柄谷行人の宗教論
『ニュースがわかる! 世界三大宗教』(文藝春秋SPECIAL冬号)掲載の、柄谷行人・語り下ろし宗教論から以下にメモ。
私はここ十年以上、歴史を四つの交換様式から構造的に考える仕事を続けてきました。宗教についての考察もそこに含まれます。
一つ目の交換様式Aは「互酬」です。
二つ目の交換様式Bは「略取と再分配」です。
三つ目の交換様式Cは「商品交換」です。
国家が成立する以前の氏族社会ではA、専制国家や封建的国家のような国家社会ではB、近代資本制社会ではCが支配的です。
「A・B・Cのいずれをも無化し、乗り越える」交換様式Dの実現を目指す社会運動。それを私は「普遍宗教」と呼びます。
D=普遍宗教が出現する条件は、非常に発展したA・B・Cが社会に浸透していることです。
歴史的に見ると、その条件は「世界帝国」の出現によって満たされました。具体的に言えば、ペルシア帝国、ローマ帝国、モンゴル帝国などがそれにあたります。
D=普遍宗教は、自由な個人のアソシエーションとして相互扶助的な共同体を創り出すことを目指します。ですから、Dは共同体的拘束や国家が強いる服従に抵抗します。つまり、AとBを批判し、否定します。また、階級分化と貧富の格差を必然的にもたらすCを批判し、否定します。これこそが、D=普遍宗教は「A・B・Cのいずれをも無化し、乗り越える」交換様式である、ということの意味です。
キリスト教、イスラム教、仏教などは当初、このような「普遍宗教」として出現したと考えられます。
これらの普遍宗教は、当初は弾圧されましたが、いずれも世界帝国の宗教、すなわち「世界宗教」となりました。キリスト教はローマ帝国で、イスラム教はイスラム帝国で、仏教は唐王朝で、「国教」となりました。
しかし、普遍宗教は「国教」になると、これまで批判してきたはずの王=祭司を頂点とする国家体制の支配の道具に成り果てました。普遍宗教は世界宗教となることで、「堕落」したのです。
・・・歴史的に帝国の周辺から社会運動として現われた「普遍宗教」は、やがて帝国に取り込まれ「世界宗教」として体制化された。当初の社会運動の性格が失われてしまえば、体制化は「堕落」であると見なされても仕方がないのだろう。
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