな(不真面目ではない)ところに好感する。以下に「コーヘレト」(架神本の表記)紹介部分をメモしてみる。

旧約で、もっともカッコイイのはこのコーヘレト。何を言ってるのか分からない。でもカッコイイ。いや、分からないからカッコイイのか。
このコーヘレトさん、やたらと空しい空しい言ってます。
彼の根底にあるのは「死ねばオワリ」という「空」の感覚。

全ての者に訪れる「死」を見据えたコーヘレトさん。彼には全てが空しい。不条理や社会悪にも直面し、彼の心はまた空しくなる。

でも、そんな空しい気持ちになっててもメシを食えば旨いと思うし、お酒を飲んだら楽しくなっちゃうわけです。知恵もまあ役に立つよね、と思ってるし、お金があると何でも買えるなあ、とか思ってる。だけど、ある時ふと、「空しいな・・・」と思っちゃう。空しいんだけど、じゃあ、どうすればいいのか? うーん・・・と考えて、コーヘレトさん。
「・・・やっぱメシ食って酒飲むか」
そう、この書はリアルなんですよ! こんな経験、僕たちにだってあるでしょう? 「死」を見据え、世界の空しさを感じても、それはそれとしてメシは旨い! 逆に未来が無価値、無意味だからこそ、今の一瞬の楽しさに意義を感じてしまう。その楽しみもまた空だとしても!

というわけで、この書はとってもデカダンだけどリアルでカッコイイ作品だと思います。

・・・コヘレトの言葉はデカダンでリアルでカッコイイという架神本の評価、なるほどなと思いつつ、NHK本を読んで真面目な見方も学ぶとするか。

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2021年11月28日 (日)

SBI対新生銀行、決着

SBIホールディングスが新生銀行に仕掛けたTOBは、SBIの要求が通る形で決着することになった。その舞台裏を日経新聞が伝えている。電子版本日付発信記事から以下にメモ。

新生銀がSBIに求めたのは、同行が国に示した海外でのM&A(合併・買収)推進といった経営方針や事業戦略をSBIが尊重することだ。ホワイトナイト(白馬の騎士)が現れない中、経営方針をSBIが尊重すれば、買収防衛策を取り下げる用意があると伝えた。北尾吉孝社長は、一度は新生銀の提案をはねのけた。

しかし、国(預金保険機構と整理回収機構)が新生銀の買収防衛策に賛成しない方針を固めたことで空気は変わった。

「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」北尾社長が愛読する兵法書「孫子」の一節だ。国がSBIの手法にお墨付きを与えることがほぼ確実になった以上、北尾社長にとって最も重要なのは新生銀の新社長として送り込む側近中の側近、川島副社長が万難を排して受け入れられることだった。

24日午前、SBIは新生銀に3つの条件を伝えた。現取締役の退陣、SBIによる取締役候補者の受け入れ、臨時株主総会の早期開催――。新生銀が受け入れると回答し、両社のトップ会談が実現する運びとなった。

24日昼すぎ、北尾社長はSBI本社がある泉ガーデンタワー20階で、新生銀の工藤英之社長を迎えた。「失礼なことを言ってすみませんでした」。北尾社長は頭を下げ、決算説明会で工藤社長について「カネ(公的資金)を返さないのは泥棒と一緒」「ぼんくら経営者」などと激しく非難したことをわびた。

北尾社長は新生銀が国に示した経営方針・事業戦略を「そのまま尊重する」と述べた。工藤社長もSBIから新社長を迎えて事業運営に協力すると約束した。会談はわずか15分程度で終わり、双方が協調して新生銀の企業価値向上に取り組む姿勢を確認した。

「金融庁を含め円満で三方よし。憂いもない形にできた」。北尾社長は周囲にこう語る。工藤社長は「きちんとした形で社長を引き継げることは大変ほっとしている」と話した。もっとも、新生銀はSBIの提案を上回る選択肢を示せず、明け渡しを余儀なくされたのが実態だ。

SBIが大義に掲げた公的資金の返済は、何代にもわたり過去の新生銀経営陣が挫折してきた。北尾社⻑は有言実行できるのか。今後の新生銀の株価がすべてを物語る。

・・・戦わずして勝つ、これが兵法の極意。ホワイトナイトは現れないし、国も買収防衛策に賛成しないし、戦いの前に新生銀行は詰んだ。ということでSBI北尾社長の完全勝利。まあできれば株主総会が開かれて、衆人環視の中で手続きが踏まれた方が良かったとは思うけど。で、これまでの「ぼんくら経営者」がいなくなっても、公的資金完済のためには、新生銀行の株価(TOB価格2000円)を7450円まで上げなきゃいけないらしいので、これはこれで大変だろうな。

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2021年11月23日 (火)

関西スーパーVSオーケー、延長戦に

関西スーパーマーケットがH2O子会社スーパーとの経営統合を決めた臨時株主総会の投票手続きに対して、食品スーパーのオーケーが疑義を提示。これを神戸地裁が認めて、統合差し止めの仮処分決定を下した。株主総会に出席したある株主が、事前に賛成の議決権行使の意思表明をしていたにも係わらず、当日の決議では、棄権として扱われる白票を投じた。この株主の白票を、事前の意向である賛成扱いに切り替えることにより、関西スーパーはかろうじて経営統合案の承認を得たのだが、この決議の方法について、神戸地裁は「法令違反または著しい不公正」があると判断した。本日付日経新聞記事から、この地裁判断についての専門家のコメントをメモする。

会社法上、株主は総会に出席した時点で事前の議決権行使は無効扱いになる。地裁は今回の決定文書で「出席株主の議決権の行使内容はマークシートへの記載か提出・不提出という事実でのみ把握できる」とした。株主がマークを記入せずに投票箱に入れた行為は「議決権は行使するが、賛成ではないという意思としか解することができない」とし、総会の手続きについて、法令違反または著しい不公正があるとした。

大阪大学の松尾健一教授は今回の地裁の判断について「実質的には株主が賛成していたとはいえ、形式的な判断を貫いた点で大きなインパクトがある」と話す。株主総会の手続き不備が原因で統合手続きが差し止められるのは前代未聞だという。

当日の株主総会で議長は「マークシートを白紙で提出すると、棄権として取り扱う」と会場でアナウンスしていた。このことから、今回は株主の内面の意思を問わずに形式的な判断となった。川井信之弁護士は「株主の意思を個別に認めていたら、後から採決の結果が覆りかねず、今後の総会実務に混乱をきたす可能性があることも考慮したのではないか」と話す。

株主総会の実務に詳しい鈴木正人弁護士は「画一的な方法で投票を実施すると決めた以上、回収後に例外を認めない結論は理解できる。誤解を生まないように、投票方法についてより詳しく株主に説明するなど、今後の総会実務にも一定の影響を与える可能性がある」と話す。

・・・もともとの株主の意思だから、「賛成」で認められるのかなと何となく素人的に思っていたので、これにはびっくりした。でも、ある株主の票だけ意思確認を行うのは確かに不公平(不公正)だし、総会に出席したなら改めて投票で意思表示する、ということならば、後は全く手続きの形式上の是非だけで判断するのは道理だなと思う。この結果にオーケー側は、「ダメ元」とまでは言わないが、とにかくやってみるもんだな、とは思ってるんじゃなかろうか。毎日新聞報道によれば、件の株主は、賛成の二重計上にならないように白票を出したらしいが、理由はどうあれ、わざわざ株主総会に出席して余計なことをしたというか、とにかく投票の現場でアナウンスされていたルールに従わなければアウトであるのは、これはどうにも動かしようがない。この錯誤的な一票が、結論をひっくり返す重大な一票になったのだから、残念過ぎる株主というしかないなあ。

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2021年11月20日 (土)

松尾山城に行く

今日は松尾山城に行った。自分が松尾山に上るのは14年ぶり3回目。今回は地元関ケ原町主催の「史跡ガイドウォーキング」参加である。先週、「JR東海さわやかウォーキング」で関ヶ原を歩いたので、2週続けて週末は関ヶ原に出向くことになった。というか、先週のウォーキングの際、古戦場記念館でこのイベントのチラシを見て、申し込んだ次第です。

朝9時に関ヶ原古戦場記念館集合。バスで松尾山登山口まで行き、そこから約40分の山歩き。頂上付近で主な遺構を見て回り、下山。12時過ぎに古戦場記念館に戻った。写真下は、松尾山の山頂から関ヶ原方面を望む。

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頂上には「小早川秀秋陣」の立派な説明板もある。

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このイベントは、松尾山城の散策マップ発行等に伴う企画とのこと。確かに自分も、松尾山って上ったことあるけど、「山」じゃなくて「山城」なの?って感じだったので、認識を改めた。散策マップの縄張図(例によって、中井均先生の監修)によると、主郭があって、土塁や桝形虎口があって、曲輪がいくつかあって、その他空堀、堀切、竪堀と一通り山城の遺構が確認される。単なる山じゃなくて、立派な山城だったのだなあ。

散策マップに書いてある松尾山城の歴史によると、戦国時代においては、まず浅井長政勢力の、次は織田信長勢力の城となる。しかし天正7年(1579)、廃城に(「南西の曲輪」が浅井時代の遺構とされる)。そして慶長5年(1600)8月、大垣城に西軍主力を率いる石田三成が入り、城主の伊藤盛正には松尾山の守備を命じたという。現地で盛正は新たに造成を行い、山城を復活させた。現在の遺構の大部分は、この時のものだ。しかし9月14日に小早川秀秋の軍勢が松尾山に押し寄せて城を占拠。翌15日の合戦で西軍は大敗した。二度も城を追い出された盛正。戦国最大の決戦の裏で、理不尽な目にあった脇役武将の運命に悲哀を感じる。

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2021年11月19日 (金)

「新しい資本主義」は、古い

本日付日経新聞市況面コラム「大機小機」(新しい資本主義、歴史の視点を)から以下にメモする。

岸田文雄首相の肝いりで誕生した「新しい資本主義実現会議」。「新しい資本主義」と大上段に構えたのは、1980年代以降「新自由主義」のまん延とともに格差が拡大したから「市場任せ」を変え、官民が連携して新しい経済をつくる触れ込みだった。格差をどう抑えるか。この問題は今に始まったわけではなく、資本主義の歴史とともに古い。

産業革命によって英国で誕生した資本主義は、もともと大格差社会だった。これを致命的なシステム障害とみなし社会主義社会への移行を主張したのが、ご存じマルクスとエンゲルスだ。資本主義のその後の歩みに大きな影響を与えた。

19世紀末、資本主義のお膝元の英国で議論を主導したのは「フェビアン社会主義」である。経済体制としては市場と民間企業を核とする資本主義でよいが、自由放任の下では格差が大きくなりすぎるから、それを適宜修正する。
累進的な税率をもつ所得税などもあるが、なんと言っても柱になるのは公的年金、医療保険、生活保護などから成る社会保障制度である。第2次世界大戦中に英国政府がまとめた「ベバレッジ報告」は、「ゆりかごから墓場まで」のキャッチフレーズで知られる。これが戦後の欧州、日本など先進国の社会保障制度の基盤となった。

言うまでもなく戦後の先進国経済の歩みは一様でなく、1980年代以降世界的に格差は拡大した。ただしその原因は国により異なる。わが国では自民党・民主党時代を問わず、欧州型の社会保障制度を維持することに異論はないから、「新自由主義」が大きな影響力をもったことはない。

・・・ということなので、首相が「新自由主義政策からの転換」を唱えても、何だかトンチンカンな感じがするのですね。困ったものです。

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2021年11月18日 (木)

新しいステークホルダー資本主義

本日付日経新聞「経済教室 エコノミクストレンド」(執筆者は柳川範之・東大教授)から、以下にメモする。

社会の課題と資本主義というと、今までは資本主義が社会的な課題を生み出しているのだ、と考えられがちだった。しかし、実は、社会課題を解決・軽減していく、それに役立つ資本主義も十分に成立し得る。

近年高まっているのは、環境問題や格差の拡大といった大きな社会課題への問題意識だが、ここで見落とされがちなのは、その裏側で、課題の実態を把握する技術が大きく進歩しているという事実だ。つまり、(デジタルデータを活用した)技術革新によって、社会課題の「見える化」の精度が格段にあがったのが、今の資本主義の特徴なのだ。課題解決のプロセスをデータとしてしっかり把握できれば、より社会課題の解決に資するような企業が収益をあげられる可能性も、原理的には高まるはずだ。

様々な社会課題を解決しようとすると、社会も組織もどうしても複数目標の達成を迫られることになる。しかし、そうなると、どの目標をどの程度重視して行動すべきかという問題が発生する。場合によっては、あちらもこちらも達成しようとして、結果、何も成果が上がらないことにもなりかねない。これらの問題を回避するためには、成果達成のプロセスを明確に評価できるようにするとともに、複数目標のウエートをできるだけ明確にすることが必要だ。

この点は、近年活発に議論されている、株主のことだけを考えるのではなく、従業員や地域住民など、より多様な利害関係者(ステークホルダー)を重視するステークホルダー資本主義においても重要な含意をもつ。

ステークホルダーを重視した資本主義が注目されているのは、社会課題が大きくなってきたという要因も大きいが、各ステークホルダーの利害をきちんと把握して、マルチタスク問題をある程度コントロールする仕組みがコーポレートガバナンス(企業統治)として考えられるようになったから、というのがもう一つの理由だからだ。言い換えると、きちんとしたデータによる目標とプロセスの管理やガバナンスの設計なしに、漠然とした形で、様々なステークホルダーの利害を考えていたのでは、どの目標も中途半端なものになりかねない。この点が新しいステークホルダー資本主義の大きなポイントであり、日本が伝統的に行ってきた経営と異なる点でもあろう。

・・・柳川先生は、岸田政権肝煎りの「新しい資本主義実現会議」のメンバー。先生の提言を政策に十分に落とし込めれば、「新しい資本主義」と呼ぶのにふさわしい経済システムの姿を提示できるように思う。しかし現状で政権から打ち出される経済対策は、従来の政策の焼き直しに止まっている印象。これでは何が新しいのか意味不明、ということで「新しい資本主義」は看板倒れ!だなあ。

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2021年11月16日 (火)

「新しい資本主義」を問う(岩井克人)

岩井克人・国際基督教大特別招聘教授は、会社の存続と成長は経営者の義務であり、マクロ政策にはストーリーが必要だという。本日付日経新聞のインタビュー記事(「新しい資本主義」を問う)から以下にメモする。

「短期的な利益を追う株主主権から、長期的な視点で持続可能な経済を目指すという(岸田政権の)方向は間違っていない。」
「早大のスズキ・トモ教授の研究によると、日本の企業はバブル崩壊以降、売上高も従業員への給与も設備投資も横ばいで推移したが、配当金だけは4倍にも増えた。さらに自社株買いによって株主還元に拍車がかかった。」
「経営者は次の成長に向け、生み出した付加価値を設備投資や研究開発、従業員に対する人的投資などに振り向けるべきだ。株主主権論に配慮して、株主還元で責任回避している。経営者は会社の存続と成長という義務を負っている。この義務は資本主義の根幹だ。」

「(岸田政権の)新しい資本主義というキーワードは興味深いが、それを物語る筋書きが足りない。」
「アベノミクスには批判もあるが、3本の矢の物語があった。1本目の大規模な金融緩和でインフレ予想を醸成し、2本目の財政政策とあわせてデフレから脱却し、3本目の成長戦略で長期成長を目指す筋書きだった。期待されるほどの成長は実現しなかったが。」

・・・「新しい資本主義」の何が新しいのかは不明だ。それこそ気候変動対応型の資本主義だったら、「新しい」と呼べるのだろうが。先行のアベノミクスも別に新しいところは無かった。金融緩和と財政出動は、普通の経済政策だ。ただし「異次元の」金融緩和と「機動的な」財政出動で、多少新味を出してはいたが。結局、経済は十分に成長軌道に乗れなかったのだから、ここで「分配」を言うのは早すぎる。岸田政権の経済政策のセンスの無さは絶望的である。先週末の日経新聞も「ばらまき色」濃い、と身も蓋もない書き方だったし。(苦笑)

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2021年11月14日 (日)

「革命政党」、共産党はオワコン

先の総選挙では、野党共闘は結果的に不発だった。仮に選挙で勝利したら、日本共産党の政権参加(閣外協力)が実現したのだろうか。それもなんだかリアリティが乏しいと感じる。ていうか現在の日本においては、もう共産党という政党そのものにリアリティが無い、としか思えない。要するにオワコン。以下にメモするのは、最近目に付いた池上彰と佐藤優の共産党に関するコメント。

1991年、ソ連が崩壊し、「結局、共産主義はうまくいかない」となった途端、各国の共産党はその名前を捨てました。中国の台頭やソ連の崩壊にもかかわらず「共産党」の名前を変えずにいるのは、資本主義の先進国と言われる中では、日本とフランスだけです。日本共産党は、国内では最古の歴史を誇る政党で、その名前も結党以来変えていません。党員や支持者の中でも「名前を変えたほうがいいのでは」という議論があったようですが、それでは歴史の否定になるという意見が勝り、改名にはいたっていないようです。(池上彰、『これが日本の正体!』大和書房より)

重要なのは共産党が〝普通の政党ではない〟という点です。日本共産党は1922年7月15日、モスクワに本部を置くコミンテルン(国際共産党)の日本支部として非合法に設立され、来年で創立100年を迎えます。そして、発足当時から革命を放棄したことは一度もありません。共産党はいまも社会主義・共産主義社会を目指す革命政党なのです。(佐藤優、「週刊新潮」11月18日号より)

・・・そもそも歴史的な由来からして、共産党は革命を目指す政党である。党名を変えることは党の歴史を否定し、革命を否定することになる。だから党名を維持することは、少なくとも建て前としては、革命を否定しないことを意味する。しかし、もはや革命の不可能は誰の目にも明らかだろう。にも係わらず、建て前としても今でも革命を目指すなら、そんな政党は存在そのものがお笑いぐさである。未来に向けて新たな一歩を踏み出すためにも、現実を直視して、歴史を否定する勇気を持つことをお勧めしたい。

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2021年11月13日 (土)

「関ヶ原」西軍陣地巡り

本日はJR東海さわやかウォーキング参加のため関ケ原へ。ほぼ定番の開催地だが、コース設定は様々ある。今回は主に西軍武将の陣地跡を巡るコースで、関ケ原駅をスタートして、まずJR線南側を西に向かう。東軍武将の藤堂高虎、福島正則の陣跡を通り、さらに不破関を過ぎて、JR線の北側に入ってからは西軍陣地を歩く。大谷吉継、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘、そして最後は石田三成。そこから駅の方向に進み、岐阜関ケ原古戦場記念館がゴールだ。

大谷吉継陣跡

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宇喜多秀家陣跡

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小西行長陣跡

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島津義弘陣跡

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石田三成陣跡

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笹尾山全景。石田三成が高所(上の旗)、その前に(下の旗)島左近。

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・・・とまあ、いちおうは巡ってみたわけですが、関ヶ原合戦については最近の研究から、通説的ストーリーは8割方フィクション、みたいな感じになっているので、これらの陣地跡も、史実の裏付けがあるとは言い難くなっていることは、頭に入れておいたほうがいいでしょう。

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2021年11月 3日 (水)

石見銀山に行く

昨日2日、休暇を取って世界遺産石見銀山を訪ねた。名古屋からでも結構遠い感じなので、どう行くか少し迷ったが、とにかく行ってみようという感じで、なるたけ単純なルートを選ぶことにした。広島から高速バスで往復する方法である。

1日の夜、広島に入り一泊。翌日10時、広島駅北口(新幹線口)から高速バス「石見銀山号」に乗車。12時40分「(石見銀山)世界遺産センター」、45分「大森」と通過して、47分「大森代官所跡」で降りる。次は「ぎんざんカート」(観光用カート車、1日12~14便程度運行)を利用。バス停に近接するレンタサイクル店から13時出発便に乗り、13時24分に「龍源寺間歩入口」に到着。間歩(まぶ)は坑道のことで、石見銀山には大小600以上の間歩があるという。龍源寺間歩は常時公開。坑道を通り抜けして内部を見るだけなので、見学の時間はそんなにかからない。

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帰りは大森の町まで歩いて戻ることにする。龍源寺間歩と大森の町の間のルートは二つ、舗装道路と遊歩道があり、帰り道は遊歩道を選択。途中、明治時代の「清水谷製錬所跡」も見る。石垣の山が圧巻の遺跡。山城ファン、石垣好きには、間歩よりもインパクトあるぞ。

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大森の町に戻り、街並みを見ながら、大森代官所跡バス停まで歩く。

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そこから世界遺産センターに向かう。15時13分または18分のバスに乗ればOK。世界遺産センターで、おおよそ40分から50分見学。その後、当地を16時27分に出発する広島行き高速バスに乗車。19時少し過ぎに広島駅に戻る。後は新幹線で、夜10時頃名古屋到着。ということで当日の乗り物に乗ってる時間は、バスが途中休憩を除いても2時間30分×2、新幹線片道2時間20分で、合計7時間以上。やっぱり長かったな。

このスケジュールだと、現地にいる時間は4時間に満たない。広島発高速バスが、朝9時とか9時半には出て欲しいなと思う。滞在時間が限られているので、とにかく最初から昼ご飯抜きのつもりで行動した。ていうか現地は、「食べる」「買う」の店は目立たない、「見る」中心の観光地という印象だったけど。やっぱり世界遺産としては、地味というか渋いというか、そういう場所だった。

かつて黄金の国と呼ばれたジパング、すなわち日本は、実際には銀の国だったわけで、銀山を狙う戦国大名の激しい争奪戦も繰り返し起きた。今も銀山周辺には、山吹城はじめ、いくつかの城跡があるとのこと。しっかり「御城印」も用意されているようで、現在「六つの御城印Get Project」なんて企画もやってるのだな。山城ファンも、石見銀山エリアに要注目と思われる。

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