宗教改革の意義
今から500年前の1517年10月31日、ルターが「95箇条の提題」を世に問うた時から、中世ヨーロッパ世界を激動の中に投げ込む「宗教改革」運動が始まった。読売新聞10/26付記事「宗教改革500年 識者に聞く」からメモする。
ルターは宗教改革をしようと思ったわけではなく、カトリックのほころびを修復しようという意識が強かったのだと思う。
そして、聖書こそが権威だとする彼の主張は、教皇を頂点としたそれまでのピラミッド型の一元的な社会を壊した。一方で、聖書は読む人によって解釈が違い、宗派が分裂していくことにつながる。
分裂を繰り返すプロテスタントとは、ヨーロッパが初めて経験した多元化だ。宗教改革以降500年の歴史は、分裂し、争いを続けるグループ同士が、何とか共存していける作法を模索してきた歴史ともいえる。相互理解や他者理解を考える上で、そこから学べるものはあるはずだ。
プロテスタンティズムは近代社会の深層構造ともいえる。欧米の文化を無視して生きられない現代、我々が生きる近代の世界を理解するためにも、プロテスタンティズムを知ることは日本人にも大きな意味がある。(深井智朗・東洋英和女学院大教授)
ルターは「信仰のみ」「(神の)恩寵のみ」「聖書のみ」という三つの「のみ」を打ち出した。それ以前からあったカトリック教会では「信仰と行為」「信仰と理性」「恩寵と自由意志」「聖書と教会の伝統」のそれぞれを重視し、バランスを取っていくのが正統的だった。その意味で、ルターは一方を極端に強調したといえる。
一連の宗教改革で、結果的に「個人が自分の良心に基づいて宗教を選択する」という、現代人にとっての基本条件が作られた。その意味で宗教改革は価値あることだった。
とはいえ、宗教改革以前に学ぶべきものは多く、批判するだけではもったいない。例えば中世は信仰と共に理性や哲学を重んじたが、「神と世界の関係をどう捉えるか」といったことを理性的に考えていくと、イスラム教やユダヤ教とも同じ土俵が形成される。(自分が信じる宗教の)神のみ、聖典のみでは、他宗教と共通の土俵に立ちにくい。(山本芳久・東京大准教授)
・・・宗教改革以前のヨーロッパにおいては、カトリック教会が社会体制と一体化していた。ルターの教会批判から生まれたプロテスタンティズムは、結果的に宗教を体制から切り離し、個人的な信仰とすることにつながった。現在もカトリック信者はキリスト教の最大多数勢力であるが、教会組織は国家社会体制の中の一部を占めるものでしかない。現状から見れば、ルターに始まる宗教改革は結局、世俗化社会における宗教の在り方を形成する出発点になったといえるだろう。
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