『フランケンシュタイン』
今月のNHK・Eテレ「100分de名著」が取り上げたのは『フランケンシュタイン』。メアリ・シェリー作、19世紀の小説。フランケンシュタインは怪物の名前ではなく、怪物を作り出した若き科学者の名前であることは承知していたが、その怪物がおのれを語り、熱心に読書するというのは全く意外だった。まず以下に「テレビテキスト」、番組講師である廣野由美子先生の解説から引用。
怪物は書物を読むようになります。たまたま森で拾った鞄に――このあたりは少しご都合主義的な展開ではあるのですが――、プルタルコスの『英雄伝』や、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』、ミルトンの『失楽園』が入っていたのです。怪物はそれらを熱心に読み、自分なりの解釈をして、知識と思考能力を高めていきます。なかでも『若きウェルテルの悩み』には、心を揺さぶられます。
・・・ということで、「ウェルテル」に感動する怪物ってどんな奴なんだろうと、作品(新潮文庫の新訳)をざっと読んでみたのだが、どうもストーリーが全体的に「ご都合主義的」な流れという感じもした。特に怪物の神出鬼没性とか、その怪物が最初の殺人を犯す巡り合わせとか。
怪物は醜さゆえにヴィクター・フランケンシュタインに見捨てられ、遭遇する人々にも敵視される。怪物はおのれの孤独に激しく悩み、「生みの親」への復讐を開始。ヴィクターは親友、妻を怪物に殺され、絶望的な孤独に突き落とされる。そこからヴィクターは報復を決意し、怪物の行方を追う。今度はヴィクターが怪物の境遇と行動を生きる格好になる。そして追跡行の果てに、北極海の船上でヴィクターは力尽き、その死を見届けた怪物は自らの滅亡を予告して北極海の氷上へ飛び移り、そのまま波に運ばれて闇の中に消えていく。
これは「創造主」が、ほかならぬ「被造物」に罰を与えられる物語なのかも知れない。あるいは無責任な「創造主」と出来損ないの「被造物」の葛藤が生み出す悲劇というか。そしてまたヴィクターの「没落」は自業自得という感もある。しかしメアリ・シェリーは19歳でこの作品を書いたのか、天才だよなぁ。
でも誰にも受け入れられない孤独の哀しみ、自己の生への絶望的な懐疑、ということで言えば、「妖怪人間ベム」(はやく人間になりたい!)や「アシュラ」(生まれてこなければよかったギャア!)の方が僕にはインパクト強いかもです。(苦笑)
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