不条理との闘い(反抗、自由、情熱)
なぜ今『カミュ伝』(中条省平・著、集英社インターナショナル新書)が出るのかな。まあ昨年の、小説『ペスト』のヒットということはあるにしても、だ。まあ何にせよ、カミュといえば「青春の哲学」という感じがする。本書の中で、哲学エッセー『シーシュポスの神話』について解説している部分からメモする。
カミュが強調しているのは、人生は不条理で、つまり、筋が通らず、ばかげていて、人間は時間という檻の中ではじめから死の刑罰を下された存在だということです。
カミュは人間にあたえられた不条理という根源的条件のなかで、その暗黒に耐えられず、神や超越的存在に救済を求めることを「飛躍」と呼んで拒否します。
人間は最初から死を宣告された死刑囚ではあるが、自分の死から目をそらすことなく、その自分の存在様態をつねに鋭く意識し、それに反抗することによって真に生きることができる、というのがカミュの考えです。
カミュは、この世界のありようを、不条理という暗黒と、それを明るく見きわめようとする人間の意志との不断の対決の場だと見なしています。
カミュはこういいます。「肝心なことは、もっともよく生きることではなく、もっとも多く生きることだ」。もっとも多く生きることとは、あたえられたいっさいを汲みつくそうとする情熱にほかなりません。不条理である現実に反抗し、自由を求めつつ、もっとも多く生きることを支えるのは、情熱なのです。
反抗と、自由と、情熱。あまりにもロマンティックな帰結? いいえ、そうではありません。不条理のほうが圧倒的にリアルな世界と人間のありようなのです。しかし、現実を明るく見きわめようとする意識のなかで、不条理と人間との果てしない闘争が続きます。そのけっして勝利することのない闘い(シーシュポスの労働)に耐えるためには、あたえられた条件に反抗し、たえず行動の自由を求め、情熱を燃やしつづけるほかない、ということです。
・・・中条先生は、カミュの思考の帰結はロマンティックなものではない、と断ってはいるが、敗北が定められている闘いを断固として続ける、その意志と行動は十分にロマンティックではないかと思う。ということで、やっぱり「青春の哲学」だなという感じです。
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