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2021年8月28日 (土)

不条理との闘い(反抗、自由、情熱)

なぜ今『カミュ伝』(中条省平・著、集英社インターナショナル新書)が出るのかな。まあ昨年の、小説『ペスト』のヒットということはあるにしても、だ。まあ何にせよ、カミュといえば「青春の哲学」という感じがする。本書の中で、哲学エッセー『シーシュポスの神話』について解説している部分からメモする。

カミュが強調しているのは、人生は不条理で、つまり、筋が通らず、ばかげていて、人間は時間という檻の中ではじめから死の刑罰を下された存在だということです。

カミュは人間にあたえられた不条理という根源的条件のなかで、その暗黒に耐えられず、神や超越的存在に救済を求めることを「飛躍」と呼んで拒否します。
人間は最初から死を宣告された死刑囚ではあるが、自分の死から目をそらすことなく、その自分の存在様態をつねに鋭く意識し、それに反抗することによって真に生きることができる、というのがカミュの考えです。
カミュは、この世界のありようを、不条理という暗黒と、それを明るく見きわめようとする人間の意志との不断の対決の場だと見なしています。
カミュはこういいます。「肝心なことは、もっともよく生きることではなく、もっとも多く生きることだ」。もっとも多く生きることとは、あたえられたいっさいを汲みつくそうとする情熱にほかなりません。不条理である現実に反抗し、自由を求めつつ、もっとも多く生きることを支えるのは、情熱なのです。

反抗と、自由と、情熱。あまりにもロマンティックな帰結? いいえ、そうではありません。不条理のほうが圧倒的にリアルな世界と人間のありようなのです。しかし、現実を明るく見きわめようとする意識のなかで、不条理と人間との果てしない闘争が続きます。そのけっして勝利することのない闘い(シーシュポスの労働)に耐えるためには、あたえられた条件に反抗し、たえず行動の自由を求め、情熱を燃やしつづけるほかない、ということです。

・・・中条先生は、カミュの思考の帰結はロマンティックなものではない、と断ってはいるが、敗北が定められている闘いを断固として続ける、その意志と行動は十分にロマンティックではないかと思う。ということで、やっぱり「青春の哲学」だなという感じです。

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2021年8月27日 (金)

パラリンピックについてのメモ(2)

前回の東京パラリンピックは1964年11月8日に開幕した。日経新聞8/26付記事から以下にメモする。

大会は2部構成。8~12日が国際大会の1部、13~14日の2部は国内大会。当時、障害者のスポーツ大会は下半身に障害がある人たちの競技大会とみなされていた。それゆえ、陸上種目やバスケット、アーチェリーなど、ほとんどが車いすを使う人たちの競技だった。国際大会はここまでだった。64年の東京大会が画期的だったのは2部の国内大会だ。1部に参加できなかった視覚、聴覚や四肢障害者などを加え、さらに広い範囲の障害者の大会とした。この2部がのちの「全国身障者スポーツ大会」につながる。現在は知的障害者も加えた「全国障害者スポーツ大会」になっている。

大きな支えとなったのが皇室、とくに皇太子夫妻だった上皇ご夫妻の活動だった。1、2部の開閉会式への臨席のほか、毎日各競技を見て回った。上皇さまが2部大会を発展的に継続し、毎年開催するよう大会関係者に促したことはよく知られている。
皇室が身障者に寄りそうきっかけは傷痍軍人への慰めにあるともいわれ、大会参加者にも含まれていた。なぜか昭和天皇が観戦しなかったのは、戦争との関連が注目されるのを避けるためだったのか。

・・・上皇様のご尽力には頭が下がる。ところで僕は子供の頃、傷痍軍人を見た記憶がある。時は昭和40年代半ば。浅草寺の境内の片隅で、白い服を着た人10人くらいの集団が佇んでいた。中にはアコーディオンを奏でる人もいた。何だかもの悲しい・・・というよりも、単に恐かった。そんな記憶がある。

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2021年8月26日 (木)

パラリンピックについてのメモ(1)

パラリンピックが東京で開催されるのは2回目だという。のだが、正直、前回のオリンピックの時にパラもやってたのは知らなかった。以下は日経新聞8/24付記事からのメモ。

パラリンピックは1948年7月29日、戦傷による脊髄損傷者の治療をしていた英国ストーク・マンデビル病院で行われた、障害者によるアーチェリー大会に源を発する。52年にはオランダの選手も参加、第1回国際ストーク・マンデビル大会(ISMG)に発展した。
ISMGが五輪後にその開催都市で開かれたのは60年ローマ大会だ。これが後に第1回パラリンピックとされる。64年東京五輪後に東京で開かれた第2回ISMGが第2回パラリンピックだ。
実は「パラリンピック」という言葉が使われたのは、前回の東京が初めてだった。これは「パラプレジア(下半身のまひ)」と「オリンピック」を合わせた造語で、東京大会の愛称として付けられた。大会の正式名称として、「オリンピック」の名称を管理する国際オリンピック委員会(IOC)も認めた「パラリンピック」が使われるようになるのは、88年ソウル大会からである。この時から、五輪と「パラレル(並行した)」な「オリンピック」という意味になった。

・・・とりあえず後から見て、オリンピック開催都市で開かれるISMGが「パラリンピック」という位置付けになったという感じ。でも64年東京開催の時に、今と意味するところは違えども「パラリンピック」という言葉が既に大会のタイトルに使われていた、というのは、へぇ~という感じだ。

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2021年8月20日 (金)

「リベラル」あるいはライトな実存主義

新刊『無理ゲー社会』(橘玲・著、小学館新書)の中で、著者が「私はこれまで繰り返し、「日本も世界もリベラル化している」と述べてきた」というので、前著である『上級国民/下級国民』(小学館新書、2019年)も読んでみた。同書で著者は、「とてつもないゆたかさ」を手にした現代人は、誰もが自由に生きたいと願うようになった。つまり歴史的な価値観の大転換が起きて「自由な社会」が出現した、と説く。同書の第5章「リベラル化する世界」からメモする。

1960年代以降の「後期近代」の中核に位置する価値観は「自分の人生を自由に選択する」、すなわち「自己実現」です。

リベラルの理想は、「自己実現できる社会」こそが素晴らしいというものです。

リベラルな社会の負の側面は、自己実現と自己責任がコインの裏表であることと、自由が共同体を解体することです。

自由(自己実現)と自己責任が光と影の関係であることは、サルトルが『存在と無』ですでに指摘しています。
(人間は自由の刑を宣告されている。なぜなら、いったんこの世に放り込まれたら、人間は自分のやることなすことのいっさいに責任を負わされるからだ。[人生に]意味を与えるかどうかは、自分次第なのだ。)

こうした「自己実現=自己責任」の論理は1960年代になるとアメリカに移植され、「自己啓発」として花開くことになります。資本主義を肯定し、自由な社会で「自分らしく」生きることを称揚するこの新しい思想(ポジティブ心理学)では、人生は自らの責任において切り開くものであり、そこから得られる達成感こそが至高の価値とされたのです。

・・・いみじくもサルトルが引用されているのを見ても、「自分らしく生きる」とは、ライトな実存主義だと感じる。流行思想としての実存主義はとっくの昔に終わっているが、現実にはアメリカナイズされて?今では現代人の基本的な価値観になっているというわけだ。自分が何であるかは予め決められてはいない。自分が何であるかを決めるのは自分自身。これは、やはりサルトルのいう「実存は本質に先立つ」というやつである。結局、現代人は意識するとしないとに係わらず、(ライトな)実存主義者なのだ。

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2021年8月14日 (土)

「無理ゲー社会」の憂鬱

無理ゲー社会』(橘玲・著、小学館新書)がアマゾンでベストセラー、リアル書店でも新書部門ランキングの上位にあるようだ。同書のエッセンスと思われる部分を拾ってメモしてみる。

私はこれまで繰り返し、「日本も世界もリベラル化している」と述べてきた。ここでいう「リベラル」は政治イデオロギーのことではなく、「自分の人生は自分で決める」「すべてのひとが〝自分らしく生きられる〟社会を目指すべきだ」という価値観のことだ。

リベラル化の潮流で「自分らしく生きられる」世界が実現すると、必然的に、次の3つの変化が起きる。これらは相互に作用しあい、その影響は増幅されていく。①世界が複雑になる ②中間共同体が解体する ③自己責任が強調される

自助・共助・公助のうち、中間共同体が担う共助がなくなれば、あとは自助と公助しか残らない。日本は1000兆円を超える借金を抱え、これ以上の公助の余地はかぎられる。そうなれば必然的に、自助(自己責任)が強調されるようになるだろう。――これが「ネオリベ化」だ。

「誰もが自分らしく生きられる社会」では、成功も失敗もすべて自己責任になる。――これが「メリトクラシー」だ。
メリトクラシーの背景には、「教育によって学力はいくらでも向上する」「努力すればどんな夢でもかなう」という信念がある。これこそが、「リベラルな社会」を成り立たせる最大の「神話」だ。

ひとびとが「自分らしく」生きたいと思い、ばらばらになっていけば、あちこちで利害が衝突し、社会はとてつもなく複雑になっていく。これによって政治は渋滞し、利害調整で行政システムが巨大化し、ひとびとを抑圧する。
すべての〝不都合な事実〟は、「リベラルな社会を目指せば目指すほど生きづらさが増していく」ことを示している。

きらびやかな世界のなかで、「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という困難なゲーム(無理ゲー)を、たった一人で攻略しなければならない。これが「自分らしく生きる」リベラルな社会のルールだ。

わたしたちは「自由な人生」を求め、いつのまにか「自分らしく生きる」という呪いに囚われてしまったのだ。

・・・誰でも「自分らしく生きる」ことができる、というのはこの社会の建て前で、実際は「自分らしく生きる」ことができる者は限られている、つまり「自分らしく生きる」ことは少数者の特権である、というのが著者の認識であるらしい。

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2021年8月13日 (金)

皇位継承の「方向性」

先月7月26日に開かれた有識者会議で示された皇位継承に関する「整理の方向性」について、本日付日経新聞に論評記事が掲載されているので、以下にメモ。

対策案は①女性皇族が婚姻後も皇室に残る②戦後に皇籍を離脱した旧皇族の子孫の男系男子を皇族の養子とする③旧皇族の子孫を皇室に復帰させる――の3つ。最重要課題の皇位継承にかかわるのは②③で、従来から男系維持の保守派が主張してきた案だ。

同じ問題を討議した2005年の小泉純一郎内閣での有識者会議最終報告とは百八十度違ったものになった。同報告は男女を問わない長子継承と女性・女系天皇の容認を打ち出した。
当時は上皇さまの孫世代に皇位継承者が一人もいない危機的状況が議論に影響した。今回の有識者会議は、同世代で皇位継承者が悠仁さま1人の状況をどう考えるか、という視点での仕切り直しの議論だった。

(天皇の役割について)意見を述べた21人の識者の回答は2つに集約できるように思える。天皇の正当性を神話に由来する祭祀王であることに求めるか、象徴として国民を統合する存在と定めた日本国憲法とするのか、である。大まかに見れば、前者に男系維持、後者に女系容認の論者が多い。
今回の有識者会議で「国論を二分することは避けるべきだ」という言葉が何度も聞かれた。しかし、すでに国民の天皇観は分裂しているといえる。

そして、皇位継承制度以前に、皇統断絶の要因になりえる「配偶者の枯渇」についてはほとんど議論されていない。
観念論争がどう決着しようとも、出生率など生物学的現実は冷厳である。

1945年の敗戦のように、断崖に追い込まれるまで何も変えられないことは、この国の歴史にはよくある。

・・・「神話」派は「伝統」を過大評価しているだろうし、「憲法」派は「象徴」を自明なものとして疑ってはいないようだ。まあ、これを議論しだすと、「観念論争」は余計ややこしくなるわけですが。

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2021年8月12日 (木)

天皇制のフェードアウト

社会学者の大澤真幸は、日本人が天皇制を続けるのであれば、それなりの覚悟が必要だ、という。『むずかしい天皇制』(大澤真幸、木村草太の共著、晶文社)からメモする。

大澤:たとえば将来、「天皇家は絶滅したので、やめます」とするのは良くない。天皇制というのは、自然の与件ではなく、制度だからです。やめるならやめる、続けるなら続けるで、国民の意思で決めたほうがいい。持続可能性もないし、もはや必要もないということで、国民の意思としてやめる、ということであれば、それもいいと思います。しかし、もし天皇制を続けるのであれば、それを前提とした覚悟が必要だと思います。天皇制の支持率は高いのに、日本人が、この制度の持続可能性についてあまり本気で考えず、なるようになるさというようにしか見てないのは不思議なことです。

木村:結論はみんな見えていると思うんです。今の天皇家は世襲できなくなる時が必ず来る。その時には、天皇制度を廃止するか、なんらかの理由をつけて他から新たな天皇を立てるしかない。でも、両方とも地獄でしょう。この地獄から目をそらすために、話をしようともしない。

・・・もし日本国民が本当に天皇制を支持しているなら、当然皇位継承問題にも国民的議論が巻き起こるはずなのに、それがないというのは、皇位継承について我が事のように考えている人は結局、あんまりいないということだろう。たぶん今では皇位継承というのは、天皇家という特別な家族の個別問題くらいにしか思われてないんじゃなかろうか。要するに国民の大部分にとって他人事なのである。だから、大澤先生は「天皇制の支持率は高い」と言うけれど、「天皇制支持」の内実をよくよく調べる必要があると思う。まあとりあえず自分の感覚では、天皇制という抽象的な制度の支持者が多数いるというよりも、何というか、日本のセレブとしての天皇家という具体的な存在を認めている、要するに「皇室ファン」が一定数いる、と言われれば凡そ納得できるかなという感じ。おそらく実態としては、日本人の大部分はもはや天皇制に無関心なのだろうという印象がある。関心が無いとすれば当然、天皇制を続ける覚悟があるとも思えない。どうやら天皇制は実質的に「オワコン」になってるんじゃないか、とも思えてくる。

それでも大澤先生が言うように、天皇制は制度なのだから、つまり人間が決めたことなのだから、自然にフェードアウトするのではなくて、どこかで国民がもう要らないよね、という意思を示して終えることが道理(国民主権なんだからさ)だとは思うけどね。

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2021年8月11日 (水)

天皇の「象徴としての行為」とは

日本国憲法に「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と定められている。その規定の内実、そして「象徴としての行為」とは何か。『むずかしい天皇制』(大澤真幸、木村草太の共著、晶文社)からメモする。

木村:長谷川恭男先生は、教科書でみんなが天皇のことを日本の象徴だと思わなくなったら、憲法第1条に意味はなくなると解説しています。
大澤:これは、日本人の一般的な感覚とちょっと違うかもしれませんね。日本人はたぶん「天皇は象徴である」を事実命題であるだけでなく、当為命題のようにも受け取っているのだと思います。象徴であるべきであると。
木村:いずれにせよ、「象徴とは何か?」について、充分な検討や解説のないままに、憲法第1条が日本社会に登場したのは事実だと思います。

大澤:正直にいいますとね、僕は、平成の天皇・皇后の「象徴としての行為」がそれなりに成功した背景は、「戦争」だと思うのですよ。明仁天皇自身が、戦前の生まれで、戦争を経験しているし、だから、あの戦争に対する日本人の集合的な懺悔心とか後悔とか反省とかを身に帯びて行動することができたし、自らも積極的にその役割を引き受けたと思う。さらに、そういう天皇だからこそ、戦争には関係がない場面でもオーラが宿ったのかもしれない。
国民の大半が戦後生まれで、天皇自身も戦後生まれであるような状況で、なお新しい天皇に、平成の天皇のようなオーラを期待できるだろうか・・・。
木村:明仁天皇の場合は、誰もが、意識的・無意識的に戦争を想起し、同じものを思い浮かべられた。ところが徳仁天皇の場合、人によって、何を象徴していると感じるかが分かれてくる。
徳仁天皇は、何を象徴するのか、丁寧に象徴行為の戦略を練らなければいけない。

・・・終戦直後の、昭和天皇の「地方巡幸」の映像を見たことがある。場所は広島。お立ち台に立ち、帽子を取って挨拶する天皇。集まった人々もすぐさま、一斉に帽子を取って応える。「日本国民統合の象徴」が実感される場面だ。おそらくはあの時代だったからこそ、「象徴」にもリアリティがあったのだと思われる。「初代」象徴天皇である昭和天皇は、存在そのものが象徴として認められていた気配があった。次の平成天皇はさらに、自ら「象徴としての行為」を考えて真摯に取り組んだ。そして今後、今上天皇は象徴としていかなる行動をとるのだろう。象徴の内実は時代とともに変わっていくという予感がある。小生は今上天皇と同学年。ということだけで気楽な言い方をすれば、お手並み拝見という気持ちである。

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2021年8月10日 (火)

明治維新へのアンビバレントな思い

社会学者の大澤真幸は、明治維新によって「日本が近代化し、植民地にもならずにすんだ」にも係わらず、「明治維新に対して、全面肯定的には語られず、どこかに否定的な自重する気分が日本人にはある」、という。その理由はおそらく、明治維新という「革命」の性格に由来するもののようである。『むずかしい天皇制』(大澤真幸、木村草太の共著、晶文社)からメモする。

大澤:(明治維新が)何を達成したのかもよくわからないし、どこで達成したのかもわからない・・・。
維新で達成できなかったもののほうが良かったんじゃないの?という気分がする。しかし、現代の日本人は、開国はもちろんですが、倒幕したことも正解だったと思っている人が圧倒的に多いでしょう。しかし、にもかかわらず、その「正解」に対して手放しのポジティブな感情を持ち切れていない。
明治全体が終わってみれば、議会がつくられ、市民革命的なものが起きたように思えます。しかし、王権・天皇制ということに着目したとき、ヨーロッパの中世・近世の王権というのは、他にはない特徴があった。それは、議会というものとセットになっていたということです。身分制議会と王権の間に依存関係と緊張関係の両方があった。
ヨーロッパの市民革命というのは、王対議会の対立の中で、議会的なもののほうが勝っていく過程だと見なすことができます。
しかし日本の場合の天皇制は、もちろん、議会とは関係がない。

大澤:日本の場合には、維新の達成と憲法の間に断絶があるのではないか。明治維新から20年ほどかかって、憲法ができていますよね。
木村:確かに、制定までにかなり時間がかかっています。当時の政府は民権勢力を抑えられるように、君主制原理に基づく憲法を作った。政治権力はすべて天皇に属することとして、議会が力を引き出せないような仕組みにしたのです。
大澤:民主主義革命のようなものが起きて作られた憲法とは違っている。
木村:そうですね。モデルになったプロイセン憲法は、議会と君主が綱引きをしているときに、議会権限を限定する思考で作られたものです。

・・・とにかく西欧列強に対抗するため、大急ぎで近代化を成し遂げた日本ではあったが、いわゆる「外圧による変化」「上からの革命」により急造された近代国家であっただけに、「議会」や「憲法」に市民革命的な実質が伴っていないなど、体制の歪みもいろいろあったということで、それが日本人の明治維新に対する、アンビバレントな思いの元になっているように思う。

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2021年8月 9日 (月)

信長抹殺と日本史の「論理」

むずかしい天皇制』(晶文社)は、社会学者・大澤真幸と憲法学者・木村草太の対談本。織田信長は天皇からの自立を最も強く志向する武士であったがゆえに、最後は日本史に働く「論理」により排除されたという。以下にメモする。

大澤:興味深いのは、まったく正反対の力が武士において働いている、ということです。一方では、天皇的なものから自立へと向かうベクトルがあり、他方には天皇的なものへと従属するベクトルがある。
前者が、天皇からの遠心力で、後者が天皇への求心力です。織田信長は、前者が非常に強く、後者が極小化した唯一に近いケースです。
天皇のことを信長ほど蔑ろにした武士はいない。しかし、家臣の明智光秀に裏切られ、殺されてしまう。
日本史というものに内在している「論理」からすると、天皇をそこまで蔑ろにする人は排除される運命にあるのです。光秀は、天皇制とは関係ないし、個人的な動機で信長を殺していると思うけれども、ここにヘーゲルのいう「狡智なる理性」が働いているのです。歴史の理性はときどき、小物に大役を与えるんですね。

・・・大澤先生の本能寺の変に関する論考は「現代思想」誌(2020年1月号臨時増刊「総特集・明智光秀」)に掲載されている。大澤先生は、武士は「王臣子孫」と「伝統的現地豪族」の合成として平安時代に生まれた、という桃崎有一郎氏の説に依拠して、以後の武士の歴史は、都の天皇・公家への志向と、それに反する地元志向の間を運動するもの、と捉える。そして、その一方の極である天皇から自立する立ち位置を、最も強く打ち出したのが、信長ということになる。日本史のいつかの時点で、武士の側が天皇を排除することも可能だったと思われるが、結局信長が抹殺されたことで、天皇と武士の二極が存在する体制は、明治維新まで続くことになった。

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2021年8月 8日 (日)

「脱成長」か、「脱物質化」か

無理ゲー社会』(橘玲・著、小学館新書)から以下にメモする。

アメリカの歴史学者ウォルター・シャイデルは、人類の歴史には平和が続くと不平等が拡大する一貫した傾向があることを見出した。
ではなにが「平等な世界」をもたらすのかというと、それは「戦争」「革命」「(統治の)崩壊」「疾病」の四騎士だ。「とてつもなくヒドいこと」が起きると、それまでの統治構造が崩壊し、権力者や富裕層は富を失って社会はリセットされ、「平等」が実現するのだ。

資本主義がこれまでは全体として人類に大きな恩恵を与えたとしても、平和が続く限り、格差はとめどなく拡大していく。さらに、地球温暖化など気候変動による災厄を避けるためには、経済成長をひたすら追い求める資本主義から脱却しなければならないとの主張が有力になってきた。これはたしかに説得力があるが、事実(ファクト)に照らして本当だろうか?

奇妙なことに、1970年頃を境にして、アメリカでは経済成長が続いているのに資源の消費量が減りはじめた。のちに他の先進国や、中国のような新興国でも同じことが起きていることがわかった。
経済学者のアンドリュー・マカフィーによれば、テクノロジーのイノベーションによって、経済成長と資源消費の減少が同時に進行する「脱物質化」の革命が起きている。わたしたちは「地球に負荷をかけずにゆたかになれる」のだとマカフィーはいう。
マカフィーは人類を救う「希望の四騎士」として、「テクノロジーの進歩」「資本主義」「反応する政府」「市民の自覚」を挙げている。

どちらを選択するかで、人類の未来は決まる。「合理的な楽観主義(脱物質化)」か「道徳的な悲観主義(脱成長)」かの行方は、わたしたちの運命にものすごく大きな影響を与えるのだ。

・・・環境を守るための反資本主義か、環境にやさしい技術革新か。さて、どっちがより現実的な話であるのか、正直素人には判断できないよ~。

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2021年8月 7日 (土)

日経新聞に「ちくさ正文館」の話

本日付日経新聞「交遊抄」の執筆者は、ブックデザイナーの祖父江慎さん。以下にメモする。

大学受験に失敗して予備校に通っていた頃、昼休みの時間は必ず近くの書店に立ち読みに通っていた。ちくさ正文館書店本店(名古屋市)だ。毎日同じ時間に立ち読みに行く。お店の人(店長の古田一晴さん)がときどき僕の様子を見に来る。注意されることは一度もなかった。
ある日、読み続けている本の隣に新しい本が並んでいた。新刊ではなく、ちょうど立ち読みしてる内容とリンクした気がかりな本だ。読みたい本が増えてしまった。しばらくして気がついた。古田さんからの君への次のお薦めの本はこれです、というメッセージだった。

・・・その後も祖父江さんは古田さんと話すことはないまま、大学合格後は東京に出てきたのだが、浪人時代の古田さんとの出会いに感謝している、という。祖父江さんは1959年生まれなので、おそらく約40年前の、本屋さんを巡るちょっと良い話。

ちくさ正文館が売る本のメインは人文・アートの書籍だ。古田さんは今では業界の名物店長として知られる人物。店舗は以前、千種駅周辺に2店舗あったのだが、最近駅前のターミナル店を閉めて、そこに置いてあった参考書やコミックが本店に入ってきた。ので、人文書メインの書籍フロアは以前の半分になってしまった。昨今の書店経営の厳しさを感じると共に、読者としては何となく困った気分になるのだが、結局時々本を買うくらいしか応援できないので、どうにももどかしい思いがある。

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2021年8月 3日 (火)

公的年金に学ぶ資産運用

本日付日経新聞市況欄コラム「大機小機」(個人の運用、公的年金に学ぼう)からメモする。

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は7月、2020年度の運用報告書を公表した。個人投資家が参考にすべき内容も多く含まれる。

第1は、報告書が掲げる過去の投資成績を見ると、投資スタンスを長期に構えることの有効性を強く実感させられる点だ。過去20年間を通算した投資収益率は平均3.61%だが、うち13年はプラス、7年はマイナスであった。単年度の投資収益がマイナスであっても、めげずに投資スタンスを貫くことが肝心である。

第2は、国内株式、外国株式、国内債券、外国債券への均等配分を基本とするオーソドックスな投資戦略を選択していることだ。各資産クラスに25%ずつの配分を基本ポートフォリオに選んでいる。

第3は、投資手法は主にインデックス運用を採用し、銘柄選択で勝負するアクティブ運用は多様を避けていることである。GPIFがインデックス運用を多用しているという事実は、投資手法が明快でコストも安いインデックス投信や上場投資信託(ETF)が、個人投資家にとって利便性が高いことを示唆するものといってもよいであろう。

・・・あまり投資を研究する時間がない人は、長期分散そしてインデックス運用が基本ということだろう。GPIFがインデックス運用を主力とするのは、長期的にアクティブ運用はパッシブ(インデックス)運用に勝てない、というポートフォリオ理論上の実証的ルールもあるからだろう。とはいえ、「個別株投資は趣味としては面白い」(経済評論家の山崎元氏)ので、研究する時間のある人は、インデックス運用プラスアルファの成績を目指して、相場に取り組んでみるのも結構楽しいんじゃないかと思う。

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2021年8月 2日 (月)

京急「北品川」駅名の謎

京浜急行の品川駅から横浜に向かうと、最初に北品川駅を通る。つまり北品川駅は、品川駅の南にある。何でかなあと思っていたのだが、この「品川」は、かつての宿場町である品川宿を指しているとのこと。日経新聞電子版8月1日発信記事(品川駅の南になぜ北品川駅?)からメモする。

「名前の由来は東海道の品川宿です。品川宿の北側にあるから北品川、となったんです」(京浜急行電鉄株式会社営業企画課)

品川宿は、東海道五十三次の宿の一つで、日本橋から出て最初の宿場町だ。現在の京急北品川駅から青物横丁駅にかけて続いていて、東海道の玄関口として栄えた。江戸時代はむしろこちらが本家本元の「品川」だったのだ。
古地図を見てみると、「北品川」という地名が確かにあった。北品川は古くからの地名でもあった。ちなみに現在、北品川のほかに「南品川」「東品川」「西品川」も存在する。いずれも品川宿を中心に配置されていた。

・・・品川駅の所在地は品川区ではなく港区、ということを知ってる人は少なくないと思うけど、北品川駅の由来についても知っておいた方がいいかもね。

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