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2020年2月24日 (月)

本長篠の河津桜

三河の廃線跡に植えられた河津桜を見に行った。豊橋からJR飯田線に乗り1時間余り、本長篠駅から10分程歩いたところにある。

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ここのトンネルは、かつての鉄道の名残だ。鉄道の名は田口線。50年以上前に廃線となったが、線路跡は生活道路となっている。トンネルもここだけでなく多数残されている。

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2020年2月 9日 (日)

「天下布武」そして「天下静謐」

織田信長といえば、「破壊的革新的」な歴史上の人物として思い浮かぶのではないか。しかし最近の研究は、そんな信長のイメージを大きく修正しつつある。という話は自分も仄聞していましたが、『虚像の織田信長』(渡邊大門・編、柏書房)は、信長研究の新たな成果を一般向けにまとめてくれた有り難い一冊。とりあえず「天下布武」の意味するところについてメモします。

信長と「天下」といえば「天下布武」という印章が有名である。現在のところ「天下布武」印章の初出文書は永禄10年(1567)11月付けの「織田信長朱印状」である。永禄10年といえば、信長がようやく尾張と美濃の二国を平定した直後である。彼は本当にこの段階で「天下」を「武」で統一するつもりだったのだろうか。

神田千里氏は、「天下布武」という言葉の解釈として今まで考えられてきた、「天下」=日本全国を武力で統一する、という解釈を誤っているとした。神田氏は「天下」について、将軍にかかわる概念であるとした上で、①将軍が体現し、維持すべき秩序、②京都、③「国」とは異なる領域、という側面を指摘、信長にとっての「天下布武」とは、将軍足利義昭による五畿内平定であると唱えた。

神田説に則れば、足利義昭を擁立して上洛した信長はこの段階ですでに「天下布武」を成し遂げたことになる。では、「天下布武」後の信長の政治理念は何だったのか? このことを検討した金子拓氏は、それを「天下静謐」だったとする。「天下静謐」を維持することを自らの使命とした信長は、その「天下静謐」を妨害する勢力を討伐し、「天下静謐」の状態を保たなければならなかった、というのである。

永禄10年、美濃の攻略によって初めて信長は義昭を擁立して上洛するための準備が整ったのである。「天下布武」の印章はこの時期に使われ始めた。ここから「天下=将軍の支配すべき畿内」を「平定し幕府を再興する」という意味であることが納得できる。

・・・1990年代以降、信長像は革命的英雄から現実的な政治家へと見直しが進んでいるという。まさに信長像のコペルニクス的転回だあ。

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2020年2月 3日 (月)

ニーチェは「プラグマティスト」!?

アメリカにおけるニーチェ受容の分水嶺は、第二次世界大戦後のウォルター・カウフマンによる翻訳の登場である。『アメリカのニーチェ』(J・ラトナー=ローゼンハーゲン・著、岸正樹・訳、法政大学出版局)の「訳者あとがき」からメモする。

カウフマンの翻訳が顕在化させたものは何であろうか。それは「プラグマティスト」ニーチェである。
(1)反基礎づけ主義、(2)多元的視点、(3)影響や効果の重視という、プラグマティズムの本質的特性を有する点で、カウフマン(の翻訳)が生み出したニーチェは、紛れもなくプラグマティストである。プラグマティストとしてのニーチェを顕在化させたからこそ、ニーチェが「高い汎用性」に基づいてさまざまに利用されるようになった。

カウフマンの翻訳は、ウィリアム・ジェイムズと比較考察することによって、ニーチェの「プラグマティズム」を浮き彫りにしたが、同時にジェイムズのプラグマティズムの本質を、アメリカの読者に感じ取らせることにもなった。その本質とは、ルイ・メナンドの言葉を借りれば、プロテスタントの宗教改革にも匹敵するほどの「アメリカ文化の中の脱制度的衝動――あらゆる社会制度の偶然性の洞察や制度、画一性への敵意――を現わしている」ものである。まさにこのジェイムズが、ニーチェのもつ反制度性、反体系性ならびに自己主権性に対する理解を容易にしたのである。

フランス現代思想の受容において「哲学を文学化」したように、アメリカ受容の「メカニズム」は、分かりにくいニーチェ哲学を「反基礎づけ主義のプラグマティズム」として、すなわち「なじみ深い」言葉遣いの哲学者として普及させていく。

・・・こうして「プラグマティスト」である「アメリカ化したニーチェ」が誕生した。ニーチェ哲学とプラグマティズムは、大雑把に言えばどちらも「相対主義」の思考であると見なすことはできる。しかしながら、ニーチェ哲学の背景にはヨーロッパ大陸の合理主義、普遍主義的思考との対決と緊張がある。それゆえに、ニーチェは最初の徹底的なニヒリストであると自称した。これに対して、アメリカ的プラグマティズムはヨーロッパ大陸の伝統的思考とはほぼ無縁といえるだろう。ということで、両者の「類似」は当然ながら表面的なものだと言うほかはないのだが、それはそれとして、アメリカ人がニーチェをプラグマティストとして理解したという事情を見ると、結局人は物事を自分の理解しやすいような形で理解するしかないのだな、と改めて思う。

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2020年2月 2日 (日)

フランス現代思想とアメリカ

アメリカにおけるフランス現代思想の受容には二つの特徴がある。と、フランソワ・キュセは『フレンチ・セオリー』(邦訳・NTT出版)の中で述べているとのこと。『アメリカのニーチェ』(J・ラトナー=ローゼンハーゲン・著、岸正樹・訳、法政大学出版局)の「訳者あとがき」からメモする。

キュセはアメリカにおける受容の第一の特徴として「哲学の文学化」を挙げる。他の学問の領域を文学の領域に取り込んでゆき、「文学」の領域が拡大してゆく。それはポストモダン的相対主義の普及であった。

第二の特徴は「アメリカ式の翻訳のメカニズム」。フーコーやデリダたちはそのテクストにおいてきわめて独特の、翻訳の困難な用語を次々と創案しては駆使するため、翻訳者はつねに用語・文献解説者の役目を負わざるを得ない。そこでは、原テクストの錯綜する主題群、諸問題を「忠実に」再現するのがきわめて困難なので、複雑なテクストを断片化し、単純化し、再編集して、それを汎用性の高いものに作り変える。作り変えられた「汎用性の高い」テクスト、言い換えれば、新しくアメリカナイズされたテクストは豊かで多様な解釈を付与することが可能なテクストに変わる。「フレンチ・セオリー」はその結果、さまざまな領域への普及、浸透が容易になる。元のテクストよりも大きな波及力、影響力をもたらすようになる。

こうしたアメリカ的受容の「メカニズム」のもたらす帰結は(アメリカ文化産業の介在によるが)たしかに汎用性を備えたフレンチ・セオリーの商品化であり、世界化である。それは新しいものを積極的に開発し、普及させてゆこうとする原動力でもある。英訳されたフレンチ・セオリーはアメリカ国内で独自の思想を生み出しただけでなく、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアリズムへ移行、発展しながら、世界的な広がりをもってゆく。

・・・30年以上も昔の、日本におけるポストモダンの流行も、事情は似たようなものだったという覚えがある。日本では、特に浅田彰の『構造と力』が突出して「汎用性の高い」テクストであったという印象だ。ただしその後、日本独自の思想が生まれたということはなく、結局一時的なブームに終わったな、という感じ。残念ながら。

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