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2017年2月25日 (土)

エゴン・シーレの映画

映画「エゴン・シーレ 死と乙女」を観た。20世紀初頭のウィーンを舞台に、28歳で夭折した天才画家の生涯を描く作品。

その昔、「エゴン・シーレ」という映画を観たことがある。1983年公開だから34年前か。大昔だな(苦笑)。もう内容なんか殆ど覚えていないけど、世紀末的退廃ムードの強い映画だったような。シーレを演じた男優(マチュー・カリエール)もちょっとニヒルな感じの美青年。

それに比べると新作の主演俳優ノア・サーベトラは爽やかさも感じられる美男子で、ちょっとディーン・フジオカ入ってるような。(苦笑)

物語はシーレと女性たちの関わりを軸に展開していく。男女関係に近い親密さを見せる妹のゲルティ、タヒチの娘で踊り子のモア、師であるクリムトのモデルだった赤毛のヴァリ、結婚相手となるエディット・ハルムス、その姉のアデーレの5人。

このうちシーレにとって最も大きな存在だったのはヴァリ。彼女をモデルにした傑作を、シーレは次々に生み出していく。飛び切りの美人とはいえないが、画家に霊感を与える女神的存在であるヴァリを、ヴァレリー・パハナーという女優さんが表情豊かにチャーミングに演じていて、画家との愛の生活、そして破局に至るドラマが心を打つ。

第一次世界大戦の戦火がヨーロッパに広がる中、若き才能ある画家として注目されつつあったシーレはヴァリと別れ、中産階級の娘であるエディットと結婚する。ヴァリは従軍看護婦となり、1917年12月戦地で病死する。その知らせを受けたシーレは、完成させた大作の題名を「男と乙女」から「死と乙女」に変更する。ヴァリへの追悼の気持ちの現れだったのだろう。

1918年10月、大流行したスペイン風邪にかかりシーレは死去。その3日前に妻エディットも同じ病で死亡していた。だが、一組の男女の運命的な繋がりの強さを見出すべきなのは、一年足らずの間にヴァリとシーレが相次いで世を去ったという事実だろう。

この映画を観て感じたのは、芸術至上主義を信じる芸術家がまさにリアルに生きていた、そういう時代がかつてあったということ。そしてエゴン・シーレは、その時代の最後に彗星のように現れて、妖しい輝きを放ちながら消えていった天才だったのだ。

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2017年2月19日 (日)

『応仁の乱』に注目

中公新書『応仁の乱』(呉座勇一・著)が、販売部数10万部を超える注目の本に。同書は、先日発表された「新書大賞」(中央公論新社主催)でも、昨年発行の新書ランキング5位の評価を獲得している。毎日新聞サイト本日付発信記事(「不人気」応仁の乱、異例のヒット)から以下にメモ。

本書の読みどころは、広く知られた定説を覆すところにある。

まずはこれまでの説をおさらいしてみよう。銀閣寺(京都)を建てたことで知られる室町幕府八代将軍の足利義政が文化に力を入れるあまり政治に関心を示さなくなり、弟義視(よしみ)を後継者に決めた。しかし、「悪妻」とされる日野富子が、その後産んだ義尚(よしひさ)を後継ぎにしようと「ごり押し」したことで、それぞれの後見である細川勝元(東軍)と山名持豊(宗全、西軍)をはじめとする有力大名が争った――と伝えられることが多かった。

しかし、呉座さんは「日野富子の悪女説は(歴史上の合戦を題材にした文芸作品である)軍記物『応仁記』が起源です。近年の研究で虚構性が指摘され、歴史学界での富子への評価は、経済面から幕府を支えた存在に変わりつつある」と解説する。きちんとした史料には、富子が直接的に開戦に関与した形跡は見当たらず、義政も政治に無頓着なわけではなかったという。

開戦の直接的なきっかけは、有力大名だった畠山氏の家督争いだが、さまざまな思惑を持って多くの大名が戦乱に参加し、京都は焼け野原になってしまう。

1467年に始まった戦乱は1477年まで延々と続く。そして結局、勝者も敗者もはっきりしないままに終戦を迎えた。一言で言えば「ぐだぐだ」である。

売れ行きは好調だが、決して易しい本ではない。開戦26年前の六代将軍・義教(よしのり)暗殺(嘉吉の乱)など戦乱に至るまでの背景も丹念に描き、巻末の人名索引は約300人もの名前を掲載する。入り組んだ人間関係を過度に図式化することは避け、興福寺(奈良)の高僧が残した日記などを基に「同時進行ドキュメント」のような一冊にしたのは、呉座さんが「この先に何が起こるのか知るよしもない当時の人々の視点から、乱を描きたかった」ためだ。

・・・確かに、応仁の乱は「ぐだぐだ」ゆえによく分からない戦いだから「不人気」であるのだと思う。でもだからこそ知りたいという潜在的欲求があり、それに応えたのがこの本であるということなんだろう。でも店頭でぱらぱら見たけど、確かに簡単に読める本じゃないんだよね。ということで、自分はとりあえずもう少しやさしめな『戦国時代前夜 応仁の乱がすごくよくわかる本』(じっぴコンパクト新書)を買いました。(苦笑)

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2017年2月 1日 (水)

ジョン・ウェットン死去

訃報が飛び込んできた。常にプログレッシブ・ロック界の第一線で活動してきた男、ジョン・ウェットン。1月31日、がんにより急死。享年67歳。

2015年春、中野サンプラザで行われた再結成UKのラストコンサートを自分も目撃。まさかあれからたった2年で、ジョン・ウェットンがこの世を去るとは夢にも思わなかった・・・哀しくも残念としか言いようがない。

ジョン・ウェットンのキャリアにおいて、代表的なバンドとして名前が挙がるのはキング・クリムゾンであり、エイジアであるかも知れない。しかし70年代ティーンエイジャーである自分にとって、クリムゾンというカリスマ・バンドに比べたら、エイジアの音楽はとてもじゃないがプログレとは呼べないのが正直なところ。

自分が実際にジョン・ウェットンのステージに接したのは1979年のUK来日(日本青年館)、そして30年の時を経た2011年、2012年の再結成UKの来日(川崎クラブチッタ)ということもあり、自分にとってはジョン・ウェットンと言えば、エイジアよりもUK、という印象は強い。

今となっては、UK復活はジョン・ウェットンがこの世を去る直前に我々に遺してくれた奇跡のような置き土産だったと改めて感じるばかりである。合掌。

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