死は「一巻の終わり」
『「死」とは何か』(文響社)という本がよく売れているとか。著者は米イェール大学のシェリー・ケーガン教授。中日新聞(3/28付)掲載のインタビュー記事から以下にメモする。
(死を考えないより、考えて生きる方がいいのか)
悲しい、あらがうことができない、重苦しい。いろんな理由で死を考えたがらない人が多いが、誤りだ。チェコ出身の作家フランツ・カフカは「人生の意味は、それが終わることにある」と言った。重要なのは、死はまさに一巻の終わりという事実に気づき、人生の尊さを知ることだ。二度目がないからこそ、どう生きるか、何が正しいかを見極めなければならない。
(なぜ人は死を恐れるのか)
死に関して最も悲しいことは、生きている限り享受できたであろう楽しいことを得られなくなることだ。しかし、死を恐れることは、筋が通らないと思う。死は必ず訪れるからだ。
少なくとも私は死を恐れるより、自分の人生を生きてきて、愛すべき家族がいて、哲学の知見を人々と共有できたことに感謝するだろう。
(結局、死とは何か)
私は身体が朽ちても魂は生き続けるという考え方に賛成しない。考えたり、恋をしたり、創造したりといったことは、物体にはない私たちの身体機能の一部だ。死とは、身体が壊れ、こうした機能も果たせなくなること。それが全てだ。だからこそ、死を考えることは、どうすれば人生の価値を高められるかを考えることにつながる。
・・・死とは身体が壊れること。変な感想になるけど、「銀河鉄道999」の機械の身体を求めて宇宙を旅するという話が、若い時にはピンとこなかった。なんで機械の身体なんか求めるの?と。しかし年を取ると、そういう感じも結構分かってくる。何しろ身体は壊れる。というか年を取ると壊れてくる。機械は壊れても修理できるから、そっちの方が良いのかな。と思えてくるのだね。