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2019年8月31日 (土)

二重公儀論と大坂の陣

新刊『新視点関ヶ原合戦』(平凡社)の中で著者の白峰旬先生は、「徳川と豊臣を対等の関係で見ないと、大坂の陣というのは政治的に正しく理解できない」と記す。同書の「エピローグ」からメモする。

そもそも、なぜ徳川家康は、豊臣秀頼を改易できなかったのか、改易で済めば、わざわざ戦争(大坂の陣)をする必要はなかったはずである。
笠谷和比古氏による二重公儀論に立脚すれば、豊臣公儀と徳川公儀は対等であることがわかるので、大坂の陣は、両者の政治的交渉の失敗から戦争に発展した、という見方が正しいと思われる。
徳川家康が豊臣秀頼を改易できなかった理由は、一方の公儀(徳川公儀)が他方の公儀(豊臣公儀)を改易することはできなかったからであり、戦争で決着するしかなかったからである。
大坂の陣は、私見では、幕府VS.大名という見方ではなく、徳川公儀と豊臣公儀の決戦であった、と考えられる。

・・・その一方で二重公儀論に否定的なのは、本郷和人先生。『怪しい戦国史』(産経新聞出版)からメモする。

ぼくは「二重公儀体制論」が理解できない。従者は主人に戦いへの参加など、命を賭けての奉公をする。主人は恩賞(主に土地)を以てそれに報いる。かかる社会契約が「主従制」です。そして、すべての武士を理念的に従者として編成する存在が将軍であり、公儀なのです。
大坂の陣が起きたときに、徳川幕府に出仕する現役の大名は誰一人、大坂方に与同しなかった。彼らに領地を与えているのは徳川将軍家なのですから、その旗の下に参陣するのが従者としての義務なのです。この実に単純明快な事実は、何よりも雄弁に「二重公儀体制」を否定すると思うのですが、どうでしょうか。

・・・ネットで検索したら出てきたのは、渡邊大門先生の「二重公儀体制」説に対する評価(雑誌「歴史街道」2014年12月号より)。渡邊先生は、「二重公儀体制」も完璧な説ではなく、形式的な側面からのアプローチになっており、実態からの分析が十分ではない、と見ている。

関ヶ原合戦の後、家康が秀頼を改易しないまま10年以上経過したのは、豊臣が公儀であったがための結果なのか、それとも単に改易する理由がなかったということか。はたして関ヶ原合戦後の「豊臣公儀」はどこまで実態を伴うものなのか。大坂の陣における豊臣方の兵は牢人の寄せ集めだったことを思えば「公儀」と呼ぶのは疑問に感じるし、本当に公儀対公儀の決戦だったとしたら、大坂に留まらず全国規模の争乱になったのではないかと思う。

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2019年8月30日 (金)

復元「大坂冬の陣図屏風」の謎

先日、徳川美術館で公開されている「大坂冬の陣図屏風」を見た(特別展「合戦図」、9月8日まで)。

Photo_20191119204701

これは、現存していない屏風を、残された模本(模写)を元に彩色を施すことにより「デジタル復元」したもの。巨大城郭大坂城に押し寄せる徳川方の大軍、真田丸の攻防など、戦国時代最後の大戦の有り様が精密に描かれている。

この屏風を見に行こうと思ったのは、NHKBSプレミアム番組を見て興味を持ったから(「英雄たちの選択」謎の屏風が語り出す)。
番組では、作者、発注者共に不明である「大坂冬の陣図屏風」について、磯田道史、小和田哲男、千田嘉博ほかの先生方が謎の発注者を推理。
まずはとにかく大坂城が綺麗に正確に描かれていることや、豊臣方が戦いの主役としてクローズアップされていることなどから、①豊臣家にシンパシーを持つ人物、②豊臣大坂城をよく知る人物、そして③屏風を作らせる財力がある人物(城持ち大名クラス、最低でも3万~5万石)を条件に、真田信之、伊達政宗、徳川秀忠、蜂須賀至鎮(よししげ)、そして千姫が発注者の候補として挙げられた。

徳川家康の存在感が意図的に抑えられているように見えるのも、ちょっと不思議なところ。家康の陣は端っこに小さく描かれているし、家康が戦場に持ち込んだ大砲や鉄の楯も見当たらない。秀吉の死後、家康が大坂城西の丸に作った天守も雲に隠されている、という具合だ。

番組の中で提出された「発注者」の中では、自分は伊達政宗かなと思う。豊臣へのシンパシーは無いと思うけど、徳川権力に対する反骨心が屏風に現れているような気がする。

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2019年8月26日 (月)

「ルパン三世」の記憶

先日、「ルパン三世」誕生秘話という感じのテレビ番組を見た(NHKBSプレミアム「そして、ルパン三世が生まれた」)。内容は、主に関係者へのインタビュー(原作者モンキー・パンチと同期デビューのマンガ家・バロン吉元、テレビアニメの初代監督おおすみ正秋、作画監督の大塚康生など)で構成されていた。

自分がルパン三世を見た時は小学6年生。全く予備知識なし、ギャグマンガかな程度の感じでテレビを見たら、これが全然違うアクション映画のようなマンガだったんだけど、何と言うか・・・峰不二子! もうとにかく少年の下半身はムズムズしたのだ(笑)。こんなマンガ、日曜の夜7時30分にやるなよ~。

番組で当時の新聞のテレビ欄が映し出されていたが、日曜日の夜の番組はアニメ「いなかっぺ大将」「サザエさん」「アタックNo.1」、歌謡バラエティ「シャボン玉ホリデー」という具合で、なるほど「ルパン三世」は異色路線のアニメ番組だったのだと改めて了解する。

もともとは青年マンガ誌に連載されていたルパン三世だが、みんなが知っているのはアニメのルパン三世。実は自分も、ルパン三世のマンガは読んだことがない。画は見たことあるけどね。アニメ化以降、宮崎駿や高畑勲、鈴木清順など様々な才能が作品を手掛けることになり、ルパン、次元大介、石川五エ門、峰不二子、そして銭形警部というキャラの設定は、作家が自由にスト―リーを展開できる最高の入れ物としてワークし続けている。モンキー・パンチは、やはり天才と呼べるマンガ家だろう。

番組でも紹介されていたように、ルパンの第1シリーズは低視聴率で終わったが、4年後夕方の再放送が視聴率20%を超えるなど人気が盛り上がり、以降映画も含めて新作がコンスタントに作られるようになった(夕方の再放送は結構、アニメ作品復活の足場になっている。宇宙戦艦ヤマト、あしたのジョーとか)。でもやっぱりルパンは第1シリーズだよなと、少年の日の下半身ムズムズと共に自分は思い出すのだ。(苦笑)

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2019年8月25日 (日)

「キム・ジヨン」読書会シーン放送

今朝6時過ぎ、たまたま早く目が覚めて、何となくテレビをつけると「キム・ジヨン」の話をやっていたので、そのまま眺めていた。(NHK「目撃!にっぽん」、「キム・ジヨンと女性たち~韓国小説からの問いかけ~」)
すると、名古屋での『82年生まれ、キム・ジヨン』読書会のシーンが現れた。
ああ、あれだ。猫町倶楽部の読書会。自分も参加した。場所は藤が丘の喫茶店で、確かに取材が入っていた。4ヵ月くらい前だ。いつやるか分からない番組を、こうして目にするなんてホントに偶然だなあ。
とりあえず番組の中では、読書会に参加したと思われる男性が、姉の進学と自分の進学に親が差を付けていたことに気付いたと語っていた。

自分は、あの本は女性の意見も聞いてみないと分からない気がして読書会に参加してみたのだが、正直それ程得るところはなかった。結局、みんな自分に引き寄せて、いわゆる「あるある」を語って終わり。自分の入ったグループはそんな感じだった。はあ。

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