イエスとキリスト教の謎
『仁義なきキリスト教史』(架神恭介・著、ちくま文庫)の各章に付された「解説」(第1章~第5章)から以下にメモする。
当時、民衆の間に流布していたのが黙示思想である。これはいずれ終末(天地異変や破局的な惨劇)が訪れ、メシア(キリスト)が現れて選ばれた者たちを救い、義(ただ)しい者が復活、「神の国」が実現する、というものであった。
イエスの師匠格である洗礼者ヨハネも終末思想を説く宗教家であったと思われる。無論、弟子のイエスも師の影響を受けたことであろう。
イエスが実際に何をしていたかというと、これははっきりしない。ほぼ唯一の資料である福音書は伝説と脚色にまみれており、そこから史実のイエス像を抽出することは難しい。ある程度、信憑性を持って言えることはイエスが病治(やまいなお)し活動をしていたということだ。
イエスが処刑された理由もよく分からない。
推測の域を出ないが、イエスが求心力を持っていたこと、それ自体が問題視されたのではないだろうか。ユダヤ人の王を僭称しローマに対し反乱を企てた扇動者として処刑されたのだろう。
イエスの死後、遺された彼の取り巻き――弟子たちは活動を継続した。なぜだか彼らは活動を続けたのである。如何なる心理が彼らにそうさせたのかは分からない。
イエスの死後、彼こそが待望していたメシア(キリスト)であったと考える一派が現れ、彼らがキリスト教と呼ばれるようになる。ユダヤ教との最大の違いは、ユダヤ教徒はイエスのことをキリストだと認めていない点にある。
もうじきキリストが現れ終末が訪れるというのは、当時の一般的な思想傾向であったし、そのキリストが死んだはずのイエスだというのも、奇矯なアイデアではあるがまだ理解できる。だが、イエスを神に類するものと見なし始めたのは理解に苦しむ現象である。
当たり前だが、キリスト教も当時は新興宗教である。よく分からないので根も葉もない噂が飛び交い、彼らは迫害を受ける。
キリスト教の迫害が終結したのはコンスタンティヌス帝の時代。313年のミラノ勅令にて公認されたのがターニングポイントと一般に理解されている。なぜコンスタンティヌスがキリスト教を公認したのか、明確な理由は分からない。
・・・392年にキリスト教はローマ帝国の国教となる。長い時間をかけて歴史的に形成されてきた宗教であるキリスト教。しかしその発展のプロセスは謎だらけ。ふしぎなふしぎなキリスト教である。
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