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2020年1月24日 (金)

「不機嫌な時代」は終わらない

『不機嫌な時代―JAPAN2020』(1997)などの著作があるピーター・タスカ。長年、日本市場をウオッチしてきたストラテジストは、この先の日本をどうみているか。日経新聞電子版1/22発信のインタビュー記事からメモする。

景気低迷で閉塞感に満ちた日本の90年代を「不機嫌な時代」と表現しました。現在はどうでしょう。
「不機嫌な時代は終わるどころか、世界的な流れになってしまった。90年代は日本だけの問題だったが、いまや先進国経済は総じて長期停滞に陥り、多くの国で政治の内向き傾向が強まっている」
「大きく3つの原因がある。まずは人口成長の減速。次に将来への不安だ。IT(情報技術)や人工知能(AI)の普及で、いまやホワイトカラーの労働者も職が奪われる懸念を抱いている。3つ目が若い世代の価値観。モノの所有ではなく共有が一般的になり、消費の伸びが抑えられている。不機嫌な時代から抜け出るのは容易ではないだろう」

2045年にかけて日本が直面するリスクは。
「『失われた20年』に逆戻りする可能性が否定できない。アジアや世界で経済・金融危機が起きれば、超円高が進んで再びデフレに陥る恐れがある。引き金を引く可能性が相対的に高いのが中国だ。デレバレッジ(過剰債務の圧縮)が一気に進んで、景気が腰折れするリスクがある。そうなれば影響は世界に広がる」

日本の強みを生かし、変革を促す原動力は何でしょう。
「労働力不足への対応が成長へのドライバーとなる。労働者の効率的な活用が不可欠になるし、自動化に向けた設備投資も高水準で続くだろう」

・・・『不機嫌な時代』の刊行された1997年は、山一証券や北海道拓殖銀行が破綻するなど、日本の金融危機のピークの時期に当たる。それだけに当時は日本が混乱から衰退に向かう見通しにリアリティがあり、2020年のイメージは「灰色」としか思えなかった。そして今、あの頃の未来である2020年にぼくらは立っている。オリンピックへの期待もあり、思ったほど状況は悪くはないみたいだ。とはいえ、人口が減少する日本の大きなトレンドは衰退方向であるという印象も変わらない。もはやトレンドを大きく転換させるのは難しいとしても、日本は出来る限りの手を尽くして、国民の生活水準や利便性を一定以上のレベルに維持していくべきであり、それはまた可能だと考える。

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2020年1月15日 (水)

人間という「虚構する動物」

今や人間は、真偽の怪しい情報が大量に飛び交う「ポスト・トゥルース」の時代の中に生きている、と言われる。しかし、そもそも人間、ホモ・サピエンスとはポスト・トゥルースの種である、とユヴァル・ノア・ハラリはいう。以下に『21 Lessons』(河出書房新社)の「ポスト・トゥルース」の章からメモ。

実際には、人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は虚構を創り出し、それを信じることにかかっている。自己強化型の神話は石器時代以来ずっと、人間の共同体を団結させるのに役立ってきた。実際、ホモ・サピエンスがこの惑星を征服できたのは、虚構を創り出して広める人間ならではの能力に負うところが何より大きい。私たちは、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳動物であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。誰もが同じ虚構を信じているかぎり、私たちは全員が同じ法や規則に従い、それによって効果的に協力できる。

でっち上げの話を1000人が1か月間信じたら、それはフェイクニュースだ。だが、その話を10億人が1000年間信じたら、それは宗教だ。とはいえ、私は宗教の有効性や潜在的な善意を否定していない。むしろ、その逆だ。宗教の教義は、人々をまとめることによって、人間の大規模な協力を可能にする。

少なくとも一部のケースでは、虚構や神話ではなく、当事者の合意のみで成り立つ約束事を通して人々を組織することが可能だと主張する向きもあるかもしれない。たとえば、経済の領域では、貨幣や企業は人間の約束事にすぎないことを誰もが知っているにもかかわらず、それらは神や聖典よりもはるかに効果的に人々を束ねる。

とはいえ、そのような約束事は、虚構と明確に異なるわけではない。たとえば、聖典と貨幣の違いは、一見したときよりもずっと小さい。

実際には、「何かが人間の約束事にすぎないのを知ること」と「何かが本質的な価値を持つと信じること」の間には、厳密な区別はない。

・・・人間の社会は「虚構の物語」と「約束事」、それを信じることによって成り立っている。宗教という物語も、貨幣という約束事も、人間社会をまとめる虚構として恐ろしいほど有効に機能してきた。このような考え方は、心理学者・岸田秀の考え方に馴染みのある者にとっては受け容れやすいというか、殆ど当たり前の話に思われるだろう。

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2020年1月14日 (火)

「アンナ・カレーニナの原則」

『サピエンス全史』『ホモ・デウス』で、現代の「知の巨人」の地位を獲得したともいえるユヴァル・ノア・ハラリ。新著『21 Lessons』(河出書房新社)でハラリは、今日の主権国家が受け容れている単一の政治パラダイムとして、議会、人権、国際法などを挙げて、次のように述べる。(同書「文明」の章)

世界にはさまざまな種類の「機能不全国家」が散在しているかもしれないが、国家としてうまく機能するためのパラダイムは一つしかない。このようにグローバルな政治は、「アンナ・カレーニナの原則」に従っている。すなわち、機能している国家は互いにみなよく似ているが、機能不全の国家のそれぞれが、主要な政治パッケージの要素のどれかを欠いているために、独自の形で機能していないのだ。

・・・「アンナ・カレーニナの原則」というのは、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に出てくる言葉、「幸福な家庭は似たり寄ったりだが、不幸な家庭はそれぞれに違う」を元にした半分洒落の造語かと思ったんだけど、検索してみると、ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』の中で書いているらしい。ただしそれは、家畜化できた動物には共通の特徴があり、家畜化できない動物はそうではない、ということを言い表すために使っているようだ。

ある程度の人生経験があれば、不幸な家庭における不幸の有り様や理由は実に様々であると推測できる。幸福な家庭の有り様は一般的にイメージしやすいのに対して、不幸な家庭の事情は外からは分かりづらい。それゆえ不幸な家庭は恐ろしく孤独だといえる。自分も、どちらかといえば不幸な家庭で育ったという記憶があるものだから、「アンナ・カレーニナ」の言葉は結構切実に感じられるのです。

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2020年1月 4日 (土)

明智光秀が示す「理性の狡知」

雑誌「現代思想」増刊号の特集は「明智光秀」。って、何で「現代思想」で明智光秀なの? 往年の三浦雅士編集長時代も遠い昔だが、それにしても明智光秀の特集とは、目が点になる(古い)ばかりだ。以下に、現代思想っぽいところで、大澤真幸の論考(理性の狡知――本能寺の変における)からメモする。

(桃崎有一郞の説によれば)武士は、結局、「王臣子孫」と「伝統的現地豪族」の合成によって(摂関時代の平安期に)生まれた。「武士は、地方社会に中央の貴姓の血が振りかけられた結果発生した創発の産物として、地方で生まれ、中央と地方の双方の拠点を行き来しながら成長した」。

さて、そうだとすると、武士は、天皇(朝廷)を原点にして遠心力と求心力との両方が作用しており、両者が独特の均衡をとったときに生まれる、ということがわかる。地方豪族の王臣子孫への関係の中には、天皇への従属を支える(天皇への)求心力と、天皇から離れようとする遠心力が、同時に作用していることになる。

武家政権は、天皇制を排除したり、皇室関係者を全員殺害したりすることは、できなかった。武士が武士たりうるための一つの要件が、天皇への求心力の中に入ることだったからである。

こう見てきたとき、信長が例外的な武士であったことに気づく。信長は、天皇への求心力に従わず、それを全面的に相対化した最初にして最後の武士である。信長を継いだ秀吉も家康も、旧に復し、それまでの武士と同様に、天皇の求心力の中で活動することになる。

武士を成り立たせている最初の前提は、朝廷からの独立性の方にある。その意味では、遠心力の方が基礎である。この基底的な遠心力が強くなり、ついに求心力との間の均衡を維持できなくなったとき、信長が出現したのである。

しかし、列島の歴史の理性は、こうした逸脱を許容しなかった。まるでヘーゲルの歴史哲学を例証するかのように、理性の狡知が鮮やかに作用し、光秀は信長を葬り去ったのである。

・・・信長の目指していたのは、それまでの武士を超えた存在、あるいは朝廷を完全に排除した純然たる武家政権だったのか。永遠の謎である。

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2020年1月 3日 (金)

大和、武蔵、信濃

大晦日12月31日の午後、NHKBSでは、いずれも再放送で「巨大戦艦・大和」(2012年8月)、「戦艦武蔵の最期」(2017年1月)、「幻の巨大空母信濃」(2019年8月)の3本、合計7時間を一挙放送。しかし何で大晦日に、大和、武蔵、信濃なんだろ・・・と思いつつ、雑感を少々。

存命の元乗組員の年齢は80代後半から90歳台の超高齢者。でも元気な人はすごい元気。大和は沈没時乗組員3,300名超のうち生存者は1割以下の276名。武蔵は同じく2,400名のうち戦死が1,000名以上。生存者のうち640名はその後、地上戦に投入された。だから、存命の方の証言はとにかく貴重。(しかし大和と武蔵は同型艦なのに、沈没時の乗組員数にかなり差があるのはなんでだろう)

大和も武蔵も戦闘時、手足の千切れた死体が山となり甲板は血の海と化していた、という証言には身が震える思いがする。そんな話を聞いてしまったら、もう大和や武蔵のプラモデルは作れないな。

フィリピンのシブヤン海に沈む武蔵発見時(2015年3月)の映像記録の分析により、このドキュメンタリーが作られたわけだけど、あの武蔵を発見するプロジェクトって、金持ちの道楽にしてもケタはずれというか、よくやるな~と思う。何でやったのか、ちょっと不思議。

大和型戦艦3番艦から計画変更されて、空母として誕生した信濃。完成直後に、母港横須賀から呉に移動する処女航海の途中、米潜水艦の魚雷攻撃を受けてあえなく沈没してしまった「幻の巨大空母」だ。番組内では、横須賀で信濃について人に尋ねても、「知らない」という答えが返ってきていたが、確かにプラモデルを作る人くらいしか知らない船だろうと思う。(苦笑)

番組を見ると、とにかく信濃は突貫工事で「完成」させて、船体構造に不安を抱えたまま出港したことが語られていた。とはいえ、無事だったとしても、信濃が活躍する機会があったとは思えない。信濃が沈没したのは1944年11月。そのひと月前に武蔵が撃沈されたレイテ海戦では、神風特攻隊が初出撃していた。既に日本には、まともな航空兵力は残っていなかった。ハード(空母)を一生懸命作っても、ソフト(航空兵)が揃えられない状況だった。

沖縄を目指した大和が沈んだのは1945年4月。この時点で日本は降伏すれば良かったのに。と言ってもしょうがないけど。

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